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6.5年前(2)

 子供の人身売買の仲介人をしていると思われるメローズ夫婦とともに、自分がこのあと売り飛ばされる身だとはこれっぽっちも思っていません、というフリをどうにか続けて、カシム村に到着した。

 

 今朝の夫人の話だと、到着が夕方だったらここで一泊してからリリーズ貿易港へと向かう計画だったが、シャルロッテの期待とは裏腹に馬車はとてもスムーズに進み、日が高いうちにカシム村に着いた。ということは、ここで宿泊せずに小休憩をして今日中にリリーズ貿易港へ連れていかれてしまう。


 この村で泊まることになっていれば逃亡のチャンスがたくさんあったはずなのに!

 このままリリーズ貿易港まで行ったら、もう逃げられないかもしれないわ…。


 メローズ夫婦が悪い人だということがわかる前は気づいていなかったけれど、馬車のシャルロッテが乗っている側の扉は外から鍵がかけられるようになっていて、内側から扉が開けられないようになっていた。

 走っている途中や、リリーズ貿易港に到着するや否や自分で扉を開けて飛び出して逃げる、という芸当はできないということだ。


 カシム村で食事をしながらシャルロッテは焦っていた。

 この食事を終えて馬車に乗ってしまったらもう逃げられない。

 食事をしている『まんぷく亭』は評判の飲食店なのか、テーブルが8割がた客で埋まり、みんな食事を楽しみながらガヤガヤと賑わっている。


「シャルロッテさん、そわそわしてどうしたの?」

「ああ、えーっと…あの!わたしトイレに行ってきます」

「あら、それなら私も行こうかしら」


 トイレに行くフリをして喧騒に紛れて店の裏口から逃げようかと思ったが、しっかり見張られてしまった。

 仕方なくそのまま個室トイレに入ったシャルロッテは、中に窓があることに気づいた。

 開けてみると、小柄なシャルロッテならどうにか出られそうな大きさだった。


 モタモタしていたら不審に思った夫人が個室のドアを蹴破って入ってくるかもしれない。

 

 開けた窓から身を乗り出し、両手に力を込めて自分の体をグイっと前に押し出すと、あとは勢いでグルン!と一回転して窓の外へお尻から落ちた。

 そこは路地裏らしく、人通りはなかった。


「イテテテ」

 お尻をさすりながら立ち上がり、すぐそばの角を曲がって窓に自分の姿が映らないように身をかがめながらお店の正面である大通へと出た。

 すぐ近くに止まっている荷馬車の影へと身を隠し、辺りをそっと伺って、通行人が誰もこちらを注目していないことを確認するとできるかぎりのすばやい行動で荷台へと潜り込んだ。

 どこへ行く誰の馬車かは知らないが、メローズ夫婦の馬車に乗るよりはマシなはずだ。


 早く出発して!おねがい!

 メローズ夫人に見つかる前に!

 シャルロッテのその懸命な願いが通じたのか、まもなく馬車がゆっくりと走り出した。


 シャルロッテがなかなかトイレから出てこないことを不審に思ったメローズ夫人が無理矢理に個室のドアを開けて中をのぞいた時には、シャルロッテの姿はどこにもなく、慌てて窓の外を見てもそれらしき姿はどこにも見当たらなかった――。



 シャルロッテが荷台に隠れた馬車は、村を離れ山道の入り口で停まった。

 木こりのタージンは御者席から降り、荷台へと向かう。タージンの暮らす山小屋までは道幅が細いため馬車で荷物を運べるのはここまでで、あとは自力で運んでいかなくてはらなない。

 

 タージンは荷台の麻袋を下ろし始め、ギョッとして手を止めた。

 麻袋の後ろに、女の子が居たためだ。

「あんた…誰だ」


 シャルロッテは慌てて荷台から降りると、いま馬車で走ってきた道を何度も振り返りながらタージンの影に隠れるように回り込む。

「突然すいません。わたし、シャルロッテと言います。…人さらいから逃げるために無断で荷台に隠れさせてもらいました」


「え?」

 タージンは、じっとシャルロッテを見つめた。

「もしも見つかったらリリーズ貿易港まで連れていかれて売り飛ばされてしまうんです。だから、わたしのことを村へは返さないでください。……おねがいします」

 タージンの上着を握るシャルロッテの手は小刻みに震えている。

 

 この少女が嘘をついているようには思えない。

 どうしたものかとは思ったが、今すぐ村へ連れ帰るのはとりあえずやめたほうがよさそうだと判断したタージンは、その分厚くて武骨な手でシャルロッテの背中をポンポンと優しく叩きながら言った。

「わかった。じゃあ荷物を運ぶのを手伝ってくれるか?」


 シャルロッテのほうはというと、白髪の目立つグレーの髪と口と顎を覆う同じ色のひげの初老のこの男の風貌と荷馬車で運んでいる物を見て、さすがにこの人は人さらいではなく善良な村民のはずだと踏んで助けを求めた。

 しかし、もしもメローズ夫婦が自分の逃亡の様子を見ていたら、あるいは通行人の目撃情報からこの人を割り出してここまで追ってきたら……想像すると怖くなり、震える手を伸ばして目の前の上着を掴んでしまった。

 迷惑がられて直ぐに村へ連れ戻される可能性も十分あると覚悟していたが、とりあえず味方になってくれたようだ。


 シャルロッテは張り切って荷物を運び始めたが、小麦や黒砂糖の入った重たい麻袋を抱えながら山道を登るという慣れない作業に四苦八苦した。

 それでも弱音も吐かずに懸命に歯を食いしばって麻袋を抱えるシャルロッテを目を細めて見つめながら、自分は木こりのタージンだと名乗った。


 何往復かして荷物を全て山小屋へと運び終えると、タージンは馬車を返しに行くと言ってしっかり戸締りをして再び山を下りて行った。

 山小屋にひとり残されたシャルロッテは、万が一メローズ夫婦がここを突き止めて窓から中をのぞいたときに見つからないようにと、隠れる場所を探した。

 

 タージンがひとりで暮らしているという山小屋で隠れられそうな場所…。

 シャルロッテは奥の部屋をのぞき、ここならばと決めるとベッドにもぐりこみ、頭からすっぽり布団をかぶった。


 うえっ、このニオイはなんだろう。

 タージンのものであろう枕から奇妙なニオイがした。


 家族との縁がなかったシャルロッテは、それまで知らなかったのだ。人間がある程度の年齢になると体から放つようになるあのニオイを。

 15歳の秋、シャルロッテは木こりのタージンと出会い、その香りを知った。

 それが世間一般に「加齢臭」と呼ばれていることを知るのは、まだ先のこと――。


 

 タージンはカシム村のはずれにある貸し馬車の厩舎へ馬車を返却しに行った帰りに、村の様子をうかがいに行った。

 シャルロッテの言ったことが本当ならば、今頃その人さらいたちがあの娘のことを血眼になって探しているはずだ。


 案の定、「自分たちの娘がいなくなった」と騒いでいる中年夫婦がいた。

 店や行きかう人たちに、ベージュの髪のこれぐらいの背丈の娘を見なかったかと聞いて回っている。


 シャルロッテがあの夫婦のもとから逃げ出したのは間違いなさそうだ。

 問題は、どちらの言っていることが真実かということだ。

 ヘタにあの娘をかくまい続ければこちらが人さらいの汚名を着せられることになりかねない。


 タージンはその夫婦に声をかけた。

「お嬢さんがいなくなったんなら、自警団に相談するのはどうかね。人さらいの可能性もあるから正式に捜索願を出して日が暮れる前に大々的に調べてもらったほうがいいだろう」


 すると中年夫婦の顔色がサッと変わった。

「あら、それもそうですわね。…あなた、どうしようかしら」

「もう少し我々だけで探してみよう」


「娘さんのことが心配なんだろう?自警団の詰め所はすぐそこだから案内してやろうか」

 わざと大きな声で言うと、それを聞いていた通行人からも「そうだ、それがいい」という声が挙がり始めた。

 中年夫婦はますます焦った表情になる。

「大丈夫です。私たちだけで行けますから。もう少し探したら行ってみましょ、ね、あなた」

「あ、ああ、そうしよう」


 先ほどまでの必死の形相で娘を探し回っていた様子とは打って変わり、中年夫婦はどこかコソコソし始めてタージンのそばを離れていった。


 自警団に正式な捜索願を出すということは、当然自分たちの身元も調べられることになる。

 本当に我が子がいなくなったのだとしたら、それを厭わずに自警団の助けも借りるはずだ。逆にその提案を断るということは、自分たちに後ろ暗いことがある証拠。


 あの娘の言うことが十中八九正解ってことか。

 ただそれなら、あの子の本当の家族があの子のことを探しているんじゃないだろうか。


 まあとりあえず、一晩だけ泊めてやるか。

 家出か何か知らんが、こんな爺さんと一緒に何もない山小屋で過ごしたいと思う若い娘なんていないだろう。ほとぼりが冷めたら出ていくに違いない。



 タージンのその予想は外れ、その後シャルロッテはタージンが病で息を引き取るまでずっと、彼の孫としてタージンとともに暮らすことになるのだった。

 

 

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