魂の旅
「よし、急ぎのメール無し、っていうか新入社員にそもそも急ぎのメールなんて来ないか」
「上井さん、何ブツブツいってんの?」
私のデスクの真正面に座るキャリアウーマン風の先輩社員の久留間さんが、不思議そうな顔をしてパソコン横から顔を覗かせていた。
「あ、すみません。一人暮らしが長かったせいか、独り言が癖になってしまいまして、気をつけます」
「ふふ、なるほどね、大丈夫大丈夫。でも、長いって言っても、大卒の新卒だったよね?」
久留間さんが笑いながら、私に尋ねてきた。
「いえ、院卒ですね。それと、高校から一人暮らしだったので」
私が、そう言うと久留間さんは納得顔だった。
「おぉい、上井、今メール送ったから確認しろぉ」
「はい、わかりました」
「ふふ、それじゃ頑張ってね新人さん」
「ありがとうございます、頑張ります」
久留間さんにパソコンの横からぺこりと頭を下げ、笹本先輩から届いたメールを開いた。
「『魔王様』?」
笹本先輩から届いたメールタイトルは『魔王様』、そしてメール中身はあるネット掲示板のスクショだった。
中身を読み終わった頃に、また笹本先輩に呼ばれ、先輩の机へと向かった。
「どう思う? この『魔王様』」
笹本先輩がPC画面をコツコツと叩きながら、私に聞いてくる。
「どう思うって言われても、この掲示板ってPKが集まる所ですよね? 返り討ちにあった何処かの初心者PKが、『魔王様』と呟きながらPK引退したって言うのをバカにしてるだけですよね?」
掲示板のスクショには、書き込みの様子が写っていたが、『始まりの街スターティン』付近で、ネタプレイヤーを主に狩っていた三人組が突然、PKを引退すると言いだしたという報告から始まっていた。どうやら、その事を書き込んでいるのはその三人組から引退を聞いた同業者らしい。
書き込み主が、三人からどうしてPKを引退するのかと聞いた所、話そうとする度に三人はガタガタと震え出し、言葉にならなくなったそうだ。
ただ一言『魔王様』と、口にするだけだったと言う。
「どうせ、知らずに上級者に喧嘩売って、そのままコテンパンにやられたってだけじゃないんです?」
「ふむ、普通そう考えるわな。だがこの、『魔王様』ってのが妙に引っかかってな」
笹本先輩は、画面に写る『魔王様』文字を見つめていた。
「物語の『魔王』のように、容赦なくズタボロにやられたから、そう表現したんじゃ?」
「まぁ、それでも良いんだが、何故『魔王様』?」
「相変わらず変な所を気にしますよね、笹本先輩って。まぁ、確かに今時強いプレイヤーを表現するのに『魔王様』と言われてもって、感じですけど」
「そこなんだよなぁ、今時強さを『魔王』で表すか? まぁ、そいつらの趣味は知らんから、実は魔王無双系のファンタジー小説が大好きだったんですって言われたら、それまでなんだがな」
笹本先輩は、画面を見たまま苦笑していた。
「でも、流石にそれだけで、気になったわけじゃないですよね?」
「それだけだが?」
「はい? それじゃ、ただの勘と一緒じゃないですか」
「まぁ、そうなる」
「まぁ、そうなるって……仕事もそんな感じなんですか?」
私は、昔の笹本先輩の様子を思い出しながら、口にしたが先輩はあっさり認めた。
「当たり前だろう。それで、ここまで来たんだ俺は」
一瞬、笹本先輩の顔が険しい顔となったが、すぐに元の表情へと戻った。
「ともあれ、俺の勘がこの『魔王様』は怪しいと言っている。何かしらの関係者という仮定で俺は調べる。上井は、そうだなぁ、何したい?」
「笹本先輩……OJTちゃんとしてくださいよ」
「と言ってもなぁ、ここは大体がプロジェクトの進捗管理や突発トラブルなんかの対応もする全体の統括部門だからなぁ。そもそも新入社員がいきなり来ても何も出来んぞ?」
「それを私に言われても、どうしようもないじゃないですか……人事に言ってくださいよ」
私も人事部から、配属を聞いたときに喜んだ後、冷静になり聞き直したのだ。
「えっと、嬉しいのですけど、本当にいきなり運営本部で大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫大丈夫、ちゃんと適正を見て配属は決めてるから。入社試験と新入社員研修の間で、上井君の高い適応力なら初めからそこでいいと思ったのさ。それに、同じ部署に大学に先輩もいるから安心しなよ」
「笹本先輩ですね?」
「そう、笹本君。君と同じ大学で、主席だった男だ。ただ、上井君と違い彼は大卒で入社だったけどね」
私は大学院まで行っているが、笹本先輩はあの人と一緒に卒業し、この会社に就職していた。
「笹本先輩も、いきなり運営本部だったんですか?」
「彼は、最初は営業部だったかな。そのあと、事業部、マーケティング部、システム管理部と異動して、去年から運営本部だったよ」
「えっと、先輩って入社して今年で五年目ですよね? そんなに、異動ってするものなのですか?」
「どうかな? 特に特別珍しいという訳ではないけど、多くもないかな。適応力が高い人間て言うのは、何処の部署でも欲しがるものさ」
私は、笹本先輩の話を聞いて益々不安になった。
「あの笹本先輩でさえ、三年は他の部署で経験を積んでから運営本部に異動になったんですよね? 私なんかが、いきなり運営本部で本当に大丈夫でしょうか?」
「まぁ、不安になる気持ちもわかるけど、人事部としてはやって行けると判断しての配属だよ。運営本部の黒羽本部長も物凄く仕事が出来る人だし、あそこの部署の人間は全員デキル人ばっかだから安心しなよ」
「むしろ、不安になったんですけど……」
私が力なく呟くと、人事部の塚井さんは笑いながら、再度口を開いた。
「上井君もしっかり頑張って、『神運営』の一柱になってくれよ」
塚井さんの言葉が、妙に心に引っ掛かりを覚えたが、私は運営本部に配属されたという期待と不安でそれどころではなかったのだった。
「まぁ、確かにそうだな。仕事は『魔王様』だけに付きっきりって訳にもいかないしっと」
笹本先輩は、私に分厚いファイルを何冊も手渡した。
「これは?」
「それは、俺が去年手掛けたプロジェクトの資料だ。議事録だなんだのと、プロジェクト毎に分けてあるから、先ずはそれを読んでこい」
「今時、紙でファイルですか?」
「俺はそっちの方が好きなんだよ。読み込んできたら、また来い。そしたら、今度は現在進行形のプロジェクトの資料を見せる」
「分かりました。それでは、借りていきますね」
「おう、しっかり読んでこい」
分厚い何冊ものファイルを、自分のデスクに持って行き、私は言われるがままファイルを読み始めたのだった。
「ただいま!……って言っても、誰もいないんだけどっと」
私は、大学の授業を終え直行したバイトからアパートへ帰宅すると、独り言を呟きながら、夕食の準備を始めた。
「『魔王様』、今日もログインしてるかなぁ」
昨日、念願の『the Creation Online』に初めてログインした時に、同じタイミングでログインしてきたと思われるスーツ姿の男の人と知り合った。
最初、すぐ横にお兄ちゃんと同じ服を着ている人が居て、一瞬固まってしまった。
その男の人の顔を見ると、お兄ちゃんとよく似ていたがじっくり見ると別人だった。顔も変えることが出来る『the Creation Online』では、顔が似ていても特に不思議はないことだ。
「でも、あのスーツ……不思議な事もあるもんだなぁ」
『the Creation Online』で初期装備は、初めてログインする時に決める事が出来るが、そもそもスーツ姿なんてもの選択する人は少ない。
「だけど、何であんなに無職で初めから強いんだろう? 完全にゲーム初心者って感じだけど、実は本当に不正とかしてるのかなぁ? だったら、ヤダなぁ」
私は、あのPKが言っていた様に、魔王様が不正をして強くなっていたら嫌だなぁと思っていたが、『the Creation Online』の特徴を思い出した。
「『the Creation Online』は、絶対に不正が出来ない事も宣伝しているし、違うよね!」
私は、魔王様の様子と『the Creation Online』の宣伝文句を頭の中で思い浮かべ、魔王様は不正プレイヤーでは無いと信じる事にした。
「よし! 夕食も食べた! お風呂も入った! 歯も磨いた! さぁ、冒険が私を待っている!」
そして、今日も私は布団の中から『the Creation Online』の世界へとログインする。
小説の舞台になる様な異世界へと転移する主人公の様に
私の魂は旅に出た
神々が創りし『the Creation Online』の世界へ