第7章 弱き者は常に都合のいいように使われる
夜が明ける。
ガルべの街の鶏たちはいつものように高らかに鳴き、町人に朝の訪れを告げる。
しかし、ジョパルたちにとって、それはいつもの朝とは違った。
彼らは今や奴隷ではなく、兵士として生まれ変わった心地を胸に抱き、ようやく理不尽な苦役から解放された喜びを味わう一方で、復讐に身を焦がす用意をしていた。
「ここだ。」
二人が兵士の養成所に入ってくるのを見て、柄の悪そうな兵士たちがにやにや笑っている。
「おい、お前たち。 とまれ。 新入りか?」
そこには一人の甲冑姿の若い男が立っていたが、彼らは声で昨日の商人だと分かった。
「はい。 今日の早朝来るよう、あなたに言われました。」
だが、商人の男は今初めて聞いたとでもいうような口ぶりで答えた。
「俺から聞いた? まあいい。 中に装備が用意してある。 着替えたら五分後に出発だ。 いいな。」
男はそう言うと、足早に養成所の奥へと入っていった。
「どこにいくんだろ? 何も聞いてないぞ?」
「ティぺス。 不安なのは分かる。 でもいいじゃないか。 奴隷から抜け出せたんだ。 こうなったらできるだけ生き残れるように強くなるしかない。 そうだろう?」
ジョパルは彼の肩に手を当てた。
「閣下。 ルホンでございます。」
「入れ。」
彼らが復讐に闘志を燃やすなか、先ほどの商人の男が、兵士養成所の奥にある作戦会議室に入ってきた。
「兵士の定員が満たされましたアデムント閣下。 今すぐにでも出陣できます。」
ルホンの言葉に、閣下と名乗る男はしわがれた笑い声をあげる。
「ふはは! そうか。 これでわが帝国の優秀な人材を失わずにすむ。」
「まったく、閣下も考えたものです。 二ヴェナの遠征に、エデモルカの奴隷だけで軍を編成するとは。 やつら、きっとそれを知ったら驚きますよ?」
ジョパルたちが入隊したのは、帝国のエデモルカ方面軍の最前列で戦う、犯罪人や奴隷だけで編成されたいわば自殺部隊だった。
帝国はここ数年、二ヴェナと争い多くの人材を失っていたため、エデモルカの防衛を任されていたアデムント総督はある政策を実行に移した。
それが、二人が入隊した奴隷部隊だった。
奴隷を使うまでに帝国を疲弊させたのは、二ヴェナの無敗将軍とうわさされるすご腕の騎士隊長、べオコスである。
そのせいで、いつしか最前列におかれる帝国兵の命はないものと思えと、大勢の前で演説する者もでてくる始末だった。
「だろうな。 帝国の奴隷は死ぬまで一生奴隷。 それを浅はかにも夢を抱くバカ者どもに、きっちり教えてくれる! ついでに二ヴェナの捕虜にもな。」
彼は嬉しそうな顔でこぶしをテーブルにたたきつけると、イスから立ち上がり外へと出た。
「我らはこれから、二ヴェナに向けて進軍を開始する。 死にたくない奴は、今からでも奴隷に戻ると言って名乗りをあげよ。」
ルホンは兵士たちが整列し終わると、彼らの前に出てきてそう言い放った。
「二ヴェナ? どういうことだ? 俺たち、帝国のために二ヴェナと戦うのか?」
「分からない。」
ジョパルは自分が帝国のために戦っているのだという、突然の知らせに半ば衝撃を受けたが、今さら引き返すわけにもいかない。
「いいか、ここで死んだりするんじゃないぞ? 生き残って帝国に復讐するんだ。 それと、離れるなよ?」
「わ、分かった。」
ティぺスは緊張した顔付きで答え、軍は養成所を出て進軍を開始した。
二ヴェナへ行くには、まずここから南にあるダペラの町を通過し、そこから国境となっている山を越えなくてはいけない。
軍は行軍を開始してから二日後にダペラの町に入り、一時休息をとったあと、再び進軍した。
険しい山で、足を痛めたりした者は置いていかれる。
皆必死に先頭を行く騎馬隊のスピートについていこうと、息を切らして走る。
「どうした貴様ら! ペースが落ちてるぞ! 奴隷に戻されたくなかったら、もっとしっかり走らんか!」
前のほうでルホンの怒鳴り声が聞こえてくる。
「ジョパル。 待ってくれ。 も、もうだめだ!」
「ティペス! しっかりしろ!」
彼はティぺスを支えようとしたが、途端に剣を向けられた。
「おい、仲間を助けることはならん! 自分の力だけでどうにかしろ! この奴隷ども!」
なんだって、と二人はショックを受けた。
奴隷から解放されたはずなのに、それはどういうことだとルホンの方を見ると、彼はせきこみをして去ろうとする。
その時だった。
いたぞ、二ヴェナの軍だ、という声がして、軍全体に止まれの合図がかかり、兵士たちは進軍を停止する。
アデムントは山の斜面を縦にならんで進む、赤い鎧の集団を見た。
「ふふ。 見つけたぞ。」
総督は薄笑いをして、ルホンに命じた。
「戦闘開始だ!」
合図とともに弓兵が火矢を放ち、敵を混乱させた。
その直後、奴隷たちは雄たけびをあげ、二ヴェナの軍に襲いかかる。
「何してる? 早くいけ奴隷ども! お前らが先陣を切るんだよ。」
「どういうことだ! 奴隷から解放してくれるんじゃなかったのか!」
いつまでも攻撃しようとしない二人は、ルホンに叫んでいる。
「お前、本当にそんなことで奴隷から解放されるとでも? 帝国の奴隷は死んでも奴隷。 分かったか!」
ジョパルの中で、すさまじい怒りが湧き上がる。
やっと光が見えてきたのに、それを簡単に壊されたと思い、ポケットに入れてあったイムダイのペンダントを、強く握りしめた。
いくら奴隷になっても、これだけは死ぬ思いで守ってきた。
これを見るたびにムィンダンテや母の顔を思い出し、毎晩のようによく泣き寝入りしたものだ。
「帝国なんて、帝国なんて…」
「お、おいジョパル?」
「帝国なんて大嫌いだ! うわああああああああっ!」
彼をそのとき生かしていたのは、体の血液と心臓ではなく、だた無数にこみあげてくる熱いものであった。
大声を張り上げ、帝国の後方部隊に一人で突っ込んでいく。
一人、また一人と彼はゼムヘイオの歩兵を斬りつけ、奥にいたアデムントのもとに迫ってくる。
しかし、それは総督の訓練された兵士であり、そこらの雑兵ではない。
彼はわずかな隙を襲われ、傷を負う。
「ぐっ!」
それでも、攻撃をやめないどころか、怒りが増すように剣の振りも激しさを増した。
「うっ!」
憎い、憎い、憎い憎い!
カラになった心が、ただそれだけを訴え、彼に初めて味わう切り傷の痛みを忘れさせる。
兵士たちは一人で突っ込んでくる彼に対し、やがて恐れを抱くようになり、間合いのとれる槍でなんとか警戒しようとする。
「そこまでだ!」
ある男の声がして、その時ばかりは彼も兵士たちも振り向いた。
どこかで聞いたことのある声…
中年だが、どこか落ちついた声で、と思ったとき、またジョパルの目が人殺しの目に変わった。
「将軍!」
兵士たちが将軍に向かってくるジョパルを止めようとするが、彼の気迫の前におののき、まるで役に立たなかったことは言うまでない。
「殺してやる! ラミダン!」




