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!!!!  作者: 七瀬
第一章 常套句
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過ぎた誕生日の黒




寒さは容赦ない。冷たくなってきた手をスラックスのポケットに押し込んで、壁に寄りかかった。目の前にいるのは、同じクラスの女。マスカラの付け過ぎで太くなった、バサバサの睫毛をじっと眺める。


「緒方先輩の事、ずっと好きでした」


トモミと呼ばれていた女が、そう言って俺を見上げた。こんなに真面目に告白されたのは、人生で初めてかもしれない。なんだか変な感覚がして、トモミから目を逸らした。


11月になった。徐々に冷たくなっていく空気に喜んでいた。寒いのならいくらでも耐えられるのだ。


今日は図書室で寝ていた。起きて図書室から出てきたら、トモミがいたのだ。遠くの方で昼休み特有の騒がしさが聞こえる階段の踊り場で、トモミに告白された。


冬を感じさせる白い太陽の光が、窓の外から見える校舎の影を作っている。


正直、トモミの事はよく分からない。今まで一度も話した事がなかったからだ。まあ、女の事なんて、たくさん話しても分からない事だらけだけど。


自分の首からぶら下がる赤いネクタイを見つつ、トモミの足元を視界に入れていた。言葉が見付からなかった。今までの俺なら絶対に、すぐに何らかの返事ができた筈だ。でも、俺には分からなかった。


初恋なんてガキ臭いものの真っ最中の俺は、トモミが自分に見えた。答えはとっくに決まっているのに、その答えを伝える為の言葉が見当たらない。


少ないボキャブラリーから探し出すように探し回ると、許容範囲を越えた動きをする頭が沸騰しそうだった。ここまで頭を回転させたのは久しぶりだ。どうしたらトモミを傷付ける事なく断れるのか、そんな事を必死に考える。今まで告白された時にもそんな事を考えたけど、ここまで真剣にはならなかった。きっと、その感情の重さを知らなかったからだ。


でも、結局そんなの綺麗事だという事も分かっていた。女がどれだけ切り替えが早いのかなんて全く分からないけど、俺がどんな言葉で返事を伝えた所で、何も変わらないのだ。


「ごめん」


トモミの顔を見て、たった一言しか口にできなかった。気が利いた台詞は一つも思い浮かばなかった。トモミは俯く。つむじの周りから2センチくらいが真っ黒で、その他の髪は黒染めが落ちたのかまだらで中途半端に赤くなっている。


「彼女とかいるんですか?」


「いない」


「なら、」


顔を上げたトモミの表情が、期待に満ちている。胸元が大きく開いたワイシャツにだらしなく下がった青いネクタイの結び目はバランス悪く片方に寄っていた。


「ごめん、好きな奴がいる」


真面目に誰かを好きと言ったのも、こんなにもこの二文字の威力を感じたのも初めてだった。脳裏に真知の横顔が過る。


トモミは黙り込んでしまう。何か言わないと、と思うのは、自分が悪者のように思ったから。


「ごめんな。でも、ありがとう」


トモミの肩を軽く叩いて、階段を上り始めた。空気の重さがのしかかってきて、息が詰まりそうだ。


「あたし!」


振り返ると、トモミは目を潤ませて俺を見上げている。


「あたし、緒方さんの事、ちゃんと知ってます!」


知っているか知らないか。そんな事が、なんだっていうんだ。確かな苛立ちを感じた。まるで俺が真知の事を何も知らないから、この感情が真実ではないと否定されているような気がした。


「だから?お前が俺を知ってるから、なんだよ。知らなきゃ好きでいる権利ないってか?」


「いや、そういう事じゃ、」


明らかに動揺するトモミを見て、強く言い過ぎたかもしれないと後悔したけど、その話の続きは、もう聞きたくなかった。トモミに悪気はないんだろう。分かっている。俺がトモミの感情を分からないように、トモミも俺と同じなのだ。でも、無遠慮に常識のように吐かれた台詞に、俺の中に辛うじて残っているやさしさの破片のようなものがぱちゃんと壊れた。


俺が傷付けないように悩んだのが馬鹿みたいだ。


「言い過ぎた。ごめん」


トモミが何か言いだしそうなのを無視して、階段を上る。四階に着いて教室に行こうと足を動かしたが、廊下に出ている人間の喧騒に足を止めた。教室に戻る気が起きなくて、要が教室で待っている事を知っていながら、教室に向かう廊下に背を向けた。


目の前にあるのは、非常階段に続くドア。外は寒いけど、俺の沸騰しそうな頭を冷やすのにはもってこいの場所だ。ドアを押し開けて、非常階段に出た。


体育館の屋根が見える。手すりに寄り掛かると、小さく金属が軋む音が聞こえた。


もう俺が留年してから半年以上経ったのに、俺とトモミの接点はまるでなかった。大体そんなものだ。ただ学力が同じくらいだからこの学校に詰め込まれた。話した事がない人間がいたって当たり前。なのに、何を知っているんだろう。だけどさっきのは言い過ぎたな。まずい。本格的に謝りたい。


動く事を知らなかった俺とトモミの距離は、俺と真知の関係にも似ていた。


何も知らない真知を知りたいと思っていながら、まだ何も聞けていない。どこまで許されるのか、全く分からないままでいる。距離が見えないから測れない。こんなに意気地無しだったのかと自分で自分が嫌になる。


溜め息をつくと、ほんの少しだけ白い息が出たような感覚がした。第一ボタンだけ開けたワイシャツの胸元から冷たい風が滑り込んできて、肩を竦める。


「あの!」


耳をついた女の声に、とっさに手すりから身を乗り出して下を見た。どこかで聞いた事がある声だと思ったら、サチコがいる。サチコは誰かを呼び止めた様子で、熱心に真っ直ぐな視線を送っている。


「サ、」


何の気なしにサチコに話しかけようとして、口を噤んだ。サチコが腕を掴んで呼び止めたのは、真知だった。


サチコを見た真知は、サチコの手をやんわりと自分の腕から離す。それに何故か違和感を抱いて首を傾げた。でも、こんな事はしてはいけないと分かっていても、無意識に息を殺していた。


「長原さん、」


サチコは真知に確かにそう言った。真知の名字は月岡なのに、どうしてだろう。真知の茶色いストレートロングの髪が風に揺れるのと一緒に、サチコのツインテールも揺れた。真知は自分が長原と呼ばれた事にもいつもの無表情だった。


「近藤さん、」


別に大きくもない真知の声が耳に残る。真知がサチコと知り合いだったのだと知った。蘇るのは、夏に廊下に真知と二人でいる所にサチコと偶然会った時の事。真知はサチコを見てそそくさといなくなった。サチコは、知り合いじゃないような空気を醸し出していた。


二人の間には、何かがある。そう俺が確信した時、サチコが土下座するくらいの勢いで真知に頭を下げた。


「私、ずっと後悔してました、本当にごめんなさい」


いつも間延びしてだらだらと話すサチコと同一人物だと思えない、聞いた事がないくらい切羽が詰まった声が辺りに、些細に響く。


「ずっと謝らなくてはいけないと思っていました。謝って許される事ではないけれど、私は間違った選択をしてしまいました」


真知より年上の筈のサチコが敬語を遣っているのは異様なものに見えた。サチコが真知に何を謝っているのか、二人の関係性が、俺には全く見えない。


「私は自分の事ばかり考えていました。長原さんが辛い目に遭っているのも知っていたのに、見てみぬふりをしました。ごめんなさい」


真知が、辛い目?分からない、分からない、しか頭に浮かばない。


「私、今大好きな人とお付き合いさせて頂いてます。こんな後悔を抱えたままではいけないと焦っていました。時間は取り戻せないけど、長原さんの痛みは変えられないけど、許して欲しいなんて言いません。でも、どうしても謝りたくて」


「何を仰っているのか、全く理解が出来ません」


サチコの言葉に被せるように真知が言葉を発した。サチコの切羽詰まった声とは違う冷静な声がやけに突き刺さる。拭えない疑問が深まっていく。


「私は近藤さんが何に対して謝罪しているのか全く分かりません」


「え、だって、」


サチコが信じられないとでも言うように、自分の手を握り締めていた。


「近藤さんが私に謝罪をしなければならないような事をした、というのですか?私は近藤さんにそのような事をされた覚えはありません」


「長原さん?何を言ってるの?」


サチコが真知の肩を掴んだ。二人の会話はすれ違って、成り立っていない。


「なんで?長原さん、あの事が原因なの?」


「あの事、とは一体なんの事でしょうか?」


真知はサチコの手を離した。サチコが言う『あの事』は何なのか。やってはならないとどこかで俺が叫んでいるのに、耳を澄ました。


「どうして?」


「何がですか?」


「何がって、忘れたの?」


「なんの事ですか?」


サチコが嘘、と小さく洩らした声が俺まで届いた。余程、この辺りが静かなのか、それとも俺が耳を澄ませているからなのか、分からない。


「あんな事になる前は、もっと、」


「あんな事とは、一体、」


「忘れちゃったの?あんなに酷い事沢山言われたのに、」


その台詞を聞いて、静かに非常階段のドアを開けて校舎に戻った。


頭の中で警報が鳴っていた。これ以上聞いたら駄目だと、聞くべきじゃないと、最初から分かっていたのに。これより先は、きっと俺が理解できる事ではない。サチコと真知の会話の噛み合わなさが、俺にそう証明していた。大体、女の立ち話に聞き耳を立てた俺が間違っていた。


心臓がバクバクと音を立てている。真知とサチコは知り合いだった。サチコが呼ぶ真知の名字が違う。それは別にいい。でも、冷静に疑問を投げ掛ける真知と、段々と焦るサチコが酷く対照的で気持ち悪かった。


サチコは、俺が知らない真知を知っている。それだけは確かだった。


そのまま教室に帰った。教室には要と優多と誠司が女の話で盛り上がっていた。俺はそれに笑って返事をしつつ、要が買ってきた蒸しパンを食べた。ほんのりした甘ささえ感じないほど、この短時間の間に起こった様々な出来事がぐるぐると回っている。


真知が教室に戻ってきたのはいつもと同じ、授業開始の5分前。真知はいつもと同じ無表情だった。そこからは何も読み取れなかった。


いつも通りに俺が話しかけて、半ば強引に他愛もない会話をした。それでも、さっきのサチコとのツーショットが頭に残っていた。


聞きたい。でも、聞けない。聞いたら駄目だと、いつか真知が俺に言ってくれる日がくると自分に言い聞かせた。


俺が知りたくたって、真知は話したくないかもしれない。どこまでも真知を中心に考える俺は、今までじゃ考えられない事だった。


過ぎていく時間と、一緒にいる時間と、俺が知っている真知の事が比例しない。そのギャップの間でのたうち回ってるしかなかった。


放課後、バイトがないからと教室に残った。真知と何も話さず、突っ伏して寝ているふりをして、教室から人がいなくなるのを待った。それからやっと机から起きあがると、真知は俺に無関心な様子で掃除をし始める。真知が箒をかける背中を机に寄りかかって眺めながら、昼間の記憶を掻き消すように口を開く。


「真知って、誕生日いつ?」


真知が答えるようなくだらない質問ばかりを選んできた俺だったけど、そんな重要な質問を忘れていた。一番手軽に答えられそうな、一番重要な質問。


真知がゆっくりと振り返った。色素の薄い目の光彩の中に、俺はいるのだろうか。


「一昨日です」


「は?」


一昨日は月曜日で、俺達は学校で会った筈なのに知らなかったという現実に苦笑いしながら肩を落とした。誕生日くらい祝ってやりたかった。


「言えよ。誕生日なら誕生日だ、って」


「言う理由がありません」


俺の気持ちを知ってか知らずか、真知は冷たい事を言う。めげそうになりつつも、まだ何も始まっていないと自分を奮い立たせる。


「あるだろ。誕生日なんだから。めでたい日なんだぞ」


「そうですか」


真知のどうでもいいと示すような返答に、俺は両親の教育方針を少し疑いかけた。誕生日は大事だと刷り込まれるようにして育ったけど、もしかしたら違うのかもしれない。いや、これは個人差があるだけだ。


「無頓着だな。誕生日だって言ったらケーキでも買ってきてやったのに」


待てよ、貯金をおろさないと金がない。事前に聞いておかないと何もしてやれない。それに今日の俺は残念ながら寝坊して慌てて家を出てきてしまって、財布を家に忘れている。明日はバイトで学校に残れないし、本当についていない。


慌てて制服のポケットというポケットを漁る。女物のものなんて一切入っていないだろうけど、探さないよりマシだ。真知は俺の必死さなんか知る由もなく、また俺に背中を向けてしまう。


あーあ、と項垂れそうになった時、スラックスの右ポケットに入れた手にチェーンのようなものが絡まった。そのまま手を出すと、黒い石のネックレスが出てきた。燻しのシルバーで、石の周りをユリの紋章が囲ってある。


一年以上前、バイトの初給料で買ったものだ。このブランドの相場でいったら、安い方に違いはないんだけど。


最近付けてなかったのに、どうして入っていたんだろう。寝惚けてポケットに入れたんだろうか。俺はどこまで阿呆なんだろう。


窓から入ってきた夕日に石が照らされても透明感は変わらない。ユニセックス物だし、女がつけていたって全然おかしくない。


真知は俺に背を向けて床を掃いている。


「真知」


振り返った真知に、ネックレスを見せれば、首を傾げられた。


「これあげる。誕生日プレゼント」


お下がりをあげるなんて俺はどれだけビンボーなんだ。いや、これは単なる繋ぎだ。金をおろしたら真知が欲しがるものを買えばいい。



ベンツの四駆とか自家用ジェット機とか言われても絶対に買えないけど。そんな事を思って途方に暮れている俺を余所に、真知は首を横に振る。素直に受け取ってくれないという事は分かっていた。近寄って、その顔を覗き込む。


「2日遅れたけど、16歳の誕生日おめでとう」


すぐさま顔を背けられた。苦笑いしつつ、真知のブレザーのポケットにネックレスを落とした。


それに気付いた真知が俺を見上げて、ポケットに手を突っ込んだからその腕を掴んで返されるのを拒もうしたら、とっさに振り払われた。触られるのが嫌いなのかもしれない。気付いているのに、なんで俺は何回も同じ事をしてしまうんだろう。


真知はポケットの中からウェットティッシュを出して、俺の手に落とした。


「え、なに?」


「手を拭いてください」


「なんで?」


黙り込まれて意味が分からないまま、首を傾げながら手を拭く。真知は、一瞬だけ俺を見てから俯いた。


「これは頂けません」


「いいから、どうせ俺のお下がりだし。もらっとけって」


「でも、」


「いいよ。金はかかってないんだから素直に受け取ればいいんだよ」


な?と真知の目をじっと見ると、躊躇うように頷いてくれた。こうやって強引に頷かせる事だけは得意なんだけど、これ以上はどうもうまくいかない。苦笑いしながら真知から離れる。


真知は目を泳がせながら立ち尽くしている。箒を握る手の第二関節には血が滲んでいた。いつになっても真知のひび割れは治らない。


「真知ってサチコと知り合いなのか?」


無意識に、口から零れ落ちていた。


「サチコ?」


「あー、っとね。近藤紗千子。二年の」


真知は小さく頷く。やっぱり、知り合いなのか。でも真知はそれっきりサチコについては何も話さなかった。俺はそれ以上の事を聞くのはやめた。


その後は、いつも通り真知を家に送った。ガキみたいな恋愛だった。ただ、好きだと思っているだけの恋愛。先に進む事を考える余裕すらない恋愛。ガキ臭い自分にうんざりしながら、家路についた。







人は成長するにつれて、正当化ばかりがうまくなる。何でも理由をつけて自分を守ろうとする。自分を守らなければならない。自分より大事なものができてしまった時の為だろう。


時間は過ぎるだけで取り戻せない。時計は時計回りにしか回らない。


タイムスリップなんてハナシはファンタジーでしかないのだ。そんな便利なものが現実世界にあったら、皆人殺しになるし、皆誰かに殺される。そうして、時間を戻せるからと、全てを許せるようになる。憎しみも悲しみも後悔もない楽園がそこにはあるんだろう。


負の感情が一切ないのは羨ましいと思うが、それが果たして正しい事なのかどうかと言ったら、違う。そんなのは人間じゃない。そんな完璧なものはカミサマでしかない。


カミサマは一度死んで蘇ったらしい。それは信仰者が世界最多のある宗教の話で、この世には沢山のカミサマがいて沢山の宗教がある。


結局は信じる物の先にある事がカミサマだという事なのかもしれない。でも、家に仏壇があるだけで実際は宗教なんてものはよく分かっていない無宗教の俺には分からない。


でも、どれだけ沢山のカミサマがいても、救われるのはほんの一握りだ。願っただけで何かを達成できるなら、誰だって苦労はしない。


あのカミサマのように心臓が止まってまた動き出すなんて事が現実にあったら、ホラー映画も真っ青だ。


タイムスリップができなくても、人は無意識に人を殺してるものだ。命じゃなく、心を殺して殺される。それは自分で自分を、または他の誰かを。


時間を戻したいと真剣に思った。留年した時なんかとは比べ物にならないくらいの後悔をして、時間が戻ればいいのにとずっと考えていた。


俺が後悔したのは、一つだけではなかったけど。言葉は軽くも重たい。それは受け止める側で変わってしまうから、こちらからはどうする事も出来ない。俺に成す術は一切ないのだ。


俺の知らない所で二つの事が動き出す。


俺が人生で一番重い、三つの後悔をするのは、後もう少し先の話。


後悔先に立たず。こんな言葉を最初に吐いた奴は誰だ。その通り過ぎて、笑えない。




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