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第3章 それは血の償いであったのか

 かくして、エデモルカの宮殿は、パレヴァンとゼムヘイオの戦場となった。


 逃げなくては!


 王妃がそう確信したのも、以前ゼムヘイオの皇帝メルダテスが使者をよこし、自分を妃にと欲していた事を知っていたからだ。


 「いたぞ! 王妃は殺すな! パレヴァンのみをせん滅せよ!」


 鎧姿のラミダンが叫び、近づいてくるのがわかる。


 「はっ!」


 「うあ!」


 このままではどの道苦い未来が待っている。


 そう思った彼女は立ち上がり、そばにいた帝国兵を蹴り飛ばし剣を取り上げると、自分の縄を切り、大臣と息子の縄も解いてゆく。


 「逃げるのです、さあ早く!」


 ムィンダンテを先頭に彼らは死亡した兵士の剣をとり、奮戦する。


 「やああああ!」


 大臣たち四人はやがて裏門にたどりつき、王妃とジョパルを囲むようにして、敵兵と対峙する。


 文官とは言え、いざという時のための武術の心得くらいはある。


 「やあ! はあ!」


 大臣たちは重苦しいローブと老齢さをものともせず、剣を鮮やかにすべらせ、舞う。


 「ヘレネ王妃! 今のうちに馬にお乗りに!」


 「ええ、馬の乗り方は心得ていますね?」


 「はい、母上。」


 王妃は少年を抱えて茶色い毛並みの馬に乗せると、自分も騎兵を襲い、その馬に乗って手綱を引いた。


 「王妃様が退却なさるまで、門で持ちこたえるのだ!」


 ムィンダンテの叫びが聞こえ、王妃はふと裏門を出た後で後ろを振り向いた。


 そしてある程度の敵を倒したのち、馬にのり、四人の大臣も逃走を始める。


 しかしそのとき…


 「ぐはっ!」


 「ヴィシュトぺ殿!」


 退却する途中、弓で追い打ちされた彼は背中にそれをくらって頭をもたげた後、落馬し、追いついた兵士にめった刺しにされていく。


 「ヴィシュトぺ殿!」


 「何をしておられる! 逃げるのですオスピソン殿!」


 モルモゼロは迫ってくる帝国兵にやられたヴィシュトぺに、軽くエデモルカ万歳と言った後、オスピソンの背中を押した。






 五人はやがて森に挟まれた狭い並木道を曲がり、ガルべ河のほとりに出た。


 「王妃様! 橋げたに船がありますゆえ、そこまでお逃げを!」


 これはムィンダンテが考えた提案だった。


 ガルべ河は確かに浅瀬が多いが、上流はそれとは違い、ゆるやかな流れだが水深はかなりあった。


 当然、渡し船に乗ってしまえば帝国兵は追ってこれるはずもなく、もし追ったとしても、浅瀬のある下流まで行くのに二日はかかり、そこを渡って上流に沿って登るのにさらに二日かかる。


 王妃もそのことを知っていたために、船があるという彼の一言で状況を苦労なく理解した。


 帝国の騎兵隊はすぐそこまで迫っている。


 「さあ、ジョパル。 お乗りなさい。」


 王妃は先に息子を乗せ、続いて自分も船にわたる。


 次は文官たちの番だ。


 しかし、ムィンダンテは船に乗る途中で、あわてていたのか足を滑らせ、河に落ちそうになる。


 「ムィンダンテ! つかまりなさい!」


 「申し訳ございません、王妃様。」


 彼は彼女に手を引っ張られて船に乗ったが、異常事態に気づいた。


 モルモゼロが真っ青な顔で飛び乗り、乗り遅れたオスピソンが、騎兵の槍に体を貫かれている。


 「ぐっ!」


 「オスピソン殿!」


 オスピソンは、モルモゼロの叫びに苦笑いを浮かべ、王妃たちの邪魔はさせまいと深手を負いながらも槍をつかみ、騎兵たちを河に引きずり落とした。


 彼のローブは水を含んで重くなり、本人も浮いてくることはなく、敵は槍が届かなくなると、今度は弓で攻撃してくる。


 「オスピソン殿ーっ!」


 「よすのだモルモゼロ!」


 ムィンダンテの忠告通り、身を乗り出した彼の首のあたりに、矢が命中した。


 「ううっ!」


 首に刺さった矢を抜こうとして、両手を添えるモルモゼロは苦しそうに視線を空に向け、河へと落ちて消えた。


 「攻撃せよーっ!」


 弓兵はまだ矢を放ってくる。


 このままでは二人にもあたってしまうだろうと考えた大臣長官は、ジョパルにふところから一つの黒い、それでいて赤みのある宝石がついたペンダントを手渡した。


 「これは何?」


 「これは、イムダイが代々にわたって受け継いできた王の証。 闇よりい出し黒き満月は減月する際、まるで炎でその存在がむしばまれるようであった。 そのときこそ古き世界は終わり、新たな世、すなわち新しい時の始まりを告げる王が現れると、エデモルカの伝説にございます。 このペンダントの宝石には、そのような意味があるのです殿下。」


 「黒い月と、炎。 王の証…」


 少年はその闇の輝きに瞳を釘づけにした。


 「陛下に大事があったときのためにとたまわっておりましたが、今は殿下が持たれるべきです。」


 「待ちなさい!」


 王妃は彼に言った。


 「なぜ今それをこの子に渡すのです? あなたが、近いうちに宰相となるあなたが持つべきではないですか! あなたは、死ぬつもりなのですね? そうなのでしょう!」


 黙っている大臣に王妃は事を理解した。


 「やはり、そうなのですね?」


 「申し訳ございません。 しかしながら、これは王妃様に教えられたことでもあるのです。」


 「どういう意味です?」


 「お忘れですか? 私が文官たちを殺した罪を。 思ったのです。 その償いは今すべきなのだと。 このままでは矢が当たってしまうやもしれません。 ですので、どうぞ私めを盾に。」


 「そんなもの認めません! あなたまで死んだら…」


 しかし彼は構うことなく船の上に立ちあがり、腕を広げて弓兵たちに叫びはじめた。


 「帝国の兵士ども、よく聞くがよい! 私はエデモルカの大臣長官、ムィンダンテ! 王妃様には指一本触れさせん! さあ、攻撃するがよい!」


 「おやめなさいムィンダンテ!」


 王妃は彼を止めようとするが、すでに老人の体にはいくつかの矢じりが見えた。


 そのとき彼女はああ、と目を見開き、息をしているのも忘れてジョパルに見せないように少年の体を服で包み込んだ。


 「う、くッ! ぬッ!」


 彼はあえぎ声をかげながらもまだ耐えている。


 「もうよいではありませんか! やめるのですムィンダンテ! ムィンダンテ!」


 「うお!」


 「もうよしなさい!」


 すると、その願いがかなったのか、ゼムヘイオの将軍、ラミダンの声が聞こえた。






 「おい、何をしている! 王妃に当たったらどうする気だ! 彼女を死なせたら私はもちろん、お前たちまで死罪だぞ!」


 「し、しかしこのままでは逃げられて…」


 「いいわけ無用!」


 ラミダンは兵士たちを叱ると、船に乗っていた彼女を見た。


 ヘレネはすでに遠くの沖にいて、息子を抱えて震えている。


 彼は矢の犠牲となり、今にも死にそうなムィンダンテに向けて剣を抜き、自分の胸にそっと当てた。


 これは帝国流ではあったが、戦で命を落とす者に贈る敬意の証だった。


 もちろんそれを知っていた大臣も、彼にむかって笑みを投げかけ、目を閉じた。


 ― 「お助けを!」


 「陛下の命によりこの文官三名を、国賊として抜指の刑に処す。 イムダイの崇高なる威光の前に滅びよ!」 ―


 彼が最後に聞いたのは、王妃の悲痛な叫びではなく、王子の震える声でもなく、風にそよぎ、揺れる葉の音でもなかった。


 自分があの朝、王の隣で言った言葉だったのだ。


 




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