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一章 銀髪赤眼の少女 その2

「……むにゃむにゃ、だから……それは恥ずかしいって言ってるだろ……」

「えーっと……、暁也君?」

「ぐぅ……」

「お、起きてくれませんか、暁也君。今、授業中ですよ?」


 ゆさゆさ、体が揺れている感覚。

 朝……? 姉ちゃんが起こしに来たのだろうか。

 なら、目覚ましを止めておかないとな……。まだ鳴ってないけど、アラームは設定してるはずだし。


 目覚まし時計を手探りで探す。確かこっちの方向にいつも置いているはずだが……。

 ふにっ。

 ふいに指先が柔らかなものにふれた。クッションとは違い、弾力がある。

 ビーズクッションは持ってなかったはずだが……。


 ざわっと周囲がにわかにどよめき立つのが聞こえた。

 ざわつく……? ああ、そういえばここは学校だったっけ……。

 じゃあ、この柔らかいものは一体……?


 好奇心に駆られて、俺は頭を持ち上げてゆっくり目を開いていった。

 ……白い。あとなんか、右側にポケットがついている。それと、すごい膨らみ。

 ふにふに、つつくと沈み込むような感覚。

「はっ、はわわ、はわわわわわっ……!」

 声がした。膨らみの上の方から。

 首を動かし、視線を上げていく。


 真っ赤になった女性の顔がそこにあった。

 ……あれ。じゃあ、俺が触ってたものって……。

「あっ、あっ、暁也君……」

「お、おう……」


 イヤな予感。さっと顔の血の気が引いて、背筋が冷たくなっていく……。

「あっ、後で、後でっ……」

 彼女はくるっと背を向ける、なびいた茶色の髪に視界が占められる。

「放課後、居残りですからねぇえええええッッッ!!」

 魂からの叫びを残して、女性は駆け去っていった。

 胸を触られたことより、教師としての職務を優先するか。

 俺は感心しながら、周囲から向けられた冷たい視線から現実逃避していた。


   ○


 放課後、俺と女性――天生目千利なばためせんりは授業中の先刻通り、二人きりで教室内に残っていた。

 校庭からは運動部の連中の掛け声が聞こえてくる。夏は終わったばかりだが、まだまだ残暑がきつい。なのによくやるもんだ。

 向かい合わせにくっつけられた机の、対面に座る千利はほんのり赤面している。

 おずおずと彼女は口を開いて言った。

「……ええと、その。面談を始めますね」


「おっぱい触ったことは謝る。あれは不可抗力だったんだ」

「そっ、それはそのっ、……いえっ、面談は別の内容ですからッ!!」

「おっぱいより大事なことだと?」

「え、まあ、そうなりますけど……」


 俺は思わずまじまじと千利……のおっぱいを注視してしまった。

「そっ、そんなまじまじ見ないでくださいッ!」

「あ、ああ、すまん。で、なんなんだ、おっぱいより大事なことって?」


「もちろん、暁也君の将来についてですよ」

「俺の将来……?」

「はい。確認のために訊きますけど、何か考えてますか?」

「そうだなあ。一生おっぱいを揉んでいられたら最高だろうな」

 たちまち千利の顔が火であぶったように真っ赤に染まっていく。


「あ、あの……暁也君。もうちょっと、危機感を持ってくれませんでしょうか……?」

「ふぁああ……」

「あのー……。聞いてますか、暁也君?」

「おう。夏季休暇の課題を全教科免除してくれるって話だったよな」

「違います……。というか、他の教科の課題もやっていなかったんですかぁ……」

 彼女の目はしぼみ、顔は悲しみの色に染まっていく。自分よりずっと小柄――そのくせ胸は、なぜかメロンみたいに大きい――なせいだろう、相手が年上であるにもかかわらず庇護欲と加虐かぎゃく心を掻き立てられる。


 ただまあ、泣かれても目覚めが悪い。仕方ない、少しは真面目に付き合ってやることにするか。

「えっと、危機感がどうした?」

「そうです、危機感ですよ危機感。もう少し、将来のことを真剣に考えてくださいって言いたかったんです」


 千利は机上にある小冊子――俺の成績簿を開いた。

「確かに昨今は専門学校を始め、様々な進路があります。でもそれにしたって、この成績は見過ごせないというか、酷すぎるというか……」

 俺の通う私立愛古学園は一から五までのオーソドックスな五段階評価で生徒に成績を付ける。そして目の前の成績簿は二と三で埋まっている。四は千利の担当する現代国語だけだ。五の評価が付いている教科は一つも無い。

「おまけに、これは何ですか?」

 差し出してきた進路希望調査票は俺が提出したものだ。ほぼ空白で、名前と第一希望の欄に未定とだけ書かれている。


「今は自分探しの最中なんだ」

 答えるなり、目に見えたら縁日の綿あめサイズになりそうな大きな溜息を吐かれた。

「期日までもう一度きちんと考えてください。あと、勉強はできた方が色々な場面で有利ですからもう少し……」

「なあ、千利」

「せっ、千利じゃなくて、ちゃんと先生って呼んでくださいっ。それと、できれば敬語で話してくれると嬉しいんですけど……」


 涙目に免じて、半分だけお願いを聞いてやることにする。

「千利先生、人の価値は勉強なんかで決まらない。そうは思わないか?」

「た、確かにそうですけど……」

「日本は敗戦して以来、その汚名を注ぐために努力してきた。その甲斐もあって、今では先進国に仲間入りすることができたんだ」


 千利は何か言いたそうな顔をしているが、口を挟まずに聞いてくれている。彼女は他の教師と違って頭ごなしに生徒を否定しないし、きちんと話に耳を傾けてくれる。頼りないのは玉に瑕だが、基本的にいい先生だ。

「だが当然、現在の経済社会の前線に立つのは至難の業だ。特に、この国は現在進行形で様々な問題をかかえている。おまけに国民は例外なく、八百万程度の借金を抱えている。国として成り立っているのが不思議なぐらいだ」

「正確には国民が借りているというのは誤りで、政府が国民から借りているという図式ですけどね……」

「……そうとも言う」


 面と向かって指摘してくれればこちらも格好のつけようもあるのだが、彼女は俺を傷つけまいとやんわりした調子で訂正してくる。そんな態度に強気になれるほど俺も傍若無人ではない。彼女の腰の低さに影響され、こちらの気勢もやや下がる。

「そんな日本がこれからも世界と渡り合っていくには、相応の武器が必要になってくる」

「武器、ですか?」


 俺は大仰にうなずいて身を乗り出し、やや声量を上げて先を続けた。

「日本は国別の学力ランキングで常に上位に入っている。つまり勉強のできる人間がそれなりに揃っているってことだ。国が豊かな証拠でもある。しかしそれでは解決できない問題がある」

「さっき言ったようなことですね。でもそれは、時間をかければいつか……」

「いや、そんな悠長なことは言ってられない。現状を見るに、俺達に残された時間は一般的に言われてるよりも短いと考えた方が賢明だ」

 困惑した顔で千利は首を傾げる。こちらの狙い通り、彼女の目はもう成績簿の方を見ていない。後は上手く話を着地させるだけだ。

 ただ、なぜか千利の目が俺を見ていないような気がするのがひっかかるが……。


「で、ではどうすればいいのでしょうか?」

「学力に頼らない人材育成。教育改革を起こす必要がある。ところでこの国は長い期間、閉じられた島国だった」

「……えっと、そうですね」

 ようやく俺は、彼女が俺の背後の何かを見ていることに気付いた。

「どうしたんだ、千利せん、せ……」


 振り返って、最初に目にしたのは。

「……っ!?」

「暁也、来ちゃった☆」

 間近にある、女子の顔。

「わわわっ!」

 虚を突かれて驚き、尻もちをついた。その際に机の角に強かに後頭部を打ち付け、目の中から真っ白な星が飛んだ。

「あ、暁也君!?」

「だっ、大丈夫!?」

「へ、平気だ……」

 痛みは激しいが、意識はちゃんとしている。ゆっくりと立ち上がったが、平衡感覚にも異常は無かった。


 この長身で無駄に胸のデカい女は月影神楽耶、俺の姉だ。

 神楽耶姉は高校をとうに卒業しており、今は私立の大学生に通っている。

 ここは彼女の母校だし、来ていること自体は不思議ではない。


「お待ちしておりました、神楽耶さん」

 千利は折り目正しく神楽耶姉に頭を下げた。

「初めまして、天生目先生。暁也から聞いていた通り、とても可愛いですね」

 途端に千利は紅潮してテンパりだす。

「か、可愛いって……ちょっ、あ、暁也君!?」

「お、おいっ、俺はそんなこと言ってねーぞ!」

「あはは、そーだったっけ?」


 ひとしきり笑った後、彼女は手近な椅子を俺の横に移動させた。

「じゃあ、始めよっか」

「は、始めるって何をだよ!」

「あれ、お姉さんから聞いてないんですか?」

 きょとんとした顔で不思議そうに訊いてくる千利。神楽耶姉は椅子に腰かけて、すでに我が家にいるかのようにのんびりとくつろいでいる。


「俺は千利先生に残ってくれって言われたから、説教か何かとばかり……」

「あー、うんうん。間違いじゃないよ。ただ説教する側の人間が一人から二人に増えるってだけでさ」

「はっ、はぁ……!?」

「ち、違いますよぅ! ただ三者面談をするだけです!!」

「……この学校、いつもは二者面談だよな?」

「あのさあ、暁也。今の自分の成績を見て、何も思わないの?」

 神楽耶姉は件の成績簿を団扇代わりにして溜息を吐いた。

「あ、あのぉ。それは暁也君の大切な成績簿ですので、丁重ていちょうに扱っていただけないでしょうか……」

「あ、これはすみません」

 机に放るその所作からは反省の様子はまるで感じられない。


「さあ、暁也。座りなよ、楽しい楽しい面談の時間だよ」

 胃の底に重たいものを感じる。こうなったら神楽耶姉はしつこい。逃げようとしても、無駄だろう。

「なあ、千利先生。神楽耶姉は保護者じゃないんだが……」

「でも、親御さんからは神楽耶さんに代理を任せるとおっしゃっていたので……」

 激しい頭痛を感じた。確かにあの適当な両親なら言いそうなことだ。

 もはや今の俺は袋小路に追いつめられた鼠同然だ。抵抗したところで時間の無駄にしかならないだろう。

「はあ……、わかったよ」

 観念して俺は座り心地の悪い椅子に腰かけた。

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