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第4章 母の教え

 「ムィンダンテ? あ、ああ、いやあああーっ!」


 目を閉じたとき、彼の体は力が抜け、両膝をつき、手を広げたまま倒れこんだ。


 「…っ!」


 「う…」


 弓兵を率いて攻撃していた隊長は、声にはならなかったがおぞましい怒りの視線を彼女から感じて、兵士の長の立場も忘れてすくみあがる寸前まで心を乱された。


 「隊長、どうしました?」


 「いや、なんでもない。」


 部下にそう言って、彼はラミダンのほうを見た。


 彼女の怒りは将軍のほうにも向けられていたが、将軍は決して臆することなくヘレネを見つめている。


 この苦々しい出来事にも動じない彼を見た弓隊長は、これはかなわぬと思いその場を後にした。






 船はやがて対岸へとたどりついて、岸に鈍い音を立てて乗り上げた。


 「母上。 降りないのですか?」


 息子のジョパルはヘレネの泣き顔を気の毒そうに見守りながら、一人で陸へと足を運ぶ。


 「帝国が来るのは最低でも四日後ですよジョパル。 ですから母はもう少し、いいえ。 母をもう少しここにいさせてください。 不満なら先に行っても構いません。 でも、でも私は行きません!」


 再び母の目からは涙が出てきて、それは濁った岸辺の泥水を光でも差したかのような透き通る清水へと変えてゆく。


 「母上!」


 ジョパルもついに悲しくなって、船へと戻ってくる。


 「ごめんなさいジョパル! ごめんなさい。 あなたを泣かせてしまったのね。 私は…」


 彼女はしばらく少年を抱いた後、さあ行きましょうと彼の手を取って船から降りた。


 「どこへ行くのですか?」


 「二ヴェナの都ですよ。」


 彼女の言う二ヴェナとは、エデモルカの南に位置する王国のことだ。


 最近までエデモルカのイムダイとは仲があまり良くないとうわさされていた。


 しかし、帝国はもちろん、レスレダが友好関係を築いてきたパレヴァンまでもが敵にまわったとなれば、この周辺で二国に対応し得る力を持っているのは二ヴェナしかいない。


 「二ヴェナは悪い奴だと父上はおっしゃっていました。 なのに、なぜ?」


 「それは…」


 それは今はそうするしかないような危険な状態にあるから、とは息子の前で言えない。


 「今はどうしても行かなくてはならないからです。」


 彼女はメルダテスの妻になる気も、パレヴァンに仕える気もなかった。


 目的はただ一つ、エデモルカの再興である。


 二人はエデモルカの森の中を歩き始めた。


 本来なら河を下流に沿って進みガルべの街を抜け、そこから二ヴェナの街へと行くのだが、下流を沿って進めば帝国の騎兵と鉢合わせしてしまう危険があった。


 そのため危険地帯と言われる森の東を進み、そこから大きく回りこむ道をとらなければならなかった。


 「ほら、気をつけて。」


 ジョバルの震える手を、母はつかみ、崩れた岩肌がパラパラと細かいつぶてとなって落ちる屹立きつりつした険しい道を進んだ。


 一歩間違えれば、がけの下へと落ち、命はない。


 それにこの森は半分山と一体となっており、起伏が激しいために部分的に雨が振ったり、霧におおわれるため、岩にはコケが生えていて滑りやすかった。


 旅人や商人もここを通る者は、よほどのことがない限りいないのだと、彼女は以前聞いたことがあった。


 だが、あえて息子を不安にさせないためにも黙っておいた。


 それに今はぜいたくを言っている場合ではない。






 森を歩いてから翌日になったあるとき、二人は比較的安定した平地の前にでた。


 「ずっと歩きっぱなしでつかれたでしょう? ここならゆっくり休めるわ。 休憩にしましょう。」


 ヘレネは近くにあった岩に腰掛ける少年を尻目に、辺りを適当に散策していく。


 周りはまだ森だったが、なぜかその平地にだけは樹は生えておらず、木の葉が薄くのばしたように均一の高さに積もっている。


 なんとも不思議な場所に興味を持った彼女は、落ち葉をできるだけ抱えて息子を喜ばせてやろうと、その葉に手を伸ばした。


 ズブリ。


 手を伸ばしたのはいいのだが、落ち葉とは関係ない冷たい感触が、足に伝わってくる。


 何かしらと思って彼女は下を見るが、なにやら自分が泥のような塊に吸いこまれていっているような恐ろしさに見舞われた。


 「ジョパル! 助けて!」


 「母上? どうされたのですか? あ…母上!」


 「ジョパル!」


 ヘレネの体は、何の変哲もない緑の平野にずぶずぶと沈んでいく。


 ― 「はあ。 まいった。 森の東側は危険が多くて困る。 先日泥にはまったが、なんとかモルモゼロたちが手を貸してくれた。 どうにかして森の東を開拓できないものか。」

 

 「あそこさえ制すれば、旅人の助けとなり、わがエデモルカは貿易による利益を得られるほか、新たな進軍路の確保により国の防衛を有利に行えるようになりましょう。 ぜひオスピソンにお任せを。」―


 彼女は昔このような話を聞いたことがあった。


 これはすなわちそのときの、王のはまった沼だった。


 「母上、手を伸ばして!」


 彼女はジョパルを見て話の続きを思い出す。


 ― 「しかし陛下、難儀でございましたな。 なんの変哲もない地面が底なし沼だったとは、このムィンダンテも驚くばかりでございます。」


 「ああ、全くだ。 大の大人が数十人でやっと人一人救える。 自然の力は誠に恐ろしきものよ。 そなたたちのおかげだ。」


 「とんでもございません陛下。 それにイムダイは自然にも立ち向かう強大な存在でなければ。 それゆえオスピソンに開拓事業をまかされたのでは?」 ―


 大人でも数十人。


 それをジョパルの細い腕一本で何ができようか。


 案の定、彼一人では彼女の体は少しも浮いてこなかった。


 「もう結構です、ジョパル…」


 ヘレネはどうしてと、悲しそうな顔をする息子の手を持った。


 「王から昔聞きました。 あなただけでは無理だと。」


 「なら助けを呼んできます!」


 どこに人がこのようなところを歩いていますか、と彼女は少年を叱った。


 「よく聞くのです。」


 母はふと温かい眼差しを向けた。


 しかし少年には聡明さが備わっていたのか、眼差しの意味は追い詰められた感情の裏返しなのだと気づいた。


 「は、母上…」


 「泣きやむのです! あなたは、いずれエデモルカの再興を果たし、第七代イムダイとして、民の守護者として君臨すべきなの。 母のお願いを聞いてくれますね?」


 自分が置かれている立場を、もはや察知できずにはいられない。


 「行きなさい! そして生きなさい!」


 ヘレネの体はすでに半分近く沈んでおり、抱きしめれば息子も巻き込んでしまうことを理解しての言葉だった。


 「いやです母上!」


 「あなたが嫌でも、私にはどうすることもできません。 これ以上悲しみたくないのなら、早く行くのです。」


 その後ヘレネは彼にそっとささやく。


 「あの歌を、覚えていますか? 竪琴を奏でる星の歌。 小さいときにあなたによく聞かせましたね。 悲しみで振り向かぬように、私があなたにはなむけの歌を歌います。 だからジョパル、勇気を出して去るのです。」


 彼は涙をそでで何度もぬぐいながら、ゆっくりと恐れを少しずつ砕くようにうなずく。


 そして一度だけ最高の笑顔で取りつくろう母を振り返り、一歩踏み出し、歌声が聞こえたところで一度止まったが、すぐに向き直って歩きだした。


 ― 「無数の星たちよ。私を見つめていますか?私もあなたに想いを寄せて見上げています。でも恋をするのは夜の晩だけ。朝日とともにあなたはいなくなる。他の女の人のところへ行ってしまったの?そう思っても夜になるとまた戻ってくる。あなたは気まぐれな人なのね。でも私は、その気まぐれなあなたに恋をする。これは神様のいたずらなの?誰か教えて…」 ―


 やがて歌が止まると、最期に母の声がした。


 「ジョパル。 母はあなたをいつでも見守っていますよ。」


 いくら気持ちをりっしても涙を抑えきれない!


 母が息子に去って欲しいというのは建前だろうと、このとき彼は確信した。


 誰が子にいなくなれと、本気で思えるだろうか。


 母は見守っているという言葉を最後に、少年をもう一度振り向かせたかったのかもしれない。


 「うわああああああああああー!」


 ジョパルは立ち止まり、沈みゆく母の頬に涙を見た。


 そして四つん這いになって、湿った土をこぶしで握りしめ、絶望するように頭をもたげた。






 「はっ!」


 母がいなくなった後、彼は近くで馬のひづめの足音を聞いた。


 誰かくる!


 「夫人。 危険です。 馬からお降りください。」


 急斜面をものともしない顔で、何人かの男たちと馬に乗って、貴婦人のドレスをまとった女が現れた。


 「おやまあ。 この子をみてごらんよ。 たいそうご立派な服を着てるじゃないの。」


 そう言って女は少年に近づいて、凛々しい笑みを浮かべる。


 「はい。 しかしなぜ、このようなところに?」


 「それが分かっておれば知りたいところだ。」


 「し、失礼しました。」


 部下の男は女性の声にびくびくしている様子だ。


 帝国の者かと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。


 「この子を連れていき、使用人にしなさい。」


 エデモルカでは、王族には一般の庶民は会えないようになっていて、男たちは顔を知らないようだが、この女だけは別で、彼女はジョパルが王子であり、今は頼れる者がいない事も知っていた。


 「はっ。 承知しました。 さあこい!」


 「やだ、放せ!」


 少年は男たちに二人がかりで腕を抑えつけられ、街のほうへと連れていかれた。


 「王子を私が支配する。 なんとも素晴らしいことじゃないの。 ハハハ!」


 最後に森にこだましたのは中年の女の高笑いだった。


 


 

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