022
「まだ準備が終わらないのかっ!」
緑の長髪を頭の後ろで縛った男が、苛立たしげに拳を机に叩きつける。
男の力が強い為だろう。
その一撃で机が真っ二つに割れるが、それを行った本人は特に気にした様子はない。
それどころか、もしかしたら自分が机を破壊したことにすら気が付いていない様子で、報告を持ってきた男を睨み付けていた。
報告を持ってきた男は、目の前にいる人物が行った行為に驚き、恐怖を覚えつつも、必死に口を開く。
「はい。その、本来ならすでに集まっていなければならない物資の類が集まっておらず……」
「理由は?」
数秒前に自分がやったことを全く気にした様子もなく尋ねる長髪の男に、報告を持ってきた男は恐る恐ると言った様子で言葉を続ける。
「ライナー伯爵が……」
「もういい、分かった」
ライナー伯爵という名前を聞いただけで、男は出撃の準備が遅れている理由を理解してしまった。
ライナー伯爵は、男の……フレッド・ギーソンの実家のギーソン伯爵家と長年に渡って敵対している。
元々の理由は、ライナー伯爵家とギーソン伯爵家の間にある川についての問題だった。
それが拗れに拗れ、今では不倶戴天の敵とでも言うべき相手になってしまっている。
フレッドもそれを知っているので、ライナー伯爵家に苛立ちを覚えながらも、口を開く。
「今回の一件、遅れれば遅れただけ、被害が大きくなると分からんのか? ライナー伯爵家とて、鉱山の類を持っている訳ではあるまいに」
反乱軍の貴族の中にも、鉱山を有している者はいる。
だが、その鉱山はガストロイの鉱山に比べれば、どうしても埋蔵量が少ない、もしくは種類が限られているのだ。
ガストロイにある鉱山は莫大な埋蔵量を誇り、その上で複数の鉱石が採掘出来る。
だからこそ、ガストロイは反乱軍にとって非常に大きな意味を持つのだ。
そのガストロイが占拠された。
それも、現在唯一生き残っている王族のアリスにだ。
アリスはガストロイを占拠したあと、それを大々的に発表し、多くの貴族に書簡を送った。
その書簡の中身は様々だ。
反乱軍に積極的に協力した者に対しては宣戦布告を。
反乱軍に何らかの理由で協力しなかった者には、自分に味方をしろとは言わないが、反乱軍にも協力するなと。
反乱軍に協力しなかった者には、自分に味方をして欲しいと。
それ以外にも様々な内容があったが、どの書簡にも必ず書いていることが二つ。
一つは、自分がこのミストラ王国の正式な後継者であるということ。
そしてもう一つは、自分がガストロイを占拠したことにより、ガストロイからの商品を売る相手は自分が決めるということ。
反乱軍にとって、最後の項目は決して許せることではなかった。
そうである以上はガストロイをアリスから取り返す必要があり……だが、ここで問題が発生する。
それは、一体誰がガストロイを攻略するかということだ。
言うまでもなく、ガストロイを攻略した者は、次にガストロイを治める地位に就く可能性が高い。
また、アリスを捕らえることが出来れば、それもまた大きな手柄となる。
だからこそ、最初アリスがガストロイを占拠したと多くの貴族がそれを知ったとき、それらの貴族は全員が自分がその戦いに参加すると主張した。……アリスの計算通りに。
結局のところ、反乱軍に所属している貴族というのは自分の利益にしか興味がない者がほとんどだ。
いや、反乱軍でも上層部にいる者であれば、あるいは何らかの狙いがある可能性はあるが、残念ながら末端にいる貴族の多くは違った。
アリスとしては、自分の現状を説明すれば貴族同士で争い……上手くいけば反乱軍同士での戦いでも起こせるのではないかと。
そこまで考えていたのだが、残念ながらそこまでは上手くいかなかった。
結果として、ガストロイからそれほど離れていない場所に領地のあるギーソン伯爵家に任され、ギーソン伯爵家の次男たるフレッドが任されることになったのだ。
だが、それが面白くないのが、長年ギーソン伯爵家と敵対していたライナー伯爵家だ。
領地が隣り合っているということは、当然のようにライナー伯爵家もガストロイとの距離はそこまででもない。
だというのに、美味しいところをギーソン伯爵家に奪われた。
その辺りの事情を考えれば、ギーソン伯爵家の軍事行動に協力しようという気持ちが出てこないのは当然だろう。
「しょうがない。ライナー伯爵家に手紙を出すから、伝令の兵士を用意しろ」
そう言い、フレッドは急いで手紙を書く。
その手紙の内容は、半ば挑発と呼ぶに相応しいものだった。
自分たちが出陣するまでに物資や戦力の用意が出来ないようなので、こちらは先に出撃する。そちらは準備が出来てからゆっくりと追ってくるようにと。
……美辞麗句や難しい言い回しを多用しているが、挑発的としか言えないような内容なのは間違いない。
このような手紙を受け取ったライナー伯爵家がどう動くか。
それを楽しみにしながらも、フレッドは他の貴族たちの様子を確認するのも忘れない。
「ライナー伯爵家以外は、もう揃っているんだな?」
「はい。ガストロイは守りやすく攻めにくい場所ですが、戦力差が圧倒すればどうとでもなるかと」
フレッドの言葉に、兵士がそう答える。
その言葉はお世辞でも何でもなく、フレッドの率いる軍であればガストロイを攻略することは難しくないと、そう思っているかのようだった。
フレッドは、今までそれだけの実績を示してきたからこその信頼。
本人が前線で戦うという指揮官だったが、それが共に戦う兵士たちの信頼を集める。
後ろの安全な場所から命令するだけではなく、自分も兵士たちと共に戦う。
ときには負けることもあったが、そのときも自分だけがすぐ逃げるのではなく、殿として戦うことも多かった。
全戦全勝とはいかないが、常に兵士たちと共に戦うというフレッドは兵士たちに恐れられつつも、それ以上に強い尊敬を抱かせる相手なのだ。
「そうか。……それにしてもガストロイってのは、また厄介な場所を。いや、厄介な場所だからこそ、占領したんだろうが。アリス王女も、なかなかにやるな」
常に最前線で戦うフレッドだけに、以前戦場でアリスと共に戦ったことがある。
そのときに見たアリスの美しさと強大な水の魔法は、前線で戦い続けてきたフレッドをして、唖然とするようなものだった。
そのアリスが魔法を封じられ、城から逃げ出し……その後のことは何も分かっていなかったが、まさかここで戦うことになるとは予想外にもほどがある。
とはいえ、魔法を封じられた今のアリスには、そこまで恐怖を感じない。
アリスが鮮血の王女という異名を持ち、敵対する者に恐れられていたのは、あくまでもその強大な魔法の力を活かしてのものだ。
つまり、魔法を封じられた今の状況では底まで恐怖に感じる必要はなかった。
(いや、だが……フレデリクを倒したという話もある以上、油断は出来ないか)
フレデリク・エリアション。
エリアション伯爵家の嫡男。
同じ伯爵家という爵位の家に生まれた者ではあるし、フレデリクとフレッドと名前も少し煮てはいるが……お互い、決して友好的な関係とはいえなかった。
その理由としては、フレデリクは貴族主義とでも言うべきか……
いや、自分が貴族であることに誇りを持つのは、フレッドも同様だ。
だがフレデリクの場合、貴族以外の者を明確に見下していた。
その辺がフレッドと意見の合わず、お互いに険悪な態度になることも珍しくはなかった。
(とはいえ、純粋に個人の力量としては俺以上だったのも間違いない。……それを倒したんだから、油断は出来ないだろうな)
これからの激戦に思いを馳せ、フレッドは獰猛な肉食獣のごとき笑みを浮かべるのだった。




