第12章 空虚なラミダン
ジョパルたちが帝国から脱出するには、馬であっても三日はかかる。
そのことをラミダンは念頭に置き、ジェスナがどの道を選ぶかを考えていた。
どの道を通ってもいいように、彼は部隊を分散させて捜索に当たらせようかと思ったが、自分はどの道を通ったら彼女に会えるのだろうと、悩んでいた。
「ジェスナ、必ず連れ戻してやる!」
「何? 帝国の将軍の花嫁が逃げただと?」
「はい。 今現在、ゼムヘイオの将軍であるラミダンが、必死になって帝国中を探しまわっています。」
一人の将軍らしき鎧をつけた男が、それより少し若い男に言った。
その顔はまぎれもなく、以前エデモルカの宮殿に押し寄せた指揮官だった。
「ギョムチャク。 それは誠か?」
彼に話しかけているのは、パレヴァンの若き王エルガー。
聡明で凛々しい顔をしているが、性格は聡明すぎるためか、よく狡猾なことを考えついた。
その彼が将軍からの報告を受け、今新たな策略を練っていた。
「帝国で、しかもラミダンの花嫁というと、あの若いジェスナートン・ナド・パスカか。 どうして逃げ出したのかはわかるか?」
「いえ。 しかし、これは彼女を人質にして帝国を操るチャンスです。」
ギョムチャクは王に笑いかけた。
「お嬢様、大丈夫ですか? 少し休まれては…」
「いいえ、結構よハルヴェルト。 もともとこうなったのは私のせいです。 被害に巻き込まれたあなたが心配することじゃないわ。」
ジョパルが流れ着いた河のほとりを出発してから、もう二日が経つが、ジェスナは弱音を吐かなかった。
よほど将軍のことが嫌だったのだろうが、一方でジョパルを見るときの目は、常に優しさに満ちていた。
彼にとってはそれは、森の沼でなくした母を連想させた。
「ジェスナ。 もうすぐだ。 この先にはガルべの検問所がある。 そこまで行こう。 ラミダンに捕まる前に。」
「だが、検問所の兵士にすでに我々の行動が知られていたらまずいな。」
しかし、ハルヴェルトの言葉は途中で止まり、彼らは大勢の鎧の擦れる足音を聞いた。
ジェスナの顔が青ざめていくのが分かる。
「ジェスナ、心配ない。 なんとかして逃げられるさ。」
とはいえジョパルも不安だった。
そのときだった。
「いたぞ! 例の三人だ!」
前方から、馬のひづめの音が夜の闇にまぎれて響き、帝国の騎士団が近づいてくる。
そして騎兵の先頭には、黒いマントの男。
「あ、あれは! ラミダン将軍!」
「ジェスナー!」
ラミダンは彼女を視界にとらえて叫ぶと、剣を前に突き出して兵士たちに合図する。
「早く逃げるのですお嬢様。 ここは私にお任せください。」
ハルヴェルトはそう言ってラミダンのもとへと突っ込んでいく。
「やめなさい! 戻ってハルヴェルト!」
「よすんだジェスナ! 今は逃げないと、囲まれる!」
「でもっ!」
「彼の努力を無駄にしちゃいけない…」
ジョパルに言われて、彼女ははっとした。
確か、あれは七年前の悪夢。
― 母上の努力を、無駄にしちゃいけない。文官たちの努力もそうだ。彼らは命を捨てる覚悟で、自分を守ってくれた。でも、どこかさみしそうで、母は、私の母ヘレネは、最後までさみしさを捨てきれずに、私を振り向かせようとした。 ―
「分かるよジェスナ! でもって気持ちは私も同じだ。 でも、ここに君が今から経験しようとしてるつらい事を、もう何年も前に味わった人間が、そばにいるじゃないか!」
彼の目からは自然と涙が、しかし少女の前だからといって決して飾ろうとはしなかった。
肩を激しくゆすられた彼女も、やがてはジョパルの過去にふれ、悲しくなって無意識に彼の胸に飛び込んでいた。
「ごめんなさい。 私…」
何を抱き合っているのか、遠くから見ていたラミダンは何とか理解しようとした。
彼女は、私のものだ!
ジョパルに挑発を受けているのか、それとも彼女が純粋に仲間の残酷な運命を嘆いているのか…
いずれにしろ、またも部下たちの前で、しかも今度は抱き合っている姿を見せつけられた心は、ひどくいびつな形に折れ曲がった。
「ぬあああああああああーっ!」
ラミダンは叫び、震える手で剣を思い切り抜いた。
だが、ここでも現実は残酷な顔をみせる。
「将軍! 大変です。 突如として、パレヴァンが我が部隊に向けて進軍しています! 目的は分かりませんが、我々が狙われていることは事実です。 この少数の部隊ではかないません。 敵と遭遇し、全滅する前に退却のご命令を!」
「それはならん!」
「ですが将軍!」
彼らが言い争っていると、別の騎兵隊が向かってくるのが見えた。
「伝令! パレヴァンの軍一千を視認しました! ただちにご退却を!」
そう言っている間にも、伝令兵は背中を弓で撃たれた。
「うっ!」
このままでは、自分はあの、あの七年前に倒したレスレダとそっくりだ!
分かっていても足は別の方向に向いている。
「敵を倒せー!」
ギョムチャクの兵士たちがラミダンの騎兵に襲いかかった。
「騎兵! 応戦せよ!」
静かな夜は、兵士たちの叫び声で血に染まり、まるで昼のように火矢があたりを照らした。
「ジェスナ…」
ふと将軍が振り返ると、そこにはすでに馬で去っていく彼女の泣き顔。
「あいつだ! 捕まえろ!」
しばらくして、逃亡する彼女に気づいた兵士たちが、追跡を始める。
「将軍! 奴らの狙いはジェスナお嬢様です!」
「なに…」
不思議な気分だった。
ジェスナを連れ戻すためにここまで来た自分が、どうして今パレヴァンから守ろうとしているのか。
ジェスナ、愛してる…
たとえジェスナを手放しても、敵の手には渡したくはない。
それが彼の答えだったのかもしれない。
「敵が来た! おい、敵だ!」
検問所の兵士たちが、ジェスナの馬を追って一斉に向かって来たパレヴァンに、槍を構える。
だが、敵の騎兵はその後ろにいた一人の男に、次々に斬られていく。
ハルヴェルトだ。
「うおおおお!」
頭から血を流しながらも、ハルヴェルトはジェスナに追いつこうと、必死になって手綱を持つ。
やがて彼は騎兵の先頭まで追い付いて、検問所の兵士に合図する。
「門を閉めろ!」