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天降玄鋼

 阿倍粳蟲(あべのぬかむし)に送られる大野東人(おおののあずまひと)の書簡は、佐伯阿良太(さえきのあらた)の認めたものであり、機神(くりがみ)に関することが書かれていたのだが、駆け引きの苦手な粳蟲(ぬかむし)は言葉通りに受け取って、機神(くりがみ)の解析は一向に進捗していなかった。

 寧楽京(ならのみやこ)平城宮(大内裏)には宮城(きゅうじょう)十二(のかど)がある。


東面

 北 縣犬養(あがたいぬかい)門  兵衛御門(ひょうえのみかど)

 中 (やま)門    中御門(なかみかど)

 南 建部(たけべ)門   大炊御門(おおいのみかど)

南面

 東 壬生(みぶ)門   壬生御門(みぶみかど)

 中 大伴(おおとも)門   朱雀門(すざくもん)

 西 若犬養(わかいぬかい)門  雅楽寮門(うたりょうもん)


西面

 南 玉手(たまて)門    馬寮門(まりょうもん)

 中 佐伯(さえき)門    西中御門(にしのなかみかど)

 北 伊福部(いふくべ)門   近衛御門(このえのみかど)


北面

 西 海犬養(あまいぬかい)門   兵庫寮御門ひょうごりょうのみかど

 中 猪使(いかい)門    不開門(あかずのもん)

 東 丹治比(たじひ)門   多天井門(たていもん)


 この内、北中央の猪使(いかい)門は不開門(あかずのもん)とも呼ばれていた。門にはこれら皇家を支える十二の氏族の名が与えられ、十二氏族は門部(かどのべ)とされたが、律令制の制定とともに廃され、職掌は衛門へと引き継がれる。


 東西には最も北に上東(じょうとう)門と上西(じょうさい)門が設けられ、この門が(ひさし)のない築地を開いただけの門であったことから土御門(つちみかど)の言葉が生じ、その東西の大路は土御門大路と呼ばれた。この十四の門が大内裏の外郭の門――宮門(きゅうもん)で、内郭の門を閤門(こうもん)という。南中央の大伴門は外郭と内郭の二つの門があり、大伴門部が廃された後、大伴宮門を朱雀門、大伴閤門を応天門と長屋王が改名した。以後、各門には唐名も使われるようになるが、正式に定められたのは平安後期の延喜式による。


 外殿からは、海犬養門(あまいぬかいのかど)を通れば大内裏にすぐ入れるのだが、元々、この海犬養門は、兵庫寮が近いことから武具の搬入出の専門であり、兵庫寮御門ひょうごりょうのみかどとも通称され、それ以外には用いられないのが通例であった。しかし、外殿の建築以後は外殿と大内裏を結ぶ外殿官人の通用門として例外が認められている。


 阿倍粳蟲(あべのぬかむし)志我閉阿弥陀(しがべのあみだ)兵庫寮御門(安嘉門)を通って、()(じょう)(かん)()へと急いだ。どうも図書使部(ずしょのつかいべ)は半刻以上も方々を探し回っていたようで、舎人皇子(とねりのみこ)を大分待たせていることが分かったからである。


著作(ちょさく)、殿、お、待ち……あれ」


 息も絶え絶えに阿弥陀が粳蟲(ぬかむし)を呼ぶ。走ってでも先に行きたい思いがないではないが、阿弥陀も呼ばれているのだから、揃って行く方が都合よかった。阿弥陀が落ち着くのを待ちながら使部(つかいべ)に先触れを頼む。


「先触れを出しました故、ゆるりと参りましょう。(たい)()(かん)殿はご高齢にございますし」

「すま、な……い、で、すな」


 太史監とは陰陽頭の唐名である。渡殿(わたどの)にしゃがみ込んで息を整えようとする阿弥陀を横目に、粳蟲(ぬかむし)も自分の気が急いるのを自覚して、小さく深呼吸をして呼吸を調(ととの)えた。舎人皇子(とねりのみこ)が二人を召したということは、大野東人(おおののあずまひと)から何らかの(しら)せが来たということではないかということが一つ。それと、そこには藤原宇合(ふじわらのうまかい)か、阿倍首名(あべのおびとな)が呼ばれているであろうことが一つ。何よりその報せが機神(くりがみ)の謎が少しでも解明されるのではないかということがあった。


 舎人皇子(とねりのみこ)養老四年(西暦720年)八月四日(9月10日)知太政官事(ちだいじょうかんじ)に任じられており、知太政官事(ちだいじょうかんじ)とは、皇族を太政大臣(おおきのおとど)に任じるということが皇太子または次の天皇(すめらみこと)として目されるため、これを避けたための(りょう)()(かん)である。地位としては太政大臣と同じであり、首相といってもよい。舎人皇子(とねりのみこ)よりも権勢を誇る長屋王(ながやのおおきみ)左大臣(ひだりのおとど)であった。左大臣は太政官府の議政官の長であり、議政官とは太政官府の意思決定機関で、太政大臣や知太政官事(ちだじょうかんじ)則闕(そっけつ)の官――相応しい人物が居なければ空位とする官位であったのに対し常在の官であり、実務の長といえた。


 太政官府には三大臣の御座があり、今残っているのは舎人皇子だけである。舎人皇子の御前には右手に神祇伯(かんづかさのかみ)兼右中弁・中臣人足(なかとみのひとたり)、左手に兵部卿つわもののつかさのかみ阿倍首名(あべのおびとな)、正面に陸奥少掾(むつのしょうじょう)佐伯阿良太(さえきのあらた)が坐っていた。皆の視線は二つの三宝に注がれている。左の三宝には帛の上に桐箱が載せられており、右の三宝には刀であろうか布に包まれた細長いものが載せられていた。


「大変お待たせいたしました」


 部屋の外で粳蟲(ぬかむし)と阿弥陀が平伏している。鷹揚に舎人皇子(とねりのみこ)が頷くのをみて、阿倍首名(あべのおびとな)が応じた。


「よい。これへ参れ」


 二人は佐伯阿良太(さえきのあらた)の左右に(はべ)る。阿良太の右手に阿弥陀、左手に粳蟲(ぬかむし)が坐った。すると音を立てず阿良太が少しだけ後ろに下がる。粳蟲は怪訝な顔をするが、阿弥陀が黙って頷くので、何も言わずに流した。


「これで揃った。佐伯少掾、悪いがもう一度話してくれ」

「畏まりました」


 粳蟲(ぬかむし)と阿弥陀が舎人皇子(とねりのみこ)に会釈して、阿良太へと向き直る。再会の挨拶は後回しだ。


「春に陸奥へ赴任いたしまして、多賀城(たがのき)周辺の由緒の分からぬ神社を(しらみ)(つぶ)しに(あらた)めることにいたしました――


 粳蟲(ぬかむし)が先程感じたように、阿良太は由緒不明の神社が実は蝦夷(えみし)の神を祀ったものであると推察していた。そこで、機神(くりがみ)の発見された(かみ)()(さわ)附近や多賀城(たがのき)周辺の神社を丹念に調べたのである。そして三つの神社が浮かび上がった。志和彦(しわひこ)神社、伊豆佐比売(いずさひめ)神社、多賀神社である。


 伊豆佐比売神社は神谷沢の近くにあり、多賀神社は多賀城の北にある。志和彦神社はその二つを結んだ同心円の重なるところにあった。伊豆佐比売神社は久那吐(クナト)が眠っていた場所のほぼ真上にあり、多賀神社には左の桐箱の中身が、志和彦神社には右の長物が納められていたという。


「御神体を持ち出したのか?」


 神祇伯(かんづかさのかみ)である中臣人足(なかとみのひとたり)(とが)めるような声を挙げた。職掌からしても当然のことであるが、機神(くりがみ)に関わるかも知れぬとはいえ、神域を荒らしたという認識が先立ったのだろう。


「いえ。どちらも御神体ではございません。奉納はされておりましたので、(やしろ)の中には入らせていただきましたが」


 悪びれずに頭を下げる阿良太に人足(ひとたり)が鼻を鳴らした。それをみた舎人皇子(とねりのみこ)が取り成す。


人足(ひとたり)、これは主上(おかみ)の意思なるぞ」

「申し訳御座いませぬ」


 人足(ひとたり)舎人皇子(とねりのみこ)に頭を下げると、皇子(みこ)はよいよいといって頭を上げさせた。人足(ひとたり)神祇伯(かんづかさのかみ)としての立場からの言葉であり、阿良太のしたことを批難している訳ではない。


「この三社は(くに)()(かみ)――蝦夷(えみし)の神を由緒とする神社かと存じます」


 阿良太の話は続く。まず最初に(あらた)めた多賀神社は、機神(くりがみ)が発見された洞窟の近くにあり、そこに奉納されていたのは玉のように美しい黒い鋼であったという。


「それが此れにございまする」


 蓋を開けると、七色の光が溢れている。光があたって虹色に輝いているのではなく、黒い鋼そのものが虹色の光を放っているのだ。


「な、なんだこれは?」


 動揺した声を首名(おびとな)が挙げる。完全な球体ではなく、複雑に絡み合ったような歪な球体であり、大きさは掌よりやや大きい。阿良太は袱紗に包んだまま、箱ごと除けて中身を三宝の上に置いた。


天降玄鋼あまふるのくろはがね

「ご存知なのですか?」


 呟いたのは人足(ひとたり)である。阿良太は皆の驚きが一段落するのを待ってもう一つの包を開こうとするが、その前に人足(ひとたり)の口が開いた。


「いや、知っている訳ではない。言い伝えにそのような物が奉納されたことがあるという話を聞いたことがある。天から降ってきたもの故「天降(あまふる)」であるとか」


 阿良太は頷いて、それ以上は問わなかった。この場は話を先に進めるのが良いと判断したからである。蓋を置いて、細長い包みを持ち上げ、スルスルと布を剥いでいった。


「こちらは刀と言えるかどうか分かりませんが……」


 そういって三宝に置かれた物は右に二つ、左に一つと二つの突起がある三叉の鉾のようであった。こちらは流石に知らなかったのか、人足も阿良太に先を促す。


「これは?」

塩槌刀(しおつちのたち)と言うようです」


 祀られている神の名前が塩土神(しおつちのかみ)とあり、日本書紀にある塩土老翁しほつちおじのことであると地元でも考えられていること、そして日高見の神に「潮槌(シホツチ)」なる神が居たという。


「我らの一族にも赫槌(カクツチ)――日本書紀では火産霊(ホムスビ)でしたか? という神が居ります」

少掾(しょうじょう)、つまりこれらの品は機神(くりがみ)にまつわる品であるということでよいか?」


 佐伯阿良太は肯いた。阿弥陀は神話に詳しくないため話が分からなかったようだったが、粳蟲(ぬかむし)にとっては機神(くりがみ)解明の機会が巡ってきたと思えた。それも大きく前進しそうである。


「では早速外殿に持ち帰り――

「待たれよ、著作(ちょさく)殿」


 粳蟲(ぬかむし)の言葉を遮ったのは、人足ひとたりであった。老骨には相応しくない(だい)(おん)(じょう)である。切迫した表情と厳しい口調に緊張が走った。


「これは、主上(おかみ)に献じたのち、社殿に奉納という形を取るべきかと存ずる」


 舎人皇子(とねりのみこ)が大きく肯いた。首名も阿弥陀も何度も肯いている。首を傾げて事態を理解していないのは粳蟲(ぬかむし)だけであった。


 数日後、聖武帝(しょうむのみかど)より、二つの献上品が新社殿に奉納され、外殿は正式に「(けん)(りん)殿(でん)」という名に決まった。それに伴い陰陽寮別院・図書寮別院・兵庫寮別院を纏めた枢密局(ひするとぼそのもうし)が令外官部局として新たに設けられ神祇官かんづかさの附属部局とされたのである。

 ひとまず、書き溜めてある分はここまでになります。


 此処から先は大筋だけが決まっていて、細かいプロットも組んでいない状態です。


 この先は1話2500〜3500字で、5話=1節、4節=1章という構成で、5章ほどを考えています。


 この作品は余興的に書き始めた物なので、此処で一旦『数寄の長者』の執筆に戻ろうかと考えていますが、『機神外伝』の方が爆発的人気だったら、こちらを優先するかも知れません。


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[良い点] Twitterから来ました。蛙鮫です! 内容がかなり壮大で理解するのに苦労しましたが,時代背景と世界観はかなり独特で面白いですね。特に朝廷やまつろわぬ民と呼ばれる縄文人を取り扱う話は中々、…
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