80.交渉の行方
シャルロッテがハルに会えたのは、晩餐会の翌日、午後になってからだった。
顔色が悪く、本調子ではないのが誰の目にも明らかだったけれど、それでもタリクとの交渉の席に現れたのだ。
「昨晩は、お見苦しい姿を晒してせっかくの晩餐会を台無しにしてしまって申し訳なかった」
「おかげんは?」
タリクは真摯な眼差しを向けて尋ねている。
客人のいる晩餐会で王太子のワインに給仕係が毒を盛った――そんな「お家騒動」を目の当たりにして思うことはいろいろあるだろう。
しかし、タリクはそれを大っぴらに揶揄するようなことはせず、本当に心配してくれている様子だ。
「もう大丈夫です」
ハルは口角を上げて笑顔を作ったが、本当は今すぐにでもベッドに倒れこみたい状態で、とにかくこの交渉を終わらせて見せるという気力だけで体を支えていた。
幸いなことに、午前中に再度「非公式」の水面下でのやり取りが行われ、互いの要求と妥協点のすり合わせは済んでおり、残る争点は白竜の処遇と卵に関することだけになっていた。
その場でオルディス側は、前回の交渉で「内情をお話しする」と言ったままになっていた件について、蟲師に操られ、乗っ取られかけていたことを包み隠さず話したらしい。
ドラゴンはオルディスの所有だと主張して白竜とそのパートナーであるシャルロッテをオルディスに連れて帰りたいタリクたちと、それを頑として拒否し、白竜が生まれたのは我が国の領土内だったのだから応じるわけにはいかないと主張するこちら側。
その妥協案として、繁殖期に入っていると思われる白竜が卵を産んだらその卵をオルディスに渡すと提案しているわけだが、本当にその卵から群れのリーダーとなる黒竜が生まれるのかと訝しがる気持ちもよくわかる。
「繁殖から巣作り、産卵、孵化という流れを青竜のそれとほぼ同様だろうと推測すると、繁殖行動はもうしばらく続くと思われます。産卵から孵化までの間は非常にナーバスな状態になるので、その前に白竜をオルディスに連れて帰りたかったのですが…」
そこで言葉を切って、タリクはこちら側の顔色をうかがっている。
「私のドラゴンのみをこちらに滞在させるわけにもいきませんので、白竜をこちらに残す代わりに卵が孵化するまでの間、私とパートナーのドラゴンの滞在を認めていただきたい」
妥当な提案だろうとシャルロッテは思う。
こちらに悪意があれば、卵を隠したり生まれたドラゴンを隠すことも可能だからだ。
それを監視させろということだろう。
オルディス側はこれが最大限の譲歩である気がする…そう思いながら隣に座るハルを見ると、ハルのほうもシャルロッテを一瞥して微かにこくりと頷いた。
「了承しよう」
そしてハルは、オルディスの内情を包み隠さずに説明してもらったお返しとして、こちらもタージン・アシスの情報を提供することを約束し、調印は明日、詳細は担当者同士で話を詰めていくということを互いに確認してタリクと握手を交わしてお開きとなった。
オルディスの交渉団が部屋を出るまで、立ち上がったまま微笑みを崩さずに見送っていたハルは、扉が閉まると同時に肩で大きく息をしてドサっと崩れ落ちるようにイスに腰を下ろした。
額には脂汗もにじんでいる。
シャルロッテはその様子に悲痛な表情を浮かべ、ハルの背中をさすりながら、右手の小鳥の文様を使って小さな声でサイラスを呼び出した。
直後、どこからともなくポン!と現れたサイラスは「まったくもう、無茶するなって言ったのに」と苦笑を浮かべてハルの前に立っていた。
腕の中に倒れこむようにして目を閉じているハルをしっかりと抱きしめたサイラスは、ローブの片側を広げてシャルロッテのことも包み込む。
「一緒に行こうか」
オッドアイをくるりと光らせていたずらっぽく笑うサイラスに感謝しながら、シャルロッテはその背中に手を回す。
「サイラス先生、ありがとうございます」
「ではみなさん、ごきげんよう!」
神出鬼没な占い師は、王太子とその婚約者をローブに包むと、瞬く間に姿を消したのだった。




