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「ふふっ、よく来てくれましたわね」
パーティ会場のベランダに移動したシンは、そうアリスに言われてコップを渡される。
コップの中に入っているのは、そこまで強くはない果実酒。
日本においては未成年の飲酒は法律で禁止されていたが、この世界においては小さい頃から酒を飲むのは珍しい話ではない。
……もっとも、子供が飲む酒は水で薄められているものが大半だが。
そんな訳で、日本ではまだ高校生だったシンも、この世界で酒を飲むのは全く問題がなかった。
そもそも、山賊山脈にいた頃に相応の酒を飲んでいたりはしているのだから、酒にかんしてはいまさらの話だろう。
コップを受け取ると、シンはそっとアリスのコップとぶつける。
「乾杯」
「あら、こういうときはもう少し雰囲気を作るものですわよ?」
「俺にそういうのを期待されてもな。……そうだな。ガストロイを守ることが出来たことを祝って、乾杯ってことでどうだ?」
「……取りあえず、それで許してあげますわ」
アリスが思っていたのとは違う乾杯の理由だったのか、じゃっかん 不満そうにそう答える。
だが、そんなアリスの言葉にシンは少し首を傾げるも、それ以上は何も言う様子はなく、コップの中身を口に運ぶ。
瑞々しい果実の味がアルコールと共に口の中一杯に広がる。
「ふぅ」
「どう? 結構いいお酒ですのよ?」
「ああ。美味いな。……それにしても、さっきスティーグにも言ったけど、今回の主役がこんな場所にいてもいいのか?」
「あら、主役という意味なら、私ではなくシンの方ではなくて?」
実際に反乱軍を倒したのは、シンなのだから。
そう言外に告げるアリスだったが、それに対してシンは首を横に振る。
「少なくとも、このパーティに参加している者にしてみれば、パーティの主役は俺じゃなくてアリスだと思うぞ」
「そうかしら。……ともあれ、私がいない状況であっても、パーティを楽しめているのは間違いないですわよ」
ベランダからパーティ会場に視線を向けると、そこではアリスが言う通り、多くの者がパーティを楽しんでいた。
攻めて来た反乱軍を破り、その結果としてガストロイが戦火に晒されることはなかったというのが、大きいのだろう。
大勢がパーティで出されている料理を楽しみながら、それぞれに嬉しそうに言葉を交わしている。
「どうやらそのようだな」
その様子を見て納得したシンは、コップに残っていた果実酒を味わいながら飲む。
「ふふっ、それにしても……少し前には、こんなことになるなんて思ってもいませんでしたわね」
「そうか? ……まぁ、アリスは俺の戦利品って扱いだったしな」
初めてアリスと会ったときのことを思い出し、呟くシン。
王都を脱出して逃げていたアリスと、それを追っていた追撃部隊。
そんな二つの集団が山賊山脈の麓までやって来たところ、偶然そこに山賊山脈を統一したシンがいたのだ。
結果として追撃部隊は全滅。
シンは気絶していたアリスを、自分の戦利品として連れ帰った。
……その後、様々なことがあり、アリスは現在王女として、反乱軍を相手に戦っている。
シンは蛇王という傭兵団を率いて、そんなアリスに協力していた。
人に命令されることを嫌うシンだったが、それでもこうしてアリスに協力しているのは……アリスの存在に、色々と思うところがあるからなのだろう。
「ふふっ、そうでしたわね。……それが今では、ガストロイの領主。つくづく、未来というのは分かりませんわ」
「そうか? アリスは国を取り返すために、最初から頑張ってただろ? それを思えば、そこまで不思議なことじゃないと思うけど。だからこそ、俺も協力してるんだしな」
「……もう」
不意にシンの口から出た言葉に、アリスは頬を薄らと赤く染める。
まさか、シンの口からそのような言葉が出るとは、思っていなかったのだろう。
これまで、何だかんだとシンと一緒の時間をすごしてきたが、ここまでドキッとさせられたのは、あまり多くはない。
……あまり多くはないということは、実際には何度かあったということなのだが。
「どうした?」
「何でもありませんわ。ただ、そう。……この祝勝パーティという雰囲気に少し酔っているだけですわよ」
「そういうものか?」
アリスが顔を赤くしている理由には気が付いた様子もなく、シンはあっさりとアリスの言葉に騙される。
アリスとしては、こうしてあっさりと騙されたシンに喜べばいいのか、残念に思えばいいのか、少し迷う。
そして……取りあえず、その件は今は考えないことにする。
棚上げでしかないのは、本人にも分かっているの。だが、それでもやはり今の状況で色々と思うところがあるのは、間違いないのだ。
「ともあれ、今回の一件で反乱軍も次の行動は慎重になるはずですわね」
半ば無理矢理、話を元の方向に戻す。
そうしなければ、パーティの雰囲気に酔ってしまって妙な行動を取りかねないと、自分でも理解していたためだ。
(そうですわ。これはパーティの雰囲気。それ以外にありませんもの)
半ば自分に言い聞かせるようにしているアリスだったが、王女としての経験からそれを表に出すことはない。
「どうだろうな。ガストロイがこの国のほとんどに金属製品を行き渡らせていたんだろ? だとすれば、現在ミストラ王国を支配している貴族たちも、そのままには出来ないだろ。……もっとも、結局は崖をどうにかしないとどうしようもないんだが」
「そうですわね。……ただ、崖が通れないと困るのはこちらも同じですわ。細い道ならともかく、大規模な商隊が通れる道となると、あの崖しかありませんもの」
「痛し痒しって奴だな。……まぁ、崖崩れを起こせる場所はまだある。もし反乱軍が攻めて来たら、そっちで崖崩れを起こせばいいだろ。幸いにして、向こうは俺たちがどうやって崖崩れを起こしたのか、全く分かってないんだし」
現在の崖で一番効果的な場所で崖崩れを起こしたのが、今回の戦いだ。
だが、効果的ということに拘らなければ、まだ崖崩れを起こせるような場所はある。
また、何よりも大きいのは、ハクを使って崖崩れを起こしたということを反乱軍が知らないことだろう。
ガストロイには、まだ反乱軍の手の者が残っている可能性が高い。
しかし、そもそも今回の崖崩れがどうやって起きたのかというのを知っているのは、ガストロイの中でも本当に限られた者たちだけだ。
一応シンの力で崖崩れを起こしたということにはなっているのだが。
「ふふっ、反乱軍が今回の情報を聞いたら一体どうなるのか……それは少し、楽しみですわね」
理由は不明だが、崖崩れを起こすことが出来る相手。
そのような人物が、アリスの味方にいる。
反乱軍にとって、その情報は決して面白いものではないだろう。
ましてや、シンが起こすことが出来るのは、崖崩れだけではないと思うのは間違いない。
(俺の石化の魔眼についての情報も伝わってるはずだし……そうなると、崖崩れも石化の魔眼関係の力だと判断するか?)
そう思いながら、シンはアリスに視線を向ける。
雲一つない夜空から、降り注ぐ月明かり。
その月明かりを浴びながら笑うアリスは、それこそ幻想的と表現するほどに美しい。
シンはつい数秒前に考えていたことも忘れ、笑みを浮かべるアリスの姿に目を奪われるのだった。




