59.護衛騎士の矜持
うさぎのしっぽ亭での食事を終えた後、エレナの雑貨店に入ったところでハルはごく自然に「忘れ物をした」とシャルロッテに告げた。
では一緒に戻ろうと踵を返すシャルロッテに、外は寒いからここで待っていてくれればいいと押しとどめてひとりで外に出ると、ハルはゆっくりとした歩調でうさぎのしっぽ亭の方向へ進み、路地裏に入ったところで突然小走りに角を曲がった。
シャルロッテと食事や買い物でカシム村の路地裏を歩き回り、曲がった先がレンガ塀に囲まれた袋小路になっていることも知っていてここへ誘い込んだのだ。
タタッという軽い足音がかすかに聞こえたところで隠し持っていた折り畳みナイフのロックを音を立てずに外してひろげる。
間合いを見計らって待ち伏せしていた建物の角から飛び出し、ナイフを左下から右上に斜めに振りぬいたが、相手もそれを予想していたのかアームガードを着けた腕をクロスさせて防いだ。
しかしレザー製のアームガードには相当なダメージがあったらしく、パックリと割れている。
次、また同じように防ごうとしたら腕に切り傷をつけられるはずだが、それを易々と許すようなマヌケではないだろう。
この村へ来た数日後からずっと誰かに見張られているような気配がしていた。
あえてシャルロッテをひとりで買い出しに行かせても、薪割をする自分に向けられた監視の目が外れることはなく、狙いはシャルロッテではなく自分のほうではないかと薄々感づいてはいた。
二人まとめてならいっそ、寝込みを襲って山小屋ごと燃やしてしまえば手っ取り早いんじゃないかと相手の立場になって考えてみたりもしたが、それを実行に移す気配もない。
ということは、巫女様は生かしておきつつ護衛騎士のほうをかどわかしたい、あるいは殺したいといったところか。
護衛対象ではなく、護衛騎士が狙われているって、何なんだ。
俺がただの騎士ではなく、王太子の影武者だと知ってのことか…?
俺たちの素性を知っている者は国の要人ばかりだ。一体誰の差し金で?
コイツはどれほどの手練れだ?
それを思案している暇はない。
腕をクロスしたまま低姿勢でタックルしてこようとする小柄な男をひらりとかわし、すれ違いざまに足を引っかけると、男はみっともなく前につんのめって地面にうつぶせるように転んだのだった。
なんだ、コイツ大したことないな。
のそのそと立ち上がろうとして四つん這いになりつつある背中に馬乗りになって羽交い絞めにしてやろうかと一歩踏みだしたとき、ゾクリと嫌な感じがした。
咄嗟に馬乗りにつかみかかるのはやめ、手に持っていたナイフを手首のスナップをきかせて投げると狙い通りに四つん這いになっていたからこそレザージャケットからわずかにのぞく無防備な左わき腹に刺さった。
「ぐっ…」
ごく短い唸り声のみで耐えて飛び起き、ナイフが刺さったままファイティングポーズをとる姿はさすがと言うべきか。
男が痛みに慌ててナイフを抜き、出血多量により早期の幕引きというシナリオは消えたようだ。
男の長く伸ばしたボサボサの前髪で目が覆い隠されているために表情はよくわからないが、痛いものは痛いはずだし、動き回れば出血もする。
手負いとなった相手は早めに勝負を決めたいところだろう。だったらこっちは、じっくり時間をかけてやる。
どこまで耐えられるかな?
こちらだって護衛騎士としての意地がある。
それに、王城警備の恰好ばかりの剣術しかできない騎士ではない。
実戦経験が豊富だという自負もある。
意外だっただろう?騎士が長剣ではなく投擲に適した細くて鋭いナイフを持っているだなんて。
腰に下げているホルダーからもう1本折り畳みナイフを取り出し、今度はあえてパチンと音を立ててロックを外した。
相手は武器を構える気配がない。
体術使いだろうか。
となると、先ほど無防備に四つん這いになって背中をさらしていたのは向こうが仕掛けた罠だったことになる。
こちらが調子づいてつかみかかったところで腕や足を絡めとって極め技・締め技に持ち込む作戦だったというわけか。
誘いに乗らずに咄嗟にナイフを投げて大正解だった。
男は緩急をつけ身軽に動きながら隙をうかがっている。
どうにかこちらの腕か足を取ろうと伸ばしてくる男の指をナイフで切りつけ、タックルされそうになると体をひねってかわす。
防戦一方で構わない。
時間をかけるほどにわき腹に刺さったナイフの痛みがきいてくるはずだ。
逃げ回っているうちに案の定、男が肩で息をするようになり動きが鈍ってきた。
さあ、攻撃に転じさせてもらおうか。
心の中でほくそ笑んだ時だった。
レンガ塀の木戸が開き、小間使いと思しき少女が木桶をもって出てきたのだ。
たしかこの建物は飲食店だったか。
俺と男を見比べて、どういう状況かわからずに驚いている様子だった。
どうしようか、と一瞬迷ったのがいけなかった。
何のためらいもなく少女に向かって先に一歩を踏み出したのは男のほうで、しかも距離的にも男のほうが近い。
あの子を人質に取るつもりか!?
そうはさせまいと駆け寄り、阻むように男と少女の間に伸ばした左腕を取られてしまった。
しまった!
少女に襲い掛かるとみせかけて最初から狙いはこっちだったのか。
一瞬でギリギリときめられて左腕に痛みが走り、その痺れるような痛みが右腕にまで伝っていく。
力なく振り上げようとした右手に握るナイフは男に蹴り落されてしまった。
これはいよいよマズい…。
そう思った時だった。
我に返った少女が甲高い声で「キャーっ!!」と叫びながら、木桶を男の顔面に投げつけたのだ。
男がひるんだところで、俺は体を全て男に預けて体重をかける。
小柄な男は横倒しに倒れ、絡めとられたままの俺の左ひじはゴリッという嫌な音を響かせた。
しかしそこで男の腕が力なく解けていき、男がビクビクと小さく痙攣し始める。
左わき腹に刺さったままのナイフがいまの横倒しの転倒で深々と腹の中へ刺さったのだ。
左ひじを庇いながら立ち上がり、ナイフを拾い上げた。
少女の前でどのようにとどめをさせばいいのか迷っているところへ、ありがたいことに悲鳴を聞きつけた大人たちが包丁やモップを持って木戸から現れた。
「その男を縛り上げてください。暴漢です」
上着をめくり王国騎士団の徽章を見せると、男たちは機敏に動き見事に男を捕えてくれた。
助かった…。
左腕を見ると、ひじから先が妙な方向に曲がっていた。
治るだろうか。
未来視で見た戴冠式の国王の腕はまっすぐだったかシャルロッテに確認しなければと、ふと思ったハルだった。




