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反乱軍が素早く動いていると知り、シンもまたスティーグに連絡を取って、今まで以上に急ぐことにした。
シンにとって幸いだったのは、スティーグもまたシンと同じくこのままでは危険かもしれないので、今までよりも早く移動するということに理解を示したことだろう。
今回の戦いの主力となるのは、蛇王の面々……特に崖崩れを起こすハクと石化の魔眼を持つシンなのは間違いない。
だが、ガストロイ軍を指揮するのは、あくまでもスティーグだ。
ジャルンカの持ってきた、反乱軍が進行速度を上げたという情報も、スティーグが信じなければ、進軍速度を上げるなどという真似をせずに普通に進軍していた可能性もある。
「おわっ! くそっ、一体、何だっていきなりこんなに進軍速度を上げるんだよ!」
少し離れた場所で兵士の一人が嫌そうに呟いている声が聞こえてくるが、シンはそれに構う様子はない。
今回の作戦の肝は、あくまでもハクによる崖崩れで反乱軍の多くを倒し、動揺させ、そこを突いて一気呵成に敵を飲み込むというものなのだから。
このままガストロイ軍がゆっくりと進み、結果として自分たちが崖に到着するよりも前にそこを反乱軍が抜けるということにでもなれば、作戦の根本が失敗するということになる。
そうならないために、今は少しでも早く戦場となる場所に到着する必要があった。
愚痴っている兵士も、当然のようにそのことは理解しているのだろう。
だがそれでも、今の状況で進軍速度が上がることは不満に思って愚痴を口にしたのだ。
「しょうがないだろ。ここで俺たちが頑張らないと、それこそガストロイが最悪な目に遭うんだぞ。それを許せるか?」
「それは……まぁ、分からないでもないけどよ」
愚痴っていた兵士に、隣を進んでいる兵士がそう窘める。
進軍が辛いと、そう思ってはいたのだが、それでもガストロイが自分の故郷であるとは変わらず、そんな故郷を反乱軍に蹂躙されるようなことは、絶対に避けたかった。
「だろ? なら、俺たちが頑張った分だけ、ガストロイが安全になると思えば、それでいいだろ?」
その言葉には兵士の男も黙って頷くことしか出来ない。
少し離れた場所でそんな会話を聞いていたシンは、面倒なことに……それこそ、誰がこの戦いを主導したのかといった不満を兵士が持たなかったことに、安堵する。
今の状況を思えば、やはり今回の一件は色々と……そう、非常に色々と面倒なことになる可能性もあったのだ。
ただでさえ反乱軍の数の方が多く、味方の中には敵と繋がっているだろう者がいる可能性が高いのに、そんな状況で更に普通の兵士も不満を抱く……などといったことにならなかったのは、シンにとって幸いだった。
(結果的に上手くいったようで何よりも。……もっとも、これは俺じゃなくてスティーグが下から信頼されているというのも、大きいんだろうけど)
シンの目から見ても、スティーグはドワーフだけではなく、それ以外の者たちからも強い人気を持つ。
本人がそれを理解しているかどうかは、シンにも分からなかったが。
「どうした、シン?」
「いや、何でもない」
シンの様子を疑問に思ったのか、マルクスが不思議そうに尋ねる。
……尋ねながらも、マルクスの中には強い好奇心の光がある。
シンがどのようにして攻めて来た反乱軍を倒そうとているのかは、マルクスも知っている。
知ってはいるが、それでも実際にその目で見ることが出来るのは、非常に楽しみだった。
マルクスがシンに従っているのは、自分が見たことがない光景を見せてくれるからというのが大きく、ある意味でサンドラと似たようなところがある。
そんな理由で従っているゆえに、今回シンが立てた作戦はかなり魅力的に映っているのは、間違いのない事実だった。
だからこそ、少しでも早く作戦を行う場所……崖の近くまで急ぐという今の状況は、マルクスにとって決して悪いものではない。
「そうか。なら、もう少し急がないか? 目的の場所に、こっちが早く着けば着くだけ、有利になるんだろ?」
マルクスのその言葉に、シンは若干の呆れを感じるが……ただ、こちらが目的地に到着するのが早ければ早いほどいいのは、事実だ。
「スティーグの判断次第だな。……それに、あまり急ぎすぎても、戦場に到着した途端に多くの敵と戦うことになったら、対処するのは難しいだろ?」
蛇王の面々であれば、かなり実戦経験も豊富だし、元々山賊山脈の中で暮らしていただけに、自然と体力も鍛えられているので、そのような状況になっても、すぐに戦える。
だが、他の面々……特に新兵や戦いの経験の少ない者がそのようなことになったらどうなるか。
間違いなく、体力切れで戦いにならない。
もっとも、急いで進むということであれば、それは反乱軍の方でも同様で、崖のある場所までやって来たときには、すでに体力切れになっている可能性もあるのだが。
(ともあれ、早くあの崖に到着するに越したことがないのは、間違いないけどな)
そう内心で呟き、シンは足を速めるのだった。
「よし、どうやら俺たちの方が先に到着したらしいな」
行軍速度を速めてから、数時間。崖のある場所に到着したシンは、そこにまだ反乱軍の姿がないことを確認すると安堵する。
元々、この崖はガストロイと反乱軍の入ってきた場所とで比較した場合、明らかにガストロイ側に近い場所にある。
だからこそ、向こうの動きが進軍を急いでいたという話を聞きながらも、こうしてシンたちの方が早く到着出来たのだ。
とはいえ、それでも急いで移動しなければ反乱軍の方が早く到着していた可能性が高いのは事実だったのだが。
「シン」
崖を見て安堵しているシンだったが、後ろから聞こえてきた声に振り向く。
そこにいたのは、金属の鎧を身に纏い、ハンマーを手にしたスティーグの姿。
ドワーフゆえに背こそ小さいものの、今のスティーグからは歴戦の勇士と呼ぶべき迫力をその姿から感じることが出来る。
また、護衛として同じように武装した数人のドワーフも側にいた。
「スティーグ、どうした?」
「うむ。戦場に到着した訳だが、これからどうするのかと思ってな。……一応全軍の指揮は儂が執ることになっておるが、実際に戦うのはシンだろう? 儂らの出番は、向こうが撤退していくときの追撃くらいだ」
「そうだな。もっともこっちの考えている作戦が上手く進めば、追撃をするしない以前の問題になるだろうけど」
崖崩れを起こすということは、当然のように道が落ちてきた岩で埋まるということを意味している。
そうなった場合、敵を追撃する云々という話ではなくなってしまう。
そういう意味では、寧ろ今回のガストロイ軍はその岩を処理するためにやって来た……と、表現しても、間違いではないだろう。
反乱軍にしても、崖崩れが起こったあとで、まだ戦えるだけの士気を保っているのかと言われれば……それもまた、難しい。
そうである以上、今回の戦いではスティーグが口にしたような追撃を行う機会というのは、基本的にないと考えた方がいい。
もちろん、何事も予想通りに進むということはなく、何らかのイレギュラーな事態が起きても、それはおかしくないのだ。
その辺の事情は、スティーグも知っている。
……知っているのだが、アリスに強い恩を感じているスティーグとしては、その恩を返す絶好のチャンスに、自分が何も出来ないというのは、悔しいのだろう。
シンもそれは分かっているが、今後のことを考えると、出来るだけこちらに被害を出さないで勝利するのが最善である以上、ハクか……もしくはシンの持つ魔眼の力に頼るのが最善なのは間違いなく……スティーグもそれには同意するしかなかった。




