033
崖と崖の間にあった道は、気が付けば岩で完全に埋まっていた。
大小様々な岩により、現在シンたちの視線の先に存在するのは、崖ではなく岩の山と呼ぶべき光景。
そして運よく……本当に運よく進軍している軍の先頭にいた者たちだけが、両側の崖で来た崖崩れによって死ぬことはなく、生き延びることが出来た。
とはいえ、つい五分ほど前には自分たちこそがこの戦いで勝つのだと、そう判断していたにもかかわらず、気が付けば自分たちはほぼ全滅。
そんな状況になるとは、全く理解していなかったのだろう。
「何が……起きた……?」
幸い、本当に幸いなことに、司令官のフレッドは軍の先頭付近にいた。
生身での戦いにも自信のあるフレッドは、何かあったときはすぐに事情を把握出来るように、軍の先頭にいたのだ。
……それ以外にも、軍の後方や中央付近にいれば他の貴族たちからいらないちょっかいを出されるという理由もあったのだが。
ともあれ、そのおかげでフレッドは崖崩れに巻き込まれることは何とか避けることが出来た。
だが、たとえフレッドが崖崩れから逃れられたとしても、軍のほぼ全てが崖崩れに巻き込まれてしまっては、どうしようもない。
あるいは、軍の後方は自分と同じように崖の中にいなかったかもしれないから、生き延びているかもしれない。しれないが……この状況では、全く何の役にも立たなかった。
つまりフレッドが出来るのは、何とか崖崩れから逃れることが出来た少数の……それも士気が恐ろしく低い兵士たちを率いてガストロイ軍と戦うか、もしくはこの場から逃げ出すか、勝ち目がないとして降伏するか、もはやこれまでと自殺をするか。
そのくらいの選択肢しかない。
だが、その選択肢の多くは選ぶに選べない。
まず戦いを挑んでも負けるのが確定している。
逃げ出すにしても、唯一自分の領地に続いている道は崖崩れによって完全に埋まっている。
降伏すれば、自分がどうなるか分からないし、戦いもせずにそのような真似をした場合、他の貴族にどのような目で見られるかを想像するのは難しくはない。
それなら、いっそこれまでと自殺をするという選択肢か。
だが、フレッドにとってもここで死ぬような真似はしたくはない。
どの選択肢も、選ぶに選べない。
(なら、いっそのこと向こうにつくというのはどうだ? ……いや、この状況で実はそちらの味方をしに来たと言っても、とてもではないが信じられないだろう)
これが、まだ侵攻を始める前なら、ある程度の説得力を持たせることは出来ただろう。
だが、今の状況でそのような真似をしても、そこには一切の説得力が存在しない。
それこそ何らかの理由でガストロイ軍に入り込もうとしていると判断されるだけだろう。
「くっ、仕方ない。集まれ! とにかく、ここに集まれ! 今のが自然現象な訳ではない以上、間違いなくすぐにガストロイ軍が来るぞ! この状況で襲われれば、全く抵抗出来ないままに死ぬぞ! 死にたくなければ、俺の下に集まれ!」
結局フレッドが選んだのは僅か……本当に僅かでも生き残る目のある、抗戦という選択肢だった。
もちろんフレッドも、この状況で戦って勝てるとは思っていない。
だがそれでも、戦えばもしかしたら生き抜くことが出来るかもしれないのは、間違いなかった。
周囲にいた兵士たちも、混乱している状況の中では素直に命令に従う。
これが全くの素人……一般人であれば、命令されてもそれに従わず未だに騒ぎ続けていた可能性が高かったが、一般人ではなく兵士だったことが幸いした。
また、フレッドの側にいたことからも分かるように、兵士たちはフレッドにとっても信頼出来る兵士で、その技量も問題はない。
……それでもあまりに予想外の光景に、多くの者の士気が決して高いとは言えなかったが。
それでも素直にフレッドの命令に従ったのは、兵士としての訓練からだろう。
そして……二十人ほどの兵士がフレッドを中心に陣形を整えたのを見計らっていたかのように、シンたちが姿を現す。
「ほう、全員一気に倒すつもりだったんだけどな。こんなに人数が残るのは予想外だった」
「それは仕方がないですよ。何でも全てが計算通りにいく訳ではありませんし」
シンの言葉に答えたのは、サンドラだ。
そしてフレッドは、そんなサンドラの姿を目にした瞬間、苛立ちも露わに叫ぶ。
「貴様、サンドラ・アーシェンか! アーシェン侯爵家の者が、何故そちら側にいる!」
「あら、お久しぶりですね。以前パーティで会って以来なので……数ヶ月ぶりでしょうか」
サンドラは、フレッドの怒声に笑みを浮かべて答える。
そんなサンドラの態度が、余計にフレッドの怒りを刺激するのだが……本人は、それを狙って行っているのかどうか、笑みを浮かべている状況からは判断出来ない。
「貴様……そうか、やはりこの崖崩れは貴様の仕業か。どうやって崖崩れを起こしたのかは分からんが……」
「あら、違いますよ。これを起こしたのは……彼です」
サンドラの視線がシンに向けられる。
その言葉と仕草だけで、フレッドもシンが今回の一件を引き起こしたのがシンだと理解出来た。
だが、そんなシンの姿を見たフレッドは、疑問を抱く。
サンドラや、巨大な斧を持つ巨漢、弓を持った男。
それらの態度から、シンがこの者たちを纏めているのは間違いない。
間違いないのだが、フレッドから見てシンはそこまで強そうには思えないのだ。
もちろん、上に立つ者が絶対に強くなければならないという訳ではない。
だがそれでも、フレッドから見てシンはやはりそこまでの人物には思えなかった。
シンはフレッドに疑惑の視線を向けられているのを理解しながらも、そちらを特に気にした様子も見せず、口を開く。
「ハク」
「しゃー!」
シンの言葉が聞こえたそのタイミングが、崖崩れが起きた場所から飛び出してくる。
……そう、それはまさに飛び出すといった表現が相応しいくらいに、シンに向かって飛び込んでいったのだ。
ただし、そのハクの大きさは崖崩れを起こすために動いていたときの大きさではなく、いつもの……シンの右肩にいるときの大きさに戻っていたが。
それが崖崩れを起こすために力を使い切ったからなのか、シンの飛び込んだときに怪我をさせないようになのか。
その辺りの理由はシンにも分からなかったが、小さいので飛び込んできた衝撃が小さかったのは間違いのない事実だ。
「さて、それで……どうする?」
ハクを撫でながら、シンは不意にフレッドにそう尋ねる。
どうする? と、そうして尋ねているのが何を意味しているのかは、明らかだ。
それこそ、今の状況で無駄に抗うのか。それとも降伏するのか。
そのどちらなのかと尋ねたのを、フレッドも正確に理解していた。
だが、それでも……そう、それでもフレッドは素直に頷くことは出来なかった。
今この状況で自分が降伏するような真似をすれば、自分は助かるだろう。
しかし、それで助かるのはあくまでも自分だけだ。
自分以外……具体的に言えば、自分の実家たるギーソン伯爵家に大きな、非常に大きな迷惑がかかることになる。
フレッドは元々その大柄な身体と勇猛な闘争心で、騎士としてそれなりに名前を知られていた。
そんなギーソン伯爵家の騎士が敵に降伏したらどうなるか。
それは、考えるまでもなく明らかだろう。
それこそ、ギーソン伯爵家の名誉が問題になってしまう。
「出来ない」
フレッドは、シンに向けて短くそう告げるのだった。




