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8.うさぎのしっぽ亭(1)

 カシム村で一番人気の料理店といえば、5年前とかわらず今でも『まんぷく亭』がナンバーワンだ。

 しかしシャルロッテは、メローズ夫妻に再会することを恐れて、あの一件以来一度も『まんぷく亭』に足を踏み入れていない。

 

 かわりに、路地裏の名店と言われている『うさぎのしっぽ亭』にカタリナを案内した。


 カタリナを村で一番人気の『まんぷく亭』に案内しようか…と少し迷ったことで、シャルロッテの脳裏にはあのときの記憶が否応なしに蘇ってくる。

 

 5年前、あの夫婦から逃げるきっかけとなった未来視の光景を、シャルロッテはすでにあまり鮮明には覚えていなかったが、メローズ夫婦がいつか騎士たちに捕まるのだということだけは覚えている。

 あの夫婦はすでに捕まったのだろうか、それともいまだに人さらいのようなことを続けているのだろうか。


 シャルロッテは何か引っかかるものを感じながらも、路地裏の『うさぎのしっぽ亭』の看板が見えると、それをすっかり忘れてカタリナを案内した。


「こんにちは」

 お店のドアを開けると、ドアベルがカランと鳴り「いらっしゃい」という声が響いた。

 夕飯にはまだ早い時間だったが、小ぢんまりとした狭い店内ではすでに2組の客が食事をしていて、カウンターの奥の厨房からはジュウジュウという肉を焼く音と美味しそうな香りが店いっぱいに漂っている。


 シャルロッテはいつもの通り一番奥のテーブル席についた。

「いらっしゃい、シャルロッテ。今日は珍しく連れがいるのね」

 カウンターから出てきたドリスがメニューを手渡してくれた。

「お友達になったばかりのカタリナさんです。この村でオススメの料理店を紹介してほしいと頼まれたのでここに来ました」


「まあシャルロッテ、何てうれしいことを言ってくれるのかしら。フレッドが聞いたら喜ぶわ。カタリナさん、ようこそ『うさぎのしっぽ亭』へ」

「こんにちは」


 料理人のフレッドと接客担当のドリスは夫婦ふたりでこの『うさぎのしっぽ亭』を切り盛りしている。

 鹿やイノシシ、うさぎ、山鳩などのジビエを美味しく食べられる路地裏の名店で、タージンは膠づくりの材料となる獣の皮を、この店に肉を下ろしている狩人から譲ってもらうためによくここへ足を運んでいた。

 シャルロッテも、雑貨づくりに欠かせない接着剤である膠を今ではひとりで作っているため、タージンと同じように獣の皮を譲ってもらっている。

 狩人には格安で獣の皮を譲ってもらい、仲介役のドリス夫婦への謝礼は、山で採れた山菜とキノコだ。

 

 しかし、その取引にかこつけて本当はここのジビエ料理が食べたいだけだろうという鋭い指摘をされたとしたら、否定はできないシャルロッテだった。

 

「メニューにはのってないけど、今日はホロホロ鳥が入って来てるわよ。どうする?」

 どうするも何も、もちろん頼むに決まってる!

「食べます。絶対食べます!…じゃあ、ホロホロ鳥のスープとうさぎのハーブグリルを二人前と、山鳩のサラダは1つをふたりで分けようかしら。あとパンは…カタリナは柔らかいパンと硬いパン、どちが好き?」


「どちらかといえば硬いパンかな」

「じゃあ、ガーリックトースト。それと…弱いアルコールなら大丈夫?」

「うん、今日は非番だから、ガーリックのニオイをプンプンさせようが酔っ払いになろうが問題ない」

「んふふ、じゃあ、アップルシードルもお願いします」


「はーい。フレッドに、いつも以上に美味しく作るように言うわね」

 ドリスがウインクをして厨房へと消えていく。

 

「非番ってことは、カタリナはお仕事でこの村へ?」

「うん、実はそうなんだ。白状してしまうけど、私は王国騎士団・第五騎士団に所属するカタリナ・ハービッツだ。職業柄まわりが男ばかりなものだから、私もついこんな口調になってしまって、おまけに大女でもあるし、男か女かわからないだろう?」


「えー!騎士様だったのね、わたしこんな砕けた口調で大丈夫かしら…」

「大丈夫だ、シャルロッテは私の友人だ。友人として砕けた態度で接することを私が許可する」

 カタリナの笑顔がまぶしい。


「男か女かわからないなんてこと、ないわ。リースを選んでいるときのカタリナの横顔、とってもかわいかったもの」

「かわいい!?…生まれて初めて言われたかもしれない。ところでリースのことなんだが、あれについているドングリから…その、白いイモムシは出てこないだろうか?」

 カタリナの表情は真剣そのものだ。

『リースについてもう少し話したい』と言っていたのは、ただの口実ではなく、このことを聞きたかったのだろう。

「もしかして、虫が苦手?」

 カタリナは大きくうなずいた。


「子供のころ、山遊びで拾ってきたドングリをガラス瓶の中に入れて飾っていたんだ。数日してその瓶の底にうごめいている白いイモムシを見つけてね…大きな叫び声をあげたよ。あれ以来、虫全般がダメなんだ」


 ほら、やっぱりあなたはかわいい女性だわ。

 シャルロッテはそう思いながら微笑んだ。

「わたしの作る雑貨の材料は山で採集した天然ものだから確かに拾ったときに虫がついていることはあるんだけど、ビネガー入りの水に浸した後に天日干しでよく乾燥させることで表面についたものを取り除く作業を必ずしているし、ドングリの場合は一度茹でるから、たとえ中にすでに虫がいたとしても出てくることはないわ」


「………ということはつまり、ドングリの中に死んだ茹でイモムシが入ったままかもしれない、ということだな?」

「あら、そういうことになるわね。ごめんなさい、配慮に欠ける発言だったわ。もしも返品するのなら、お代はいますぐお返しします」


 シャルロッテが深々と頭を下げるとカタリナが慌てだした。

「いやいや、そういうことではない。いずれあの白いイモムシが出てくるかもしれないと怯える必要がないのなら、それで十分だ。それ以上のことは、聞かなかったことにする!」


 シャルロッテは顔を上げ、上目遣いでカタリナと目を合わせると、ふたりで笑いあった。

 ちょうどそこへ、ドリスが山鳩のサラダとアップルシードルを運んできたため、虫談義はそれで終了した。

 いずれ、巨大な昆虫型モンスターと対峙することになるだろうという未来視は、カタリナには黙っておいてあげたほうがよさそうだ。

 

 グラスで乾杯してからサラダを取り分けた。

 サラダは、クレソンとルッコラの上に細かく裂いた赤みがかった山鳩の蒸し肉が乗せられている。


「これが山鳩の肉?」

 カタリナが蒸し肉とルッコラを一緒にフォークに突き刺して、さっそく口に入れた。


「そうよ、山鳩の胸肉を一晩塩水に浸けてから蒸すの。鳩の胸は豊満だから、胸肉は肉厚でジューシーなのよ」

 少しピリっとした辛みのあるクレソン、苦みのあるルッコラ、獣の香りが最後に少し鼻から抜けていく山鳩に黒コショウと酸味のきいたドレッシングがよく合って、絶妙なバランスの大人のサラダだ。

 これはシードルをおかわりすることになるかもしれない、と早々にシャルロッテは思い始めた。


 ホロホロ鳥のスープとうさぎのハーブグリル、ガーリックトーストも運ばれてきて、テーブルの上が賑やかになった。


 ホロホロ鳥のスープを一口飲んだカタリナが目を丸くする。

「これは……旨味がすごい。ホロホロ鳥という名前すらこれまで聞いたことがなかったけど」


 ホロホロ鳥の濃厚な旨味は、一度でもそれを食した者すべてを魅了する美味しさだ。

 焼いてよし、揚げてよし、煮てよし、フレッドはホロホロ鳥の旨味を存分に生かした料理が得意で、中でもシャルロッテはスープに目がない。ホロホロ鳥が入ってきたと聞けば必ず注文するほどに。

 バターでじっくり炒めた飴色のオニオンスープに、ホロホロ鳥の手羽肉からあふれ出た旨味が溶け込むなんとも濃厚な味は絶品だ。

  

 ただ、ホロホロ鳥は寒さに弱く、四季のあるこの大陸には生息していない。

 ここから海を南下したところにある大陸の国、オルディスの交易船がホロホロ鳥を運んできてくれるのだ。


「たぶん、昨日あたりにリリーズ貿易港にオルディスの交易船が来たんじゃないかしら。いいタイミングだったわね」

「王都までは届かないんだな」

「数がたくさん入ってくるわけではないから、こっちの大陸でこのホロホロ鳥を食べられるのはリリーズ貿易港とこの村ぐらいじゃないかな」

 シャルロッテとカタリナは初対面とは思えないほど打ち解けた様子で、ずっと話し続けている。


 うさぎのハーブグリルをナイフで一口大に切って口に入れると、ローズマリーとタイムの香りが広がり、淡白な柔らかい肉から肉汁があふれ出す。

 カタリナは立て続けにもう2切れ食べると、アップルシードルで流し込んだ。

「これは、止まらなくなるな」


 予想通り、ふたりはアップルシードルをおかわりすることになった。

 


いつも読んでいただいてありがとうございます。


この作品は、回りくどい説明を避けるため料理、食材、生き物の名称等をほぼ現代のまま使用しています。

ご了承くださいませ。

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