第39章 待ち続けていた老人
ジョパルたちの様子を見ていたのは、数十人にもなる鎧兜の集団だった。
茂みからエデモルカの民たちの姿を確認した彼らは、最初は警戒していたが、後ろから出てきた一人の老人の制止によって、いくらか落ちつきを取り戻した。
この者たちは、我らの敵ではない。
敵ではないどころか、昔、遠い昔に安らぎの記憶を残す、昵懇の間柄なのだ。
彼らは老人の言葉を聞いて驚いた。
よもや、エデモルカの王となるべくここに来た人物と知り合いだったとは、やはり老人に従っていて正解だったのだと、誰もが思った。
「ひっ!」
ガサリという音が一人の民のもとに届いた。
ビックリして振り向いた彼は、思わず大きな叫び声をあげた。
「うわあああああ! 帝国軍だ!」
「なんだって?」
「どこ? どこにいるの?」
民たちは必死に逃げようと、混乱して、わめき、散開してゆく。
その慌てように触発された鎧の集団は、彼らエデモルカの民が攻撃する準備をしているのではないかと、一斉に剣を抜く。
― まて、その者たちはただ怯えているだけだ。 ―
またも老人が止めに入った。
「落ちついて! 私たちが皆さんを守ります。 ですからどうか…。」
ふと目の前に顔を見せた老人を瞳に映したジョパルは、それが誰かすぐに分かった。
すっかりと頬はこけてしまっていたが、よく目を凝らすと、確かに昔の目に焼き付けた風貌を見出すことができた。
間違いない、あのとき船から落ちたモルモゼロだと、本能が告げていた。
「どうして、あなたがここに? 偽物ではないのですか? 私は、もうとっくの昔に死んだものと思って…」
「いいえ、殿下。 私めは今もこうして息をしております。」
声にいたっては、当時から少しも変った様子はなかった。
「ジョパル様、知り合いなのですか?」
彼らは味方であると悟った民たちもようやく静まり、彼にたずねた。
「ええ。 私の父、レスレダの大臣をしていた方です。 帝国などではありません。 そもそも、ここはあなた方のみが知っている東の森ですよ?」
「へえ。 でもなんでこんなところに、死んだはずの大臣様がいらっしゃるんですかね?」
ハルヴェルトが調子づいた口調で、持っていた木の棒をやわらかい地面の上に突き立てた。
「お話いたしましょう。」
― 「モルモゼロ殿!」
「ううっ!」
彼はその日、人生で最悪の日を味わった。
帝国の矢をのどに喰らって、空気を求めて、水の中をさまよっているうちに意識は遠のいていった。
もう老齢に近づいていく自分の体は、いかに金にまみれた人生を謳歌しようが、どの道死に行く身である。
もし意識が戻らなかったとしても、後悔はジョパルとヘレネを最期まで守りきることができなかったことに留めておこうとした。
しかし、ふと天から戒めの声が聞こえてくるように、頭の中で、非常にはっきりとした考えが浮かんだ。
このままでは、ただの自分の自己満足で終わったことになる。
もし意識が戻らなかったとしても?
意識を取り戻して、二人を助けなくては。
「そうだ、お二人をお守りしなくては!」
目が覚めたときには、彼は森の中にある小屋の床に寝そべっていた。
「目が覚めましたか?」
ここは一体どこだろう?
森の中にしては、いつもと空気の違う場所にいるような気がする…。
自分を取り囲んでいるのは、謎の毛皮を羽織って、大家族のように寄り集まっている人々。
「あなたがたは? ここはどこなのです? 確か私は矢に撃たれて…。」
のどの部分に彼は手を当ててみたが、わずかにくぼみの感触はあったが、痛みは感じられなかった。
「そうです。 あなたが矢に撃たれたところを、我々は見ていました。 エデモルカの大臣の方ですね。 私たちはこの東の森に住む民。」
こんな森にいさえすれば、敵はおろか、外部との交流もないであろう。
おそらくそれが、彼らが今までその存在を知られずに生き延びてこれた理由なのであったことは、彼には言わずともよく分かった。 ―
「それから実に十年あまり、私はジョパル王子を探すどころではなくなりました。 ここから少し北に行きますと、彼らの村がございます。 村と言っても当時の話ですが。」
「当時? モルモゼロ、教えてくれ。 お前はどうして十年もの間、こんな森に?」
「はい。」
大臣はまず、助けてくれた未開の民に礼として、何をしてほしいのかをたずねたという。
「すると、彼らは何もないというのです。 今は難なく暮らしていけるだけの食料と絹があるから、あなたが苦労する必要はないと。 私は彼らに興味を抱くようになりました。 そこで、私もエデモルカの技術を伝えました。 もちろん、殿下を助け出すために最初は彼らを利用する気でいたのです。」
しかし、彼は笑顔になった。
「ですが、利用しようという心がいかに愚かであったのかを、思い知らされました。 彼らは何も要求しないし、必要でないと判断すれば、何も得ようとしません。 バカバカしくなりました。 我らは何を必死になって、戦争をしていたのだと。 このとき初めて先代のイムダイの過ちを理解しました。」
エデモルカの発展のために、全てを捧げて、夜も昼も、王を支える…。
そうこうしているうちに、彼は民に溶け込み、民もまた彼についていった。
彼らの長老は数年前に亡くなった。
厳粛な会議の結果、彼が今やリーダーなのだ。
「彼らが身につけている鎧を見てください。 エデモルカの太陽の紋を施してあります。」
他にも、矢や剣、それに旗までエデモルカ式に染まっている。
「私を、いつ迎えてもいいように、準備していてくれていたのか?」
「もちろんです。 殿下は生きておられる。 そう思っていられたら、どんなに気が楽であったか、お分かりでしょう?」
久しぶりの再会ではあったが、彼を思い続けた日々が続いたモルモゼロには、この数十年が短く感じられたことだろう。
今度こそ、彼を守ってみせる。
これは、神が私にくださった機会なのだ。
その努力の結晶である都に、彼らは向かうことになった。
― 都ははるか北東。 人が生を営むことをよしとしない地、いわゆる辺境。 だが、わずかな希望と世を変えるゆるぎない決意に満ちていれば、黄金でも、帝国の都でも太刀打ちできない。 ―
それほどすごいところだと、彼は自身を持って言った。