第07話:一花さんのご飯はおいしい
「昼食の準備が整いました」
研究室のドアをノックして一花が声をかけてきた。
小宇羅はそこで「ふうっ」と一息つく。
続いて「あぁ、わかったよ」と一花に返事をして、
仮想現実空間の夕凪にニカッと笑顔を向ける。
「夕凪殿、食事ができたそうだから休憩にしよう。
続きは午後やるってことでいいかい?」
「うん、いいよ!」
夕凪は笑顔で小宇羅の提案を受け入れた。
◇ ◆ ◇
小宇羅の館、一階洋室。
木製のテーブルの上に六人分の食事が並んでいる。
献立はケチャップライスに小さなハンバーグ、サラダとクリームスープ。
四人の幼い姉妹は先に席に座って行儀よく待っている。
ミカンとヒスイが玄関側、スミレとサンゴがその反対側。
小宇羅は「お待たせ」と皆に声をかけて、
テーブルの残る二面のうち暖炉前の席に座り、
「夕凪殿はそっちに座って」と対面の席を手で示す。
言われた通りの席に座る夕凪。
だがひとつ気になることがあった。
今この場には二葉の姿が見えず、
一花はエレベーター近くの壁際に姿勢よく立っている。
二人の座る場所もない。
「一花さんと二葉……は一緒じゃないの?」
二葉の要望どおり敬称抜きで名前を呼ぼうとして一拍詰まる。
誰ともなしに問い掛けた夕凪の言葉に答えたのは、
名前のあがった片方――絡繰メイドの一花。
眼鏡をかけた顔に感情の変化は見えない。
「わたくしと二葉は普段から食事はしません。
一日に一時間ほど研究室のカプセルで魔力の充填をすれば、
食事も睡眠も必要ありませんので」
――そうなのね。…………あれ?
一花と二葉は小宇羅に作られた絡繰の身体だからと、
この説明で素直に納得しかけたのだが……そうすると別の疑問が湧く。
何故なら……夕凪の身体も一花や二葉と同じ絡繰人形なのだ。
「えっ? ってことは……私も食事しちゃダメなの!?」
これまで何でもあっさりと受け入れてきた夕凪が狼狽える。
そんなワタワタと焦る様子を目にして、小宇羅が思わず自然な笑みを浮かべる。
「いやいや、夕凪殿……もちろん一花たちと同じようにもできるけど、
だからといって夕凪殿から食事を抜くなんて、そんな酷い真似はしないよ。
それに、ちょっと事情があって――
出来るだけ子供たちと一緒に人間らしく生活をしてもらいたいんだ」
ほっとした顔になる夕凪。
続けて「事情って?」と首をかしげて訊き返す。
「それは、後で話すよ。子供たちが待ちきれないって顔をしているから」
小宇羅が示した方を見ると、ミカンがちょっと情けない顔で夕凪を見ている。
口元からよだれが垂れそうだ。
夕凪が「……そうね」と苦笑を浮かべる。
「じゃあ、食事にしよう――いただきます」と小宇羅が音頭をとる。
「「「「いただきます」」」」四姉妹のそろった声。
「いただきます」と少し遅れて夕凪も声を出す。
スープを一口、そしてケチャップライス。どちらもすごくおいしい。
絡繰の身体でも味覚はしっかりしていることに夕凪は安堵する。
「この食事は一花さんが作ったんですか?」
「はい、皆様のお食事は全てわたくしが作らせていただいております。
お味の方はいかがでしょうか」
「はい、すごくおいしいです」
「ありがとうございます」
「一花さんのご飯はおいしいよ。いつもありがとう」とミカン。
「おいしいよね」「はい」「……うん」ヒスイ、スミレ、サンゴの声。
「わたしもそう思うよ」と小宇羅までもニカッと笑う。
皆から褒められた一花は全く動じずに無表情のまま……ではなかった。
ほとんど変化はないのだが、
体の前で合わせた指先がもじもじしていて、微かに頬が赤くなっている。
――こういう人なんだ。
最初に感じていた冷静沈着なイメージと違って、
かわいい反応を見せる一花に夕凪の頬が自然と緩む。
ちなみに一花は人ではなく絡繰メイドなのであるが……それはそれ。
と、そんな感じに……
場の雰囲気が緩くなったところで小宇羅が話し始める。
「子供たちは聞いてくれ。朝、話した通り――
午後も夕凪殿の訓練を優先するから、みんなの訓練はしない。
夕食まで自由時間にするけど、あんまり危ないことはしないように」
「はーい」「うん」「はい」「……うん」と四人はそれぞれの返事をする。
――私の訓練を優先して、子供達の訓練が中止?
「訓練って何? ていうか……ミカンたちって普段は何をしているの?」
夕凪の質問に答えたのはミカン。
ほっぺたにケチャップライスが付いている。
「お昼前はお勉強の時間です。
お外の教室で国語と算数を教えてもらってます。
いつもは小宇羅ちゃんが先生だけど、
今日の国語は一花さん、算数は二葉に教えてもらってました」
夕凪がほっぺたのご飯粒を教えようと、
自分の頬をとんとんと指差してからミカンの頬を指差す。
ミカンが「あっ」という顔をして、
自分の頬についているケチャップライスに気がつき……「ぱくっ」
そして言葉を続ける。
「一番頭がいいのはスミレです」
「スミレはもう九九を全部覚えたんだよね」これはヒスイ。
「それはそうですけど……本当に一番頭がいいのはサンゴです」
「……え……」スミレの言葉に戸惑うサンゴ。
「サンゴはちょっと年が離れているので、
お勉強が遅れているように見えますけど、もうすぐ追いつきますから。
それに……ワタシがサンゴくらいの時は、まだ足し算しかできませんでした」
「今だって、ミカン姉よりサンゴの方が九九ができるしね」
「ぶー」ミカンが頬を膨らます。
「……でもミカンお姉ちゃんはとってもやさしい……から……」
「そうだよね、ミカン姉のいいところは頭の良さじゃないからね」
「ミカン姉さまはいつもワタシたちを守ってくれます」
「くふふ……、アタシはみんなのお姉ちゃんだからね!」
「みんな仲がいいんだね」
「うん、そう、アタシはヒスイもスミレもサンゴもみんな大好き!」
「……ボクも……そうだよ」
「まぁ、ワタシも……です」
「……サンゴも……」
ミカンはあけすけに好意を示すが、妹たちは少し恥ずかしそうだ。
幼い四姉妹の仲の良さに夕凪の心が温かくなる。
「あぁ、それで訓練って何?」
「それは、外の魔物を退治する車を動かす訓練です。
ここに来てから、アタシたちも箱船をまもりたいって言ったら、
小宇羅ちゃんが『マルマル号』を作ってくれたんだけど、
ちゃんと乗れないと魔物退治はダメだって……。それで訓練をしてるんです」
「ふーん」
――外の魔物って、さっきの万有之海にいる魔物のことだよね。
でも『マルマル号』って何だろう――と、
夕凪がよくわかっていないという思いを顔に出して小宇羅を見る。
「夕凪殿の魂が見つかる前の話で、
その絡繰人形に適合する魂を探していたころの話なんだけど……。
状況がどうも芳しくなかったんで、別の手段をって考えたんだよね。
で、この子たちも戦うって言ってくれたんで、特別に造った機動戦闘車なんだ」
まだ理解するには情報が不足しているが「そうなんだ」と答える。
そこにミカンが口をはさむ。
「夕凪お姉ちゃんは……魔物退治はできそうなんですか?」
心配そうに夕凪と小宇羅の顔を交互に見る。
夕凪がこの箱船を護れるかどうかは、ここにいる全員の未来がかかっている。
自分の力がどの程度小宇羅の期待に応えられるのかはまだ分からないけれど、
ここで後ろ向きの返事をする夕凪ではない。
力強く一言。
「任せて!」
ミカンだけでなく他の姉妹の顔にも明るさが浮かぶのを見て、
自分の返事が間違っていなかったと自信を持つ。
「夕凪殿は魔物退治が凄く得意だったそうなんだ。
で、午前中は驚かされることばかりだったんだよねぇ。
これからの訓練次第なんだけど、
もしかしたら……予定よりもかなり早く出発できるかも知れない」
小宇羅も夕凪の言葉を後押しするように、
希望の持てる状況だということを子供たちに説明する。
「だからとりあえず二、三日は夕凪殿の訓練を優先。
ミカンたちの訓練はちょっとお休み。でもその後、ちゃんとやるから安心して」
「うん! ミカンも……ミカンたちも訓練して外の魔物退治できるようになるよ。
それで箱船をまもって、旅を始めて、新しい場所を見つけて、
御主人様に目を覚ましてもらってダンジョン探索をする!
その時はヒスイもスミレもサンゴも一緒! 一緒にダンジョン探索!」
一生懸命夢を語る長女の言葉に三人の妹たちは力強く頷く。
気の弱そうなサンゴでさえもしっかりと。
――この子たちも戦う理由があるんだ。
自分が戦えば、この子たちを無理して戦わせる必要はないんじゃないか、
そう思ったけれど……理由があるのならその思いを尊重したい。
小さい子供だからと言って戦うのを否定するつもりはない。
自分も物心ついたときには訓練をしていて、九歳から戦い始めたのだから。
ミカンの話にはまだ知らない事情も見えたが、
小宇羅が目で合図をしてきたので、夕凪は疑問を胸の内に押し止める。
その後は――
ミカンはトマトが嫌いで、逆にサンゴはトマトが大好きだとか、
ヒスイは器用で何でもできるとか、スミレは読書が好きだとか、
そんな取りとめのない会話が続く。
夕凪にとって、今みたいな笑顔の絶えない食事は久しぶりだった。
いや、これだけ楽しい食事は初めてなのかもしれない。
前世の日本での生活では――
先輩のさぎり、後輩の葉月と共に過ごした時間があったが、
さぎりと葉月がいた時期は被らない。
――さぎりさんといた時は私があんまりしゃべらなかったし……。
明るくなって笑顔を見せられるようになってからも、
さぎりさんに対して尊敬の念が強かったから、くだけた会話はできなかった。
葉月の時は逆にこっちが一方的にしゃべって、葉月は静かに聞いていた。
あの娘が笑顔を見せてくれたのは、自分が病気になって入院してからだ。
今この場を与えてくれたのは、生前がんばったご褒美なのだろうかと、
そう真剣に考えるほど幸せで楽しい時間だった。
――もしかしてこれって夢?
自分のほっぺたをつねる夕凪。
――痛くない!
「夕凪殿……どうしたんだい。突然。
痛みを感じるセンサーだったら後で調整するから、
今は感覚が違うかもしれないけど……少しの間だけ我慢してくれないかな」
「…………」
――そういうことね。
◇ ◆ ◇
昼食後、夕凪は小宇羅に連れられてエレベーターに乗る。
「見せたい場所がある」
行き先は二階の研究室ではなかった。
下降する感覚。短い沈黙。
エレベーターが止まりドアが開くと、そこには――。
「ここは!?」
夕凪が驚きの声を上げる。
小宇羅はその場では答えずにエレベーターから降りて先に進む。
あとを黙って付いていく夕凪。
そこにあったのは箱庭の優しい風景とは全く別の……無機質な空間。
光量を抑えた広いフロア。
中央にあったのは腰の高さまである半球状の黒い物体。
赤く輝く何本ものリングに囲まれている。
そしてフロアの周囲を埋め尽くす様に置かれているのは、
研究室で夕凪が使用していたのと同じ形状のカプセル。
ここでは一台一台が緑に輝くリングに囲まれている。
夕凪の想像通りの物であれば――その数は千。
そして……それは正しかった。
「ここがわたしの助けた人々が眠っている場所。
今、彼らの肉体の時間は完全に止まっている。
けれど……精神だけは緩やかに活動をさせているんだ。
そこまで停止すると、目覚めた時に障害が残る可能性が増えてしまうからね」
フロア中央の半球状の物体を手で示す。
「これが彼らに夢を見せている……精神活動を続けさせるために。
そしてこれは箱庭の中央にある樹――安らぎの大樹――に繋がっている。
あの樹の役目は箱庭で起こる出来事の収集。
と、そんな感じで……子供達や夕凪殿の生活が彼らの夢になるんだ」
「それで人間らしい生活をして欲しいのね」
「そう。彼らに日常の風景を見せてやりたいからね。
プライバシーに配慮してちゃんと画像を加工しているから、
その点は安心していいよ」
「そうしてもらえると、ありがたいかな」
そんな風に冗談めかした話をした後、小宇羅の表情が再び真剣なものになる。
話し始めたのは……四姉妹について。
「ミカンたちは……百群郷にいた『魔物』なんだ。
マルスライムという変化のスキルを持っている弱小種族。
本当の姿は――
大きな丸いクッションみたいな形で、天辺に二本の触覚を持っている。
見たことはあるかい……?」
すでに四姉妹が人ではない存在だと聞いていた夕凪にとって、
その正体が『魔物』だと聞かされても驚きは少なかった。
なぜならそれは些細なことだから。
夕凪は落ち着いた表情のまま小宇羅の問いに答える。
「その魔物は見たことない」
「百群郷には『魔物遣い』と呼ばれる――
魔物と心を通わせて使役する能力を持つ人間がいた。
あの子たちは、その能力を持つ人間に使役されていた魔物だったんだ。
今でも……仕えていた魔物遣いを御主人様と呼んで慕っている。
あの子たちが人の姿でいる理由もそこにある」
「あの子たちの御主人様は……いまはどうして……?」
消滅した世界の出来事だから、最悪の答えが返ってくるかも――と、
夕凪は身構える。
「それなんだが……どうやらあの子たちは主の生存を感じているらしい。
百群郷の生き残りはここにいる者たちだけ。
ということは、あの子たちの主はこの部屋の何処かにいる、と考えるしかない。
けれどもその人物だけを目覚めさせることは……できない」
「……そうなんだ」
「この中のどれがその人物かもわからない。
仮にわかったとしても、その人物だけを目覚めさせる方法はない。
全員を目覚めさせてしまえば、もう一度眠らせる力が残っていない。
かといってこの箱船で全員を生活させることも不可能。
だから新しい世界を見つけるまでは、あの子たちは主と再会できないんだ」
夕凪は昼食の時のミカンの話を思い出す。
確か、新しい場所を見つけて御主人様に目を覚まして貰う、と言っていた。
ミカンはこの事を話していたのだと……この時に理解できた。
「あの子たちもそれを知っている。
これが、あの子たちがこの箱船にいる理由、戦う理由だ。
夕凪殿には知っておいてほしい」
「うん、わかった……教えてくれてありがとう」
小宇羅に伝えた感謝の言葉は――夕凪の本心から出た言葉だった。
第07話、お読みいただき有り難うございます。
次回「キャラクター紹介その2」を入れて、
本編「お姉ちゃんだから(1)」四姉妹とその長女ミカンの話になります。
更新は6月24日を予定しています。