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一章 銀髪赤眼の少女 その4

 ビル街を抜けると景色が一変し、頭上一面に空が広がる。

 両肩に入っていた力もすっと抜け、重荷を下ろしたような気分になる。

 どうもビル街は苦手だ。人が多いし、空気も淀んでいるような気がするし、何より情報量が多すぎて目も耳も疲れる。それに四階より高い建築物を建てるのはやめてほしい。せっかくの茜空と夕日が台無しじゃないか。と、歩きながらゲームをやっているヤツが言っても説得力はないか。


 そんな自己中心的なことを思案している時だった。

 突如とつじょ、耳をつんざくようなやかましい音が間近から響いた。

 なんだろうと顔を挙げた瞬間、思考が止まった。

 迫りくる大型トラック。運転手は青ざめた顔でハンドルを必死に回している。だがすでに時遅く、車は曲がらず止まらない。

 ――あれ、これって異世界転生のフラグ?

 人間って死ぬ時、下らないことを考えるんだなと変に感心してしまう。いや、もしかしたらこれが通常運転かもしれない。とにかく、この時の俺は妙に冷静だった。


 体感時間がすさまじく遅くなっていた。引き延ばされた時間はいやに長く、けれども体だけは動かない。

 その無限の時間で、俺は自問自答した。

 今までの人生は一体何だったのだろうか? 何をやってきたのだろうか?


 真っ先に思い出すのは、悲しいことにソシャゲだった。

 こんな時に少年漫画の主人公みたく、明日は大事な大会があるのにとか悔めればカッコイイのだが。せいぜい思いつくのは次回のソシャゲのイベントぐらいだ。確か配布キャラが滅茶苦茶可愛かったな、とか。愛用していたキャラもあと少しでカンストだったのにとか。あの世で続きはできるのだろうか?

 そして次に頭をよぎったのは神楽耶姉の顔だった。毎日、朝夕と飯を作ってくれた彼女には頭が上がらない。ただ、今日みたいなことはもう少し控えてくれてもよかったのではないだろうか?

 これが俺の人生の全てだった。

 いや、十六年間も生きてきたんだから、もう少し何かあるだろう? なあ、俺。

 でもいくら捻っても、何も出てこない。歯磨き粉のチューブだってもう少し何か出してくれるだろうに。

 ――家族。最強の家族。この世界が俺達のマイホームなんだよ。

 謎の言葉を最後に、頭の中が真っ白になる。思考回路がぶつりと切れて、意識が現実を受け入れ始める。


 動き出す眼前の光景。

 トラックが轟音を立てて迫る。

「――危ない!」

 声が聞こえた。

 どこかで聞いたような、懐かしい声だ。

 たった一言が、止まった思考回路を再び動かす。

 回路を辿る光が目指す先は、ずっとずっと昔。幼少期の頃。

 浮かんでくる映像は最初はセピア色だったが、徐々に色彩を取り戻していく。


『暁也さん、またお会いできますよね? だってこの世界は私達の……』


 消え入る様な、けれど耳に残るきれいな声で彼女は言った。

 背丈や顔立ちから推測するに、小学生だろう。低学年と高学年のちょうど中間ぐらいだ。

 落ち着いた話し方や所作からは、どこか大人びた雰囲気を感じる。けれど少女の泣きはらした顔だけは、特にその瞳は年相応に感情を発露していた。どうにもならない状況に理不尽さを感じた時の、胸が張り裂けそうな哀しみ。

 俺は震える声で彼女の言葉を継いだ。

『もちろんだ。この世界は俺達のマイホームで、望愛は俺の家族なんだからな』

 の、あ。望愛――

 そう、彼女の名前は望愛だ。神代望愛。俺の幼馴染で、唯一の親友。


 どうして忘れていたんだろう、そう思ったと同時に視界が急変した。

 まるでジェットコースターに乗っている時のように、横にぶれる。自分の意思とは関係無く景色が動く。

 そのまま体が地面に叩きつけられた。

 痛みとかは全然感じない。まだ自分という感覚が現実に帰ってきていないのだ。


 空が見えた。赤と青のグラデーション。とてもきれいだ。

 心地よい香りがした。甘く爽やかなラベンダーの匂い。

 そして頬にさらさらと流れる髪と、柔らかく温かな感触。

 体にかかる重みが、徐々に現実感と生きているという実感を取り戻させてくれる。全身の緊張が解けていく。


 深く息を吸い込んで吐くと、ちゃんと胸板が上下した。

 生きている、心臓が動いている。

 安堵感に胸が熱くなり、じわっと視界が滲んだ。


 そこまで確認作業を終え、ようやく頭が今までの情報を整理し始めた。

 俺はトラックにかれそうになったのだ。それをこの人が、助けてくれた。

「ご、ご無事ですか……」

 俺に覆いかぶさるようにして倒れていた女性が、体を起こした。

 彼女の顔を一目見て、デジャヴを覚えた。

 そしてすぐにさっき思い出した記憶と直結する。


 顔立ちが若干大人びていたが、面影はある。鼻筋が先まですっと通っており、目つきが垂れている様が記憶の中の少女とそっくりだ。そして左目の下にあるほくろも一致する。

 相手も俺の顔を見て、驚いたようだ。目を見開いて口元に手を当てている。

「まさか……、暁也さん?」

 聞き覚えのある、風が草原を撫でた時のような声。

 俺も思い出の中の少女の名を呼んだ。

「望愛、だよな?」

 少女は目を潤ませ、俺の頬に手をやった。そして白く細い指先で質感を確かめるように何度も撫でた。少しくすぐったかったが不快感は無く、むしろ指先が滑る度に心がぽかぽかとしてくる。


「やっぱり、暁也さんなんですね」

 どきりと心臓が跳ねる。望愛の笑みは反則的なほど美しく、そして彼女の紅潮した頬が涙に濡れる様を見ていると、胸の奥が急激に熱くなった。

 吐息が鼻にかかる。果物のような甘酸っぱい香りがした。ふと目に入った唇が、なぜか酷く懐かしかった。

「えっとさ、そろそろどいてくれないか?」

「……あ、申し訳ありません」

 彼女は名残惜しそうに手を引っ込め、スカートを叩いて立ち上がった。


 俺も服に付着した埃を叩いた。心なしか、体全体がほんのりと熱を持っていた。

「そういえば、トラックはどこに行ったんだ?」

 俺を轢きかけたトラックはいつの間にか消えていた。

「あら……、いませんね」

「……ばつが悪くなって逃げたのかもな。下手したら俺、轢き逃げされてたのか」

 ぞっとしない話だが、現状から察するとあながち笑い飛ばせるものではない。

 しかし望愛はたしなめるように俺の鼻を指先で叩いた。

「いけませんよ、蔭口は」

「だけどこういう時は説教するなり、謝罪するなりのアクションを取るべきだろう。逃げるっていうのは、よっぽど臆病で責任感の無い人間だ」

「暁也さんだって、歩きながら携帯電話を操作していたじゃないですか。お互い様ですよ」

 釈然としなかったが、望愛が話を打ち切る様に手を叩いたので俺も言葉を飲み込んだ。


「ところで、望愛はいつ帰ってきたんだ? 確か、イギリスに越していたはずだろ」

「ついこの前ですよ」

「そっか。久しぶりの愛古島はどうだった?」

 しばらく望愛は俺の顔を見つめて、何も話さなかった。

 どうしたのかと声を掛けようと思った時、ふいに彼女の頬を一筋の涙が流れた。

「お、おい、どうしたんだよ? やっぱり轢かれそうになったのが怖かったのか?」

「いえ、その違くて……」

 顔を覆い、しゃがみこんでしまう望愛。

 俺はどうしていいかわからず、ただ彼女の背中を撫でてやることぐらいしかできなかった。

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