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『う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
山賊たちの歓喜の叫びが周囲に広がる。
シンたちと共に行動した山賊たちは精鋭で、フレデリクとの戦いで死んだ者、怪我を負った者も多く、無事な山賊の数は決して多くはない。
だが、そんな生き残りにとって今の戦いでの勝利というのは大きい。
ましてや、シンの放った毒のブレスとアリスのみ水魔法の融合された……それこそ毒のウォーターカッターとでも呼ぶべき代物は、反乱軍を率いているフレデリクを一撃で殺しただけではなく、その背後にいたブラスをも同時に殺したのだから。
フレデリクの件はともかく、ブラスの件は完全に偶然の産物だった。
……とはいえ、フレデリクを倒すのに全身全霊を使い果たした現状で山賊の中で最も腕の立つマルクスが防御に徹することでようやく戦うことが出来ていたブラスだ。
もしフレデリクを倒したあとでブラスが生き残っていれば、最悪の場合はシンたちは全滅していた可能性すらあった。
山賊たちも、それを理解しているからこそ雄叫びの如き叫びを上げているのだろう。
そして、山賊たちのそんな叫びは当然のように戦場のから離れた場所……反乱軍の兵士や騎士が山賊たちの本隊と戦っている場所にまで響く。
両軍とも、最初は何があったのか分からなかったのか、戸惑ったような視線を反乱軍の本陣に向けていた。
当然だろう。そこにいるのはフレデリクやサンドラ、ブラスといった面々のはずだ。何故そのような叫びが上がるのか理解出来なかったのだから。
だが、ただごとではない何かがあったというのは、容易に想像出来る。
山賊たちとの戦いも、このままなら自分たちの勝利するのが目に見えている。
そうである以上、ここで何か問題が起きたら厄介だと、そう判断して騎士団の中から数人を本陣に向かわせたのだが……本陣の様子を見て、戻ってきた者の話を聞き、騎士団を指揮している者たちは唖然とする。
そして混乱し、最終的には絶望すら覚えてしまう。
アリス王女を捕らえるために派遣された部隊を指揮していたフレデリクが、討ち死にしたというのだから。
ましてや、この軍の中で最強の存在ともいえるブラスも同様に討ち死にしており、サンドラも敵に捕らえられているという。
軍を率いる者が纏めて死ぬか捕らえられるかといった具合になってしまったこの状況は、騎士たちを絶望させるには十分な衝撃だった。
そんな騎士たちに致命的な一撃を与えたのは、本陣の方からやって来たシンたち、奇襲部隊の存在だろう。
フレデリクとブラスの死体を引きずり、サンドラはシンの持つ流星錘で手を縛られ、見るからに捕虜といった感じだ。
自分たちを率いる者たちが全滅した。
……それをまざまざと見せつけられ、何よりこの軍で最強のブラスですら死んだというのを見せられ、騎士の士気は完全に崩壊する。
兵士にいたっては、味方が一瞬にして石化させられるといった経験をし、不利な状況で山賊と戦い続けた状況で、こんなことになってしまった以上、この時点ですでに逃げ出している者もいた。
そして、騎士の中にも何人かその場から逃げ出そうとする者もおり……それよりも前に、シンが大きな声で叫ぶ。
「見ろ! 反乱軍を率いていた貴族は倒した! この戦い、俺たちの勝利だ!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
シンの叫びに、最初はその周囲にいた山賊たちが、そしてまるで波打つかのように戦場にいた山賊たちの口から勝利の雄叫びが上がる。
片や、勝利によって士気がうなぎ上ぼりになっている山賊たち。
片や、自分たちの指揮官が倒され、士気がどん底まで落ちており、この時点で逃亡している兵士や騎士まで出ている反乱軍。
そして、一人が逃げ、二人が逃げると、十人、二十人と雪崩を打ったかのように次々と逃亡を始める。
特に騎士は、馬に乗っているので非常に逃げ足が速い。
「シンのお頭、追撃するっすか?」
逃げていく反乱軍の残党を眺めていたシンだったが、側に近づいてきたジャルンカがそう尋ねる。
逃げている兵士というのは、それこそ鴨葱とでも呼ぶべき存在なのは、歴史の勉強でシンも知っていた。知っていたが……それでも、シンは首を横に振る。
今は反乱軍に勝ったということで、士気も高い。
だが、それでも自分たちは結局山賊でしかなく、純粋な戦闘技術では特別な者以外は間違いなく兵士にも騎士にも負けているのだ。
もしこのまま逃げ出した反乱軍を攻撃し、最終的に向こうが追い詰められたと感じて決死の覚悟で反撃してこようものなら、せっかくこの戦いで勝ったのにいらない被害を受けるだろう。
「俺の故郷には、窮鼠猫を噛むって言葉がある。追い詰められたネズミは猫に対して死に物狂いで反撃する。ましてや、向こうの反乱軍は俺たち山賊と違ってしっかりと戦闘訓練を受けている者も多い。猫どころか、獅子……というのはちょっと言いすぎかもしれないけど、そんな感じだろ」
「分かったっす。じゃあ、他の皆にも伝えてくるっす。急がないと勝手に追撃するような奴もいるかもしれないっすからね」
そう言うと、ジャルンカは素早くシンの前から走り去る。
そんなジャルンカの背中を眺めていたシンは、少し離れた場所で何かを堪えるようにしているアリスの方に近づいていく。
「どうした? お前の家族の仇を一人倒したんだ。なら、もう少し嬉しがってもいいんじゃないか?」
「……そう言われても、ね。嬉しいのは嬉しいのだけれど、結局倒したのはフレデリクだけだし」
シンの言葉に、アリスはそう返す。
もっとも、アリスの特に化粧もしていないのに真っ赤な唇は弧を描いており、その言葉以上に喜んでいるのは間違いなかった。
そんなアリスを見たシンは、今はその感動に浸らせておこうと考え、それ以上は何もいわない。
「シンのお頭、ハクが……」
アリスの様子を見ていたシンは、サンディの声に視線を向ける。
するとそこには、洞窟の置いてきたはずのハクを掌の上に乗せたサンディの姿があった。
「ハク、お前……よくここまで来られたな」
ハクの体長は二十センチほど。
蛇として見ても、かなり小さな種類になる。
……それは、まだ生まれてから時間が経っていないからこそ、そのような大きさなのだろうが。
ともあれ、そんなハクがこの場所にいることに驚きつつも、サンディからハクを受け取る。
するとハクは、シンの手から手首、腕、肩と登っていき、ここが自分の場所だと言いたげにシンの右肩に陣取った。
「しゃー!」
まるで動物が親に懐くかのように、ハクはシンの顔に自分の顔を……そして身体全体を擦りつける。
そんなハクの様子は見るからに愛らしく、何らかの物思いにふけっていたアリスも思わずといった様子で笑みを浮かべた。
アリスの様子にシンは安心し……未だに近くで騒いでいる山賊たちに向け、叫ぶ。
「よし、俺たちの山に帰るぞ! ただ、その前に石像になった連中はともかく、死んだ兵士や騎士から武器や防具、金目の物を剥ぎ取れ! それと、軍として動いていた以上、大量の補給物資があるはずだ! 食料がほとんどだろうが、馬や馬車も合わせて持って帰るぞ!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
山賊山脈に潜む山賊を統べるシンの山賊らしい命令に、生き残った山賊たちは全員が歓声を上げるのだった。




