三章 虚ろなる神と少女の半生 その3
「新世界の主たる空神よ、ここに滅せよ」
願いの世界と現実の声が重なる。
頭の中を埋め尽くしていた数多の願望が剥がれ落ちていき、現実の景色が戻ってくる。
柄を握る俺の手を誰かの手が包んでいた。
腕を目で辿っていくと、最後の願いの少女の顔があった。
「望愛!? お前、どうしてここに?」
「いいから、集中してください! そうでないとまた、空神に精神を飲み込まれてしまいますよ!」
叱咤され、俺は慌てて柄を握る手に力と意思を込めた。
「いきますよ、暁也さん。息を合わせてください」
俺はうなずいて空神の心臓を睨んだ。
潮風が吹いた。優しくて温かい海の香り。小波の音が強張った心を解きほぐしてくれる。
意識が拡張していくような感覚。全てを心の内に取り込んで、まるで自分が大きくなっていくようだ。やがてそれは望愛に向けられる。彼女の息遣いから心拍、意識まで全てが結び付いていく。
「せーのッッッ!」
唐突な合図も予感通りだった。動き出すタイミングも力の入れ具合も、どこまでもシンクロしている。
二人の神力が絡み合い、閃光の剣に注がれていく。火傷しそうなほど熱いエネルギーが体の奥から絞り出される。頭の中が電灯をつけたり消したりしているように点滅している。
閃光の剣は俺達の全力を受けて、地上の全てを照らすように目映く輝く。そして閃光の剣身へと代わって空神の内部を貫いていく。さっきまでとは打って変わった勢いで数多の不幸な願いを切り裂いていく。
だがその分、消耗も激しい。心臓に達するまで、体力が持つかどうか……。
「大丈夫ですよ」
俺の心中を察したように、望愛は優しく微笑んだ。
「心配せずとも、この一撃は必ずや空神を滅します」
「随分な自信だな」
望愛の手から赤い水滴が垂れる。俺の皮膚を彼女の爪が切ったのだ。
「だって私は死神の花嫁ですから」
白光に隣接して、暗黒が生じる。二つは交じり合い、螺旋となって空神の内部をねじり斬っていく。
しかしコアの間近まで迫った時、今までにない硬い手ごたえを感じた。
かつてない強い意思、これはおそらく願いじゃない。刹那の瞬間に見えたビジョンから察するに、心奥で燃え上がる野望だ。
願うだけに留まらず他者をも巻き込んで自分の理想の世界を創造しようとする、神の域に臨む望み。それを抱いた者は多くの部下を従え、戦闘機や兵器で人々を殺戮して願望を達成しようとする醜き行いに走る。
ゆえにその者の心の内では、覚悟と悔恨が深淵にある闇の中で複雑に入り組んでおり、外部からの接触を阻もうと頑強な防壁を作り出す。
「そんな、あと少しなのに……」
望愛の顔に焦りが見え始める。ここまで彼女の精一杯を出し切って突き進んできたのだ、当然だろう。
だからこそ、その頑張りに俺が応えてやらなきゃならない。
「望愛、力を借りるぜ」
「……え?」
俺は望愛の手を払い、右手を柄から放す。一瞬、閃光の剣の力が弱まる。
空神が剣身を折る前に、再度望愛の手を包み込むように右手で柄をつかむ。
そして最後の力を振り絞り、望愛の手を伝うように閃光の剣に神力を流し込む。
「あ、暁也さん!?」
体の内に、望愛の黒い瘴気が流れ込んでる。まるで心臓を蝕まれるように体力が削られていく。
「これが望愛の背負ってきた痛みか。なかなかキツイな」
「手を放してください! そんなことをしたらあなたの寿命まで……」
「知ったことかよ」
構わず瘴気を受け入れて、融合した神の力を剣先に送る。閃光の剣は勢いを取り戻して野望に突き刺さる。
「詳しいことは知らない。だけどお前がずっと苦しんでいたことは分かってる。俺にも半分ぐらい、背負わせてくれよ」
「ど、どうして……?」
命の恩人だからという言葉をぐっと飲み込む。そんな他人行儀な言葉は、彼女の望むものではない。
彼女の揺れる瞳と視線が合った時、伝えるべき言葉が見つかった。
「だって、お前は俺の家族だろ」
「かぞ、く……」
どくんと心臓の脈動が伝わってきた。
「生まれてから十年間、ずっと一緒に笑って、泣いて、遊んだ。一緒にいるだけですごい楽しかった。誰にも言えない自分の素直な想いを互いに打ち明けてきた。それは俺達は世界中のどこにいても心が繋がっている、最強の家族だからだ」
望愛は頬に一筋の涙を流した。
「……私はもう天涯孤独の身で、たくさんの罪を背負っています。多くの人の恨みを買っていますし、空神を殺したら教団にも命を狙われるでしょう」
「そんなことで俺達の絆は壊れない」
望愛は大きく首を横に振って叫んだ。
「たくさんの人を殺してしまいました! 両親を殺されて、身寄りもなくなった、そんな時に手を差し伸べてきた悪魔に命を売ったんです! そして私は死神となって、数えきれないぐらいの命をこの手で奪ってしまった……。こんな私でも、暁也さんは家族だって言えますか!?」
「当たり前だろ!!」
空神の体にヒビが入る。
「俺は望愛がどんな罪を背負っても、逃げたりしない! 地獄の果てまでだって付き合ってやるぜ!!」
瞳を丸くした望愛が、震える唇で呟くように言う。
「本、当……ですか?」
俺は大きくうなずいた。
「ああ、俺を信じろ」
「……嬉しい、です」
ぴしっと小気味いい音が響いた。
足元を見ると切っ先がコアに達し、そこから蜘蛛の巣状にヒビが入り始めていた。
割れ目は加速的に空神の体中に広がっていく。
「……やった、やったぞ! 空神を倒したんだ!」
望愛の顔を見ると、彼女の瞼が眠りに落ちるように閉じられた。体がベッドに倒れ込む時のように傾いていく。
「かっ、望愛!?」
包み込んでいた望愛の手から、力が抜けていく。改めて握りなおそうとするが思っていた以上に彼女が倒れるのは早かった。
急に空神の体が揺れる。裂け目が別たれ、ついに崩落しだしたのだ。
それに望愛の体が飲み込まれる。
伸ばした手は届かず、彼女は裂けた空神の中に消えた。