表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
!!!!  作者: 七瀬
第一章 常套句
1/34

常套句




――――――煩い。


テレビから目を逸らして見えるのは、馬鹿騒ぎする友達三人の背中。それに向かって、開きたくもない口を開く。


「お前ら静かにしてくんない?」


「俊喜、大体お前がさぁー」


何かブツブツと文句を言う時夫が、金髪の髪を乱しながら久人の肩に拳を入れた。久人は逆上して立ち上がっている。まだ5月なのにパンツ一丁の久人からテレビに視線を戻した。


テレビの脇で、本棚を漁って漫画を読む悟の口に挟まれた煙草には、フィルターギリギリまで灰がついている。テーブルに置いてある灰皿を素早く掴んで悟の口元につき出すと、その拍子でポロリと灰が落ちた。いい加減にしてほしい。


「あ、ごめんね」


俺を見る事なく、灰皿に煙草を擦り付ける悟の目は、漫画だけを捉えている。その間も時夫と久人の騒ぐ声は止まない。


だから嫌だったんだ。俺ん家で飲むのは絶対に嫌だった。


なのに今日に限って全員が金欠。クラブでもなければ居酒屋でもなく、溜まり場に近い悟の家も使えない。彼女が来ているらしい。なのにここに飲みにくる悟ってどういう事なんだろうか。


悟の茶髪を一瞥してから、灰皿を床に置くと再びテレビを見た。口から下しか映らないおっさんの声には修正がかかっていて、たまに映る芸能人の女が涙を流している。


『洗脳というのは、マインドコントロールとは違います』


おっさんの修正つきの声と一緒に、画面いっぱいにパネルが映った。『洗脳』『マインドコントロール』と表のようになっているパネルを指差す女子アナの爪にのったラインストーンが光る。


『洗脳には、主に物理的暴力、あるいは精神的圧迫などの強い外からの圧力があるとされます。価値観や記憶を改竄する事で別人にしてしまう、という事です。また記憶の改竄によって、洗脳の際に残酷な扱いを受けたという記憶が失われてしまう場合もあります』


人の記憶を人が消す、か。俺はてっきり人の記憶を消すのは時間だけだと思っていたがそうでもないらしい。


ライターをカチカチと動かす音がして顔をそちらに振ると、悟が煙草を銜えたまま、ライターを振ってつけようとしていた。


溜め息をつきながら、机の上に置いてあった黄緑色のライターを取って煙草の先で火を付ける。悟が俺を見てから火を付けると、ジリッと小さく煙草が燃える音がした。


「ありがとう」


「もうこれやるから、カチカチ煩い」


「ごめんね」


俺が差し出したライターを受け取った悟は、首を傾げた。


「俊喜のライター無くなるじゃん」


「え?ああ、俺、禁煙するからライターもう要らない」


「そう?」


ありがとう、と言って、ラキストの箱の上にそれを置いた悟は再び漫画に意識を戻す。俺は空っぽになったアメスピの箱を潰してゴミ箱に投げた。ゴミ箱のフチで弾き返されたが、そのままにして、胡座をかき直した。


視界に入った時夫が久人の赤い髪を掴んでいて、何かを怒鳴りあっている。それでも二人は泣いていて、だから泣き上戸は嫌なんだ、と再び溜め息をついた。


『マインドコントロールと似ていますが、いずれにしても、本来のその人物、または、本来の人格を破壊した上で、違う人物を構築してしまうのです。その為、人道上においては殺人行為と同じ事だとする事が出来ます』


テレビから聞こえてきた声を辿っているのに、悟が目の前に紫煙を吐き出した。煙る視界に苛立ちを感じ、悟を睨めば、その視線はテレビに一直線。


「洗脳?俊喜がこんな真面目なテレビ観るなんて珍しいね、」


「俺を馬鹿って言ってる?」


「そんなんじゃないけど、珍しいから、」


俊喜はこういうの嫌いじゃん、と悟が口から煙草の煙を溢す。禁煙すると言ってる人間の前でこんなに吸うだろうか。嫌がらせしたいのかもしれない。


と、思いながらも立ち上がって、ハンガーにかけた制服の深緑のブレザーの胸ポケットを漁って紙を取り出した。それを、悟に手渡す。


「何これ、」


「学校で拾った、開いてみ?」


俺から目を逸らした悟が、煙草を口に銜えてから紙を開いた。内容を見て、悟は苦笑いして俺を見上げる。再び床に胡座をかきながら、悟の手からそれを奪った。


「何それ、」


「怖くね?」


小さく小さく折り畳まれていた紙にはシワが寄っている。紙を覗くと、最初に見た時から変わらない文字の羅列。『今日こそ死ねますように』、とボールペンで確かな意志を持って文字が強く書かれている。


一ヶ月前に学校の廊下で拾って、そのまま持ち帰ってきてしまった。ゴミ箱の中に丸めて捨ててあるプリントが可哀想になるのと同じ感覚だった。


教師なんて別に好きでも何でもないし寧ろ嫌いだけど、寝る間も惜しんで人間が人間の為に作ったものがゴミ箱に捨ててあるとどうも居た堪れない気分になるのと同じだった。


いや、同じ、というのは間違っているだろうか。パソコンで打たれた無機質な文字だったら、きっと捨てていたし、そのまま放置したかもしれない。でも、手書きのこの悲し過ぎる願い事を、捨てるなんて出来なかった。


寧ろ、誰にも見せたくないとも、思った。その紙を折り畳みながら、ぼんやりと言う。


「悟さ、こんな願い事みたいに書くまで、死にたいと思った事ある?」


「ないね、」


それも、『今日こそ』だ。『今日こそ死ねますように』って、どう考えてみてもよっぽど死にたがっている奴が書いたんだろう。


「これ、一年の廊下に転がってた」


「ふーん、」


そんな人もいるんだね、と悟が学ランのポケットに手を突っ込んだ。


「俺んとこに落ちてたのはこれくらいだよ?」


悟がポケットから出した掌に乗るコンドームに思わず苦笑いした。学校が違うとここまで違うのか。


「これ絶対使うなよ?穴開いてるかもしれねーじゃん」


「え、一個使っちゃった、」


「馬鹿じゃねーの!?」


俺の叫びに、二個一緒に落ちてたんだ、と悟が平然と言った。おいおい、嘘だろ?


「お前、ガキ出来たらどうすんの?」


まだ俺ら高二だろ、と思ったけど、俺だけ高一のままだった事を思い出した。最悪だ。


「結婚する」


「マジでか」


名前何がいいかな、と上を向いた悟に気が遠くなりそうだ。悟は、あのギャルに、沙也加にそこまで入れ込んでいるらしい。だったら今、家にいるんだから帰れよ。

なんて思っていた俺の鼓膜をぶち破るかのように、派手な音が聞こえた。右を見ると、俺の部屋の窓のすぐ傍の白い壁に時夫の拳が食い込んでいた。ずぼっと時夫が拳を抜くと、壁に穴が開いている。


「ちょ、時夫何やってんだ!」


この前やっと、前に穴を開けた分をバイト代という実費で修理して貰ったばかりだった。立ち上がって時夫と久人のいるベッドの上に乗る。酔いが冷めたのか、ヤバイ、とでも言うような顔をした時夫の黒いロンTの胸ぐらを掴んだ。


「ちょ、俊喜待とう!」


「お前ふざけんな、この壁直すのにいくらかかったと思ってんだマジで!」


「俊喜!俺を踏んでる!足!痛い痛い!」


久人が俺の足元でもがいていて視界がゆらゆらと揺れるが、それももう関係ない。久人も同罪だ。


「俊喜、話せば分かる!俺は仕事でちょっと疲れていた!そして今飲み過ぎた!久人に腹が立った!ちなみに俊喜にも!」


「お前それ、わざとか?わざと俺に金を使わせようとしてんのか?つーか言っとくけど腹立ってんの俺の方だからな?一ヶ月前からお前に腹立ってるからな?」


「俊喜!痛い!マジで痛い!それ膝無理矢理?抉れる!あ!なんか折れた!ねぇ、悟俺の足折れてない?なんかちょっとボキッといってない?」


久人の声が煩い。俺の足を必死に叩く久人の手から逃れるように足を退けると、久人の大袈裟な息切れの音が耳に届く。眉間にシワを寄せた時夫が睨んできた。


「あ?一ヶ月ってどういう事だコラ」


「テメー俺と一緒に留年だっただろうが!なのに勝手に学校辞めやがって仕事で疲れてるとかナメてんのか」


俺の頭に過るのは、昔の記憶。俺と時夫は刑事のおっさんに馬鹿だと言われた事があった。確かに俺達は勉強が出来なくて、高校も今、久人と悟が通ってるこの辺で一番馬鹿な不良高校に行こうと思っていた。


だけどおっさんの台詞に腹を立てた俺と時夫は、二人で猛勉強して少しだけ偏差値の高い高校に入学した。それが、一年前の話だ。


だけど、単位を忘れて馬鹿不良高校に通う久人と悟と、中学の時と同じように俺と時夫は遊んでいた。テストは勿論赤点、単位もギリギリ。その上学校で俺と時夫が喧嘩になって殴り合いをした挙げ句、謹慎。


そこまでは、まだ進級出来る可能性があった、のだが。


街中でいきなり喧嘩を始めた先輩を止めようとした時、たまたま俺の頬に時夫の左ストレートが入った事が原因で、殴り合い。結局二人揃って仲良く二週間の自宅謹慎。単位は終わった。


見事に二人して、あの高校では珍しい留年になった。なのに、時夫は『親父の会社に就職する』と言い始め、学校を辞めやがったのだ。


時夫の親父さんは土木の会社をやっている。俺もそこに就職しようと思ったが、お袋に猛反対されて喧嘩になり、退学を認めて貰えなかった。


緒方俊喜、この中で唯一の17歳。なのに、学年は一個下。ムカつく話だ。


全ての経緯を思い出して眉間にシワを寄せると、時夫が慌てて口を開いた。


「そ、それはお前のお袋さんがアレだろーが!」


「アレってなんだよ!お前の親父さんこそアレだろーが!」


大体、悟も久人もおかしい。俺達と同じように遊び回っていた癖にちゃっかり進級してやがる。昔から一緒に馬鹿やって来た俺達だったのに、なんだよ、この雲泥の差。


時夫の親父さんだって、俺が残るって知ってたんだから、時夫を止めてくれたって良かったじゃねーか!心の中で言葉にならない叫びを吐き出しながら、時夫の胸ぐらを掴み直すと、時夫が焦ったように口を尖らせる。キモい。


「つーか俊喜、お前学年一個下だろ!こんな事していいと思ってんのか!」


「あ?年はお前より一つ上だっつーの!」


「それ誕生日!誕生日が4月なだけ!」


ああもう苛々する。俺を時夫から引き剥がそうとする久人の腕が煩わしい。


高校は、義務教育の中学と違って煩わしい事ばかりだ。何かあったら謹慎、単位が危なければ呼び出し。でもその煩わしい事を忘れて留年してしまったのは他でもなく俺の責任で、心底、俺は馬鹿だったという事だった。


3月に時夫と二人、進級試験というものを受けたけど、サッパリ分からなかった。時夫は学校を辞めたから関係ないけど、またあの試験を受けても、きっと俺は分からない。俺はいつになったら進級出来るんだろう。


「大体!俺は俊喜も学校辞めると思って言った訳だ!なのにこんな感じになった訳!ドゥユーリメンバー?」


「意味わかんねぇよそれ!お袋の事テメーが説得すりゃ良かっただろうが!つーか説得して!今からでもいいから説得して!」


そんなの無理だ、と時夫が言うから、時夫を揺らしまくると、久人の意味不明の悲痛な叫びが耳をつんざく。


時夫が俺のシャツの胸ぐらを掴んでくる。俺は時夫を揺らすのを止めた。


「俊喜テメーやんのかコラ」


「あ?お前俺に勝った事ねー癖に生意気なんだよ」


「こういうのは勝ち負けじゃねーんだよ分かるか?」


「そんな仕事に疲れてヘロヘロのお前に俺を殴れるとは思えねーんだけど、」


拳を握って殴りかかろうとした瞬間、部屋のドアが音を立てて開いた。


「俊喜!煩い!今何時だと思ってんの!」


ドアの方を見ると、スッピンのお袋が金髪を振り乱しながら俺を睨んでいる。今思えば全ての元凶はこのクソババアだ。時夫の胸ぐらを掴んだまま、大きく息を吸い込んだ。


「クソババア!学校辞めさせろ!」


「俊喜!その言い方じゃ絶対認めてくれないよ!」


久人が叫んだ声のせいで耳がキンキンする。お袋もそれは同じだったようで、目を閉じて腕を組んで溜め息をついた。


「この馬鹿息子!まったくこんな性格誰に似たんだか!」


「確実にテメーだろ!」


親父は俺の記憶の中だともっとおっとりした奴だったと思うけど?と思っていると、お袋は再び溜め息をついた。


「あんた顔は政喜にそっくりなのにどうしてその性格!?」


「だからテメーに似たんだっつーの!」


吠える俺の声とお袋の怒鳴り声は、暫く止むことはなかった。テレビから流れる悲しそうな声とは対称的に、部屋は戦場と化した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ