032
ピシリ、と。
最初は崖の一部が小さな音を立てるだけで、その異常に気が付く者はいなかった。
しかし、そのピシリという音が続くようなことになり、崖から小さな石が数個落ちるようなことになると、反乱軍の中でも異変に気が付く者が出て来る。
「おい、何かちょっと妙じゃないか?」
崖と崖の間を進んでいるために、どうしても崖の様子に注意を払う者は多い。
特に今回は、本来ならガストロイ軍が先にこの場所に到着していてもおかしくはないのに、何故か自分たちの方が先にここに到着したということで、違和感を抱いている者は多かった。
そんな者の一人が、崖の様子に違和感を覚えて隣の兵士に尋ねるが……
「そうか? そこまで気にする必要はないと思うけどな。俺たちがやるのは、あくまでも素早くこの崖を抜けてガストロイを取り返すことだ。いやぁ、楽しみだな。ガストロイって言えば、鉱山都市として有名な場所だぜ? 一体、どれだけのお宝があるんだろうな」
嬉しそうに、そして期待を込めて呟くその言葉に、話していたとのはまた別の兵士が口を開く。
「おいおい、俺達がはガストロイを解放しにいくんだぜ? 今回の戦いでは、略奪の類が禁止されてるのは知ってるだろ?」
ガストロイは、ミストラ王国の多くの場所で必要とされる金属製品の生産地であり、場合によっては加工前の鉱石を売ったりもする。
そのような場所で略奪をしようものなら、せっかくガストロイを取り戻しても、鉱山都市として役に立たなくなってしまうだろう。
武器や防具、それ以外にも日常生活に必要な金属製品をどうにかする場所がガストロイだ。
そのガストロイで略奪をしたらどうなるか。
それこそ、その略奪が原因でミストラ王国の各地で金属製品が足りなくなるという可能性もあった。
もちろん、ミストラ王国内で鉱山があるのはガストロイだけではなく、他にもいくつも存在する。
だが……ガストロイのように大規模な鉱山の類は他に存在せず、ガストロイ以外の場所で発掘される鉱石だけでは、到底ミストラ王国内全ての需要を満たせるほどではない。
そのような状況の中、ガストロイで略奪をすればどうなるか。
それは、考えるまでもなく明らかだろう。
「止めておけ。そんな真似をすれば、間違いなく処罰されるぞ。最悪、見せしめとして処刑される可能性もある」
また一人、別の兵士が略奪を楽しみにしているという兵士に忠告する。
これは単純にその兵士のことを思っているからだけではなく、そうなった場合に連帯責任として自分たちも何らかの罰を与えられるのを嫌がったためだ。
そうして兵士たちが話している間にも、破滅のときは迫っていた。
ピシ、ピシピシピシ……と。
崖の間を歩いている者には分からなかったが、崖の上にいる兵士……シンたちを警戒して矢を射った者たちは、自分たちの足下だからというのもあるだろうが、何か妙な……そして不吉な音が聞こえてきた気がした。
「おい、今……何か……」
「お前にも聞こえてたのか? だとすれば、これって……」
崖の上にいる兵士たちは、何人かが嫌な予感を覚えて崖から下を覗き込み……その軽い衝撃が決壊の最後の一押しとなった。
ピシピシという音が続けて響き……それが極限に達した瞬間、まずは崖の一番上の部分の一部が決壊する。
「うっ、うわああああああああああああああっ!」
当然のように、崖の先端に経っていた者は、崩落した崖と一緒に下へと落ちていく。
高さ数十メートルもの崖の上だけに、落ちた瞬間にその兵士の寿命は終わる。
だが……その兵士の行動によって起きた崖崩れは、ハクの手によって更に広げられることになる。
崖の上の部分が次々と落ちて、地上に落下していくのだ。
落下していく岩の大きさは、小さいのは指先ほどしかないが、大きいのになれば大人数人分ほどの大きさを持つ。
次々に落下していく無数の、そして大小の岩。
当然のように、それは崖の間を進んでいる反乱軍の兵士たちも気が付くが……
「逃げろ、逃げろ、逃げぺっ!」
真っ先に逃げろと言っていた兵士が、頭よりも大きな岩が落ちてきたことにより、金属製の兜を被った頭があっさりと潰される。
落ちてきた岩は、数十メートルの高さから落ちてきたことにより、かなり威力と速度が増していた。
だからこそ、その一撃はそれ兜を被っていない者にしてみれば……いや、場合によっては兜を被っていても、拳大ほどの岩であっても致命傷となりかねない。
そんな多数の岩が大量に上から降ってきたのだ。
ましてや、逃げようとしても崖と崖の間の道には、多くの兵士が集まっており、身動きがとりにくい。
次々と降ってくる岩に、手足を、頭を、胴体を潰されていく兵士たち。
……頭部を潰され、一撃で命を失った兵士は、まだ運がよかったのだろう。
下手に手足だけを潰された兵士たちは、ろくに身動きが出来ない状態で、上空から降り注ぐ無数の岩に当たることになる。
ろくに身動きが出来ない状況で、死をもたらす岩が降ってくるのだ。
それは、控えめに言っても圧倒的な絶望だろう。
次々に降り注ぐ岩により、多くの兵士が何もせず……何も出来ずに潰されていく。
中には仲間の兵士を踏みつけてでも回避しようと考える者もいたが、降り注ぐ無数の岩は、そんな者にも平等に降り注ぐ。
そして……崖崩れによって多くの者が死に、動けない怪我をし、岩によって埋められる。
それでもある程度の人数は、何とか生き残った。生き残ったのだが……その者たちは、とてもではないが幸運とは言えないだろう
……いや、新たな絶望を目の当たりにしたという点では、明らかに不幸だった。
最初に起きた崖崩れ。
その衝撃は、崖崩れを起こしていない方の崖にも伝わり……また、当然のようにそちらの崖も、ハクによって内部はかなり穴だらけにされていた。
そうして脆くなった崖に、崖崩れが起きた衝撃が伝わればどうなるか。
それは、考えるまでもなく明らかだった。
……そう、第二の崖崩れ。
最小の崖崩れを何とか生き残り、安堵した兵士たち。
そんな兵士たちに、再び岩が降ってきたのだ。
それこそ、最初に見た崖崩れのときと同じくらい……場合によっては、それ以上の数の岩が。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だあべし」
せっかく九死に一生を得たと思った兵士だったが、そんな自分に向かって大量の岩が落ちてくるのを見て、現実を認められずにこれは嘘だと呟きながら、岩に潰されて命を落とす。
同じような光景は、他の場所でも繰り広げられる。
何とか自分に降ってくる岩を回避しようとして、近くにいる兵士を盾にする者もいたが、小さな岩ならともかく、人間ほどの大きさをある岩をそのようなことで防ぐ真似は出来ない。
何とか降り注ぐ岩から逃げようとするものの、最初に起きた崖崩れの影響で動ける範囲はかなり狭くなっている。
それ以外にも、何とかその場から逃げようと、降ってくる岩から逃げようとする者はいたが、ほとんどの者は逃げるようなことは出来ず、次々と降ってくる岩によって命を失っていく。
そして死体が地面に積み重なり、何とか運よく……もしくは実力で生き延びていた者たちの逃げ場を奪い……と、まさにどうしようもないくらいにその崖崩れは反乱軍にとっては最悪の事態というしかなかった。
一体何があったのか。何故このようなことになったのか。
自分たちはガストロイに攻め込んで、そこを占拠している者から奪い返すのではなかったのか。
何とか生き残っていた兵士は、岩と共に仲間の兵士が落ちてくる光景を見ながら、そう考え……頭部を落ちてきた岩に砕かれ、そのまま命を失うのだった。




