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一章 銀髪赤眼の少女 その7

 てっきり街とか安全そうな場所に戻るものだと思っていた。

 だが水晶が向かったのは、倉庫の横にあるコンテナが集まった場所だった。

 さっきまで肌寒かった風だが、走りつかれて汗をかいた体には心地よかった。

 望愛は俺の隣に座り、水晶の一挙手一投足さえ見逃さないように監視している。当の水晶は気にした風も無く、コンテナの向こうの様子を窺っている。


「どうして、こんな所に隠れなきゃいけないんだよ?」

「また襲われたい?」

 水晶の無感情な眼が細められる。ここで下手なことを言ったら、蛇に襲われるより彼女に殺されてしまいそうだ。

「……つまり命の安全を保障してほしいなら、私の言うことに従えってことか」

「そういうこと」

 打っても響かない問答に、俺は辟易した。


「暁也さん。彼女からは不穏な雰囲気を感じます。危険です」

 耳打ちしてきた望愛の声には余裕が無く、真剣そのものだった。

「だけど水晶に命を救われたのは事実だ。それに彼女の方が事情を把握しているらしい。ここは言う通りにした方がいいだろう」

「それは、そうですが……」

 それっきり、望愛は無言になった。


「なあ、水晶。さっき蛇のことをヨルムガンドって呼んでたよな。それってあれか、北欧神話に出てくるやつ」

 冗談で言ったつもりだったが、水晶はあっさりうなずいた。

「当たり」

「……お前、中二病か?」

「私は高二」

 水晶はようやく満足したのか、コンテナから出していた頭をひっこめた。

「あなた、名前は?」

 答えようとするが、望愛に手で制された。

素性すじょうも分からない相手に、名乗ると思いますか?」

「でも私は言った」

 正論で返されては、彼女も反論できない。


 望愛に目で確認すると、彼女は不承不承といった様子でうなずいた。

 そして俺が名乗ろうとすると、今度は水晶が制してきた。

「あなたはいい」

「いいって、どういうことだよ?」

「月影暁也」

 体中から血の気が引いた。

 俺は水晶と会ったことは無いはずだ。確かに人の顔を覚えるのは苦手だが、こんな目立つヤツなら忘れるはずがない。もしかしたら銀髪や紅眼はファッションかもしれないが、この極端に不愛想な顔は簡単には忘れられないだろう。


「なあ、俺とお前は初対面だよな?」

「そうかも」

 とぼけた返事に、俺はこれがファーストコンタクトだと確信した。


「なんで俺の名前を知っている?」

「風の噂」

「残念だが俺はそんなに有名人じゃねーよ」

 水晶はそっぽを向いて会話を打ち切った。

 そして望愛に向き直り、改めて同じ質問を繰り返した。

「あなたの名前は?」

 重苦しい沈黙が落ちた。

 望愛は警戒心をむき出しにして、黙りこくっている。水晶はじっと彼女のことを見て、答えを待っている。


 結局、折れたのは望愛だった。

「……神代望愛です」

 水嶼は何度か小声で望愛、望愛と反芻し、やがて小さくうなずいた。

「覚えた」

「……そうですか」

 二人の間に流れる剣呑な空気は、ますます悪化したようだ。望愛が一方的に敵意をむき出しにしているだけ、とも言えるが。


 水晶はマントの中から腕を突き出した。

 腕はこれまた黒い。その布の質感から推測するに、彼女が着ているのはスパンデックスだろう。

 黒い手袋に覆われた手には、小さな紙切れのようなものが握られていた。

「それは何ですか?」

「薬包紙」

 彼女は薬包紙を傾け、粉末状の何かを飲んだ。

「ふぉあ」

 望愛、と言ったのだろうか。口に粉末を含んだまましゃべっているせいで、赤ん坊のような滑舌の話し方になっている。


「なんでしょうか?」

 水晶の無防備さに望愛は一瞬気を緩めた。

 その隙をついて、水晶は彼女の肩をつかむ。

「っ――!?」

 完全に油断していた望愛は、水晶の素早い動きに対応できない。

 俺も何が起きているのか分からず、咄嗟に割って入ることもできなかった。


 そしてそのまま、水晶は――

「……んっ」

 望愛に、キスをした。

「っ――!? んんっ、んんん!?」

 相手の唇を吸いつくしてしまうような、激しいキス。まるで赤子が乳を吸う時のように乱暴だった。

 望愛は水晶を突き離そうとするも力が入らないらしく、その手は水晶の頬を包むだけになっている。彼女の目から敵意が失われ、肩もぐったりと下がる。心なしか、頬も赤くなっていた。

 そのまま水晶は望愛が顎を上げる形にする。

 くちゅりという水音がした。気が付けば望愛は口を開けており、水晶の舌を受け入れていた。

 水晶は彼女の口内に、自身の唾液を注ぎ込んでいる。舌使いが艶めかしく、相手の喉に届けようとするように深く入れて、攪拌する音を響かせている。

 二人はまるで何もかも忘れてしまったかのように、口付けに耽っていた。


 これは止めるべきなのかどうか、俺には判断できなかった。

 水晶が口を離し、糸を引く唾液が黄色く光るのを目にした時になって、ようやく彼女が怪しい薬らしきものをを飲んでいたことを思い出した。

「おい、何か変なものを飲ませたんじゃねーだろうな!?」

「変な、もの?」

 口に付いた望愛の唾液を舌で拭う水晶の頬は上気し、汗で前髪がひっついていた。その潤んだ瞳と濡れた唇が妖艶で、思わず見入ってしまいそうだ。

「さっきの粉、あれはなんだ!?」

「……ああ、これ?」

 包装紙を取り出して、首を傾げる水晶。

「そうだ、それっ! なんなんだよッ!?」

「即効性の惚れ薬と、ワクチン。あなたも、飲む?」

 言われてみれば、望愛は陶酔したような表情で水晶を見上げている。その目は酒に酔ったかのようにとろんとしていて、口の端から垂れる奇妙な色の涎にもまったく気を払っていない。


「こんなことして、何が目的だ!?」

「それは――」

 彼女は望愛の手を取り、軽く引いて立つように促す。意思を失っている望愛は、されるがままに立ち上がる。

 そのまま水晶は望愛の手を引き、コンテナの影から出る。


 ふと俺の脳裏を嫌な予感がよぎる。

 水晶は望愛に惚れ薬を飲ませたと言った。本当にそうなのか疑念の余地はあるが、それはまだいい。水晶自身も飲んでいるのだし、命に別状はないだろう。

 だがその後に何か続かなかったか?

 ――ワクチンだ。ただ望愛を言いなりにするだけなら、そんなものはいらないはずだ。

 そういえば、水晶は蛇のことをヨルムガンドと呼んでいた。

 ヨルムガンドといえば、北欧神話に出てくる毒蛇だ。

 脳がフル回転し、状況を整理していく。

 そして数珠を連ねるように、全ての情報が繋がった。

 そうなのか、そういうことなのか?

 自問自答の末、俺はそんなはずはないと自身に言い聞かせる。

 それが希望的観測だと気付いていながらも……。

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