9.うさぎのしっぽ亭(2)
「はーっ、いい食事だった」
カタリナは2杯目のアップルシードルを飲み干すと、背もたれにもたれかかってシャルロッテに満足げな笑顔を見せた。
つられてシャルロッテも笑う。
「気に入ってもらえたようで、よかった」
「また来るよ、次はプライベートで。交易船のスケジュールに合わせないといけないな」
「ふふっ、ホロホロ鳥がお気に召したのね」
ふたりでクスクス笑っているところへ、ドリスが空いた皿を下げに来た。
テーブルの上を片付け終えると、カクテルグラスに入れられた白いシャーベットを出してくれた。上にはちょこんとミントの葉が飾られている。
「あれ、これは頼んでいないはずですけど?」
「いいのよ、これは私の驕り。ホワイトラムベースの梨のフローズンカクテルよ。シャルロッテがこんなに楽しそうに食事しているところ初めて見たわ。カタリナさん、これからもシャルロッテをよろしくね」
「もちろんです。ありがとうございます、遠慮なくいただきます」
お礼を言ってさっそくスプーンで一口すくって食べてみると、梨のすっきりとした爽やかな甘さが広がる。ひんやりシュワっとした触感が食後のいい口直しになった。
「今日は非番って言っていたけど、お仕事は明日から?いつまでこの村に滞在するの?」
もう1回ぐらいカタリナと一緒に食事ができるだろうかと期待しながらシャルロッテが尋ねる。
ドリスの言った通り、シャルロッテには食事を共にする友人も家族もいない。
タージン亡き後は、雑貨店のエレナのことを母親代わり、ドリスを年の離れた姉代わりのように思って慕っては来たが、同じテーブルで食事をするような機会はなかったし、未来視のことを考えると親しくなりすぎると迷惑をかけてしまうかもしれない気がして常に一歩引いて壁を作ってしまう自分がいたからだ。
幼いころからずっとかけていた左側のレンズだけぼやけて見えるメガネは、フレームが折れて壊れてしまったために今はもうかけていない。
たまに発動する未来視も、20歳になってどうにか上手く折り合いをつけることができるようになってきた。人が大勢集まる場所は相変わらず苦手だが、幸いなことに、カシム村に暮らす人々の素朴で実直で穏やかな生活から垣間見る未来視は、思わず驚くような光景はほとんどなかった。
タージンとの生活が、山で食料を探し、薪割を手伝い、雑貨づくりを教えてもらうことに明け暮れる多忙な日々であったために、同年代の友人がまだ一人もいないことが少し残念ではあったが、シャルロッテがひとりで生きていく術を叩き込んでくれたタージンには感謝の言葉しかない。
自分は「親しい友人」「幸せな結婚」「愛おしい家族」といったものとは縁遠いのだと思ってあきらめているシャルロッテだった。
「任務が終わるまでずっと。……と言いたいところなんだが」
少し口ごもった後、カタリナはシャルロッテに顔を寄せて小声になった。
「実はリリーズ貿易港に停泊中の交易船とも関係ある任務でね、3日後に予定通り交易船が出港してしまったら任務が完了していなくても一旦撤収になるだろうな」
さきほどホロホロ鳥の説明をしたときに、交易船が来たのではないかとしたり顔で言ってしまった自分が恥ずかしくなって、シャルロッテは急に顔がほてり始めるのを感じていたが、カタリナは気にも留めていない様子で続けた。
「あの交易船に、こっちでさらった子供たちを乗せて連れて行き、オルディスで人身売買しているという噂があってね。オルディスは奴隷制が残っている国だから奴隷の売買自体はこちらが口を出すことではないんだが、この国の子供たちが売られているとなると話が別だ。この国で、その人身売買の仲介人をやっている輩を取り押さえるのが私の任務だ」
シャルロッテは、ハッとして両手で口を覆った。
思い出した!
メローズ夫人の未来視の光景――あのとき、子供を助けたあの騎士は金髪で背の高い女剣士ではなかったか。
……ということは、カタリナの所属する第五騎士団が追っている「仲介人」とは、あのメローズ夫婦ということか。
シャルロッテが目を丸くして固まっている様子を、怖がらせてしまったと勘違いしたカタリナは、頭を下げて謝罪した。
「すまない。楽しい食事の席にはふさわしくない内容だった。忘れてくれ」
「いいえ、違うの……違うのよ、カタリナ…」
シャルロッテは震える手を、テーブルについたカタリナの手に重ねた。
「わたし、その仲介人を知ってるかもしれない」
今度はカタリナの目が大きく見開かれた。
店を出て、シャルロッテを山道の入り口まで送りながら詳しい話を聞いたカタリナが、第五騎士団の借り上げている宿に戻るころには、外はすっかり暗くなっていた。
シャルロッテは、男女二人組の人さらいを知っている、5年前に自分もその人たちにリリーズ貿易港に連れていかれそうになったが、何とか逃げ出すことができた。だからまたあのふたりの顔を見ればすぐにわかるはずだと語った。
その5年前の未遂事件を知っている者は?という問いには、昨年亡くなったおじいちゃんだけだと答えた。
そのときの未遂事件がどこでどんな状況で起こったかに関しては、シャルロッテは「言えない」ときっぱり拒否した。
「すごく怖かったから、あまり言いたくないの」
取り繕うように言ったシャルロッテは何を隠しているのだろうか。
山道の入り口で、また明日会う約束をして別れた。
「副団長、お疲れさまでした。リリーズ貿易港および交易船で不審な動きはありませんでした」
声をかけられてカタリナが振り返る。
日中、リリーズ貿易港に張り込んでいた団員が、夜の張り込みと交代して報告のために戻ってきたらしい。
「ご苦労だった」
「副団長のほうは何か情報を掴めましたか?」
「ああ」
疲れているのか、普段の歯切れのよさとは全く違う、ため息をつくようなカタリナの言い方に、団員が首を傾げる。
「有力情報を得た。もしかすると、ふたつの任務が同時に片付くかもしれない」
「へぇっ!さっすが副団長!」
それは朗報であるはずなのに、カタリナはずっと浮かない顔をし続けていた――。