二章 新米教師の暗躍 その17
「千利、空神に関してまだ知ってることがあれば教えてくれないか?」
「ええと。さっき説明したように、人々の願望を無作為に合体させた存在です。そのため特化したものがなく、神の中でも比較的貧弱な部類になります」
「貧弱、ね……」
実物を目の当たりにした俺には、どうも素直に飲み込めないデータだ。
「しかし裏を返せば、それは特徴が無い。弱点となるものを持たないということです」
「普通の神様なら弱点はあるのか?」
「はい。神話を紐解けば明らかです。暁也君もメドゥーサやアキレウスぐらいは知っていますよね?」
なんとなくわかったので、うなずいて先を促す。
「ところが空神は、神の成りそこないです。まだ生まれてもいない赤ん坊に個性となるものはほとんどないですよね」
「あんな巨大な赤ん坊がいてたまるか……」
「暁也君の言う通り、あれは規格外のサイズです。多く観測される空神は人間と同サイズのものがほとんどです。神楽耶さんが誘拐されたことといい、今回の件にはどこか人為的なものを感じます」
頭の中で情報をまとめる。それは至極簡単なことだった。
「弱点がなくてデカイ、そして危険。以上がお前の話から分かったことだ」
おまけに後者二つに関しては実物を見れば一目瞭然である。
「うう、お役に立てなくて申し訳ありません」
「いやまあ、なんかそんな予感はしてたし別にいいや」
「地味にひどいです!?」
ショックを受けている千利に続けて訊ねる。
「ちなみにあいつに核ミサイルを撃ったらどうなる?」
「き、きっと無傷だと思います。神には神力の宿った攻撃しか通用しないので」
「公的機関の援助は期待できないか……」
さっきから軍事用のジェット機が空を飛び交っているが、税金の無駄遣いで終わってしまうらしい。
「水晶が属してるとかいう組織はどうだ?」
「さっきの彼女の様子から察するに応援は期待できそうにありません」
さすがに今度ばかりは聞き捨てならなかった。
「この事態より優先することって何だよ?」
「……自分の所属していた組織ではあるのですが、あそこの上層部が何を考えているのかわかりません」
「チクショウ、頼れるのはお前だけってことか」
「あ、一応私は頼りにされているんですね」
「さっきはバカにしたが、ぶっちゃけお前は俺よりああいうのに精通している。全人類の存亡がその双肩にかかっているといっても過言じゃない」
「それは絶対に言いすぎです!?」
改めて空神の挙動や外見を観察する。
「空神に物理法則は通用するのか?」
「さっきも言ったように、いかなる物理攻撃も通用しません。しかし現在の状態では一応重力によって行動が制限されているようですね」
「なるほど。じゃあもう一つ、俺の攻撃はあいつに通用するのか?」
千利は考え込むように口元に手を当てて黙り込んでしまう。
「……おいおい、そこで返答に詰まるなよ。倒せない相手となんか戦いたくねーぞ」
「す、すみません。でもあそこまでケタ外れな相手は初めてなので、見当がつかないんですよ。理屈上では、神に幻想解放は通用はするのですが……」
「つまり未知数ってことか。ははっ、まさにギャンブルだな。当たるも八卦、当たらぬも八卦ってか」
「それは占いですけどね……」
千利のツッコミを聞き流して、思考を巡らせる。
「とにかくこれで方針は決まった」
「え、もうですか?」
「慌てるな、まだ具体的な作戦は決まっていない」
やにわに今までとは質の違う爆音が聞こえた。
戦闘機が斉射を始めていたようだ。しかし千利が言っていたように、空神は傷一つ負っていない。
ヤツは手に赤く輝く光玉を生み出し、それで戦闘機を迎撃する。
幸いパイロットは直前に機内から脱出し、パラシュートで下降していた。
「感情なんてなさそうに見えたんだが、接近する敵を攻撃する程度の意思はあるんだな」
「そうですね。知性というには少しおぼつかない気もしますが、生存欲求ぐらいはあるように思います」
「ふむ……、これで最低限の敵の情報は集まったか」
こちらが言葉を交わしている内に、戦闘機は全滅していた。だが足止め程度にはなっていたのだろう、空神はビル街から移動していなかった。
「なあ、スレイプニルとツォンクル以外に何か戦いに使えそうなものを持ってたり飼ってたりしないか?」
「ええっと、そうですね。あるにはあったんですが……」
言いにくそうに目を逸らす千利。
「どうした、はっきり言えよ」
しばらく躊躇していたが、じっと見つめていると仕方なさそうに白状した。
「水晶さんにラボに踏み込まれた時に、色々と押収されてしまったんです」
「押収って、お前逮捕でもされたのか?」
「まあ、おおむねそんな感じです。ここには水晶さんが同伴という条件で、仮釈放されたのですが……」
しかし水晶は一人で勝手にどこかに行ってしまった。
「適当にもほどがあるだろ……、あのバカ」
「あはは、きっと色々と忙しいんじゃないでしょうか」
世界を守る組織がそんなアバウトで本当にいいのだろうかと、心配になった。
「とにかく、お前の持っていたものはもう使えないってことだな?」
「えっとですね、ちょっと待ってください」
千利はライホを取り出してどこかに電話する。というか通信機器の類は逮捕時に真っ先に没収するものじゃないだろうか?
そんな俺の疑問を余所に彼女は電話先の相手と何か話し始める。時折通話先に見えないのにぺこぺこと頭を下げるのが面白い。
「あ、はい。お願いします。では失礼します」
ふうと小さく溜息を吐いて電話を切った。
「大丈夫だそうです」
「大丈夫って何がだ?」
「使ってもいいそうですよ、押収されたもの」
満面の笑顔で言う千利。だがこちらの頭は全く事態に付いていけていない。
「色々聞きたいことはあるんだが……。電話一本でどうにかなることなのか」
「はい、水晶さんはいいですよって言ってました」
「……ああ、そうかい」
まったくもって納得できないのだが、時間が惜しいのでもう訊かないことにした。
「それで、何が使えるようになったんだ?」
「二種類ほど活用できるものが増えました。一つはヨルムガンドのコピーです」
「コピー? 今回の事件で暴れ回っていた蛇とは違うのか」
千利は首を横に振って、こちらにPCの画面を向けてきた。そこには二種類の蛇の解剖図が載っていたが、詳細は全くわからない。
「今回の件で暗躍していたヨルムガンドがコピーなんです。オリジナルとは違って賢く、毒も致死性のあるものから麻酔に変えてあります」
「お前の手が加わってるってことか。その麻酔は空神には効くのか?」
「はい。麻痺効果を持つ神力を混合させてあるので、神に対しても有効です。これがその配合レシピです」
そう言いつつ配合レシピとやらを見せてくるが、もちろんそこに書いてあることは理解できない。
「二種類って言ってたよな。もう一種類の方はどうなんだ?」
「もう一種類は空中浮遊型のロボット、ドヴェルグです」
ロボットという単語を聞き、俺はタヌキだったりヒーローが乗るものを思い浮かべた。
「秘密道具が出せたり、合体できたりするのか?」
「いえいえ、そんなハイスペックなことは無理ですよ。せいぜい飛べたり、動物のお世話ができるレベルです」
「それでも十分、すごいと思うけどな。ところでその二種類はどのぐらいの数そろえられるんだ?」
何回かに分けてタイピングを繰り返し、彼女はその数字を告げた。
「ヨルムガンドは千匹ほど。ドヴェルグは半分ほどで五百体です」
今更数程度では驚かない。千利が口にしたデータを作戦にどう利用すべきか、脳内でシミュレーションを繰り返し思案する。
「……これならイケるか?」
「えっ、本当ですか?」
飛び上がりかけた千利は落としかけたPCを慌てて支える。
「まあな。ただ、成功するかどうかは分からないぞ」
「……大丈夫だと思いますよ」
なぜか不思議なほど確信に満ちた顔で彼女は言う。
「おいおい、概要も説明してないのに太鼓判を押していいのか?」
「はい」
そっと頬を包まれる。
「半年間、毎日教室で顔を合わせてきましたが、こんなに自信満々な表情を見せてくれたことなんてありませんでしたよ」
その面持ちはとても頼りがいのある大人のものだった。
「……今のお前、先生みたいだな」
ぷうっと頬を膨らませて、一瞬で全てを台無しにしてしまう千利先生。
「私はずっとあなたの先生でしたよ」