007
結局、男爵はアリスに従うこととなった。
もちろん、領地からアリスや蛇王といった面々がいなくなれば、男爵が掌を返すということは十分に考えられるのだが、蛇王の力を思い知った男爵にはもうアリスに逆らう気力はない。
男爵の部下たちも、シンの持つバジリスクの能力たる蛇を操る能力を見たし、隙を突いてアリスを殺そうとした男を一瞬にして石化させるというのを見れば、もう逆らおうなどとは思わなくなった。
……当然それだけで完全に信じる訳にもいかないので、蛇王から何人か街に潜ませて監視させ、使用人の中には買収した相手もいる。
中には、何を思ったのかシンの持つバジリスクの能力に尊敬……いや、崇拝の念すら抱くといった変わり者もいたが、そのような者たちもある程度は役に立ってくれるだろう。
そうして男爵を手駒にしたアリスたちが次に向かったのは、その男爵領から少し離れた場所にある領地。
そこは子爵が治めている領土だったが、その子爵もまた反乱軍の一員として王族に……アリスに弓引いた者だった。
「男爵よりも爵位が上ってことは、やっぱり戦力も上なのか?」
そう尋ねるのは、シン。
日本では、貴族などという存在はすでに存在しない。
外国ではまだ貴族といった存在が残っている国もあるが、それだってほとんど名目上のものでしかなく、少なくともシンは外国の貴族が兵士と所有しているという話は聞いたことがなかった。
ボディーガードといった存在はいるのかもしれないが、そのような者はこの場合は戦力に入れられないだろう。
「いえ、そこまでではないです。この周辺は爵位が低く、領地もあまり広くない貴族たちが集まってる場所ですから」
サンドラがシンの疑問に答える。
アリスではなくサンドラが答えたのは、これが貴族的には一般常識であるというのもあったが、やはり反乱軍に所属していたというのが、この場合は大きいのだろう。
「そうなると、その子爵の領土も制圧するのは難しくないのか?」
「はい。一応子爵だけあって、男爵の領土よりも広いですが……ただ、問題もあります」
「問題? 兵士の数は変わらなくても、強い騎士や傭兵がいるとかか?」
そう尋ねるシンだったが、その表情には特に不安の色はない。
実際に山賊山脈に住んでいた山賊が主力の蛇王においては、兵士の質はそこまで高くはない。
騎士には基本的に一対一では勝てないし、しっかりと訓練をした兵士とも互角に近いだろう。
徴兵されただけに兵士を相手にした場合は、話が別だが。
しかし、そんな戦力差を引っ繰り返すのが、数人だけいる山賊とは思えない戦力を持つ者たち。
マルクスやアリス、サンドラ……そして、何よりもバジリスクの能力を持つシンだ。
戦場に来て戦いになった瞬間に、いきなり戦力の大半が石化されたり、大量の蛇に襲われたり、毒のブレスを使われたり……とてもではないが、そんな状況でまともに戦うことなど出来ない。
山賊と互角に、もしくは互角以上に戦うことが出来る力があったとしても、それはあくまでも万全の状態であればの話だ。
混乱し、恐怖し……そのような状況では、実力が十分に発揮出来るはずもない。
結果として、本来なら勝てる相手にも負けることになる。
これまでの戦いで、その辺りの事情をしっかりと理解しているからだろう。
そして実際にサンドラもシンの言葉には首を横に振った。
「いえ、その辺についてはどうとでもなります。蛇王の戦力は、総合的に見た場合は精鋭の騎士団を相手にでもしない限りは問題ないでしょうし」
「なら、何が問題なんだ?」
「先程も言ったように、この周辺には小貴族と呼ぶべき貴族たちが大勢いますから。小貴族の中には反乱軍の協力者も多いので、こちらの手の者を増やしすぎるとここに蛇王が……いえ、アリス様がいるのを王都にいる貴族たちに知られてしまう可能性があります」
「それは……困りますわね」
サンドラの言葉に、アリスが同意するように頷く。
現在の蛇王が強いのは間違いないが、だからといって反乱軍を相手にどうにか出来るだけの実力を持っている訳ではない。
シンの持つバジリスクの力があれば、あるいは何とかなる可能性もあるかもしれないが……勝率となると、一割あるかどうかといったところだろう。
バジリスクの能力は強力無比の能力であるが、無敵という訳ではない。
事実、アリスを追ってきた反乱軍と山賊山脈の麓で戦闘になったときは、石化の邪眼を使ったにもかかわらず、マジックアイテムによって石像になるのを防いだ者もいた。
……サンドラを含めた数人だったが。
石化に対抗するマジックアイテムはかなり高価な代物ではあるが、王都を押さえている反乱軍たちにしてみれば、集めようと思えば集められる代物だ。
そのようなマジックアイテムを、マルクスのような戦闘力の高い者に持たせてしまえば、シンはその相手に勝つのは難しいだろう。
シンの強さの大部分はバジリスクの能力によるものであって、土魔法や流星錘を使っての攻撃となると相手の意表を突く初見殺しではあるが、一流の技量を持つ者に対しては決してそこまで有利はないのだから。
ともあれ、次に子爵領を狙うのは間違いないのだが、それが難しいというのも間違いのない事実だった。
「その辺を上手くやるためには、どれだけ迅速に子爵の軍を倒せるかですね。蛇王が……いえ、蛇王の名前はまだほとんど知られてない以上、周辺には盗賊の類に襲われたでも思えるでしょうが、すぐに撃退したという風に思わせることが必須かと」
「出来れば、私の出自を大々的に知らしめたいところですが、それにはまだ早いと?」
アリスも事情は分かっているのだろうが、それでも一応といった具合にサンドラに尋ねる。
そんなアリスの様子に、サンドラは頷く。
「そうなります。地盤を固めるという言い方が正しいでしょうが」
その言葉に、若干アリスは何かを考える様子を見せる。
だが、まさか今のこの状況で王都に進む訳にもいかない以上、まずは戦力を整えるために自分の領土と呼ぶべき場所を用意した方がいいのは間違いなかった。
「仕方ないですわね。ですが、その子爵領を攻撃するのは構いませんが、その辺り一帯の全てを占領するつもりですの? そうなると、少し時間がかかりすぎるのでは?」
「はい。なので、占領するのはあくまでもこの辺りの有力者と呼ぶべき者の領地だけですわ。それに、占領したあとはこちらに逆らうような真似は出来ませんし」
そう言いながら、サンドラはシンに視線を向ける。
バジリスクの能力を持つシンがどれだけ驚異的なのかは、それこそ戦った者が身を以て知っているはずだった。
それ以外にも監視を送り込んだり、何人かを密かに買収したりもしている以上、まずシンに逆らうということが不可能だというのは、理解しているだろう。
……これが数年先といったような、ある程度長期的な時間となれば話は別だったが。
「なら、取りあえず次はその子爵領で決まりだな。とにかく、今は蛇王という傭兵団が動いているのを知られる訳にもいかないから、素早く動いて、今のうちに出来るだけ勢力範囲を広げたいし」
シンの言葉に、アリスもサンドラも異論はないのか素直に頷く。
こうして、次に攻めるべき場所は決まり……そして、男爵と戦ったときと同じような流れで、サンドラの狙い通りあっさりと蛇王は子爵率いる軍を倒すのだった。




