表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/47

第9章 今はそっとしまいこんだ刃を研ぐ

 母の愛はかくも深いもの。


 お前にとってそれが嫉妬や恨みに見えてしまったのなら、ごめんなさい…


 でも分かって。


 母はお前のことを大切に思っています。


 「もちろんです。 母上。 だから、決して謝ってはいけません。 謝らないでください。」


 彼の夢はそこで終わった。


 耳にはかすかに女性の甘い抱擁の余韻が、声として残り、しかし水に溶ける泡のようにすぐになくなってしまった。


 ジョパルは、意識が戻った時には見知らぬ部屋のベッドで寝かされていた。


 ここは一体どこなんだろうかと思い、ふと起き上がろうとした時、肩の部分に痛みを感じた。


 そうか、自分は帝国とたたかっていたのだった。


 ティぺスは無事でいるだろうか?


 帝国という言葉が頭から出てきてしばらくののち、目の前に飾ってあった見覚えのある旗の絵柄を見て、突然彼は我を忘れたようになって部屋から飛び出した。


 旗には、王がひざまずく騎士に剣を向ける姿が描かれている。


 まぎれもなくゼムヘイオの軍旗であった。






 「おい、気をつけろ!」


 ジョパルは広い廊下を走っていく際、二人のローブを着た文官にぶつかりそうになり、注意をうけたが、まったく気にも留めず、突き当たりにある部屋へと入っていった。


 そこは部屋というより、天井の高いアーチ型のドームのようなところだった。


 四隅にはそれぞれ白い石の偉人の像が、平らに広げてあるこれも石の本を、背中で背負うように支えるポーズで彫られている。


 そして真ん中には、黒いマントをつけたラミダンが、後ろを向いて立っていた。


 「意外と早く目が覚めて、何よりだ。」


 彼はまるでそこにいるのがだれか分かっているように、剣を一本投げてよこした。


 ジョパルの心は、冷静な将軍の悪気などない声に揺さぶられ、怒りに染まった。


 将軍の投げてきた剣を床から拾うと、すぐさま立っている男に向かって襲いかかった。


 「うあああああああ!」


 だがラミダンは素早く振り向いて、彼の剣を両手で支えてとめ、そのすきにジョパルを足で蹴り飛ばした。


 「ぐあ!」


 悲痛な叫びをあげもう一度、いや、おそらく何度でもそうするだろうが、彼は将軍に飛びかかる。


 しかし今度は彼を斬ろうとする前に、足を払われて尻もちをついた。


 「痛っ!」


 こんなもの、母が味わった苦痛に比べたらなんでもないと、彼は三度立ち上がろうとするが、肩に激痛を感じて起き上がれなくなってしまった。


 どうやら今の行いで、戦で受けた傷が開いてしまったようだ。


 「私が憎いか?」


 痛みに悶える彼を見下ろし、将軍がゆっくりと近づいてきた。


 「私も自分が憎い。 陛下のためとはいえ、今まで数多くの戦で、敵兵やその家族を不幸にしてきた。 お前もそのうちの一人だ。」


 ジョパルの予想に反して、彼は意外と慈悲深い面を見せ始める。


 「私はこの数年間、誰かに殺されるのを待ってるが、誰もやろうとしない。 無理もない。 私の生きたいという本能が邪魔して、口ではこうでも、実際は別だ。」


 「な、何が言いたい?」


 ジョパルは震える手で肩を押さえながら、なおも怒りの目で彼を見る。


 「なぜお前を護衛役につけたいと思ったのか、分かるか? 死を体で拒むのなら、自分より強い存在を世に送り出せばいいと、そう考えたからだ。 強くなって帝国に復讐したいなら、その腕では一生かなわん。」


 「い、いいのか? 俺に剣を教えたら、お前を俺は殺しに行くぞ?」


 彼はラミダンに向かって笑いかける。


 しかし、将軍は決して顔を緩ませることなく、じっとジョパルを見つめている。


 この男は本気で死にたいと思っている。


 彼はそう確信した。


 人を殺したとき、たとえば七年前に河で大臣に向けて剣をそっと胸にあてたとき、彼は自分が生きていることを悔やんだに違いない。


 思い切りそれを笑ってやることもできたはずなのに、この者の前では、なぜかそれができない。


 わざわざ死を望むような人間に、何を言っても無駄だからだろうか?


 いや、ジョパルの母は決して喜ばないだろうことを彼は悟ったからだ。


 「いいさ。 これ以上私をみじめにしないためにも、私は私の手でお前を優秀な兵士にしてやろう。 だが、憎しみから剣を学ぶことは、相手を不幸にするすべを知る覚悟が必要だということだ。 私が抱えている重しをお前に与える。 後から拒んでも許しはしないが。 どうする?」


 「やってやる!」






 訓練はそれから毎日、朝日が登ってから、夜遅くまで続けられた。


 時にジョパルは剣の振りすぎで腕を痛め、手に何個も豆をつくった。


 また、やる以上は将軍も容赦しなかった。


 帝都の文官たちも、今までとは違うラミダンの目つきに驚いて、思わず訓練の様子に歩みを止めるほどだった。


 「うっ!」


 「どうした? その程度では文官にも勝てんぞ?」


 何度も訓練をするたびに、彼の足の爪は割れ、体は汚れてくたくたになった。


 それでも、訓練の甲斐があってか、以前とは格段に腕があがった。


 七年間の修業がバカバカしく思えてくるくらいだ。


 帝国流の剣術は思ったよりも素早い動きが要求され、そのせいでよく食べた物をもどしたりしたこともあったが、そんなとき彼はイムダイのペンダントを握りしめて耐えた。


 ところで、その悲惨な訓練の様子を、夜になると決まって影から見ている人物がいた。


 まだあどけなさの残る顔つきの、一人の少女。


 茶色い長い髪には、首のあたりに黄金蝶の髪飾りがついている。


 じきに十七になるジェスナートン・ナド・パスカ。


 近いうちに、ゼムヘイオの将軍ラミダンとの婚約が決定する予定で、貴族の屋敷から嫁いでいた若い娘であった。


 だが、彼女はこの政略結婚に不満を隠しきれなかった。


 将軍とは親子と同じくらいの歳の差があるし、また彼は頻繁に戦に出ることが多いため、いつ死んでもおかしくない。


 彼女が不幸になるのは目に見えていた。


 そこで、彼女は他の男を探していたのだが、ある晩見てから、どうしても目が離せなくなったのがジョパルであった。


 彼も復讐を望み、戦いに身を投じているのは確かだったが、そうとは知らないジェスナートンは彼から目が離せない自分をみて、彼にほのかな恋心を抱いているのを感じ取っていた。


 なんだか胸のあたりが熱でも出したように熱くなって、ああ、自分はこんな会ったばかりの青年に何をドキドキとしているのか、と必死に意識を正常に保つ。


 「お嬢様。 明日、彼は将軍の護衛を務めるそうです。」


 誰かの足音がふと聞こえた。


 「いよいよね。 失敗すれば命はないわ。 気をつけて。」


 何者かが彼女の背後ら耳打ちして、去って行った。


 


 


 


 


 


 


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ