第1節 第10話 Going to the Decapitation-pass
恒とユージーンは病室に戻る。
上島が忙しなく処置をしている。
生徒たちはじっと巧の周りを囲んだまま動けずにいた。
上島は、30分以上も脳に酸素が送られなかったことで起こる麻痺や記憶障害などが出て、ソフトボール部のエースである巧の前途に陰りがでなければいいと願うだけだった。
「状態は安定してきました」
「そうですか。今日はまだ予断を許しません。対応お願いします」
「はい」
上島は一度完全に死亡した人間の蘇生を初めて見たからか、ある種の感動を隠し切れていない様子だった。
ユージーンはこれまで、彼自身の持つ治癒能力を上島に科学的に説明していた。
だが今回ばかりは理屈がわからず、上島の驚きは相当なものだ。
「あの……!」
ユージーンが後ろを見ると、巧の両親と、たった今駆けつけたらしい小さな妹弟である蛍と顕たちが土下座をしていた。
ふたりは今年小学校に入ったばかりの年子だ。
「ありがとうございました。何とお礼申し上げたらよいか」
「できることはしましたが、まだ危ない状態です。傍についていてあげてください。上島先生、また容態が悪化したら携帯にご連絡を。すぐきます」
「お願いします」
ユージーンは巧の様子をしばらく見守っていたが、まだ豊迫一家は床に平伏したまま顔を上げようとしないので、困惑した。
確かに彼らから感謝されることをしたのだろうが、これでよかったのだ、とすっきりと思えない彼自身がいて、罪悪感を誘う。
「みんな、豊迫君は安静にしておかなければいけません。静かに休ませてあげるためにも、もう学校に戻りましょう」
生徒達を病室から追い出すと、上島と豊迫一家に一礼をしたユージーンは、巧の手を握り締めて放さない皐月の肩をそっと叩いた。
病室のドアの隙間から恒が、名残惜しそうに巧のいるベッドを見つめていた。
「吉川先生も、帰りましょう。お邪魔になります」
「わかりました……。豊迫君、頑張るのよ……また来るから」
病院からの帰り道、子供達は飛んだりはねたりしながら巧の復活を喜んでいた。
だが恒だけはユージーンの心中を察して、なるべく彼から子供達の注意をそらすように、わざとおどけてみせたりしていた。
肩を落とすユージーンは、とぼとぼと子供達に追従している。
そんな彼を見かねた皐月は彼の力なく垂れ下がった手を、今度こそしっかりと取りあげた。
ユージーンは前回の経験から、皐月と行動する際はフィジカルギャップを展開しないことにしていたが、それはどうやら正解だったようだ。
彼の手をこんなに突然握ってくるのだから、日本の女性も積極的になったものだとユージーンは思う。
ユージーンは両手を囚われて首をすくめた。
「よ、吉川先生……」
「……あなたは、たいへんなお力をお持ちなんですね」
皐月の手は、わずかに震えている。
現実を受け入れようと努めているのだろう。
「普段は絶対やらないことですが、例外です」
「何を悩んでいらっしゃるの?」
「何というか、その」
「この村で、何かよくない事が起こっているようですね」
皐月もこの村の異変に気付いていた。
小学校教師としてキャリアの浅い彼女も、ここ最近村に起こり始めた異変には疑問を抱いていた。
それを当たり前のように受容する村の風土にも……。
村人達は何かを隠している。
この村ではおぞましい事件が起こり続けてきた。
皐月はその気配を感じていた。
「わたしたちに出来ることは、今は子供達から目を離さないことです」
皐月は返事のかわりに、いっそう強く彼の手を握り締めた。
恒はその二人のやりとりを遠目に見ながら、この二人、何とか結婚しないものかなと思案を巡らせた。
*
学校に戻ったユージーンは3時間目から通常授業をはじめた。
冒頭で、巧の状況説明を行う。
一命をとりとめたばかりなのでお見舞いは自粛すること、巧に応援の手紙を渡したい場合は放課後までに預けるように、との内容だった。
ユージーンは先週行った国語のテストを返却しながら、ひとりひとりに声をかけていた。
親友の死とその復活を目の当たりにして、トラウマになる子供がいないか、彼なりに心配だったようだ。
恒の番になってテスト用紙を受け取ると、恒は目を見張った。
点数に驚いたのではない。
今日の放課後、時間が空いていたら社務所にくるように。
との内容が、ふせんに書かれて張り付けられていた。
恒は頷くと、いそいそとテストの答案を丸めて席についた。
いつものように、恒のテスト用紙には大きな100という赤字が踊っていた。
放課後。
バッグの中に子供達からの手紙を詰め込みながらユージーンは社務所で恒を迎えた。
「来てくれてありがとう、今から巧君のお見舞いに行く。その前に……君に力を貸して欲しいんだ」
「俺に何ができますか?」
「君がADAMで得た風岳村の知識をもらってもいいかい?」
「いいですけど、お話ししたらそれこそ何10時間かかることか……」
「記憶を覗かせてもらう」
恒はそれだけはできないと表情をこわばらせた。
というのも、荻号からゲストカードをもらって毎晩のようにADAMの上層にアクセスしているということは、ユージーンには隠している。
荻号に迷惑をかけるし、ユージーンを裏切っていると明るみに出る。
恒が躊躇している様子を見て、不審に思ったユージーンが少し首を傾げるようにすると、恒は無意識にあとずさった。
何か、うまくごまかす方法はないだろうか? 何か適当な理由は……
「で、でも、記憶を覗かれるのって何か怖くて……」
「巧君の意識が回復していたら、巧君の記憶と君の知識を照らし合わせて風岳村で今起こっている事を予測するつもりだ。わたしが神階に戻ってADAMで風岳村の歴史について検索することはもうできない。罪を犯したからね。それに、この村の住民である君の記憶にも価値があるんだ。協力してくれ。この謎を解かなければ、殺されると思ってもいい。時間がないんだ」
この謎を解かなければ、殺される――?
恒はその言葉に戦慄した。
荻号には悪いが、優先順位は風岳村村民の人命が先にある。
それに荻号はカードを与えてくれた事を、ユージーンに言うなと口止めしていなかった。
仕方ない、この場はユージーンに遵う。
「わかりました。お願いします」
ユージーンは恒の頭部を両手で押さえ、瞳の奥を覗き込む。
美しい空色の瞳が、脳に蓄積された記憶を精査しているのがわかった。
レム(Rapid Eye Movement:REM)睡眠中の人の眼の動きのように、眼球が痙攣しているようで不自然だ。
恒にとっては長い時間が経過していた。
既に10分ぐらいは経っただろうか。
確かにADAMの書籍の量は膨大であるから、恒だって読むのには随分時間がかかった。
それを恒の記憶からダウンロードしようとしているのだから、時間はかかるのだろう。
ずっと目を見ていろと言われているが、集中力もきれてくるし首も痛い。
まだかな……そんな恒の心のつぶやきが聞こえたのだろうか。
ユージーンはようやく全ての記憶をダウンロードしたらしく、瞳を閉じた。
集中が切れたらしく、何度も目をしばたかせる。
まばたきひとつしなかったので、眼球が乾いたとみえる。
「ありがとう。終わった」
「全部、出せましたか?」
「ああ、完璧だ。ありがとう、怖くはなかっただろ」
「しいていえば、あなたの目の動きが怖かったですけど……」
「そこかー」
そんなことを言って頭をぽりぽり掻いている。あれ? 荻号さんのカードの事言ってこないんだな、と恒はてっきり怒られると思っていたのだが、どうやらその事には触れる様子はなかった。
恒は躊躇ったあげく自ら切り出した。
「ごめんなさい」
「どうした?」
「あれほどダメだと言われてたのに、荻号さんからカードもらっていたから」
「先に申告してくるとはね。でもそのおかげで、こうして役立った。閲覧制限のかかっている書棚からの記憶も随分あったね。それに……カードをもらう事は罪ではない。これからも使うといいだろう。君のもらったカードは最上格のカードだ。随分な知識が身につくだろう」
「あ、ありがとうございます。ずっと後ろめたかったので、すっきりしました。あなたがカードを封鎖した直後に、下さったんです」
「結果的に、よりよいカードが手に入ったわけだ」
わだかまりが取れたところで、今後は協力して謎を解いてゆかなければならない。
ひとりでは無理だろう、だがふたりでならきっとできる。
恒はユージーンの存在がたまらなく心強かった。
彼はそんな恒の気持ちを知ってか知らずか、視線を伏せた。
「それは正解だったよ。わたしのカードはどちらにしても使えなくなるところだった」
ユージーンは急に真剣な顔つきになった。
思いがけない宣告に、恒は手足に冷感がきた。
「わたしはもうすぐ罰を受ける。死者の蘇生は重罪だ。裁かれなければならない」
「したら、この村からいなくなってしまうのですか?」
「どんな処分が下されるかはわからない。いつ裁かれるのかも……。神階では審議がはじまっているだろう。だからこそ、今できるだけの事はやっておきたい。わたしがいなくなってしまっても、君ひとりで謎を解いてゆけるようにね」
「できません、そんなの……」
どうしてもこの村で5年間は服務する必要があると言っていたではないか。
あの約束はどうなったのだろう? それともまた代理の使徒などがやってくるのだろうか? いや、彼の口調では代理なども含めて、この村から手を引くという含蓄がある。
恒ひとりの力でこの村の謎を解くのは無謀だ。
”いやそもそもこの村の謎って何だ? 鬼の来る村と呼ばれていたって、単なる偶然が続いているのだとしたら、ただ不運な村だというだけだ。あるかないかもわからない答えを、自分ひとりで探せというのか? この神様は……”
恒は心細さに押しつぶされそうだ。
「恒君、これは偶然ではないんだ」
*
上島医院の3階の角の305号室。
恒とユージーンが訪れると、巧は眠っていた。
上島がつきっきりで様子を見ていたようで、豊迫一家はちょうど遅い昼ご飯を買いに行ったところだとユージーンは教えられた。
ともあれ、豊迫一家の不在はユージーンにとって僥倖だ。
これなら起こしても咎められはしない。
無理やり起こすといっても揺さぶったり大声を出すことはなく、ユージーンのアトモスフィアを与え自然に覚醒させる。
巧は気絶しているのではなく寝ているだけと分かっていても、恒はまだ意識が回復しないのかと、心配そうに巧の手を握っている。
ユージーンはそっと巧のまぶたに触れると、脳から彼のアトモスフィアを注ぎ込み、脳を活性化させてゆく。
上島はそれを見咎めなかった。
これまでの実績が、ユージーンの行為を疑わせなかった。
巧はしばらくむずがるような仕草をした後、ぱちぱちと瞬きをして覚醒した。
「あ……」
「巧!」
恒が大声を出すと、上島に腕を掴まれて止められた。
巧は恒の声のする方へ頷いたのが見えた。
実際には見えているのか見えていないのか分からないが、恒はほっとした。
「先生……俺どうなったんですか?」
「喋らなくていい。今はゆっくり休むんだ。君は体調を崩してずっと寝ていた、そうだね」
「……たぶん、そうです」
恒は、彼が一度死んで再び生き返ったのだということを巧に告げない事を疑問に思ったが、上島は逆に告げない方が正解だと思った。
これでいいのだ、体調が悪くて、病院に運ばれていた。
十分だ。
「いつも元気だった巧君が、って皆心配してね。手紙を預かってきた。もう少し落ち着いたら読めばいい。学校にはしばらく来なくていいから、体調が安定するまでしっかり休むんだよ」
「え、俺、学校何日休んだんですか?」
「まだ2日目だ。気にしなくていい、それより君の体調の方が心配だ」
「皆勤賞、狙ってたのに……それに部活も出てないなんて」
学校の成績は悪くとも、巧は意外と真面目な生徒だ。
成績はよくとも不登校児だった恒とは真逆の立場にある。
「俺なんかどれだけ出席が足りないと思ってるんだ。学校とかいいから、ちゃんと休めよ」
「はは、ごめんな。心配かけて……」
「頭はまだふらつくかい?」
「いえ、もう大丈夫です。まだ眠たいですけど」
ユージーンは機を見計らっている。
恒はもう少し巧を休ませて欲しいと思ったが、彼の急ぎようからすると一刻の時間も惜しいのだろう。
彼は巧を心配するようなそぶりを見せ、巧の目を覗き込んでいた。
巧も訳が分からず、ユージーンの瞳を凝視する。
また記憶を読み取る時の独特の目の動きをするかと思いきや、ユージーンはいつまでたっても巧を優しく見つめたままだ。
あれ、やらないのかな? と恒が首をかしげていると、ユージーンは病室の机の上に手紙をどっさりと置いた。
「これはまた後で読んでね。さて、恒君。もうわたしたちは切り上げよう。巧君を疲れさせてはいけない」
「は、はい。じゃあな、巧。俺だけじゃなくて、皆お前を心配してるから。早く元気になって学校こいよ。でも焦ってくるなよ」
「上島先生、それではお願いします」
「はい、お見舞いありがとうございます」
病室を出てすぐ、恒はユージーンに手を引かれ、瞬間移動で社務所に戻ってきた。
恒ははじめて瞬間移動を経験したが、あっという間で何が起こったのかよくわからなかった。
周囲の景色が瞬間的に変わっただけだ。
これが奇跡ってやつか! 恒の感動を置き去りに、ユージーンは深刻そうな顔つきになって社務所の椅子にかけた。
今はそれどころではないのだな、と空気を読んで、恒も隣に座る。
「ユージーンさん、巧の記憶を読みましたか?」
「読めたよ。でも、ますます分からなくなってきた……」
「何を見たんですか?」
「巧君は、村のある場所に行ったんだ。そこからの帰りに、調子が悪くなって死んでしまった。わたしはてっきり、何者かの陰謀によってこの村に起こる謎が引き起こされているのだと思っていた。これは自然現象だというのか? もうわからない」
「ある場所ってどこですか?」
「首刈峠だ」
首刈峠。
忌まわしい伝説の残る峠である。
風岳村の北東(鬼門)に位置し、現在は封鎖された峠道だ。
風岳村に住んでいる子供なら、何度もそこにだけは絶対に近づかないようにと繰り返し教えられて育ってきた。
そこに行くと、どうなるのか? 誰も行った事がないのでよく分からない。たったひとり、巧を除いては……。
戦国時代より、首のない死者が出る場所だとADAMには記されている。
それが夜盗などによる仕業なのか、刑場だったという意味なのかは定かではない。
だが、古来より死者が出るといういわくのついた場所……疑わずにはいられない。
「そこが、霊界との境目とかなんでしょうか?」
恒は核心をついたつもりでいた。
これで少しだけでも、謎がとけたのではないかと得意げに微笑んでいる。
だがユージーンはその発想に失望したという風だった。
彼はその持論を聞いてはじめて、まだたった10歳の子供と話していたのだと思い知った。
「恒君、この世界には、霊界なんてものはない。肉体と記憶は滅ぶだけだ。物理的に考えてそうだろう? 地縛霊の仕業だとか、そういう線はないんだ。だいたい魂なんてものも存在しない。だから心霊現象なんて仮説は、たてないでくれ」
「ごめんなさい。でもあの場所なら霊の仕業だと、普通は考えてしまいます」
「そうだな……悪かった。君にはついつい大人のように接してしまう。首刈峠といういわくつきの場所に行って死んだら、普通はそう考えるだろうね」
ユージーンは一定の理解を示す。
恒は半神とはいえ、正当な教育も受けていない子供だ。
失望したりしてよいはずがない。
やはり自分が何とかしなくては……法務局に断罪され、罰を与えられる前に……彼はそんな思いを新たにした。
審議は通常なら、7日。
だが前科のあるユージーンの場合、法務局は冷徹な法の権化、ゲイル=リンクスワイラー(Gale Linxwiller)を担当に充ててくると考えられる。
彼ならば証拠を的確に挙げ、迅速な裁判を進めてくるだろう。
ゲイル=リンクスワイラーは法務局のトップエリートの監察官で、手がけた事件はどんなに遅くとも48時間以内に解決する。
被疑者の証拠隠滅や逃亡を防ぐため、あるいはゲイル自身のプライドをかけて、可及的速やかに裁きが下ると考えなければならない。
今日調査ができないならもう明日しかない。
今日行ってしまうか? とも彼は思ったようだが、さすがに土地勘のない場所に行く上に、暗くて見通しが悪いのでは不利だ。
行っても何も分からず、無駄死にするだけだ。
「明日の放課後、首刈峠に行って調べてくるよ。今日はもう暗い」
「俺も行きます」
「ダメだ。わたしでさえ自分自身を守れるのかもわからないのに、君を連れてゆく余裕はない」
「足手まといってことですか?」
「……君の力を借りる場面は他にある」
ユージーンの口調から、本当に余裕がないのだと察する事ができた。
時間もないのだということも……。
そんなに切羽詰っていても授業だけは休まないのだな、と恒は少々呆れてしまった。
今にはじまったことではないが、このひとは、何を考えているのかわからない。
まるで宇宙人を相手にしているようだ。
無論、彼は宇宙人なのだろうが……。
ユージーンは恒とは別の見解だ。
切羽詰っているからこそ、学校に出勤するのがいい。
何故なら、法務局監察官はできるだけ人間の目に触れないようユージーンを逮捕したいだろうし、それが責務であるとされている。
それでいくと学校にいる間は、手出しできないと考えてもいい。
学校内から授業の合間を縫って、瞬間移動で首刈峠に行けば追跡は攪乱されやすい。
また戻ってきて授業ということを繰り返す。
これだけでユージーンの受け持ち時間の半分、正味4時間は首刈峠での調査の時間が確保できるはずだ。
この間に、何とかするしかない。
そして恒も学校に来てくれていれば、恒と話をする時間もあるだろう。
うまくゆくかはわからないが、逮捕されるまでの最後のチャンスを諦めるわけにはいかない。
「恒君……。明日は、長い一日になるぞ」