飢え
バーサーカークイーンホーネットは、封印術の中で飢えと怨みを募らせていた。
この世界に無理やり連れてこられるまでは、自由に他者を貪り食っていた。元の世界では、ソレは生きとし生けるもの全ての『天敵』だった。その世界の英雄や軍隊はソレの討伐を目指したが、悉く餌と成り果てた。そして、バーサーカークイーンホーネットは、『魂喰』の特性を持っていた為、肉体のみならず魂まで喰らい続けた。その結果、その世界において魂の輪廻に戻る者が次第に減っていき、管理神が新しく魂を創り増やしそうとするも、それ以上に魂は破壊された為、世界は破滅へと向かっていたのだ。
突然変異の如く現れたその魔物の王とも言える存在に、その世界の住民はバーサーカークイーンホーネットを『魔王』と呼んだ。
バーサーカークイーンホーネットがいた世界の管理神が、その事態に窮して上位神に相談すると、ある方法を授かった。
『異世界勇者召喚術』
上位神は、とある世界で魂の強化に励む英雄を召喚出来る神具を管理神に授け、管理神はその神具を用いて異世界から勇者となる者を召喚したのだった。管理神は上位神に言われた通りに、召喚者を一度神域に招きお願いをした。
『滅び行く世界を、神の使者としてお救い下さい。異世界の勇者様』
管理神は、良く理解していなかったが召喚者が男なら女神、女なら男神として対応する様に言われ、呼び寄せた召喚者が男だった為に、管理神は女神の姿をとっていた。
召喚者は、女神からのお願いに最初は驚き戸惑いたが、美しい女神が涙を流しながら自分の事を『勇者』と呼び、助けを請う姿に次第に心が動かされた。そして、女神から神域に召喚される直前で魂に培った能力は、経験を積むことで徐々に身体に馴染み使える様になると聞かさると、召喚者の心が躍りだし喜び出した。
管理神は、召喚者に役目を果たしたら元の世界に帰れるのかと聞かれ、上位神に言われた通りに告げる。
『お役目を終えた時に、お迎えに参ります』
その事を聞いた召喚者は、今度こそ顔に満面の笑みを作りながら役目を引き受けた。そして女神は、自分の管理する世界へと召喚者を転送したのだった。
『人の肉体では、世界の壁を越える際の力に耐えられない為に再構築する。その為、元の世界に戻す事は出来ないが、魂は召喚者の死後に回収し元の世界に戻す事は可能だ。召喚者には詳細は説明する必要はない。ただ迎えに行くとでも言っておけば良い』
事前に上位神からその様に指示を受けていた為、管理神は言われた通りに召喚者に告げたのだ。そして、召喚者がバーサーカークイーンホーネットに敗れた際の緊急手段も授けられた管理神は、自分が転送した召喚者の様子を神界から観察するのであった。
管理神は、召喚者が何かと騒動を起こしながらも経験を積みながら力をつけて行く様子を数年程近くの目から見ていた。多くの少女の仲間を引き連れた召喚者が、いよいよ『魔王』と呼ばれるバーサーカークイーンホーネットへと挑む事になった。各国の神官には予め異世界から神の使者が現れる旨を神託しておいた事もあり、各国の軍も召喚者を補助する形でバーサーカークイーンホーネットの住処と成っていた場所までの先導をかって出ていた。
住処までの道までにも、眷属である魔物達の襲撃を抑えながら召喚者一行を無傷で送り出そうと激戦を繰り広げていた。そして、遂に目的地まで辿り着いた各国選抜の先鋭部隊が、最後の力を振り絞り召喚者達を送り出し、ここを死に場所と決めた先鋭部隊が背後から追ってくる眷属の魔物達と死闘を繰り広げていた。
召喚者は目に涙を溜めながらも、残してきた先鋭隊に必ず生きてまた会う約束を交わした後、バーサーカークイーンホーネットの元へと駆け出していった。そして、召喚者とその仲間である少女達の世界の命運を賭けた戦いが始まった。
管理神は戦況を注視していたが、遂に召喚者が止めを刺そうという所までバーサーカークイーンホーネットを追い詰めたのを確認し、安心しようとしていた。既に対象は身体中を召喚者に切り刻まれ、傷からは夥しいほどの体液が流れ出ていた。まるで漆黒の闇に染まっているかのように地面には黒い体液が溜まり、熱いのか湯気が立ち昇っていた。
立ち昇る湯気が時間の経過と共に量が増えている事に、召喚者が気付いた時には既に身体の自由が利かなくなっており、召喚者の表情は恐怖と絶望に歪んだ。逆に瀕死と成っていたバーサーカークイーンホーネットは、耳を劈くような叫び声を上げた。まるで、召喚者を嘲笑っているかのように。そして、次の瞬間に召喚者の身体に衝撃が走り、二度と自分の身体を見る事は出来ない状態へと変わり果てた。
一緒についてきた少女達は、その光景を見ると一斉に神語を口にし始める。まるで、意志のないただの人形の様に術式を口から吐き出し続けた。バーサーカークイーンホーネットは、自分を追い詰めた召喚者の魂も喰おうと、召喚者の亡骸に近づいていこうとした瞬間、身体の自由が奪われ四方を透明な壁が取り囲んでいる事に気が付いた。
その事に疑問に思った瞬間、その世界からバーサーカークイーンホーネットの存在は消え去ったのだった。そして、先鋭隊の生き残った隊員が最奥へと辿り着いた時には、激しい戦闘の跡と漆黒の毒沼、そして召喚者の亡骸が有るだけだった。
バーサーカークイーンホーネットは、気狂い状態にありながらも自分の上部に『生きている者』の気配を多数感じた。この空間に捉えられてからというもの、何故か『生きている者』が近くに来る事はなかった。その代わり魂だけで動く者達が多く訪れ一時は非常に騒がしかったが、その者達からは恐怖や怯えなどの感情が一切感じる事はなかった為、食欲がそそられる事はなかった。
そして、先ほど自分を探っていた『生きている者』からは、恐怖や怯え等は一切感じる事は出来なかったが警戒の感情は感じることができた。バーサーカークイーンホーネットは、その警戒の感情をその者が態とこちらへ伝えてきたのだろうと理解していた。
自分の存在を把握しながら、尚も恐怖や怯えではなく脅しをかけてくる存在に興味を持ったが、その者は暫くするとこの場から離れていった。バーサーカークイーンホーネットは、その者が立ち去るとすぐ様興味を失った。既に此処に閉じ込められた怒り、怨み、そして飢えとで狂っている状態であり、単純な好奇心という感情は長続きはしなかったのだ。
しかし、今度は『生きている者』が数十と上で動いていた、決して腹を満たす程の数ではなかったが、その気配は間違いなく『生きている者』の気配だったのだ。魂と肉体が揃った者達であり、最後に食い損ねた男と同じだったのだ。バーサーカークイーンホーネットは、召喚者から受けた傷を癒すこともなく封印された為、当然ながら封印中の状態は常時痛みを身体中に感じていた。そんな時にやっと現れた餌に狂喜したのだった。
バーサーカークイーンホーネットは、感情を爆発させ『狂化』の力を最大限に発動した。自分でも既に制御出来ないほどの『狂化』は初めてだったが、全く気にならなかった。それほどまでに、怒り、怨み、そして飢えていたのだ。
「全く、あの御方はどんな人なのだろうな」
ギョクサは、魔王様とサンゴが村を立ち去った後に、先程沼に付いてこなかった村民達全員を集め、力を再び見せつけた。村に無気力状態で残っていた者達はその姿に驚き、更に沼について行った者達も同じことが出来ることを見せられると一人、また一人と瞑想するかの様に目を閉じた。そして、数十分後には村人全員が魔力操作をできる様に成っていた。
そして、全員が魔力操作により身体強化を図れる様になると、ギョクサは今回の事態を全員に説明をした。そして、この力をこの世界を公にしない様に説明をした。NPCが戦えるという事は、『今の世界の理』に無い筈であり、公になる事により何が起きるか予測が出来ない為だった。そのため、表向きはこれまで通りに過ごしながら先ずは、滅多に冒険者のこない沼において鍛錬と漁を再開することを伝えた。
元々ギョクサは、この村の纏め役だった為にこの提案は全員がすぐさま了承した。そして、村から離れていった自分の家族を呼び寄せる為に、村人の半数が動き出し、残りに半数は沼へと久し振りの漁を行いに向かった。そして、不安と期待を胸に恐る恐る漁を開始したのだった。
最初はスライムなどの比較的弱いモンスターにも腰が引けていた村人の老人達だったが、次第に自分の力が通用することが分かってくると、全員が喜びに沸いた。ある者は笑い、ある者は泣きながら、何れも胸に希望を抱いていた。
「ッ!? なんだ今の音は!?」
沼地にまるでガラスが割れた様な音が響き渡った。そしてその地面が揺れ出し、沼地が激しく波打ち始めた。村民達は直ちに沼から上がり、警戒を行ったがそれは間違いだった。
異変に気付いた時に、即刻逃げなければならなかったのだ。
そして、絶望が沼から姿を現し始める。
「な……何なんだ……こいつは……」
ギョクサ含め村民の老人達は、その場に腰を抜かしてしまった。村の建屋を優に超える程の体躯を持ち、獰猛な顎門を打ち鳴らしながら羽音を盛大に鳴らしているソレを目にして、全員が死を心の底から理解してしまった。
『悪意』を形にした様な『絶望』が、全員を見下ろしていたのだ。
そして、ソレは嗤った。
とても嬉しそうに、ソレは嗤った。
自分が欲した『生きている者』が、目の前で絶望に顔を歪めている事に大いに喜んだ。
「キシャァアアアアアア!」
そして、喜びを表現する様にソレは鳴いたのだ。
「ぐっ!? 逃……逃げろ!」
ギョクサは、ソレの叫び声の衝撃で放心状態から我に返った。そして、まだ放心状態にある者達に向かって叫んだ。その叫びに他の者達も正気に戻り村へと向かって駆け出していた。そして、その様子を見ていたソレは口から粘液を村人達に脚に向かって吐き出した。
「ぎゃぁあああ! 足がぁああ!」
粘液が着いた足は、酷く焼けただれていた。それでも歩けない程ではなかった。その為、痛みを我慢しながらも村へと向かって行く者達がいた。しかし、ソレは逃げている者に向かって更に粘液を飛ばし、村へと向かおうとする者程、身体中に粘液を少量づつかけられていた。
「遊んで……いるのか……」
ギョクサは、その場から動かなかった為に身体は無事だったが、今度こそ完全にその場に固まってしまった。理解してしまったのだ、ソレは自分たちが弱っていく様子を、そして逃げ出そうとしている様を嗤って楽しんでいるのだと。
「ふざけるでない……やっと……やっと我らは、希望を持てたのだ!」
ギョクサは、怒りに任せ自身の魔力を全て身体強化に回しソレに向かって突進し始めた。
これまでの惨めさ、悔しさを怒りに変えて恐怖を殺し、ソレに向かってギョクサは一人跳んだ。
そして、ソレはギョクサに振り向き笑う様に大きく顎門を開いた。
「無念ですぞ……魔王様」
その言葉を最後に、ギョクサの身体に強い衝撃が走り、沼地へと落水した。
「ごふぉは!? げほ……がは……何だ……何が起きたの……だ?」
ギョクサは、混乱しながらもソレがいた空中へと目を向けた。
「中々良い気迫だったぞ。その心意気や良しと言ったところだが。此処からは、俺が変わろう」
目の前には、右腕があった場所から大量の血を流す男が自分達を護るかの様に空中でソレと正対していたのだ。
ギョクサが、自分を助けたであろう人物の無くなった右腕を探すと、ソレの顎門に無残に突き刺さった状態だった。そして、ギョクサが声を上げようとした瞬間に、ソレは腕を見せつける様に嚙み砕きわざとらしく咀嚼してみた後に、再び嘲笑うかのように鳴いたのだった。
「俺を喰いたいのか? 少々値がはるぞ? 貴様の命でも、払いきれぬほどのな」
そして『異世界の魔王』同士の戦いが、『the Creation』で始まったのだった。




