集合体の意味不明
「つーかね、俺は俊喜に聞きたい事がある訳だよ」
久人が時夫と肩を組んで言った。俺はハヤシライスの乗ったスプーンを口に入れる。咀嚼して、飲み込む。
「あんだよ」
「まっちってなんで敬語なの!?」
「癖」
即答してから横を見ると、悟がストローに口をつけて息を吐いていて、ブクブクと泡を立てるメロンソーダがコップから飛び散る。それは俺の腕にもかかった。
「ちょ、悟!」
「あ、ごめん」
俺は悟を一瞥してから再びハヤシライスを口に入れる。仕事が終わって最初の飯。疲れてるのになんでこいつらの顔を見なきゃいけないんだ?
8月、久人と悟は夏休み。時夫は今日はオフだった。俺だけが汗だくで働いてきたというのに、このファミレスに呼び出されて来たのはさっきの事。
真知と俺は夏だっていうのにどこにも出掛けていない。なのに俺はこいつらと会っている。話す事も特にないのに。
久人と時夫が、癖はねーだろ、と口々に言う。いや、癖だから。あれは完全なる癖だから。取り乱した時以外は敬語だから。俺は話すのが面倒で心の中でそう言った。
悟はストローから口を離したと思ったら煙草を銜え始めた。ライターをカチカチと音を立てて火を付けようとしているが付かないらしい。久人が身を乗り出してライターの火を悟の煙草の先で付けた。ラブホのライター。
「あ、ごめんね」
悟は煙草に火を付けた。久人はライターをテーブルに置く。なんで悟のライターはいつもオイルが切れてんだ?
俺は呆れながらウーロン茶を飲み込んで口を開く。
「つーかお前らここに何時間いんの?」
「朝から」
三人の声が綺麗に重なった。マジかよ。どれだけ暇人なんだよ。時夫が久人の派手なアロハシャツの袖を引っ張る。
「つーか久人、この前のCD早く返せよ」
「あ、あれまだ聴いてねーや」
「おい!俺は今聴きたい気分なんだけど!」
この会話の意味を俺は知りたい。今話さなくてもいいんじゃないのか?時夫と久人の家は隣同士だから、ほぼ毎日のように顔を会わせてる筈だ。
二人の声が耳をつんざく。うるさい。俺は頭の中で財布の中に入ってる金とキャッシュカードの中の金を数えた。
俺には買わなきゃいけないものがあるのだ。
俺と真知の結婚指輪。この前コンビニに行った時にファッション雑誌を見せて好みを調べたけど、真知が言ったのは一言だけ。
これが俊喜に似合いそうですね、と。男物のシルバーリングだった。俺に似合う指輪が知りたかったんじゃなくて、真知の好みを知りたいんだけど、とは言えなかった。案外奥手で恥ずかしがり屋の俺だった。
「はぁ、」
「辛気臭いからやめてくれる?」
俺の溜め息に文句を言ったのは悟だった。悟の眉間には珍しく深いシワが刻まれている。
「お前どうした?今日機嫌わりーな」
「沙也加と喧嘩した」
口からひっきりなしに煙を吐き出す悟は、俺を睨んで来る。俺は何も悪くない筈なんだけどな。多分、悟は話を聞いて欲しいんだろう。長年の勘でしかないけど、仕方なく口を開く。
「原因は?」
「煙草やめろって言われた」
ふて腐れたように悟が言った。それ半分ノロケだろ。悟と長年付き合ってるけど、沙也加は意外とまともな女だと思うんだけどな。
「最近本数増えたって、言われた」
「じゃあ本数減らせよ」
そう言いながら悟の口に挟まった煙草を取って灰皿に山盛りになった吸い殻に擦り付けて消した。悟は俺を睨みつつ久人のライターで次の煙草に火を付ける。
「なんで俊喜は禁煙出来たの?」
「知らねーよ、気が付いたらやめてた」
真面目に答えろ、とでも言うような悟の視線からハヤシライスに逃避した。面倒臭い。大体、このメンツで何が楽しくてファミレスでぐだらなきゃいけないんだ。
俺は頭の中でショップで見たペアリングを整理した。シルバーリングじゃない、プラチナリング。ダイヤとか入ってた方がいいのか、シンプルな方がいいのか。婚約指輪はないから、結婚指輪くらいは高くても長く使えて真知が気に入るようなのが欲しい。
真知をショップに連れていけばいい話なんだけど、真知は手を見られるのが嫌だと思うし、試着なんて言ったら暴れかねない。だったら渡すまで秘密にするのも悪くない。
お袋にどさくさに紛れて真知の左手の薬指リングサイズを調べるように言ったら(そんなの死ぬほど嫌だったけど真知は俺に触られたくないらしいから仕方ない)、お袋はニヤニヤしながらも調べてくれた。
真知の左手の薬指のリングサイズは7号。細い指。
「なぁ、まっちって暑くないのかな」
「は?」
久人の言葉に首を傾げると、久人まで首を傾げた。ちょっと苛ついて眉間にシワが寄るのが自分でも分かった。
「お前、さっきから真知の事ばっかり聞いてくるけど真知に気あんのか?」
「は?な訳ねーだろ!俊喜の嫁なんておっかなくて誰も手出さねーよ!」
久人が苦笑いしながら言って、俺はソファーの背凭れに背を預けた。俺のどこがおっかないんだ。こんなに紳士だというのに。
時夫がTOMMY HILFIGERのポロシャツのボタンを弄りながら口を開いた。
「まっち買い出しの途中に挨拶されまくってるって噂だぞ」
「それは本人から聞いてる」
知らない方に沢山挨拶されるんです、と最初に言われたのはいつの事だったか。俺の友達と先輩と後輩、俺が知らないガキにまで挨拶されるらしい。俺は故意に真知を人に会わせた事はないのにどうしてなんだろう。世の中は不思議で溢れている。
「つーかまっちは暑くないのかな!って聞いてるんだけど俺!」
いきなり久人が立ち上がった。うるさいし目立ってるし最悪だ。
「だから、何が?」
「だってまっち、いつも長袖じゃん!」
「前からそうなんだよ。真知はずっと長袖着てんの。暑くないんじゃねーの?」
そう言いながらも、少し気になってきた。そういや、ずっと長袖だ。制服の時もそうだったけど、今は真夏だっていうのにいつもシャツとか着てて長袖だ。
真知は菌の事を気にしてるし、そのせいもあるのかもしれない。いつも真っ白い顔をしてるから暑いのかどうか俺には分からないけど。
悟が言った。
「俺も結婚したい」
「勝手にしろよ。つーかお前、誕生日まだだから17じゃん」
「それね、その事と煙草が今の悩みだよ」
どんな悩み!?どうせ悟はヘビースモーカーだから煙草なんてやめられないだろうし、どっちもどうしようもない事だろ。
俺は悟に苦笑いをしつつ、中途半端に温かいハヤシライスを口に入れた。美味いんだけど、半熟卵もつければ良かった。ソーバッド(最近のイチゴの口癖)。
時夫がどす黒い液体を飲み込んでいた。コーラとウーロン茶の掛け合わせ。それを平然とした顔で飲む時夫の味覚を疑う。
俺はその味を想像して吐きそうになった。慌ててハヤシライスを口に含む。久人がハイライトに火を付けた。水色のソフトケースが崩れている。
「つーかずっと思ってたんだけど、なんでいきなり結婚した訳?」
久人が言って、俺は呆れた。
「それ、今更聞く?」
「今思い出した」
それ別にどうでもいいと思ってた証拠だろ。久人が苦笑いを浮かべて俺を見る。八重歯がキラキラ光ってうざい。
俺はそんなのどうでもいいだろ、と言った。すると時夫が文句を言い出す。
「聞きたいんだよ、俊喜の本気の話聞きたい!」
「黙れよ」
俺の本気の話、か。俺はウーロン茶を飲み込んだ。いつの間にか氷が溶けていて薄まっている。それを見つつ、ぼんやりと呟いた。
「俺を真知の物にしたかったんだよ」
コップをテーブルに置くと、三人が俺の顔を覗き込んで来る。なんだよ、と言うと一斉にニヤニヤと笑われた。
「なんかエッチな話に聞こえるんですけど」
時夫が鼻の穴を膨らませた。俺の美しい話をエッチな話呼ばわりしやがって、と少し苛ついた。
「時夫、鼻毛伸びてる」
「うっそぉ!?」
「マジ」
鼻を押さえた時夫の金髪が眩しい。よくそれだけ長い間色を抜いてて千切れたりしないよな。お袋もそうだから髪質の問題なんだろうけど。
「まっちを俊喜の物にするんじゃないんだ?」
久人が珍しくまともな事を聞いてきた。
「そう、まあ、結婚したからそれもイコールになったんだけどさ、」
俺は最後の一口のハヤシライスを口に入れた。食べ物は残さない。貧乏人の常識だ。ごちそうさま、と手を合わせた。牛、玉ねぎ、米、俺に力をありがとう。
悟があのさ、と言った。悟に視線を移すと、悟が宙を見てからテーブルに頬杖をついた。
「よく俺の女、とか男が言うじゃん?俺の物、って言うじゃん?あれって、なんなんだろうね」
「え、普通なんじゃねーの?」
時夫が鼻を押さえながら身を乗り出した。本当は鼻毛なんて出てないから気にしなくていいのに。鼻づまりしてるような声で気分が悪い。鼻をかめ、って言いたくなる。
悟が煙を吐き出してから口を開く。
「男ってさ、俺らって女に突っ込むじゃん?入れるじゃん?挿入するじゃん?」
「おーい、話が生々しいんだけど?」
思わず突っ込んだが悟は俺の方を見なかった。無視か?
「その間って俺ら、女の中にいるんだよ」
「あのさ、俺食後なんだけどなー」
「気持ちいいよね」
「ちょっとお前一回黙れよ」
俺、しばらくそういうのご無沙汰してるのに信じられない。まあそんな事は誰にも言ってないけど、ここまでご無沙汰なのは初めてなんだよ、と言いたくなった。死んでも言わないけど。
悟が俺を睨む。時夫と久人が続けろと言って、悟は俺から目を逸らした。
「だからさ、結局、俺らって女の物だと思うんだよね、正直」
「は?」
久人が首を傾げる。だから、と悟が続けた。
「男って女の中に入れるだろ?それって、男が女の物になるのと一緒の意味じゃないの?って俺は思う訳だ」
「攻めと受けなら、攻めが受けの物になるって事ですか?」
「何故そこでBLが出てきた?」
真面目に言った久人に、時夫が苦笑いで突っ込んだ。久人が鼻の穴から煙草の煙を出して言う。
「タエにこの前見せられたんだ。BL漫画」
「マジでか」
「結構な高クオリティーだった。喘ぎ声の描写が多いのは否めませんが」
お前は評論家か。描写なんて言葉どこで覚えてきたんだ。
「あーでも、確かにそうだな。俺ら突っ込んで腰振って出すだけじゃん。女の中じゃん。女の物じゃん」
時夫の言葉に苦笑いした。お前のそんな話聞きたくないんですけど。興味ないんですけど。悟がフィルターギリギリまで吸った煙草を灰皿に投げた。フィルターまで燃えたのか異様な匂いがする。
「だから俺の考えでは結婚するまで、男は女の物でしかないんだよね。結婚して初めて女も男の物になるって感じ?だから俺も早く結婚したい。というか俊喜に先越されたのが癪なんだよね」
悟がまた煙草に火を付けた。テーブルに転がるラキストの箱は三箱目。どう考えても吸いすぎだろ。そりゃ沙也加に言われても仕方ないな。
「でも結婚したって始まりでしかねーぞ。ゴールイン、なんて言うけど全然ゴールじゃねーもん」
俺がそう言うと、久人が、経験者は語る!と叫んだ。
「折角結婚したのに、ガキつくんねーの?」
時夫が思い出したように言う。ガキか。俺の頭の中にそんな事は浮かんでいなかった。だってまず、ガキを作る所までいっていない。キスだってまだ一回。ここまで来ると中学生よりも小学生の恋愛と言った方が正しいだろう。
「真知とのガキか、」
超欲しい。絶対可愛い。そう思って泣きそうになった。口にしたら泣きそうだから黙っていた。俺は案外涙もろいらしい。
だって今すぐには絶対に無理だ。そこまで辿りつくのにどれだけの時間がかかるんだろう。でも正直、真知が嫌ならそういう事をしなくてもいいような気がしてきた。俺は男だからしたいけど。当たり前に下心はある。
久人が突然突っ伏した。いきなりなんだ?
「ハワイ行きたい」
「いきなりそれか」
時夫が呆れて言った。今日の時夫はまともらしい。
「親父が金出してくんねーんだもん!大学決まるまでは駄目だってさ!」
久人は大学に行くらしい。この前話を聞いてみたら、狙っているのはここら辺じゃ有名な三流大学の名前だった。でも久人の頭でそこに入れるのかは謎。
俺は頬杖をついて久人の真っ赤な髪を見た。
「バイトすりゃいいじゃん」
「無理。だって明日から毎日合コンの予定が入ってる」
毎日合コンして何になるんだ?俺が呆れていると、久人が、俊喜がナンパ付き合ってくれねーから合コンするしかねーんだよ、と泣き叫ぶように言った。
「決まってんだろ、真知がいるんだから」
「なんで結婚したんだよ!」
久人がギャーギャー騒いで頭が痛む。久人は後腐れのない女至上主義。フリフリ系の薄ピンクとかを着たビッチが好み。久人は結婚できないタイプだと思う。
「この前まっちに聞いた!俊喜をナンパとか合コンとかに連れてってもいいかって聞いた!」
「なんで聞いたんだ」
「そしたら、それはなんですかって聞かれた!」
久人の叫びに苦笑いした。だろうな。元お嬢様は知らない事だらけなんだよ。帰りにコンビニでよくスイカバー買ってるけど。
「あんまり真知に変な事言うなよ?俺の元カノの話とか」
「そんなのしねーよ!」
久人が叫んで、俺は頬杖をつきながら予防線を張るためにサリナの話をした。真知に俺のエッチが上手だとか言った話。
時夫が苦笑いしつつ言う。
「うわー強烈。俺、サリナさんと付き合わなくて良かった」
「お前は他人事でいいよな。奥さんの前でそんな事言われてみろ?死にたくなるから」
俺の言葉に、だろうな、と時夫が言った。悟はメロンソーダを飲み込んで、俺なら切腹するとぼそりと口にする。切腹っていつの時代の話だ?お前は武士か。
「ちょっと相席いいですか?」
おっさんの声が頭上から聞こえて顔を上げると、見知った顔。ハゲ散らかった寂しい頭に仏頂面、薄汚れた半袖のワイシャツを着たマル暴刑事の池谷だった。悟がぼんやりと言う。
「嫁さん戻ってきた?」
「……余計なお世話だ」
まだ戻ってきてないのか。俺は少し笑いそうになったけど池谷が不憫だから堪えた。俺も真知に逃げられたら悲しいしな。
ふて腐れたような顔をする池谷がカサカサの唇を動かす。夏だってのに痛々しい。遠慮を知らない時夫と久人が爆笑している声が聞こえた。やめてやれ、と言いたかったけど、そんな風に優しくしたら逆に池谷が傷付くだろう。別の皮肉を探した。
「仕事ばっかりしてっから逃げられんだよ」
「なら俊喜も早く家に帰るんだな。嫁さん待ってるぞ」
「ご心配なく。毎日家まで送ってっから」
俺の言葉に、池谷が眉間のシワを深める。一応まだ新婚の俺の一撃は池谷の心に突き刺さったらしい。ごめんね池谷、悪気はない。
池谷が無理矢理俺の隣に座ってきた。男二人が座っているソファーに無理矢理座ってくるとはどういう神経してるんだ?
池谷のメタボリックな腹が床に固定されたテーブルに食い込んで苦しそう。でも池谷はそんな事は気にしていない様子で俺のウーロン茶を勝手に飲み干した。間接キス最悪、と中学生みたいな事を思った。
俺の心は中学生に逆戻りを続けている。池谷の肉がついた首が汗で光っていて不快感を覚えた。しかもTシャツから剥き出しになった俺の腕に池谷の固い脇腹が押し付けられてくる。
テーブルは五人で定員オーバー。ガリガリなんて一人もいないやせ型の人間が四人集まったこのテーブルは、メタボリック一人のせいで一気にぎゅうぎゅう詰めだ。
俺の左半身が池谷の発する熱によって温められる。気分悪い。
池谷が胸ポケットから箱を出して煙草を口に銜えた。マイルドセブンのオリジナル。久人は親切に火を付けてやる。池谷が俺を見て口を開いた。
「お前清春の事嗅ぎ回ってるらしいな」
「情報おせーな、池谷」
と、俺が言うと、池谷は俺の頭を軽く殴った。誰か傷害罪でこいつを逮捕しろ。俺の脳の細胞が今こいつに殺されました。
そう思いつつ、ついにマル暴にまで情報が伝わったのか、と溜め息をついた。もしかしたら沢田が言ったのかもしれない。二人は同期だから何かと情報交換してやがる。
「俊喜、お前清春の事調べてたのか?」
「んーまあ、気になる事あるからさ」
時夫にそう返すと、池谷はまた俺の頭を叩いた。誰かマジでこいつを傷害罪で逮捕してくれ。池谷が溜め息をついた。つきたいのはこっちだ。
「お前、プロが関わってるかもしれないんだぞ?下手に動くと殺されるぞ」
「大丈夫だよ、生き返るから」
「お前そんな事が本当に出来ると思ってんのか?」
「それはさすがにない」
真剣に聞いてきた池谷は俺の頭を少し疑ったらしい。なら殴るなよ。元々馬鹿なんだから。
すると、俺のワンウォッシュデニムのポケットに入ったケータイのバイブが鳴り始めた。悟の太ももを軽く叩くと余裕が出来る。ケータイを取り出すと、サブディスプレイには『真知』の文字。今日は真知は休みだから、まだ声は聞いていなかった。
池谷が何かを言ってるのを無視して電話に出た。
「どうした?」
自分の声が自分でも気持ち悪いくらいに優しかった。池谷が俺を驚いた顔で見て、他の三人も同じような顔をしている。睨むと、目を逸らされた。
「あの、と、俊喜、」
「ん?」
電話口から聞こえた真知の声に返事をすると、久人が笑いを堪えている。テーブルの下から足を蹴ると、久人が怒鳴った。俺の履く黒のティンバーランドのブーツの爪先は固い。
「先日、夜ご飯に悩んでも電話をしてもいいと仰っていたので、電話を、」
真知の声はちょっとおどおどとしていた。真知は電話だといつもそうだ。まだ俺に遠慮してる。
「飯?何で迷ってんの?」
「お味噌汁の具です」
味噌汁の具で迷って電話してくるんだ、可愛い。俺はにやけそうになるのを堪えて返事をする。
「俺、味噌汁は大根が好きです」
「そうですか、ならそうします」
真知は今日大根の味噌汁を作って食うのか。真知の料理を食ってみたいけど、真知は菌を気にしてきっと俺には食べさせてくれないだろう。それが少し悲しい。
「あの、」
真知の声に、ん?と言うと、真知は少し黙り込んだ。
「あの、今日は、あの、」
「ん?」
「な、なんでもありません!」
叫ぶように言われてそのまま電話を切られた。耳に当てたケータイからは通話が切れたことを知らせる音が届く。俺は堪えきれない叫びを声にした。
「ああああああああ!」
「なんだよ!」
久人の声を無視して、ケータイを置いて顔を隠す。なんだよあれ、何が言いたかったのか全然分からないけど可愛い。
どうしよう俺。自分が気持ち悪すぎて今なら死んでもいい。
「俊喜?キモい」
悟を睨むと、素知らぬ顔をされた。折角幸せを噛み締めてたというのに台無しだ。あんなの滅多にないんだからな?たまにはキモくなったっていいだろ。
「あれだな、お前…幸せそうだな」
そう言った池谷の目が涙目だった。そうだ、池谷は嫁さんに逃げられたんだ。心の中で池谷に謝った。ごめんなさいこんなに幸せで本当にごめんなさい池谷。
池谷は瞬きした。涙を溢さないように頑張っているらしい。真知あたりがそれをしたら可愛いんだろうが、池谷みたいなおっさんがやると気持ち悪い以外の何物でもなかった。
池谷が言う。
「それより、お前は素人なんだから黙っていればいいんだ。こういうのは警察に任せておけ」
「はいはい、マジで危険になったら警察を頼ろうかね」
俺が適当にそう言うと、池谷はやけに真剣な声で言った。
「お前が探ろうとしてる所の敵がどこだか分かってるのか?」
「は?」
敵?まあ、清春を殺したプロって事なんだろうが、敵と言うまででもないんだろう。
「ある組が仕切ってた金融会社の下っ端のガキがな、消えた」
「それが何?」
「そのガキは東北出身、上京してきたが少年院出で行くところがなくてヤクザになったガキだ。色んな組から借金してて、ここら辺のヤクザはシマをそのガキ一人にしっちゃかめっちゃかにされた。それにろくに顧客から回収も出来なくてな、ガキ自身も、ガキが抱えた顧客も借金は踏み倒し寸前だった」
何が言いたいんだ。俺が池谷を睨むと、池谷は俺から視線を逸らした。
「ガキの名前は田代敬介、17歳。劉仁会矢崎組と親子関係にある濱元組の構成員だ。」
「だからそれがなんだよ」
「鈍いな。そいつに落とし前つけるとしたらどこがやるのが一番適当か、って言ってるんだよ」
「そんなの、矢崎組に決まってんだろうが」
池谷は黙って頷いた。
「そうだよ。まだ言いたい事が分からないなら、もう一つだけヒントをやる。田代敬介は誰かさんと背格好が似ていた」
別に俺は田代敬介なんてガキの事を知りたい訳じゃない。池谷は煙草の煙を吐き出して、続ける。
「それがお前にとっての希望になるのかもしれないけど、清春の件からは手を引け」
「……、清春の遺体として発見された遺体が、田代敬介のものだったって可能性があるって事か?」
池谷は否定も肯定もしなかった。ビンゴ、か。待て、そしたら、清春はどこかで確実に生きてる事になる。池谷以外の三人の視線が痛かった。
「俊喜、お前が追いかけてる清春の後ろにとんでもないものが隠されてるかもしれん」
「……、」
とんでもないもの、…矢崎組か。矢崎組は、清春の居場所を知っている。でも、どうしてだ?なんで、清春を隠す必要があったんだ?
池谷が灰皿に煙草を押し付けた。
「頼むから手を引け。手を引かないと言うのなら、前に見逃してやった傷害で引っ張るぞ」
「あっそ、勝手にしろよ」
「お前、本当に早く手を引いておいた方がいい。殺されるぞ」
誰が殺されるかよ、とは言えなかった。俺を見る池谷の目がやけに真剣だったから。




