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最終章 幻朝帝イムダイ


湿った霧は土を濡らし、歩く者の足を陰鬱な気分にさせるとともに、ジョパルに従う者たちを苛立たせた。


荒々しく獣のようにうなりながら、王はしばらく持っていた手綱を引いて、降りる際には実に冷静に靴の足音もしないほどに、やさしく地面を踏む。


「王よ。 どうされたというのです。 そちらはガルベの下流です。 敵に見つかりま―」


「いるんだ…」


「は?」


ぼそりと小さくつぶやく彼にメーケニッヒは聞き返した。


よく見るとそこはあの沼地だった。


まだ母のことを思っているのだろうか?


いや、彼の表情からして違うようだ。


「ここにある。 ヘムロンが呼んでいるんだ。 待ってろ、今行くからな。」


ジョパルは沼に飛び込む前に鎧を外そうとする。


「わかるように説明してください。 もう万策尽きたのですか?」


家臣たちの間で動揺が広がるなか、ジョパルは目をつぶって良く耳を澄ますように言った。


「聞こえないのか? ヘムロンの声が。 よく耳を傾けるんだ。 偉大な戦神の声を、を、ぐ、ぐっ、ぐあああああああーっ!」


何の前触れもなく彼は腹を抱え、頭から血を流し始める。


「まずい! 医者はどこだ!」


メーケニッヒが軍医を連れてきた時には、その血は跡形もなく消えていた。


「一体、どうなっておるのだ。」


彼らの誰一人として理解が及ばぬ幻にとらわれるなか、樹木の群れの間にさす光が薄れていく。


「敵です! 前方からパレバン王の軍四万、後方からはラミダンの軽歩兵隊き、九万にロデルムとルホンの連隊騎兵一万! すぐそこまで迫っています!」


「もはやこれまでか…」 とドバンザ。


「いや、何かが変だぞ。」


ティペスは空が夜のように染まってゆくのを確認する。


― 赤き王の血を捧げよ! ―


「誰だ!」


他の兵士も、その森全土にこだます声に警戒心を抱き辺りを見回す。


「ジョパル逃げて!」


その直後、道なき道を白い馬にまたがって駆けてきたジェスナが姿を現した。


「姫様!」


「メーケニッヒ、今すぐ王を連れて逃げて!」


「しかし陛下が!」

彼の後ろ姿を見たジェスナもメーケニッヒも唖然とした。


「ジェスナ、どうしたんだ?」


ジョパルのペンダントが光って宙に浮いている。


妖しい赤い光で彼の体の周りを包んでいるのだ。


「もう少しで私は生まれる。」


それに加えて妙な言葉を発していたことにも何か関係があるのではないかと皆が勘づき始めたとき、双方の敵も奇跡を目の当たりにした。


「なんだこれは。 ジョパルなのか? あれはジョパルか?」


「うそだろ。 母上は正しかったのか?」


ラミダンとロデルムは顔を見合わせる。


もう一方の陣では逆のことが起きていた。


「ふ、ふはははははっ! すばらしい! 見ろ、沼の大地が光っているぞサナ! あれこそ私が追い求めていた剣、ヘムロンだ。 行くぞギョムチャク!」


「はっ!」


「させるか!」


敵の動向を察知して応戦する家臣たち。


しかしジョパルは何かに吸い寄せられるように沼へと落ちてゆく。


「ジョパルしっかりして! 誰か手伝って! このままじゃジョパルが!」


声を張るジェスナだったが、急に向きを変えたせいで、彼女は足をぐらつかせ…


「あっ!」


痛々しい音とともに、ジェスナは気を失ってしまった。


「陛下を救出するのだ。 くぞ…け…」


― 声が遠のいていく。 静けさの中に引きずられて、心も体も泥の中で冷たくなっていく。 ―


だが、私の胸の鼓動はついえることはない。


つつしまやかな暖かさが次から次へと希望をもたらし、緑は再生されていく。


もう少し…


「もう少しだ!」






 「剣が抜けようとしている。 心の炎を紡ぐとき、空がむしばむ光にあらがうように、剣の封印を解くのだ!」


 全身鎧姿の男が彼に語りかける。


 ― 「我が名、ヘムロン。 七回目の光が生まれいずることを許す。」 ―


 沼の中で見たものは幻ではない。


 はっきりとした映像が彼の中で残っていたからである。


 ― 「裁きの光で群がる愚者共を滅ぼせ。 絶対的な王格を目覚めさせるために必要な、清廉せいれんの血を与えん。」 ―


 息ができる、体が浮いていく。


 「月が欠けるとき、それは命の終わりではない。」


 彼は自分で自分に話しかけていた。


 「闇が終わるとき。 すなわち新月から抜けるとき、黒い行いの数々が正され光へと向かっていくように、我々は再生どころか発展を遂げる機会を授かる。」


 彼はゆっくりと我に帰り、沼から這い出した。


 「今こそ、創造のとき!」


 稲妻よりも速く、突風よりも素早く、ペンダントから赤い波動が熱を持ったまま広がる。


 「エデモルカの伝説の剣を抜くんだ! みんな、手伝ってくれ!」






 「うお!」


 まばゆい光が、そばにいる者たち全員を、赤く照らし、周囲の木々が燃え上がる。


 「こっ、これは一体…」


 「頼む! 抜けてくれ!」


 渾身こんしんの力を込めて、彼ははまった泥だらけの手のひらに伝わってくる熱を感じ、それを沼から出そうとする。


 「だめだ! このままじゃかたまっちまう!」


 ティペスは彼の後ろから沼が土のように乾いてゆくのを見ていて、思わず弱音を吐いたが、力を緩めることはしなかった。


 「誰か! 水をもってきてくれ!」


 メーケニッヒは相変わらず押し寄せるパレヴァンの軍勢を大盾兵とともに押しとどめながら心配していたが、この状態で手が空いている者など一人もいなかった。 


 「水だ! そうでもしねえと固まっちまう!」


 近くには下流へと続く滝が、ガルベ河に向かって流れている。


 だがその水も、倒れているジェスナの手に届くはずもない。


 彼女は目を覚ましてはいなかった。


 汚れた頬をぬぐう余力もなく、ただ細々とした息遣いで肺がわずかに動いているのが分かる。


 「ちくしょう! 水が必要なんだ! 誰か!」


 ― お前の力が必要だ、ジェスナ。」 ―


 心の中の声は、彼女の頭に呼びかけを続ける。


 分かってはいるが、力が、気力が戻らない。


 「どういうことかは知らん。 だが、そんなまがい物の光で我が帝国軍が、いや、このラミダンが退くと思うな。」


 将軍は剣を引き抜こうとするジョパルのもとへとゆっくりと近づき、炎の壁を、盾を前にして突破した。


 「私は加害者か? どうだエデモルカ王、答えてみろ。 お前は被害者か! 忘れたとは言わせんぞーっ!」


 彼はジョパルのかぶとをはぎとって、その汗でにじんだ髪をガンドレッドのままつかんだ。


 「私は被害者だ。 ジェスナを失ったんだ! お前のせいでな! 彼女がお前を失って泣こうが私には関係ない。」


 ― 「もう私もジェスナも、互いに互いを愛していない。」 ―


 お前のせいで、わずかな緑芽も不毛に帰したのだと、将軍は痛みに歯をきしませるエデモルカの王をにらみつけた。


 「そんなことで伝説の剣が抜けるとでも? まったくお気楽な王もいたものだな。 そういうところばかりはレスレダにそっくりだ。 私を恨め。」


 しかし彼の中で何かがつっかかっていた。


 ジョパルを殺しに来たものの、できれば被害者として死にたいと内心思っていたからだ。


 そうすることで、自分が罪もジェスナも忘れてしまいたいと…


 「まだ突破できないのか!」


 パレヴァンの軍の後方にいたギョムチャクが苛立ちを見せ始めていた。






 ― 「誰? ラミダンなの?」 ―


 記憶の十字路の上に、おそらく彼女は立たされているのだろう。


 心だけが時を刻み続けているのが分かる。


 「どうしたジョパル! このまま私を殺すのが怖いのか? エデモルカ王。 貴様が最後までつくろう気なら、別の方法もあるが…」


 ラミダンは剣を持ち、無言のまま彼を斬ろうと構える。


 「おい、いけ! ラミダンにヘムロンの剣を渡すな!」


 エルガーは目の前の事態に、ついに全戦力を投入するように指示をだした。


 当然、それまで前線で戦っていたメーケニッヒの部隊も後退を始めた。


 「もう一度言うぞ。 私を斬るんだジョパル。」


 彼の瞳は色あせ、生気がまるで感じられなかった。


 「嫌だ。」


 ただ一言、ジョパルは全ての感情を込めて将軍に言い放った。


 一瞬、冷めた空気が両者をつつんだような気がした。


 この男をどこまでも憎んでいたい…


 「くっ、はは。 はははははははは! どうやら私はお前を殺さなくてはならないようだ。 この自らの手で!」


 ― 私は支えられていたんだ。 ―


 ラミダンに守られていた。


 ― 私があなたたちの、殺し合いのきっかけを作ってしまった。 ―


 ジェスナの意識は戻り始めていた。


 ― 私はジョパルが好き。 あなたは私が好き。 燃え尽きた情熱は、簡単には取り戻せないかも知れない。 でも… ―


 「痛っ。 で、でもっ! 燃えかすでも燃え移るのよ! それでも私を愛してくれるの! だからラミダン。 あなたはジョパルを憎み続けてるのよ!」


 「ふふふふふっ。 なんだと…」


 首を振ってその言葉は払うように、彼はジェスナに怒りをぶつける。


 「お前にこの惨めな私をさらせと言う資格はない。 今さらお前に真意を明らかにしたところで、余計にむなしいだけだ。 愛などというものに近づくべきじゃなかった。 私はやはり戦で死ぬ男だジェスナ! 国のために死ぬ男なんだ! 燃えカスは燃え移ってむなしさの連鎖を生む。 だから、根を絶つのだ。 二つに一つ! ジョパルが死ぬか、私が死ぬかだ!」


 「私が死ぬわ!」


 「何?」


 「だから、私が死ぬわ! 根を絶つんでしょ? 私が死ねば、全てが振り出しに戻るのよ。 ジョパルも、あなたももう愛にまよわなくてもいいの。 さよなら…」


 のどに持っていた短剣を向けるその手の甲は涙でぬれている。


 「やってみるがいい。 できるものか!」


 「違う…」


 ジョパルは小さくつぶやいた。


 「ジェスナ! そうじゃないだろう、わかっているんだろう! やめろ!」


 剣を抜くのをやめて走り出すジョパル。


 しかしその歩みは途中で止まった。


 彼女の服には、にじむ暗い鮮血。


 「ジョパル。 うっ…。 水が、ほしかったんでしょ…? あげ…る…」


 赤く染まった手を見せ、再び走り出してたどり着いたジョパルの頬に向けて、彼女は自らの命の源を塗りつけた。


 「ジェスナ! おい、ジェスナ! ちくしょおおおおおおおーっ!」


 彼の頭は怒りの炎によって支配され、ヘムロンの剣をつかんだ。


 「うおおおおおおおおおおおおおーっ!」


 全身に血をみなぎらせて、彼は剣を抜く。


 「ぬ、抜けた…」


 「陛下が剣を抜かれたぞーっ!」


 ティペスの声とともに、敵も動きだす。


 「私によこせ!」


 はじめに向かってきたのはエルガーとギョムチャク。


 「陛下、ご命令を。」


 トヴァンザの声に、彼は暗く沈んだまま ―


 「道を開けろ…」


 ただちに大盾兵の味方が陣を解き、ジョパルと敵との間にさえぎるものは何もなくなった。


 敵は瞬く間に彼の前まで詰め寄ってきたそのとき。


 「貴様ら、私に抗うつもりなのだな? よかろう。」


 「ジョパルじゃない。」


 幼馴染のティペスには、ヘムロンが体の中に宿っていると、彼の仕草や口調、雰囲気から判断することができた。


 間違いなく、目の前にいるのはジョパルではなく、ジョパルの中から出てきた何か。






 「真のイムダイの威光の前に滅びよ!」


 剣は構えられると同時に、灼熱を刀身に帯びてきらめきを放つ。


 彼のこの言葉は、ティペスの疑問を確信へと変えた。


 「 ― あ・れ・は・ヘ・ム・ロ・ン・だ! ―」


 閃光の中、すさまじい爆音が鳴り響き、ティペスの口の動きが彼が何者かを知る唯一の指弾だった。


 「う、うわああああ!」


 「どうした! 何が起こった!」


 あわてるエルガーのもとに伝令が次々と入る。


 「兵力の三分の二を失いました! 騎兵は全滅! 弓兵もほとんどがやられ、陣を立て直すことは困難です! それにギョムチャク将軍が、死、いえ、かき消されました!」


 青ざめるパレヴァン王は、次の攻撃が来る前にサナを抱いた。


 「こんな形ですまん。」


 「いいのです陛下。 私が寂しくないようにと、お声をかけてくださったではありませんか。 私も、陛下に恩返しがしたいのです。 ですから、一緒に消えましょう。 もうあなたとずっと一緒…」


 絶望する二人にも、ついに被害が及ぶ。


 「ずる賢いこうもりは失せろ。」


 再びジョパルは剣をふる。


 「おお、サナ、見えるか。 なんと荘厳な光か! なんと激烈で、熾烈しれつで、神々しい炎か!

 ジョパル、いや、ヘムロン! 私は実に良いものを見た! よく聞けヘムロン! 私は貴様にっ!」


 地をさいた炎は高々と火柱を上げながら、ものすごいスピードでパレヴァンの全軍を焼き払った。


 エルガーが大きく目を見開き、最後の挑発をする途中に。


 「ひっ!」


 ラミダンの隣にいた兵士が、そのとき抱き合っていた二人が骨だけになり、砂のようにぱらぱらと粉になってゆくのを見た。


 「ラミダン、望みをかなえてやろう。」


 「ひ、ひけ!」


 しかし、彼の号令は兵士たちへのはなむけの言葉になってしまった。


 「たかが一つの感情に迷う、にわか将軍風情が。 身の程をわきまえることを知れ。」


 「く、くるな!」


 もはや神格をまとうジョパルの前に、帝国軍の誰もが完全に戦意を失っていた。


 「どうしてだ? 死の喜びを望んでいたのは貴様だぞ? まったく、笑わせる者たちだ。」


 我々は忘れていた。


 そしてすっかり思い上がっていた。


 人は強いからきれい事が言えるのだ。


 自分より相手が弱いと分かっているからこそ、いくら自分が悪くても、文句を言わせないのだ。


 もし神の前だったら、その秩序は覆るのだろうか?


 神が存在しないからこそ、その秩序は破られることはない。


 ゆえに、弱き者を我々は守り続ける。


 かの将軍は今、死に対して明らかに恐れを抱いていた。


あれほど自分を殺せと嘆いていた者が、あっさりと考えを変えてしまったのである。


「人を不幸にしてきた男が美しく死ねると思うな。」


ジョパルは剣をなぎはらうと炎の渦を起こし、帝国軍を丸焼きにしていく。


「ぐあっ!」


ラミダンは自分の体が宙に浮いているのを、その双眸そうぼうで見た。


はっとした瞬間、炎の熱なのか、憎しみなのか、焼きつく痛みを伴い、意識が遠のいていった…


― 消えぬ憎しみと、永遠の戦い ―


「逃げるぞ!」


ロデルムは息を切らしてルホンとともに馬に乗った瞬間、嫌な予感がして空を見上げた。


「くたばれ!」


空中に飛んだはずの矢が軌道を信じられないほど正確に、二人のほうへ修正して襲ってきた。


空が明るくなっていく。


どうやら新月が終わりを迎えたようだ。


彼は死んでいるジェスナのもとへと行き、手をそっとかざしてみせると、体を赤い体でつつんだ。


ジェスナの体の色が明るみを帯びていくと同時に、彼は気を失った。


「陛下! 陛下!」






「陛下!」


「ここは…」


彼はベッドから起き上がって自分を呼ぶジェスナを見た。


「私、心配したのよ!」


一体何を心配したというのか、記憶が曖昧でわからなかった。


しかしそんなことはどうでもいい。


「あなたは王よ。 エデモルカの。」


にっこりと笑うジェスナの笑顔にドキリとして、彼は思わずこんなことを言った。


― それは、この世に魔法が生まれる前の物語。 私は幼い時に知った。 朝焼けの幻は続いていく。 国もその意志も、発展の度に塗りつぶされて幻となる。 我々はどれくらいの歴史軸の上に立ち、発展という恵みを受けているのだろう。 ―


「何それ? なんだか堅苦しい…」


「父の言葉だ。 それよりジェスナ、今日は雪が晴れてキレイだ。 結婚しないか?」

それは春を予感させる鳥のヒナは産声をあげた時のひと欠片にすぎない。

最後まで読んで下さった方もそうでない方も、ありがとうございます。

最近は忙しいとかのレベルではないくらいに、家庭が混沌としていました。投稿が大幅に遅れてしまい、申し訳ないと思っております。

さて、本作はいかがでしたか?作家の意図としては、権力というものがいかに残酷な一方で、いかに混沌を治めるのに適しているかについて、全ては人々にかかっている(剣という力を得るかどうか)ということを訴えました。

しかしながら、これからは小説を作っている暇は少なくなると自分で実感しています。そのため、新作はいつ仕上がるかわかりません。(数ヵ月は投稿を停止することになります。)また機会があれば折りをみて執筆しますので、その時は気軽にお楽しみいただけると嬉しいです。

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