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シンの使った毒のブレスは、ここにいる一番の強敵たるフレデリクをどうにかする……といった真似は出来なかったが、副次的な効果としてその光景に驚いていたサンドラを取り押さえることには成功した。
アリスの立場としては、サンドラを捕らえるのではなく殺してもおかしくはなかったのだが、それでもサンドラを捕らえたのは、何らかの理由があってのことかどうか……それはシンにも分からない。
ともあれ、今までサンドラにも振り分けていた人員のうち、サンドラを押さえつけておく二人の山賊以外の人手をフレデリクの方に向けられることになったというのは、シンたちにとって大きかった。
なお、本来であればサンドラを押さえておくのには山賊の一人もいれば十分なのだが、それでも二人がサンドラを押さえている理由は、純粋にサンドラを警戒してのことだろう。
だが、そんなシンやアリスの警戒とは裏腹に、サンドラは不思議なほどに抵抗しようとはせず、素直に押さえつけられている。
それこそ、ただ好奇心に輝く目で毒のブレスを放ったシンを見つつ。
「よし、これで残るのはそこの貴族だけだ! 全員、気を取り直せ!」
サンドラからそんな視線を向けられているのには全く気が付いていないのか、シンは部下の山賊たちに素早く指示を出す。
しかし……そんな絶体絶命と呼べるような状況であっても、フレデリクは口元に浮かべる笑みを消すことはない。
石化させる能力はマジックアイテムで無効化されており、自分には効果がない。
山賊の人数がまだある程度いるが、山賊程度の強さの持ち主であれば、それこそ何人を相手にしてもどうとでも対処出来る自信があった。
唯一注意する必要があるのは、先程の毒のブレスとアリスの魔法。
もっとも、アリスは封印具で魔法の能力を大幅に低下しているので、今の能力では鮮血の王女と呼ばれるときのような強力な魔法を使われる心配はない。
事実、山賊と戦いながらではあるがサンドラの戦いの様子を見ていた限りでは、アリスの魔法は初心者程度の魔法しか使われていなかったのだから。
そして、シンが毒のブレスを放つ前に山賊たちに回避するように言った。
つまり、それは唯一警戒する毒のブレスを放つタイミングが分かるということだ。
ブレスの速度そのものはそれなりのものだったが、フレデリクの能力があれば回避出来ないほどではない。
であれば、目の前にいる山賊たちを皆殺しにし、今回の最大の目的であるアリスを捕らえるのは自分なら間違いなく出来るという自信がフレデリクにはあった。
ましてや……
(ブラスがここに来れば、私の勝利は確実なものとなる)
そう断言出来るほどに、フレデリクはブラスの実力を買っていた。……その性格は若干気に入らないところがあったが。
だからこそ、フレデリクは余裕を持ってシンたちの様子を見ていた。
当然のように、そんなフレデリクの態度はシンたちにとって屈辱的なものなのだが、お互いの実力差が分かっているために、それに不満を口には出来ない。
そんな中、現状に一番苛立ちを感じているのはアリスだった。
当然だろう。目の前にいるフレデリクは、反乱軍に所属する貴族だ。つまり、家族の仇だ。
封印具を使われていない状況であれば、それこそすぐにでも溺死させ、溶解させ、凍らせ、水の鞭で斬り裂き……とやりたい相手なのは間違いない。
その美しい顔……この国でまだ内乱が起きる前には、国内外から結婚を求める者が数えるのも面倒になるくらいだったその美貌を憎悪に歪む。
本来なら、憎悪に歪んだ顔というのは醜いと表現してもいいいのだが、アリスの場合は凄絶なまでの美しさを持っていた。
そんな憎悪に満ちた視線を向けられたフレデリクだったが、全く堪えた様子はなく……いや、むしろ満足そうな笑みすら浮かべ、口を開く。
「私からの婚姻を承諾していれば、このようなことにはならなかったものを。……その判断を悔いて、王女ではなく山賊の情婦としてその生を終えるといい」
「……え? あら、貴方は私と結婚を申し込んだんですの? ごめんなさい。残念ながらその他大勢のような人の顔は覚えていませんわ」
アリスの口から出たのは、半ば挑発と呼ぶべき言葉。
だが、アリスとフレデリクのやり取りを見ていたシンは、アリスの口調から本当に覚えてないのではないか? という思いを抱く。
シンとアリスの付き合いは、そこまで長い訳ではないが、それでもそれなり一緒にいる時間はあったからこそ、そう思ったんだ。
「ぐっ……」
そして、アリスが本当に自分のことを覚えていないというのをフレデリクも理解したのか、その顔には強い苛立ちが現れる。
もしアリスが自分のことを覚えていて、挑発の意味も込めて自分を知らないと言ったのであれば、ここまで苛立つこともなかっただろう。
だが、素の表情で自分を覚えていないとされたことが、フレデリクの高いプライドに大きな傷を付けた。
高い能力を持っているフレデリクだが、その欠点の一つが、高いプライドだろう。
アリスは意図せずそのプライドに傷を付けることに成功したのだ。……もっとも、それはフレデリクを激高させるということを意味しているのだが。
「アリス王女ぉっ! その言葉、絶対に後悔させて見せる!」
「あら、そこまで気にしてましたの? ごめんなさい。私、どうでもいい相手の顔は覚えるのが苦手で。王女として、それではいけないとは思ってるんですけどね」
フレデリクの怒声にアリスが出した言葉は、今度こそ本当に挑発だけを目的にした言葉だった。
そのアリスのこの言葉にフレデリクは苛立ちが頂点に達するも、その感情に振り回されるように攻撃するといった真似はしない。
いくら苛立っていても感情に流されないのは、それだけフレデリクが自分をコントロール出来ている証拠だろう。
そのようなフレデリクを見ながら、アリスはシンに向かって小声で告げる。
「シン、先程の攻撃……まだ、出来ますの?」
「は? 毒のブレスか? 出来るとは思うけど……さっきのを見てれば分かるだろ? 当たれば多分大きなダメージを与えることが出来るけど、そもそも当たらないと意味はないしな」
「……つまり、当たれば倒せるのね? であれば……方法はあるわ」
ジリジリと自分たちに向かって間合いを詰めてくるフレデリクを見ながら、アリスは言葉を続ける。
「解決策?」
「ええ。シンのブレス……毒のブレスだったわね。それに私の水の魔法を重ねることが出来れば、相乗効果を得られるはずよ。そして、私の魔法技術なら毒のブレスの速度を上げるのもそう難しい話じゃないわ」
その言葉に、シンは表情を変えないように苦労する。
もしアリスの言葉で嬉しそうな表情を浮かべれば、それはフレデリクに自分たちにこの状況をどうにかして逆転する方法があると知らせるようなものなのだから。
「出来るのか? 本当に? お前の魔法は……」
封印具でほとんど封じられているのではないか。
そう言おうとするシンだったが、それよりも前にアリスは口を開く。
「私は、鮮血の王女と呼ばれたこともあるのよ? 連発するのは無理でも……一度くらいなら、何とでもしてみせますわ」
アリスの口調にあるのは、覚悟。
この場を切り抜けるために、フレデリクの首を取るためには、多少……かなりの無茶でもやってみせるという、凄絶なまでの覚悟だった。




