ベッドサイドで学ぶものとは
「医療者は、患者さんから学ばせていただくのです」
私が医学生だった頃、幾度となく教員からそう教えられてきました。
実際、私もそれは間違いではないと思います。
ただ、そう思えるようになるまでずいぶんと時間がかかってしまったのも事実でございます。
研修医や専攻医の頃は、自分の医療に全く自信が持てず、余裕もありませんでしたので、
「患者から学ぶだぁ?? そんなもんは、きれいごとじゃろう。どれだけ私達医者が患者を治そうとしても、ちっとも言う事を聞かないじゃないの、あの人ら。あ、こらAさん、クスリまたゴミ箱に捨てて! なんでちゃんと飲まんのよ、もう!死んでもしらんよ!」
と、日々毒づいていたものでした。
ところが、経験を重ねこの年にもなってくると余裕がでてきた事も相まって、非常に落ち着いた気持ちで、
「そうそう、患者さんよりためになる教科書なんてないんだから」
などと、若い先生たちに薄ら笑いを浮かべながら講釈を垂れている私がおります。
研修医の間で、私に「シバタリエ」というあだ名がつけられているという事を、同僚から先日伺いました。私はテレビを見ませんのでそのお方を存じ上げませんが、あまりいい予感がしませんので敢えてググることせずに、穏やかな日々を過ごしております。
それはさておき、私がベッドサイドで患者さんから学ばせていただく事は、医療的な見識はもちろんの事ですが、それにもまして『人としての在り方』ではないかと考えております。
職業柄、私はたくさんの患者さんの最期を見届けてまいりました。
高齢化が進むのこの社会、医療技術も日々進歩し、ちょっとした病気ではもう死ねない時代でございます。
やはり、最期は癌でお亡くなりになる患者さんが圧倒的に多いのですが、なかなか楽に死ねないのがこの病気のタチが悪いところなのです。
癌の痛みというのは、想像を絶するものだそうで、我々医療者は積極的に麻薬性の鎮痛剤を使用します。それでも癌性疼痛というものは完全には消し去れないものでございます。
人間、どんなにできた人でも、辛い時や苦しい時はイライラしますし、他人のせいにしたくなるものです。
苦痛のあまり、我を失った患者さんから、
「ちっとも楽にならん、もう殺してくれ」
とか
「先生の薬の使い方が間違ってるんじゃろう!」
とか、挙句の果てには
「あんたのそのブサイクな顔を見てると、気分がさらに悪くなるわ!」
などと、時代錯誤甚だしい罵声が飛び出すことも、稀ではありません。
でも、不思議と私が彼らに対して、憤怒の念を抱くことはまずありえません。
むしろ安心するといっても良いくらい。
なぜなら、それはあまりにも人として当然の事だと思うからです。
人はツライ時、かならずその原因を他人のせいにしたがります。
そうでもしないと、自分のなかでその事象を受け入れることができないからです。
私だってそうです。
夫の帰りが遅い時は、
「もう、早く帰って来てくれないから、この子たちの世話が大変なのよ!(薄給のクセに!)」
って思うし、
逆に早い時は、
「こんな中途半端な時間に帰ってくるから、興奮して寝なくなっちゃったじゃない!(だから、薄給なのよ!)」
とか、思います。
この私の理不尽さに比べると、患者さんたちの怒りなんて、あまりにも生まれて当然の感情だと思えます。
でも、世の中には本当にいろいろな人がいます。
今でも忘れられないのが、膵臓がんでお亡くなりになったAさん。
83歳のカワイイおばあちゃんでした。
私が今まで出会ってきた患者さんの中で、誰よりも気持ちが強くそれと同時に、何を考えているのか、本心はどこにあるのか最期まで全く読めなかった患者さんでございました。