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二章 新米教師の暗躍 その8

 心に虚無感を抱えたまま授業を受けていたせいか、気が付いたら放課後になっていた。

 望愛は具合が悪くなったと言って早退したそうだ。もちろん嘘だろう。

 自分が惨めで情けなくて、泣きたくなってくる。

 今日はとっとと帰ってしまおうと席を立つと、委員長が俺の名前を呼んだ。

「あなたにお客さんよ」

 指し示すドアの外を見ると水晶がいた。どうやらこっそり尾行するのはやめてくれたらしい。正直あれは精神的に辛かったので助かる。それに彼女はこちらがどんな状態でもいつも通りの淡泊な感じでいてくれるだろう。一緒にいても気を遣わなくていい相手は、今はとてもありがたい。


 俺は鞄を肩にかけて彼女の元に向かう。

「待ちなさい」

 だが数歩進んだ所で委員長に肩をつかまれる。

「教科書はちゃんと持って帰りなさい」

 ……こういういつも口うるさいヤツは、有難迷惑だ。




 外に出ると俺の心情などお構いなしに空は晴れ渡っていた。

「台風でも来ないかな」

「天気は心のごとく移ろい変わりやすいし、そういうこともあるかも」

「だといいんだが」


 歩き出そうとすると、水晶に服の裾をつかまれた。

「なんだよ」

 彼女はポケットから紙切れを取り出して俺に見せてきた。好意的に言えばシンプルな、悪く言えば洒落っ気のない文字だけの紙だ。

「カフェ・アルフヘイムの割引券。期限は今日まで」

 ゴシック体の文字を追っていくと、三十パーセント引きと書かれていた。


「意外だな、お前がこんなものを持ち歩くなんて」

「そう?」

 不思議そうに首を傾げる水晶。割引券は俺に突き付けたままだ。

「にしてもアルフヘイムねえ。カフェにはよく神楽耶姉に引っ張られていったが、こんな店名は見たことないな」

「隠れ家的な名店」

 胸を張るでも無く、淡々と言う。説得力はまるで感じられない。


「ふーん。それで?」

「一緒に行きたい」

「デートか?」

 茶化して言ったのだが、水晶は無表情でうなずいた。

「でも割引券は一枚しか無いぞ」

「大丈夫、二名様まで割引対象」

「ああ、そういうのってたまにあるよな」

 だが二名というのは、団体目当ての客寄せにしては妙に少ない。失礼だが、店主はものすごい商売下手なのかもしれない。


「行ってもいいが、どうして俺なんだ? 別に一人で行ってもいいだろう」

「暁也を護衛しなきゃいけない。それともまたヨルムガンドに襲われたい?」

「ほとんど脅しじゃねーか……」

 だが別に帰っても特にすることは無い。ライホを直さなければならないが、別に急ぐほどのことではないだろう。

 まあ、ソシャゲのデイリーミッションやイベント、期間限定無料ガチャが多少惜しくはあるが、我慢できないほどではない。

「わかったよ。気晴らしに付き合ってやる」

「ありがとう、感謝」

 そしてさっさかと水晶は歩き始めた。俺は頭を掻いて、後に続いた。


   ○


「ここ」

 カフェ・アルフヘイムは学校の裏側にあった。

 五階建てのそこそこ大きい建物。

 外壁は黄色いレンガを積んで造られている。窓は大きく細い木枠が升目を作っている、西洋風のもの。

 まるで時代に取り残されたような佇まい。クラシカルでチャーミングだ。建物の前に鹿撃ち帽とインパネスコートを見に付けた探偵がいても違和感なくマッチするだろう。

 惜しむらくは、周囲に建っているのが寂れた二階建ての木造アパートであるということだろうか。そのせいでせっかくの趣のある建物が焼き魚の上のチョコレートのように浮いている。もったいない。

 きっとこの建物を構えた人は、建築物をデザインする技術はあっても絵画的なセンスが最悪だったのだろう。

 あるいは意地悪な業者が景観を悪くするために、わざとこの周辺のアパートを建てたのかもしれない。まあ、さすがにそれは考えすぎか。


「入って」

「あ、ああ」

 俺は水晶に連れられて入店した。


 店内は薄暗く、しかし決して不気味では無かった。どちらかといえば落ち着く、といった感じだ。窓から仄かに入ってくる陽光が視覚的にも温かい。

 調度品もどれも使い込まれており、馴染みやすさというか親しみ深い雰囲気がある。

 テーブルの上に置かれた花瓶には、それぞれ色が異なるきれいな花が生けられていた。どこに座るか悩んでしまう。

 水晶は勝手知ったるように店の奥に歩いて行く。

 彼女が選んだ席は店の一番奥、敷居で周囲から死角になっている場所だった。窓も近くには無く、カウンターからでさえここの様子は分からないだろう。銀行の口座を作る時に通された簡易式の個室をふと思い出した。

 机上には白く可愛らしい花が生けられている。真ん中からは赤いものがぽつぽつと出てきている。雄蕊なのか雌蕊なのかそれとも別のものなのか、文系の俺に分からない。単に教養がないだけかもしれないが。


「花、好きなの?」

 気が付いたら、じっと花を見てしまっていたようだ。

「花を見るのは好きだが、名前は全く分からない」

「ゼラニウムよ~。花言葉は〝私はあなたの愛を信じない〟っていうの」

 ふいに耳元で艶のある声がして、ビックリしてしまった。


 すぐ傍で店員が悪戯っぽく笑っていた。

 きれいな人だった。大人っぽい色気があり、西洋絵画のモデルになりそうな人だ。

 年齢は三十ぐらいだろうか。まだ若々しく、肌に艶がある。

 茶色がかった黒色のショートボブは雰囲気とズレている気がしたが、柔らかな印象があるのはそのためかもしれない。

 背は高く、手足も長くプロポーションが取れている。


 唐突に腕が沈み込んでしまうような凄まじい弾力を感じた、……って。

「あの、ちょっと、近いですって」

「んー? ごめんね、ちょっと聞こえなかったわ~」

 背中に手が回され、口が耳元に近付いてくる。かかる吐息がこそばゆい。

「……ふみ、やりすぎ」

 理性のリミッターが外れる直前で水晶が待ったをかけてくれた。

「んもぅ、これからが面白いのに」

「シャラップ」

 史さんというらしい店員は名残惜しそうに柔らかな胸を離した。


「水晶ちゃん、お久しぶりねえ」

「……ご無沙汰」

 一応挨拶は返したが、心なしか水晶はいつも以上の仏頂面だ。

「ボーイフレンドを連れてくるなんて、大人になっちゃって。お姉さん、嬉しいのと寂しいのでどう反応すればいいのか分かんないわぁ」

「暁也はボーイフレンドじゃない」

 事実だが、ちょっとだけ心が傷付いた。


「釣れないわねえ。暁也ちゃんが可愛そうじゃな~い」

 ちゃん呼びはやめてくださいと口に出して言いたかったが、こっちにまで飛び火してきそうなので何とか堪えた。

「知らない」

「はあ、本当に不愛想な子。それでえ、ご注文は?」

 やっと史さんは店員モードになってくれた。彼女のノリに合わせるのは精神的な負担が尋常じゃないので、正直ほっとした。

「オレンジジュース。暁也は?」

 俺はメニューから適当にドリンクを選んだ。

「えっと、じゃあコーヒー」

「オレンジジュースとコーヒーねえ。ちょっと待ってて」

 史さんは手元のメモ帳に注文の品を書き、一旦引き下がっていった。

 途端に場に静けさが訪れた。

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