3 一日の終わり
夕方になり辿り着いた
家の中に灯りはない。
馬を小屋で休ませ、自分は家の扉を開ける。
おそるおそる。一抹の不安と期待を覚えながら。
その時、中から足音がした。家の窓越しに、灯りが揺らめいている。
「おかえりなさい」
迎え出てくれたのは、名前も知らない昨日あったばかりの青年。
帰宅を喜んでくれたのだろう、温かな感情が伝わってくる。
その姿に、私の胸は熱くなった。
「ああ、ただいま」
私は、誰かが私を待つ感覚を、噛みしめた。
□□□
ベッドで寝ていると、馬の足音で目が覚めた。
窓から外を見ると、丸一日寝ていたのだろう、丁度夕方だった。
頭もすっきりしていたので、立ち上がって部屋を出る。
居間にある窓からは丁度、馬小屋が見えて、そこには帰ってきたスカリアさんの黒い甲冑姿が見えた。
出迎えてあげたほうがいいかな……と慣れない家の中を歩いて玄関に向かおうとする。
(夕日はあるけど、歩くには暗いな……)
灯りを探したところ、テーブル中央に金色の蝋燭台があったので、手に取る。
着火する道具はあるのかと考えたが、ぎゅっと台の下を握ると炎が勝手に点いた。
それを追って、丁度向こうが扉を開けるところだった。
「おかえりなさい」
そう告げると、彼女は固まった。
全身の鎧をつけたままなので、感情が読み取れない。
(あ、あれ……何か不味かった?)
「ああ、ただいま」
間があったが、声は特に怒った様子もない。
そのまま何事もなく奥へ向かったので、俺も深く考えないことにした。
蝋燭台をテーブルに置くと、居間で二人座り、今日のことを話し合った。
「それでどうだ、何か思い出したことはあるか?」
「う~ん……朝と何も変わらない、です」
正直に打ち明ける。
頭はスッキリしたけれど、相変わらず過去を思い出せはしない。
「そうか……いや気にするな。それより、日常生活に支障はなかったか? 半日とはいえ、道具の使い方が分からず不便であるほうが重要だ」
言われて、今日の行動を振り返るが何も困ったことはなかった。
蝋燭の使い方で一瞬戸惑ったくらいだろうか。
「この蝋燭台、手で握ると炎が出るというのに驚きました」
「ああ、これは貴族階級でしか出回らないものだからな。庶民であれば、点け方を知らずとも仕方ない。私もこの身体では暗闇であろうとも目が利くから、教えるのを忘れていた。反省だな、すまない」
ペコリとお辞儀をしたので、慌ててこちらこそ恐縮ですなどと返してしまう。
部屋を借りて食事も頂いてるだけでありがたいのだ、むしろ謝りたいのは俺のほうだ。
「そうだ、先に今日の食事を準備せねばな。少し待っていてくれ」
キッチンの方へ向かったスカリアさんの言葉に従い、俺はしばらくソファに座りながら部屋を眺める。
この蝋燭がかなり明るいお陰で、窓の外が真っ暗となる中でも部屋全体がよく見える。蝋燭って、こんなに明るくなるものなのだと感心した。この感情も、記憶を失う前の俺が庶民だったせいなのか。
家具を、詳しくはないけれど高級なものだと思う肌感覚も、俺が何者かを探る手掛かりになりそうだ。
そうやって部屋を見渡しながら分析していると、良い匂いが漂ってくる。
「よし、できたぞ。折角つけたのだし、蝋燭台をこちらまで持ってきてくれ」
「はい!」
元気な返事と共に食卓のある部屋へ入ると…
暗闇からドクロが浮かんできた。
「わ!」
「どうした、この料理は初めてか?」
「……いえ、パスタは知ってます。とても美味しそうです」
食卓には、野菜を混ぜ込んだパスタが湯気を立てていた。
腹がまたぐぅと音を立てた。
「ふふ、驚くほどにこの料理が美味しそうに見えたか。今朝のスープもあるぞ、沢山食べると良い」
うまく誤解してくれたようだ。
料理が美味しそうなのは間違いないので、遠慮なく頂くことにする。
スカリアさんは相変わらず、俺の向かい席に座って食べる様子を眺めている。
「スカリアさんはお腹が空いたりしないのですか?」
「私のことは気にするな。この身体だと、何も食べずとも平気でな。その代わりに他のことでエネルギーを補っている」
そうですか、と言いつつもジッと見られながら食べるのは決まりが悪い。
だから話を何とか広げようとする。
「でも、この料理はどう用意したんです? それに庭にある畑も、食事をとらないなら不要では」
「来客用に食材は蓄えてある。畑もそのためだ。値の張る家具も、君の寝ていた部屋も、全ては客人用だ。大体が私に依頼をしにくる貴族か任務を告げる上司だから、それに合わせて少し豪華にしてあるわけだ」
「つまり、普段はここで一人暮らしというわけですか」
「……そうだな。だから君がいてくれて、嬉しくはある。一人でも寂しいことはないが、夜にこうして蝋燭を囲みながら語り合う時間も、嫌いではない」
そう言った彼女の顔は、もし頬があれば微笑んでいるのだろう。
スケルトンの姿は相変わらず見慣れないけれど、でもなんだか。
怖いという気持ちは確かに薄らぎ、気づけば話は皿が空っぽになるまで続いていた。
「もう食べ終わったか。では、もう寝ると良い。いや、その前に私が汗を拭いてやろう」
「い、いえ、自分でやりますからお気遣いなく……!」
「そうか、遠慮せずとも良いのだが……では、お湯と拭くモノを持ってこよう」
「遠慮というか、その甲冑姿で背中を擦られたりするのはこう、尻込みしてしまうというか」
「それもそうか……しかしまだ、肌を見せるほど親しき関係でもないゆえ……」
スカリアさんは、時々何か呟いているけれど聞こえないことがある。
とはいえ食器を片付けた後、自分の泊まっている部屋で夜の支度を終えた。
それと同時に、身体を拭きながら改めて傷を眺める。
全身には擦り傷や切り傷が多いけれど、全部最近できたもののようだ。
それに一番は胸で斜めに切られたこの大きな裂傷。血は止まっているが、しばらくは運動を控えないと、また傷口が開きそうだ。
大きな刃物でやられたみたいだけど、どうしてだかをハッキリ思い出せない。
ただ、そのことを思い出すと胸が苦しくなるような、そんな感覚がある。
(まあ、今はいいか)
でもなんだか傷以外にも体に違和感が……と思ったときだった。
ぞくりと、突然寒気を覚える。
誰かに見られているような気がして外を見ると、青い月が浮かんでいた。
「月が、青い」
青い布越しのような輝きではない。
丸い球体に刻まれた凹凸の模様が光芒となり、世界の隅にあるこの小屋の中の暗がりを照らしている。月とは、あんな色だっただろうか。
ひとまずカーテンを閉め、寝る準備を整えた。
水の入った桶をスカリアさんに返しに行く。
「うん、後はこちらでやっておこう。それと……いや、まだ早いか」
少しもごもごと何か言ったた後、彼女は首を振り、それから小さく言った。
「……おやすみ」
「はい、おやすみなさい!」
美味しい夕食に、カトレアさんと多少は打ち解けられたお陰だろう。
今夜は気持ちよく眠れる気がする。
□□□
「へえ、結界はしっかり張ってあるわけか。墓の中を歩いてるみたいに、ジメジメと身体を蝕んでくる感覚があるな。剣技も魔術も得意とは見事なこった、死霊騎士サマ」
遠くから眺める半狼人たちの集団。
馬のかける速度にも負けぬほど、スカリアを追跡して根城を突き止めていた。
「襲撃はもう少し待つぞ。行動を把握しろ、弱点を探せ。そして最も弱ったところを狙ってかぶりつく」
もしスカリアが単騎の出撃でなければ追跡はより複雑だっただろうし、王国の中心に近い場所に住んでいれば、そもそも見張りの兵士に半狼人たちは発見されていただろう。
「こんな森奥に一人住んでいるとは、童話の御姫様みたいだ。随分王国の中でも嫌われてるんだろうな。亡霊騎士という名前の通り、近くにいると死霊の嫌な匂いでもするのかねえ。———そんなんだから、俺たちに殺されるんだよ」
牙をぎらつかせて、男たちは獲物を狙い続ける……。