035
サンドラとフレデリクの二人が天幕から脱出したのは、当然ながらそれを見ていたシンにもすぐに理解出来た。
このまま逃げられては、敵本陣まで突入してきた意味はないと、何とかその足を鈍らせるために叫ぶ。
「敵の指揮官は、俺たちに敵わないと見て惨めにも尻尾を巻いて逃げ出したぞ! そのみっともない貴族を逃がすな!」
シンの口から出た叫びは、フレデリクの自尊心に大きなダメージを与える。
それに対し、半ば反射的にフレデリクが何かを言い返そうとするとも……
「フレデリク殿、早く! まずは味方と合流する方が先です!」
何かを言い返そうとするフレデリクに対し、サンドラが叫ぶ。
だが、そんなサンドラの言葉は決してフレデリクにとって許容出来るものではない。
「私が、山賊ごときにあそこまで侮辱されて、言われっぱなしにしておけというのか!」
フレデリクにしてみれば、ここで自分が逃げ出すというには背後から聞こえてくる自分を侮辱する声を肯定するということを意味している。
そんなことは絶対に許せるはずもないと叫んだフレデリクだったが、サンドラは怒鳴り声を向けられても気にした様子がなく、口を開く。
「そうです。最終的に勝てばそれでいいのですから、まずは味方と合流を!」
まさか、正面からそう言い切られるとは思ってもいなかったのか、フレデリクは一瞬意表を突かれた表情を浮かべる。
その隙を逃さずにフレデリクを畳み込もうとしたサンドラだったが、口を開くよりも前に山賊が攻撃してきたのに気が付く。
最後まで言うことは出来ず、サンドラは鋭くレイピアを突き出す。
シンがここまで連れてきた山賊たちは、どれも腕利きなのは間違いない。
間違いないのだが……それは、あくまでも山賊の中での腕利きであって、その辺の騎士であればともかく、サンドラやフレデリク、ブラスのような腕利きの騎士ともなれば、一人で対抗するのは難しい。
素早く振るわれたレイピアの刃は、それこそ一瞬で三度の突きを放ち、山賊を倒す。
貫いたのが両足と脇腹なのは、腕利きの山賊の面目躍如といったところか。
重傷ではあっても、ただちに命にかかわるような怪我という訳ではない。
思わぬ山賊の手強さに、サンドラは他の山賊が近寄ってくるよりも前に、兵士たちと合流するべく叫ぶ。
「フレデリク殿はここにいる! 兵士たちよ、ここに集え!」
サンドラの叫びを聞き、個々に山賊と戦っていた兵士たちが集まってくる。
だが……シンにしてみれば、そのような相手は敵ではない。
一瞬、本当に一瞬だったが、再び石化の魔眼の効果がなければどうなるかと思っていたが、それでも兵士たちとまともに正面から戦うことになれば負ける……とは言わずとも、容易に勝てるような相手ではない。
つまり、この状況を切り抜けてフレデリクの首を取るためには、シンが持つバジリスクの能力を発揮する必要がある。
(やれ、やるんだ。ここを切り抜けるためには、どうしてもこの力を使う必要がある。……いけっ!)
その思いと共に、フレデリクやサンドラに近づいてくる兵士たちに向け、石化の魔眼を発動した。
次の瞬間、フレデリクやサンドラを中心に発動した石化の魔眼の効果は、見事に発揮される。
大勢の兵士たちが、瞬時に、もしくは次第に石化していく。
もっとも、フレデリクとサンドラの二人は、相変わらず石化していなかったが。
(ちっ、なるほどな。どうやってかは分からないけど、石化しない対策を持ってるのはあの二人だけか。なら、いくらでも倒し方はある)
本当に二人……いや、テントの中でマルクスと戦っている騎士の三人だけに効果がないと知り、少しだけ安堵の気持ちを抱く。
「雑魚は片付けた! 残りはあの二人だけだ! ジャルンカは援護しろ! 行くぞ、ヒャッハー!」
『ヒャッハー!』
シンに続いて、他の山賊たちも『ヒャッハー』と口にし、フレデリクとサンドラを倒すべく進む。
山賊を率いるシンが先頭に立つというのは、言うまでもなく愚策だ。
だが、フレデリクにしろサンドラにしろ、個々の技量という意味ではシンやその山賊たちよりも明らかに上だった。
そのような状況では、少しでも士気を高めるための行動をする必要がある。
ここで下手に士気が低くなれば、それこそもう自分たちでは勝てないと諦め、一気にこの精鋭部隊が瓦解する恐れすらあった。
これが騎士や兵士のように、戦闘を専門にしている者であれば、そこまで心配はいらないのだろうが……何だかんだと、結局この部隊は山賊で構成されているのだ。
だが……数で押し切れると思ったシンの予想は、大きく外れることになる。
「この程度の力で、私を倒せると思っているのか! 山賊ごときが、身のほどを弁えろ!」
苛立ちと共にフレデリクの振るう長剣が、最初に襲いかかった山賊の身体をあっさりと斬り裂く。
山賊が持っていた斧が振り下ろされるよりも前に、フレデリクの長剣が振るわれたのだ。
斧と長剣という武器の差はあれど、重量という点ではそこまで大きな差はない。
にもかかわらず、フレデリクの攻撃の速度が上だったのは……純粋に、技量の差だ。
「ちっ、全員一対一では絶対に戦うな! 三人……いや、四人一組で攻撃しろ!」
叫ぶシンだったが、その口調には若干の焦燥感が滲んでいた。
まさか、フレデリクがここまで強いというのは、シンにとっても予想外だったのだ。
その言動から、偉そうではあっても実力の方は大したことがないと思い込んでいたのは、シンにとって大きなミスだった。
また、サンドラも外見は美人と評するのに相応しい顔立ちだったが、その外見を裏切るかのようなレイピアの使い手でもあった。
それでもフレデリクには劣るので、二人から三人がいれば何とか抑えておくことが出来る。
だが……それはあくまでも抑えておくことが出来るということであって、倒せるという訳ではない。
このまま時間が長引けば、間違いなくこちらが不利になる。
……いや、そもそも戦いが長引けは、騎士たちと戦っている山賊たちが負けて総崩れになってしまう可能性の方が高かった。
そうなる前に、何とかしてフレデリクを倒す必要があった。
(くそっ、マルクスがいれば……)
ここに連れてきた精鋭の中で、シンの石化の魔眼やアリスの魔法といった例外を抜きにして、最も戦闘技術に長けているのはマルクスだ。
そのマルクスがここにいれば、フレデリクを相手にしてもどうにか勝てる算段はあった。
だが、そのマルクスは現在ブラスを相手に一進一退……いや、防御に専念することで、どうにか負けないといった状況となっている。
むしろ、マルクスがいるからこそ、現在の状況となっているのだ。
ジャルンカの弓の援護や、アリスが何とかして放っている、水の魔法。
この二つと、大勢が一斉にフレデリクとサンドラに攻撃することで、何とか現状を維持出来ている。
シンが悔しいのは、自分がそこに入ることが出来ないからだ。
主要な戦闘能力をバジリスクの能力に頼ってきたシンは、それを無効化されると途端に攻撃の手段が少なくなる。
その辺の普通の山賊を相手なら、流星錘を最大限に活かせる、木のような障害物が大量にある場所であれば、シンも相応の強さを発揮するのだが。
今のシンに出来るのは、土の魔法を使って石礫の類を飛ばして、援護するくらいだった。
(どうする? どうすればいい? 何とか……何とかしなといと、このままだとジリ貧だ)
土の魔法を使って援護しつつ、シンはこれからどうするべきかを考え続けるのだった。




