盛者必衰の象徴
俺が前にここに来たのは三年以上前の事で、その時俺の隣にはシュンと、スピードに夢中になっていたらしい元カノのアイナがいた。
アイナがスピードに夢中になっていたと知ったのは俺がアイナと別れてから(付き合った期間は物凄く短かったから当たり前なのかもしれない)で、アイナはその後暫くしてから違法薬物の所持と使用で少年院にぶちこまれたと聞いた。
シモネタを仕込んでいたと聞いた時にはギョッとしたけど、俺は生はしないのだ。それで助かったのか否か、そんな事は分からないけど世の中怖い事だらけだ。
アイナと俺が知り合ったのは、俺の記憶が正しければシュン経由だ。シュンと居酒屋にいた時に俺に気があるらしいとわざわざ後輩を使ってアイナを連れてきたのだ。
もしかしたらシュンはアイナがスピード中毒だと知っていて、二人はシャブ食い仲間だったのかもしれないとも今になって思う。
あの頃からシュンは、俺の事を友達だとは思っていなかったのかもしれない。大体、シュンの通っていた中学は俺が通っていた北中とは随分と距離が離れていた。シュンは電車に乗って俺が時夫達と溜まっていた公園に来ていたのだ。
最初は俺だって、シュンに話し掛けようとは思わなかった。だけど毎日朝になるとそこにいて、終電直前に公園を出ていくまでひたすらトイレの壁にスプレーで絵を描き続けるシュンに、俺が興味を持たない筈がなかったのかもしれない。
シュンの絵は上手かった。俺はシュンから文字だけは習ったし、毎日グダグダとしている時夫達と先輩を待っているのは暇以外の何物でもなかった。
その間を埋める為の俺の都合のいい相手だったのかもしれない。そんな風にシュンを言うのは最低だけど、冷静に考えてみたらそうだった。
どうしてシュンがあの公園を選んだのか分からなかった。あの公園は、俺が仕方なく先輩の派閥に入っていた頃の溜まり場で、その派閥はこの辺では一番小さい派閥だったけど精鋭だけを集めた派閥だったと言われている。
意味のない縄張り争いはガキなりに激化していた時期だったし、俺や時夫達の中学卒業と同時に警察署で解散式をするまでは物凄い勢いで暴れていた派閥だった。そんな危険なガキばかりが揃うあの公園をシュンは選んだ。それが不思議でたまらない。
シュンはだいぶ控えめに表現しても情緒不安定だった。それはクスリのせいだとあの頃から俺は勘付いていたけど、何も言わなかった。色んなガキに喧嘩を売りまくって、突然発狂したりするシュンは、きっと俺に隠そうとはしていなかったんだと思う。
そんなシュンの存在を次第に迷惑だと思うようになったのは確かだった。でもシュンと話しているのは楽しかったし、迷惑だという感情が最大級に膨れ上がる直前で夏休みが終わったのだ。
その夏休みが終わる直前、アイナと行きずりで関係を持ってしまった俺は、アイナに付き合って欲しいとせがまれて、付き合い始めた。
ちょうどその日かもしれない。ここにシュンとアイナと三人で来た。それはここにガサが入る三日前だったと記憶している。
昔の事を思い出しながらコンビニの車止めに腰を降ろして、道路の向こう側のビルの地下へ続く階段と、その両脇を固める見張りとメンチを切りあっていた俺だったけど、ボディーガード並に横に張り付く後輩の亮平と鉄也に溜め息をついた。
「…お前らさ、仕事戻れば?」
「いや、奥さんに宜しくと頼まれたんで」
「人の奥さんをナンパしといてよく言うよな。ふざけんなよ」
「それは本当にすいませんでした。だって俊喜さんギャルが好きだったじゃないですか。あんな本格的な美人だとは思ってなかったんです」
「ギャルしか寄って来なかっただけだっつーの」
亮平を睨むと、すいませんと頭を下げられた。
「言っとくけど、真知、意外と俺にベタ惚れだからな。マジ可愛いから。具体的な説明はしないけど」
「マジですか……。まさかの美人、まさかのタメで運命だと思ったんですけど」
「よし、亮平、歯食いしばれ」
「本当にすいません!」
それから目を逸らすと、どうぞ、と鉄也が俺にマウントレーニアのコーヒーのパックを手渡してきた。いや、俺、確かスタバのシアトルラテって言った筈なんだけど、どうしてこれ?
「すいません、売り切れでした」
「マジでか」
ほんの30分前の出来事だ。シュンの所へ出掛けようと着替えて下に降りてきた俺が見たのは、真知にナンパする後輩二人だった。
亮平と鉄也は最近まで少年院に入っていて、俺の奥さんが真知だという事を知らなかった。とは言え、人ん家でナンパするとはどういう了見だ。俺の教育が間違ったらしい。
怒って説明して、飯を食って三人で家を出てきた。塗装工で修行中の亮平と、ネットカフェでバイトする鉄也は、仕事を放り投げて俺の脇を固めている。
原因は一つ。真知が『俊喜を宜しくお願い致します』と二人に言ったからだ。デレデレと返事をした二人は俺についてきて、この状況。
パックにストローを刺して飲み込むと、鉄也の履いたナイキのジョーダンが目に入る。一人で来いって言われてたんだけどな、と溜め息をついた。まあ、中に一人で入ればいい話だからいいんだけど。
「お前らさ、少年院出で雇ってもらったんだからしっかり働けよ」
「いや、親方より俊喜さんのが怖いですから」
「いや、店長より俊喜さんのが怖いですから」
「な訳あるかバカヤロー。俺はまだエイティーンだぞ。中年のおっさんのが恐ろしいに決まってんだろ」
まず親方と店長と俺を比べるのがどうかと思う。別に俺は亮平と鉄也に金を渡している訳ではないし、はっきり言ってこの先の人生と金がかかっている会社の人間を大事にして欲しいと思うよ、俺は。
パーカーのヒモを弄りながら首を傾げて難しそうな顔をした鉄也が口を開いた。
「すいません、エイティーンってなんですか」
「あ、ごめん頭良くて」
後輩にとっちゃ俺はインテリだった(但し清春を除く)。紳士の笑みで対応すると、鉄也がエイティーン…?と繰り返す。
閃いたとでも言うような顔をした亮平の塗装が飛び散ったドカジャンを見つつ、コーヒーを飲み込んだ。
「あれっすよね、エイの尻尾がティーン!ってなってる事ですよね?」
「ティーン!ってなんだよ。まずエイに尻尾あったっけ?」
「あれ、ないですっけ?」
「知らねーよ。俺、動物専門家じゃねーもん」
自分で言っといてあれだけど、何このくだらない意味のない無駄な会話。ふと鉄也を見ると、口に銜えた煙草に火を付けようとしていた。それを奪って、ゴミ箱に投げる。よし、入った。
「ちょ、俊喜さん!」
「お前、保護観察中だろ。せめて終わってからにしろ」
「俊喜さんだって保護観察中に煙草吸ってたじゃないですか!」
俺は悪い例になるらしい。溜め息をついた。
「俺は中学生だったからいいんだよ。お前は働いてるんだからしっかりしろ。そこ辞めさせられたら金なくなるだろーが。もっと後先の事を考えろよ」
「……その通りっすね、暫く禁煙します」
鉄也はラキストの箱を握り潰してゴミ箱に投げた。さあ、やっぱり煙草が吸いたいという衝動にかられてゴミ箱を漁って折れそうになっているくしゃくしゃの煙草を吸い始めるまでどれくらいだろうか。
そんな惨めな事をさせる前に、と立ち上がった。そんな俺を二人が見上げる。
「俺は一人でいいから、お前ら仕事戻れ」
「怪我してるんですよね?俊喜さんに何かあったら奥さんに、」
「お前ら俺がすぐにくたばるように見えんのか?お前らは駄目だ。すぐ喧嘩になって少年院戻されるぞ。早く仕事行け」
顎で行くように促すと、二人は渋々立ち上がった。仕事頑張れよ、と言うと、返事をした二人が俺に頭を下げてからそれぞれの職場に戻っていく。
二人が曲がり角を曲がった事を確認して、大きく息をついた。勢いよくコーヒーを一気飲みしてパックをゴミ箱に向かって投げると、枠に弾かれて入らなかった。嫌な予感。
大人しくゴミ箱の脇に転がったパックを取ってゴミ箱に入れる。道路の向こう側から感じる視線の強さはさっきから増すばかりだ。そんなに俺を見てどうするんだろう。そんなに俺が好きなんだろうか。
そう思いながら左右を確認して、道路を渡った。真知に気を付けてと言われたんだ。事故に遭ったりくたばったり出来ない。
クラブの入り口の階段の脇を固める戦闘力120%くらいのごつい、坊主頭と汚いロングヘアーの二人組に紳士の笑顔を向けると、目を逸らされた。
その隙に、と坊主頭の方に助走を付けて跳び蹴りをかますと、坊主頭は呻き声を上げて踞った。もう一人のロングヘアーが詰めよって来て、手を上げて降参のポーズを取る。ただじゃれただけだし、今の体で勝てる気がしない。
「緒方俊喜だけど」
「知ってるよ」
「だよな、そっちのトップにインテリメガネ経由でご指名受けたんたけど」
ダウンジャケットのポケットに手を突っ込みながらそう言うと、ロングヘアーは凄い目で睨み付けてくる。怖い怖い。
「行け」
「ドーモ」
階段を降りると見えてくる。違法薬物の密売をしていて、ガサ入れされて潰れたクラブ、『noiseless』。
かつて細いネオン管でボーッと光っていた看板は外されていた。クラブなのに『noiseless』とはどういう意味があるんだろう。
クラブに名前を付ける程の金持ちの気持ちは庶民の俺には分からない。
こんな箱どこにだってあるのに、あれだけ人気を博していたのはイベントの多さと薬物常習者のお蔭だろう。イベントに出ていたシンガーやDJも薬物常習者だった事は少しの間世間を賑わせた。
ご丁寧に店のドアの前にも見張りがいた。ハーフコーンロウでセプタムにリングピアスを付けた背の低い男だった。明らかにキチガイそうな濁った目でにっこりと笑われる。その男はスクランパーにサーキュラーバーベルを付けていた。
そんな所にピアスを付けてたら邪魔臭そうだと思いつつ、口を開く。
「緒方俊喜だけど」
「知ってるよ」
「知ってるならさっさと通せよ。トロいんだよ」
黙って俺を睨み付けたセプタムスクランパーがドアを開けた。さっさと開ければいいのに面倒臭い。中指を立てて舌を出したセプタムスクランパーの舌を見て思わず顔を歪めた。
セプタムスクランパーはセプタムスクランパーだけじゃなかったのだ。スプリットタン。センタータンを開けた事があるだけに、痛さは知っている。あれを拡張するなんて以ての外だと思いながら、それから目を逸らして部屋の中を見た。
カウンター席はそのままで、もぬけの殻の箱の中にガラの悪いガキが屯していた。皆こっちを睨み付けるものだから、嫌だ。俺は今から平和条約的な物を結びに行こうと思っているのにも関わらず、なんでこんな目を向けられなきゃいけないんだ。
真っ黒で統一されたそこに浮かぶLEDがガキ一人一人の顔を過る。そんなにカッコつけたって、俺は女じゃないから靡いたりしないんだけどな。なんて見当違いな事を考えたりしてみる。どうしてこうも敵視するんだろうか。
ボスの言った事は絶対です、なんてな。ヤクザや警察の真似事でしかない。本場と邪道の違いは無駄があるかないか。ガキの真似事は無駄ばっかりだ。
その時、ドアが開く音がした。カウンターの奥のドアから光が洩れる。昨日と同じように笑うインテリメガネだった。
「来てくれたんだね、緒方俊喜君」
「出てくるの遅くね?もっとしっかりしてくれよ」
「さあ、こっちにどうぞ」
俺の言葉は無視か?
小さく息をついて、まとわりつくガキの視線から逃れるようにカウンターの中に入る。なんだか服の中身まで透視されそうで嫌な気分だ。俺もそんな目で誰かを見ていた時期があったのかと思うと恥ずかしい。
そう思いながらインテリメガネを見た。首を傾げて笑みを浮かべられて、苦笑いする。俺の紳士の笑みよりも紳士だった。ムカつく。
中に入ると、チェン君と『脚フェチそうな君』と和製某有名ベーシスト似がいた。その奥でのソファーでどっしりと座るのは、伸びきった坊主頭のシュン。前より一回り体格がごつくなった気がする。
あの頃と変わらない八重歯を見せる笑顔を向けてきたシュンに笑いかけて、俺はふとチェン君を見た。
「チェン君ってさ、わざと似せてんの?髪型とかそっくりじゃん?まさかの尊敬?」
「俊喜、久しぶりだな」
俺はチェン君に話し掛けているのにも関わらず、シュンは話し掛けてきた。物事には順序って奴がある。だがインテリメガネから本能と言われていたシュンにそれは通用しないらしい。
「おう、久しぶり」
「座れよ」
まるで敵対してるとは思えないような素振りだった。チェン君や『脚フェチそうな君』がシュンの目の前のソファーから立ち上がって退いたから、そこに腰を降ろした。
すると皆部屋から出ていって、シュンと二人きりになった。おい、待って。シュンって同性愛者なんだろ?俺食われちゃうよ。真知を食う前に食われちゃうよ。
内心でそう思っていたが、俺は平静を装ってソファーの背凭れに背を預けた。同性愛者と一対一で向き合うのは初めてだから、不思議な気分になる。
これは偏見に当たるのかどうかは分からないけど、俺の知らない愛を知っている人物だ。俺は異性愛者だし、男をそういう目で見れないからこそ、超越しているとは思う。
「三年ぶりか?」
「だな、体でかくなったな。少年院でしごかれたのか?」
「まあ、肉体労働だから」
それからペラペラと少年院での武勇伝についてシュンは語り始めた。当初八ヶ月で出てこれる筈だった少年院に長いこと留まってしまったのは、問題を数多く起こしたかららしい。正直に言って、どうでもいい。控えめに表現して、興味がない。
「あ、俊喜、煙草吸うか?」
シュンがテーブルの上に転がっていたセブンスターの箱を取って俺に差し出してきた。暇すぎるし貰おうかと一瞬思ったけど、断った。
「いいや。ガンジャだったら困るし」
俺は意外と人を怒らせるのが好きなのかもしれない。平和主義者に間違いはないけど、俺の台詞に機嫌が良さそうだったシュンの顔から感情が消えたのが面白くて仕方ないのだ。
「なあ、くだらねー話はいいから本題入ろうぜ」
「…俊喜、」
「俺はお前程暇じゃないんだ」
さっさと話を済ませて帰りたい。帰ったら真知と物件を見に行くのだ。こんな所にいつまでもいる訳にはいかない。
シュンはケースを放り投げて、つまらなさそうにソファーに身を沈めた。まるで幼稚園児だ。だから本能なんて呼び方をされているのかもしれない。
「俊喜、お前、兵隊連れてきてねーのか?」
「連れてくるも何も、俺に兵隊なんていねーよ。お前が勝手に派閥なんてくだらねーモンでっち上げたんだろ?」
ソファーに片足を上げながら言うと、シュンは俺を見て笑った。見たことがないくらい、頭のイった人間の笑い方だとぼんやりと思う。
「だからお前の事は、昔から気に食わなかったんだ」
「だろうな。冷静に考えてみたら、お前に嫌われてたんだろうな、とは思ったよ」
俺が笑いながらそう言うと、シュンが手元にあったビールを飲み込んだ。ガキの癖に昼間から酒飲むなよ。シュンは満足したようにアルコール混じりの二酸化炭素を吐き出した。俺に視線を向けて、八重歯を見せる。
「そういう所が嫌いなんだよ」
「あー、それは光栄だ。俺もお前のネチネチ無駄足ばっかり踏んで周りを巻き込む所とか大嫌いだからな」
「……三年前にお前を潰しておけば良かったな」
ぼそりと呟くように言ったシュンは、俺を睨んだ。睨まれてばっかりで最悪の日だ。俺が何したっていうんだ?
「お前が清春の親父さん殺したのか?」
単刀直入にそう聞くと、シュンは肩を竦めて俺から目を逸らした。否定か、肯定か、分からない。
「恐ろしいなお前は。三年前、あの公園に行った時、本当はお前じゃなくて桐原清春が目当てだったんだ」
「それは一族根絶やしを完成させる為か?」
「いや?あれは芸術品だ」
笑う所じゃないけど、少し笑ってしまった。
清春が芸術品なんて、面白すぎる。シュンのビジョンでは、そんなにあいつが美しく映っていたのか。酔っ払うと泣き上戸になって最悪なのに。
「お前は俺の邪魔をするから大嫌いなんだ。お前の目に殺されるかと思ったんだぞ、俺は。」
「物騒な事言うんじゃねーよ」
「消さなきゃいけないと思った。桐原清春の前に、まずは緒方俊喜を消さないと駄目だとな。そうじゃないとお前は、桐原清春を殺した人間を簡単に突き止めるだろうから」
どうして俺の周りの人間は俺を過大評価するんだろうか。俺は清春を突き止めるのに約一年も時間を費やしたのに、簡単に突き止められる筈がない。
馬鹿にした目でシュンを見てしまったのだろうか。シュンは能面みたいな顔で俺を見た。
「桐原清春について知っている事を全部吐け」
「……死んだ」
「そんな事を聞いてるんじゃない!」
「ああ、静岡で消し炭になって発見されたらしい。お前の芸術品は崩壊したよ」
別の意味で、だけど。シュンが芸術品だと言った清春の顔はもう別人だ。
シュンが眉間にシワを寄せる。ソファーの肘掛けに頬杖をついたシュンは、ゆっくりと震える息を吐いた。
「お前、桐原清春を嗅ぎ回っていたんじゃなかったのか」
「嗅ぎ回ってたけど、死んだとしか出てこなかった」
「じゃあ昭伸が言っていた事は嘘だったのか!?桐原清春が生きているだなんて!それをお前が知っていて桐原清二の事件について嗅ぎ回っているから刺しただなんて!」
「は?」
桐原清二って、清春の親父さんだろ。菊地の嘘で事がここまで発展したというのか?意味が分からない。取り乱したシュンが血走った目で俺を見る。
その目が、真知が手を洗っていた時と同じ目で、固まった。真知がその目をしていたら抱き締めて慰める為に体が勝手に動くのに、そうはいかなかった。客観的に見たら、俺が今まで感じていたものよりずっと不気味だった。
「お前はいつもそうだ!冷静に俺を見て、嘲笑っているんだろう?お前の嫁は浮気してるぞ!よりによって、どうしてリュウジなんだ!お前はどこまでも俺の邪魔を!」
「は?リュウジ?」
真知が浮気?リュウジ?言っている事の意味が分からない。
「知らないとは言わせない!お前だってリュウジを知っているだろう!」
シュンが懐から取り出してテーブルにぶちまけた写真の中は、コンビニだった。コンビニから男と出てくる真知は、その男にドアを開けてもらっていた。
「これ、」
「なんでリュウジが!なんでリュウジがお前の嫁なんかに惚れるんだ!」
真知が浮気なんて、と心臓が止まりそうになっていたけど、安心した。シュンがリュウジと呼ぶ男は、清春だった。日付は俺が闇医者に入院していた時だ。清春は何度か真知の送りをしてくれていた。
整形後の清春の名前はリュウジというのか。初めて知った事実に驚いたのと同時に、清春が真知に手を出す筈がないという安心感が一気に流れ込んでくる。
「これ、矢崎組の人間だろ。真知の送りだ」
「なんでそう言うんだ!?皆そう言うんだ!おかしいだろ!リュウジがお前の嫁と一緒にいるんだぞ!?」
おかしいのはお前だと言いそうになった。どう考えたって分かるだろう。清春は真知のマンションのエントランスで真知に頭を下げて帰っていく写真だってあるのに、関係があると思う方がおかしい。
「俺はこんなにリュウジが好きなのに!」
シュンが頭を抱えて叫んだ。支離滅裂。クスリのせいなのかなんだか分からないけど、頭が狂ったシュンは、訳の分からない事を叫び続ける。
世の中は、皮肉なものだ。シュンは清春を殺そうと思っていた程に憎んでいたのに、リュウジを愛している。憎んだ筈の人間だと知らずに愛していると言うのだ。
目に見えている筈なのに人の意見を拒むシュンに、言える事はなかった。もしかしたらシュンでさえも駒にしか過ぎなくて、全部を握っているのは一人だけなのかもしれない。
「なあ、教えてくれよ。お前が清春の親父さんを殺したのか?」
「俺は、殺せばもっと愛してやると言っただけだ」
その台詞に、全部が繋がった気がした。憎しみと嫉みの連鎖に、俺は巻き込まれたのだ。全てを知っている人間はたった一人だけで、シュンでさえも駒だった。
そのたった一人の人間の最初の狙いは、多分俺じゃなかった。でも、俺は次に狙われた。それに憎しみなんてものはない。ただ、シュンが俺に近付いたのと同じ理由だ。
俺が、消すに価する人間だと判断したからだろう。
シュンの力を利用して、俺を殺そうとしていたんじゃないだろうか。
シュンはきっと何も知らない。それなら俺は、そのたった一人に会いに行かなければならなかった。俺に知る資格があるのかと言われたら、そうじゃないと思う。
でも、瞬時に思ったのは、誰かがこの連鎖を止めなければならないという事だけだ。
叫ぶシュンの声が耳に響いて吐きそうだった。もうこのくだらない争いは終わる。話し合いは決裂したけど、意味がないことにどれだけ馬鹿だって気付く筈だ。
黙ってソファーから立ち上がってドアの方に歩き始めた。シュンをカワイソウだと思うのは間違いなんだろうか。いや、シュンじゃなく、シュンにどうしようもなく愛して欲しいと思った、派閥争いなんてくだらないものに託つけて俺を消そうとした奴が、カワイソウだと思う。
その時後ろに気配を感じて振り返ると、シュンがいた。やばいと思ったのは遅くて、左の頬にシュンの拳が食い込んだ。
少しよろけて一瞬で口の中に広がる血の味に、シュンを見た。狂ったシュンが口から涎を垂らして笑う。
「殺してやる!お前なんか居なくなればいい!」
鳥肌が立った。それでようやく俺は、真知の気持ちを分かった気がした。これが六年、そう思った瞬間に怖くなって、俺の胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてきたシュンの腹に蹴りを入れた。反射的っていうのは、恐ろしい。
その場に踞ったシュンを放って、ドアを開けた。シュンの叫びが聞こえたのか、血相を変えたインテリメガネがカウンターから身を乗り出していて、俺はそのカウンターを飛び越える。
「おいインテリ!お前、シュンがあんなんになるって知ってたのか!?」
「知らないっ僕は知らないっ」
急にビビったような顔をするインテリとチェン君がドアの奥を見ていた。
「殺せ!そいつを殺せ!」
呻き声のようなその声に、インテリとチェン君が逃げ出した。なんて奴らだと思ったけど、二人に続いてゾロゾロとガキが出ていった。これだけ人種が違う人間が集まっていたのは、連合軍だったからだと今になって気付いた。
ドアから突然出てきたシュンの手にはカッターが握られていて、カウンターを越えて俺に近寄って来る。店内を回るLEDのレーザーにそれが照らされて、菊地の時と同じような感覚がした。
シュンの握ったカッターを蹴って弾くと、シュンはちょうどあったパイプ椅子を振り上げた。それを避けるようにしゃがみこんで咄嗟にシュンの脚を引っ掻けると、シュンがあっさり倒れた。
パイプ椅子が床にぶつかった派手な音が辺りに響く。
「誰か殺せ!誰か殺せ!」
シュンがそう叫んだ時に周りを見渡したら、もう誰もいなかった。懲りずに立ち上がったシュンがカッターを拾ってよれよれと近寄ってきて、その腹に右フックをぶつける。
シュンが持っていたカッターが俺の頬を軽く切ったのを感じた瞬間、シュンは床に崩れ落ちた。
一人ぼっちのシュンは何も出来ない。床に踞ったシュンは、孤独だった。終わったと思った。これであの変な派閥争いは綺麗に終わった。
命の危機に晒されたからか、俺の心臓は今までにないくらいに音を立てている。チンピラに腕を切られた時より、殺されると思った。シュンの狂った目は、それだけの威力があったのだ。
シュンをその場に残して、『noiseless』を出た。『noiseless』の跡地のこの場所を使う人間はいくらでもいたけど、この場所は呪われていた。一度人気を博して、崩れると有名だったのだ。
もしかしたらそれは、『noiseless』よりも前から始まっていた事なのかもしれないけど、俺の世代は『noiseless』からしか知らない。
ジンクスなんてくだらないものは信じていなかったけど、あながち間違いではないのかもしれないと思った。現にシュンはあの場所に本拠地を構えて、孤独になっていった。
それは場所だけが原因ではないと思うけど、もう二度と近寄りたくない。この街で有名な盛者必衰の象徴。まあ俺は、盛者じゃないから関係がないけど。
恋愛感情は、よくも悪くも人を変える。俺は真知を好きになって多分いい方に変わったんじゃないかと思うけど、シュンを好きになった人間は悪い方向に変わっていってしまうのではないかと思った。
久々に人を殴った右手が熱かった。情けないけど怖かった。死にたくなかった。俺には未来があって、真知がいる。真知がいない場所では死にたくなかったのだ。
本当に、死にたくない。ずる賢くても、命を繋ぎ止めたかった。でもそれは当たり前で、普通の事だ。
次第に収まっていく心臓の音を感じて安心しながら、家までの徒歩15分を歩いた。
家のドアを開けた瞬間、ポケットの中のケータイが震えた。トレーを運んでいたお袋が俺の顔を見て睨んだのを尻目に、ケータイを見ると、『池谷』の文字。後ろ手にドアを閉めながら、電話に出た。
「なんだよ」
「話し合いは済んだのか?」
タイミングが良すぎて吐き気がする。
「あ?交渉決裂、だけどあっちが勝手に内部分裂したから終わった」
「そうか。原因は何だったんだ?」
原因か。何だったんだろう。ただ巻き込まれた俺なのか、それとももっと昔から続いていた連鎖なのか。
常連客に軽く頭を下げながら厨房の暖簾を潜って、ため息をついた。
「超くだらねー事だよ」
「本当か?」
「マジだよ。話すのもめんどくせーくらいにくだらねー事だった」
腑に落ちないのか、酷く不満そうな声を出す池谷に詳しく話す必要はないと思った。警察が絡んだらまた面倒な事になる。
適当に電話を切ると、階段の方から足音が聞こえた。階段の方を覗くと真知がいて、ホッとする。俺、生きてる。
「真知、ただいま。物件見に行くか」
何もなかったように笑うと、目を見開いた真知が走りよってきた。なんだ?寂しかったとか可愛い事でも言うんだろうか。
「どうされたんですか、その怪我!」
「あ、」
「お散歩に行かれたのではなかったのですか?鵜原さんは?鶴巻さんは?」
殴られたのも、真知に散歩に出掛けてくると言ってここを出たのも忘れてた。あの二人は仕事に行ったと当たり障りの無さそうな言うと、真知が顔に手を伸ばしてくる。
「頬が、切れています」
「ああ、まあ、それは転んだみたいな?」
「……お散歩は嘘ですか?」
真知が強い目で俺を見た。あ、怒らせた。
「いや、散歩。話し合いをしに行くという名の散歩」
「……話し合いなら、何故お怪我なさるんですか?流血を伴う話し合いなど存在しません」
インテリモードの真知が怖い。苦笑いすると、真知に手を引かれた。
「まずは手当てが先でした。申し訳ありません」
階段を登り始めた真知を後ろから抱き締めると、如何されましたか、と少し慌てた声が聞こえる。
「いや、なんでもない」
生きてて良かった。俺を繋ぎ止めるのは、やっぱり真知だった。
真知に手当てをしてもらってから二人で物件を見に行き、早々と部屋を決めた。俺の家から徒歩5分の家賃の安い、築三年の綺麗なアパート。
真知を家に送るついでによく寄るコンビニに寄ると、見知った顔ぶれが駐車場に集まっていた。集まっていたと言っても、要と清春の二人だけだったんだけど。
寒いのに外にいるなんて元気な奴らだ。俺は二人の頭がおかしくなったんじゃないかと少し疑う。
真知の手を引いて二人に近寄ると、二人が慌てて頭を下げてきた。礼儀正しい二人組。俺は清春を見た。シュンが芸術品だと言った顔はもう跡形もなく消えているけど、シュンに惚れられたリュウジの顔。
「リュウジ君、一橋シュンって奴知ってるか?」
「え?まあ、クラブでよく会いますけど」
「マジか」
よくある出会い方。気をつけろよ、と清春に言うと訳が分からなそうに首を傾げられた。お前は知らなくていいよ、と言おうと思ったけどやめた。余計な気を回させるだけだ。
冬の夕方は寒くて、思わず真知と握った手をポケットに突っ込むと、要が苦笑いした。
「……俊喜さんが真知さんといると、なんか…違和感…」
「要ちゃん?どういう意味?」
「俊喜さんが女とべったりしてるのってなんか……いつまでも見慣れない、っつーか」
「黙れ」
要の鮮やかな金髪を軽く叩くと、痛いと言われた。顔に傷を作った要は駆け出しのホストみたいに見える。ホストは細い奴が多いわりに武闘派だ。前に店の裏口で激しい喧嘩をしているのを見た時に、絶対にホストにはなりたくないと思った。
ポケットの中で真知の手を握り直すと、真知がそれに答えるように握り直してきた。何、この可愛い動物。
「アイス買って早く帰るか」
そう言うと、真知が俺を見上げて頷く。それを見て、少しだけ思った。帰したくないんですけど。
「一年くらい会ってなかっただけで俊喜さん、別人になりましたよね」
「リュウジ君?」
「すいません」
リュウジ、もとい清春が苦笑いした。好青年顔はだいぶ見慣れたけど、要と一緒にいると更に好青年に見える。控えめに言って、二人が一緒にいるとアイドルっぽい。ユニット『カナキヨ』とか。俺はネーミングセンスがなかった。
「真知さん、今日はハーゲンダッツ買ってやるよ」
「え?」
「バニラ好きなんじゃねーの?」
「でも、ハーゲンダッツは高いです」
絶句した。元お嬢様の真知に俺の金銭感覚が移っていた。なんて事だ。これはいい事なのか悪い事なのかどっちなんだろうか。
「真知さん気を付けな?男が優しくする時って浮気した時だよ」
要を睨むと、冗談ですよ、と慌てられた。慌てるくらいなら最初から言うな。真知が俯いてポツリと呟いた。
「……浮気」
「ほら真知本気にしたじゃんか!どうすんだお前!」
要の胸ぐらを掴んだ瞬間、真知が俺の手を握る力を強めて制止した。
「冗談です」
「そっちが冗談!?」
「貴方も少しは焦ればいいんです。今日お散歩だと嘘をついた罰です」
「マジでか」
苦笑いすると、清春の笑いを噛み殺す声が聞こえてムカついた。真知さん最高と言う清春の脚を軽く蹴ると、すいませんと言われる。
全然すいませんなんて思ってない癖に、と心の中の俺がぶりっ子みたいに頬を膨らませた。その顔が予想以上に気持ち悪くて、更に胸くそが悪くなる。自業自得。
それをぶつけるようにもう一度清春の脚を蹴った時、複数の足音が聞こえて反射的に振り返った。
「緒方俊喜!」
見た事もないガキが五人。真ん中に立つキャップを被ったガキに名前を叫ばれて、苦笑いした。プライバシー、個人情報。
「緒方!」
「声でかいし、聞こえてるし」
俺が冷静にそう返すと、ガキが一斉に走りよってくる。頭を過ったのはシュンで、俺の考えが甘かった事を一瞬で悔やんだ。連合軍の内部分裂だって、シュンに元々ついていた人間はいたのだ。
とっさに真知の手を離して、キャップのガキの腹に蹴りを入れた。ガキが倒れて、慌てて叫んだ。
「要!真知を中に入れろ!」
「はい!」
真知は元お嬢様なんだって。どれだけ金銭感覚が庶民(貧乏寄り)になったとしても、元お嬢様は元お嬢様。こんな血生臭いシーンは見られたくないし見せたくない。
清春がすぐにその傍にいた茶髪のガキを殴ったのを視界の端に入れながら、俺に向かって拳を振り上げるジャージ姿のガキの開いた右脇腹に拳をぶつける。
「病み上がりなんだって、」
と、ぼやいたがそんな暇はなかった。坊主頭のB系のガキの蹴りを避けて、みぞおちを目掛けて蹴りを入れる。
細いガキ五人。朝の見張りみたいなのがゾロゾロ来たらもう最初から諦めたけど、これならまだ大丈夫かもしれない。
清春はグレーのダウンジャケットを着たガキに強烈な回し蹴りをお見舞いしていた。その成長を微笑ましく思う。
それから目を逸らすと、よろりと立ち上がったジャージ姿のガキのエラの骨に左ストレートを入れたらガキが崩れ落ちる。その後ろに立っていたキャップのガキに気付いた時は遅かった。俺はいつだって気付くのが遅いらしい。
腹に一発パンチを入れられた。もう二週間以上経っているとはいえ、腹の傷が開いたのかなんなのかは分からないが、吐きそうだ。思わず地面に片膝をついてしまった。
いや、弱点狙うのは分かるけど、これ俺の生死に関わるんですけど!心の中でそう叫びながら俺から離れて距離を取ったキャップのガキを見上げた時、ガキの手に握られた銀色がコンビニの光に照らされて目に残像を残す。
「殺してやるっ」
反射的に見たガキの目は、菊地のそれと同じだった。ナイフを持ったガキが走り寄ってきて、立ち上がろうと足に力を入れたけど、入らなかった。腹の痛みが酷い。
殺される。
そう思った時に耳に届いたのは、要の叫び声だった。
「真知さん!」
俺に向かって真っ直ぐに走ってくるガキを、横から真知が体当たりした。ガキがバランスを崩して地面に倒れこんで、真知もそれに伴って倒れこむ。
真知がやばいと思った瞬間、足が動く。
とっさに起き上がった真知に、寝転がったままのガキがナイフを振り上げた。
「やめろ!」
聞いた事がないような叫び声が耳に届く。それが自分の声だと分かったのはその直後。真知に伸ばした手は、届かなかった。
ナイフの動きと一緒に真知の顔が動く。馬鹿みたいにスローモーション。ナイフの後を追うように、赤い液体の小さな粒が空気中を舞う。
間に合わなかった。次の瞬間、真知はガキが握ったナイフの刃先を両手で握り締める。
ガキが目を見開いて真知を見ている。俺は真知の隣にやっと辿り着いて座り込んだ。
刃を握り締める真知の手から血がだらだらと垂れていて、真知の腕を掴んだ。
「真知!離せ!」
「殺したら許さないっ!俊喜を殺したら許さないっ!」
真知の怒鳴り声に思わず真知の顔を見た。右の頬を横断する赤い線から血が流れている。頭の中にでかい音が鳴り響く。
こんなの、嘘だ。
目を見開いたガキが、静かにナイフから手を離した。真知が震える手からナイフを手離す。血まみれの手は、前よりも酷かった。
その瞬間に頭が真っ白になる。何かが切れた音がした。
「清春、救急車呼べ」
返事も聞かずに立ち上がった。怯えた目で後退りするガキのTシャツの襟ぐりを無理矢理掴んで立ち上がらせると、腹に蹴りを入れる。軽く飛んだガキの腹の上に体重をかけて座り込むと、ガキが叫び声を上げた。
「お前、シュンに『緒方俊喜を殺したら愛してやる』とでも言われたのか?」
「っ、すいませ」
「すいませんじゃねーよ。女の顔に怪我させてそれで済むと思ってんのか?」
ガキの顎を掴んでこっちを向かせると、ガキが狂ったように叫ぶ。
「ごめんなさいすいませんでした!殺さないで!死にたくないっ!」
ガキの顔の横の地面に転がるコンクリートから剥がれた小石を掴んで、叫ぶガキの口の中に押し込んで無理矢理口を閉じさせた。
「別に殺さないけど、歯、何本いくか?」
ガキが目を見開いてモゴモゴと口を動かす。胸ぐらを掴んで、ガキの頬を思いきり殴った。
「俊喜さん!」
何度が殴ると、その声と一緒に清春から無理矢理引き剥がされる。ガキが口から血と石と歯を吐き出して逃げようとする。清春の腕を振り払って、ガキの背中を蹴った。コンビニの出入口に頭から突っ込んだガキをひっくり返した時、何回も聞いた事がある音が聞こえて、やっと我に返った。
救急車の音と混じるパトカーの音。




