15.影武者と公爵令嬢(1)
シャルロッテが目を開けると、そこはおそらく医務室だった。
薬や消毒薬の香りが漂い、白衣を着た人たちが忙しそうに行き来している。
その部屋の隅っこのベッドで寝かされている自分。
わたし、なんでここにいるんだっけ?
体を起こそうとして手に力を入れたとき、左手に激痛が走った。
「っ!いたたたっ!」
左手を確認すると、手首から先が包帯でぐるぐる巻きにされている。
それを見て、王太子の執務室での一件を思い出した。
そうだ、わたしったら、剣を素手で強く掴んだのよね…。
「目が覚めましたか。よかった、顔色もよくなりましたね」
白衣を着た女性がシャルロッテのもとへとやって来た。
「王太子殿下があなたを抱きかかえて血相変えて医務室へ飛び込んでいらっしゃったときには驚きましたよ。剣を素手で掴んだのですって?回復魔法でできる限りの治療はしましたが、しばらく痛みが続くと思います。それと、薬指のキズはかなり深かったので、継続的な治療と経過観察が必要です。どういういきさつかってことまでは深入りしませんが、このような無茶はもう二度としないでくださいませ」
てきぱきと言われて、ただただ頷くしかないシャルロッテだったが、その女性が「王太子殿下をお呼びして」と指示を出すのを聞いて、大きな声を出してしまった。
「やめて!殿下は呼ばないで!」
「そうおっしゃられても、シャルロッテ様が目を覚ましたら伝えるよう殿下から仰せつかっているんです」
申し訳なさそうに言われてはもう、どうにもできなかった。
もしここで無理矢理にでも逃げ出そうものなら、あの短気な王太子の苛立ちの矛先がこの女性に向かいかねない。
渋々コクンと頷いてしばらく待っていると、医務室に入ってくる赤い髪が見えた。
ベッドに上半身を起こした状態で座っているシャルロッテを認めると、先ほど自分に剣を向けたクリストファー殿下と同一人物には到底思えない優しい笑顔を見せた。
「立てる?」
手を貸してもらったときに耳元で「安心して、クリストファーではないから」と小声で告げらられた。
ベッドから立ち上がると自分の着ている服に乾いた血がベッタリついていることに気づいた。
薬指は深手だったということは出血量も相当だったのだろうか。
これ、洗えば落ちるかな…そんなことを考えながら医務室のみなさんにお礼を言って、優しくエスコートされながら廊下へ出た。
医務室のみなさんがこの人のことを「殿下」と呼んでいたということは、別人だとは思われていないのだろう。たしかに見た目も声もそっくりだ。
もしもさっき執務室でふたり同時にいるところを見ていなければシャルロッテも同一人物だと思ったはずだ。
ただし、二重人格にもほどがある!とも思ったはずだけれど。
「不思議そうな顔をしているね。本来ならあんな形で人前に出てはいけなかったんだけどね、ちょっとあまりにもな状況だったから。気づいているとは思うけど、俺は殿下の影武者だ。でもこれは、言いふらしてはいけないよ」
長い廊下を歩きながら、彼はシャルロッテにだけ聞こえる声でそう言った。
「承知しました。…似すぎててびっくりです。医務室のみなさんも何の疑問もなくあなたが王太子殿下だと思っていたようだし」
すると彼は、プッと笑った。
「そっくりでなきゃ、影武者の意味がないだろう?」
「ふふっ、たしかに」
シャルロッテもつられて笑った。
すれ違う人がぎょっとしないように、手を体の前で組んで乾いた血痕を目立たないように隠しながら歩いた。どこへ連れていかれるのかわからないまま廊下を歩き、階段を上り、また廊下を歩き……到着した扉には見覚えのある木の実のリースが飾られていた。
「ここは…」
彼がノックをすると中から「どうぞ」という聞き覚えのある声。
半日しか離れていなかったというのに、とても懐かしく感じて泣きそうになった。
「シャルロッテ、よかった。同行できなくてすまな…―――!」
仕事机から立ち上がったカタリナは、包帯の巻かれたシャルロッテの左手と乾いた血のついた服を見て言葉を失い、そのきれいな金髪が逆立っているかのような錯覚が見えるほどの怒りで顔を歪ませて足早にシャルロッテたちに近寄ると、いきなり影武者の彼の胸ぐらに掴みかかってドアの横の壁に押し付けた。
「どういうことだハル!シャルロッテに何をした」
カタリナの声は低くかすれ、怒りで唇が震えている。
「ちがうの!カタリナ、ちがうのよ。彼じゃないの。落ち着いて」
シャルロッテはカタリナを止めようと、慌ててケガをしている左手でカタリナの腕を触ろうとした。
そのときに走った痛みに思わず声をあげる。
「いっったっ」
カタリナはハッとして彼から手を離してシャルロッテに向き直ると、触れていいものかとオロオロしている。
「シャルロッテ、大丈夫か?キズが痛むのだな。治療は受けたのか?」
「じゃ、俺はこれで…」
解放された隙に逃げようと背中を向けた彼の襟首をカタリナがむんずと掴む。
カタリナとハルは身長がちょうど同じぐらいだった。
「ハぁぁぁルぅぅぅ、納得のいく説明を聞くまでは逃がさん。副団長命令だ!」
「あーやれやれ、これだから嫌だったんだよ」
ため息交じりに愚痴る影武者のハルとカタリナを交互に見上げながら、思わず笑ってしまうシャルロッテだった。
影武者さんはハルさんという名前なのね。
カタリナも影武者の存在を知るひとりで、しかも一目で彼が王太子ではないと気づいたことといい、お互いの口調といい、かなり親しい間柄のようね。
そのとき、カタリナのそばに戻ったことでホッとしたのか、シャルロッテのお腹がグゥっと鳴った。
ふたりの視線がシャルロッテに向けられる。
「失礼しました。お昼ごはん食べそびれちゃったから……あはは」
恥ずかしさで真っ赤になるシャルロッテに目を細めて、カタリナは自分の実家で食事をしないかと誘ってくれた。
「いろいろありすぎて王都の店で食事をする気にもなれないだろうし、ハルからゆっくり説明してもらわないといけないからな」
「えぇっ、俺も?」
「決まってるだろう、夕飯をご馳走してやると言ってるんだ、ありがたく思え」
ふたりのやりとりが、いちいちおかしくて、シャルロッテはまた声をたてて笑った。
馬車の中で、影武者のハルさんは第五騎士団に籍を置く騎士という仮の姿があり、つまりカタリナとハルは上司と部下という関係であることを知った。
ハルはバンダナを巻いて上手に赤髪を隠し、分厚いレンズのメガネをかけている。
これが仮の姿らしい。
しかしハルが第五の団員たちと一緒に集団行動をとったり訓練をすることはない。
「第五は『訳アリ』な団員も多くてね、職務も『なんでも屋』だし」
カタリナが自嘲気味に言う。
王国騎士団は第一団から第五団まである。
第一は王室と王城の警備、第二は王都とその周辺の警備、第三は辺境と国境の警備、第四は魔物討伐。きちんと役割が決まっている第一から第四に対して、第五騎士団は「その他の業務、雑用、他団の補助、国家行事の補助」という、要するにカタリナの言う通り『なんでも屋』なのだった。
「第五は貴族の子女が多いんだ。入団の誓いでは『自らの命を顧みず』なんて言うんだが、実際は貴族のお坊ちゃまに大怪我はさせられないし、まして、命がけの任務になど派遣しない。もちろん中には、実力が認められたり本人の熱心な希望で第一や第二に異動する団員もいるけど、簡単な魔物討伐とかで手柄を立てるお膳立てをしてやったらそれで満足して辞めていく団員も少なくない。そういう、今後の社交の場で自慢できる武勇伝欲しさに入団するお坊ちゃんも少なからずいるというわけだ」
なるほど、だから連れ子とはいえ公爵家の末子であるケヴィンの配属先も第五なわけね、と納得したシャルロッテだった。
馬車で到着したカタリナの実家は、想像していたような一般家庭ではなかった。
門から建物の玄関までが遠いため、そこまで馬車で移動し、両開きの大きな玄関扉の中へと足を踏み入れると、執事とメイドがズラーっと並んで「おかえりなさいませ、カタリナお嬢様」と一斉に頭を下げた。
思い出した。
ハービッツという家名をどこかで聞いたことがあるとは思っていたけれど、もしやハービッツ公爵家のことなんじゃないだろうか。
ここはハービッツ公爵家のお屋敷で、カタリナの実家で……。
「気にするな、両親と長兄は領地に滞在中で今夜は不在だから楽にするといい」
目が回りそうになって固まるシャルロッテの肩を抱いてカタリナがウインクをする。
「急ですまないが食事の用意を頼む」
カタリナの一言でメイドたちが一斉に嬉しそうな笑顔になり、俄然張り切りだした雰囲気が伝わってきた。
食事の用意を待つ間に、シャルロッテの血に汚れた服をどうにかしようということになり、カタリナの服では寸法が違いすぎるため、小柄なメイドさんのお仕着せを借りることとなった。「すぐに洗いますので」と汚れた服を持っていかれそうになり、
「血の付いたものを他人に洗ってもらうわけには…」
「何をおっしゃいます、それがわたくしたちの仕事ですから」
という押し問答の末、結局シャルロッテが根負けした。
メイドスタイルのシャルロッテを見たカタリナとハルは、なぜかとても目を輝かせ、「似合う」「かわいい」「やばいな」と妙に盛り上がっていたが、喜んでいいものか戸惑うばかりのシャルロッテだった。




