第06話:実力を見せてくれないか(2)
「最初は弱い奴から――レベル1の突進魚」
戦いの邪魔になるので、小宇羅は仮想現実空間から自分の分身を消す。
サカナ型の魔物の名前は夕凪が口にした「突進魚」に統一。
万有之海、鏡のような表層の上で、
夕凪は大振りの槍と透明な盾を持ち自然体で立つ。
その視線の先に下からスーッと浮き上がるように現れた一体の突進魚。
夕凪が走り出す。素早い動きで間合いを詰め右手の槍を一閃。
相対した時間は一瞬。
突進魚は夕凪の姿を確認することもできずに、
胴体を分断され、光の粒となって消えていった。
小宇羅の顔が夕凪の視界右上、小さな枠の中に映る。
「お見事!」
「この身体、いい動きをするね。全く問題ないよ。
もっと魔物は強くて大丈夫。魔界の門から現れた魔物はもっと強かったから」
――魔界の門……か。
小宇羅の持つ『起源世界』の知識の大部分は、
転生や召喚などで『百群郷』を訪れた人間から聞いたものだ。
とはいっても、神と呼ばれた存在である以上、
知識の量と質は一般人と比べて格段の差があるのだが、
それでも夕凪の言う魔界の門の守護という話は一度も耳にした事がなかった。
「それじゃあ、次からは魔物のレベルを上げて、数を増やしていくからねぇ。
あぁ、レベルってのは魔物の強さを表してるんだけど……何となくわかるかな。
ダメだと思ったら早めに言って欲しい……で、決して無理はしないように」
だから夕凪から聞いた話には半信半疑の部分もあった。
それでも彼女の言葉通り魔物と戦った経験があるというのなら、
魔物との戦いを忌避しないのなら、小宇羅にとってはそれだけで十分だった。
「うん、大丈夫。どんどん来なさい!」
――頼もしい返事だねぇ。
「じゃあ、レベル2の毒ヒトデを二体」
彼女に与えた絡繰の身体は、
調整前の今の状態でもレベル5の魔物一体の相手ができるほど。
これは人の体重の数倍はある野生の獣に匹敵する強さ。
全くの初心者でさえ、そこまでの戦闘力を発揮できる身体なのである。
「楽勝!」
夕凪があっさりと二体の魔物を仕留める。
身体の持つ能力を考えればこの結果は順当とも言えるが、
これは魔物と戦うという精神的な壁を乗り越えてこそ。
小宇羅は彼女の言葉を少しでも疑ったことを心の中で謝罪する。
「次はレベル3の突進魚を三体」
魔物の出現と共に突進する夕凪。
まずは連携させないため三体バラバラな位置に盾で弾き飛ばす。
その後は近づいてくる敵に槍の斬撃を加えていくだけ。
相手に反撃させる隙を与えないまま――
一体を刺突で仕留め、流れるような斬撃と刺突で残る二体を光に還す。
「全然、大丈夫!」
魔物と戦えさえすれば、ここまでは予想の範囲内。
とはいえ、この時点ですでに小宇羅はある事実に気が付いていた。
それは、夕凪自身の能力もかなりの水準にあるということ。
絡繰の身体の持つ優秀さとは関係なく、
彼女の体捌き槍捌きは眩しいくらいに美しかった。
もちろんそれは喜ぶべきことだが、
小宇羅の考えでは、夕凪の能力に多くを頼るつもりはなかった。
「じゃあ、レベル4の毒ヒトデを四体」
新たな魔物を召喚しながら、
小宇羅は改めて自分の計画を頭の中で確認する。
絡繰の身体は今後調整を重ねることで、
レベル10の魔物の相手でさえ可能になる――その自信がある。
魔物は種族によって最低レベルが決まっているが、
レベル10といえば、巨大トカゲの姿を持つ火の精霊サラマンダーが代表的。
それほどの強さまで短期間で到達できるはず。
「これくらいなら!」
さらに万有之海の魔物退治を確実にするために、
もう一段階の……それも破格とも云えるほどの強化方法を用意してある。
それは――
百群郷で強者だけが扱えた特権的魔法――肉体と武器の強化魔法。
この魔法は、手にする武器の強度や攻撃力、
自分の身体の素早さや防御力といった各種能力を数倍に引き上げるのである。
その習得を促し、発動までを補佐する【強化魔法発動支援プログラム】を、
あの絡繰の身体に仕込んでいるのだ。
「じゃあ、レベル5の突進魚を五体」
――夕凪殿の得意武器が槍だったのも運がよかったよねぇ。
銃火器の場合は武器強化魔法の恩恵を僅かにしか得られず、
剣や槍のような直接攻撃武器を強化したほうが、断然攻撃力が高くなるからだ。
もう一方の肉体強化魔法は絡繰の身体との相性が多少悪いのか、
残念ながら万全な効果は難しいようだが、それも微々たるもの。
結果得られる能力に不足はない。
何故なら、この肉体と武器の強化魔法で――
単体の魔物ならばレベル20以上を軽く相手にできるようになるはずだから。
これは下級種の竜と戦えるレベル。ここまで強くなれば十分。
「まだまだ!」
まだそれで終わりではない。
最後にもうひとつ用意したものがある。
それは広い万有之海の移動と戦闘のサポートをするための乗り物。
形状はバイクに似た自動一輪車。
命名『熱血ばく進号』!
車体両側面に取り付けられた機銃は手持ちする銃器と異なり、
余裕ある空間と積載重量をフルに使って強化魔法無しで十分な威力を発揮。
絡繰の身体との完全なリンクにより、
思い通りの機動と精密な射撃を可能とする優れもの。
――このお披露目は夕凪殿の水準がある程度上がってからだけどね。
ここまでの万全なサポートの結果――
最終目標は、レベル20の突進魚と毒ヒトデの混成集団100体の殲滅。
普通であれば十年かかっても達成困難な道のりを、
これらの強化手段で百日ほどで終わらせようと小宇羅は考えていた。
夕凪に魔物退治の経験があるのであれば、
あれだけの美しい身体の動きを見せてくれるのであれば、
さらに期間が短縮できるのでは――と、思ったのも無理はない。
だが、小宇羅のその期待は見事に裏切られる。
「じゃあ、レベル6の毒ヒトデを六体」
より良い方向に。
「大丈夫!」
出てきた六体の魔物を夕凪は慌てることなく全て光に還す。
顔には余裕の笑みさえ浮かんでいる。
――これはいったい……?
小宇羅がいろいろと考えている間に、
魔物のレベルがここまで上がってしまった。
いや、レベルを上げたのは自分なのだが……と自答する。
万有之海の毒ヒトデと突進魚は集団で現れるのが常。
実力を見るための模擬戦闘ではあるが、
せっかくだからと複数を同時に相手をしてもらっていた。
そして一対多の戦いでは相当な力量差が必要になるのも当然の理。
――しかし、いま夕凪殿が戦ったのはレベル6の魔物が……六体。
これを相手に楽勝。
予想していた強さを遥かに超えている。
「レベル7の突進魚を七体!」
次の魔物を用意する小宇羅の手の平にじっとりと汗が浮かぶ。
魔物の体力が上がったせいで、
一体倒すのに必要な攻撃回数はもちろん増えている。
素早さを増した敵の攻撃に危うい場面も増えている。
それに加えて同時に相手にする魔物の数も増えている。
だというのに、夕凪はこれまで一度も魔物の攻撃をまともに受けていないのだ。
「調子出てきた!」
夕凪は華麗に敵の攻撃を避け、瞬く間に魔物を退治してしまう。
相手の動きを全て見極め、先回りして、誘導して、思うがままに操る。
そうして全く危なげのない戦い方で格上のはずの魔物に勝利する。
敵が一体だけなら無理やり納得してもいいが、相手にしたのは七体同時。
自分が作った絡繰人形の身体。どの程度の能力があるか隅々まで知っている。
未調整の状態では、すでに……いや、かなり以前に性能的に限界のはず。
しかし今の夕凪には余裕さえ見える。
彼女の状態を表すモニターを見る限りでは、
筋力や反応速度が設計値を超えている訳でもない。
単純に体捌き、槍使いの技量だけで予測を超えていると――
そう判断するしかないのだが、それで納得できる段階ではない。
あまりにも異常な強さだ。
「レベル8の毒ヒトデを八体」
内心の動揺を押し隠すため、小宇羅の言葉に抑揚が無くなる。
このレベルに達するには、もはや絡繰の身体の調整と訓練だけでは不可能。
技量だけでカバーするなど有り得ない。
次のステップである「身体と武器の強化」をしない限りは。
だが夕凪は平然と限界突破する。
「まだまだ頑張れるよ!」
そう答えた時には八体の魔物は姿を消していた。
知らぬ間に口の端に笑みを浮かべている小宇羅。
ニカッとした笑いではなく、挑むように笑って瞳に強い意志を浮かべる。
――どこまで行けるのか?
当初は夕凪の実力を見るためだけの軽い模擬戦闘の予定だった。
途中で無理そうだったら、すぐに中止するつもりだった。
だが、ここまで来てしまえば最後まで見てみたい。
小宇羅は腹を決めて仮想現実空間に次の魔物を召喚する。
「じゃあ、レベル9の突進魚を九体」
ここにきて遂に苦しくなってきたのか、
夕凪が魔物一体を倒すのにかなりの時間を要するようになった。
突進するサカナの集団攻撃に対して、
防御と回避が忙しくなり、攻撃を加える頻度が落ちてきたのだ。
それでも未だに攻撃をその身に受けていない。
一体ずつ数を減らす突進魚。
やがて最後の一体が槍の一閃を受け、光に還る。
「よーし! 次だっ!」
まだ上を要求する夕凪。
モニターを使って操作する小宇羅の指が震えている。
「レベル10……毒ヒトデ十体……」
「あぁっと、ちょっと失敗!」
二体を倒した後……ついに毒ヒトデの毒液が夕凪を直撃する。
それをきっかけに連続して毒液を身体に浴びてしまう。
絡繰の身体は生身の身体と違って、
毒攻撃に対抗できるよう加工してあるが、何度も受ければ行動に支障が出る。
ただでさえ、今は設計値を超えたレベルの魔物を相手しているのだ。
――そろそろ限界か?
それもまぁ、当然。ここまで戦えただけでも自分の目を疑うほど。
あの身体で初日――調整も強化もなしに――レベル10の魔物を十体同時。
それまでに下位レベルとはいえ四十体を超える魔物を倒しているというのに。
小宇羅が「ふうっ」と張りつめた息を漏らした時――更なる衝撃が襲う。
モニターを見つめる彼女の瞳に信じられない光景が映る。
――能力値が上昇している……? これは肉体と武器の強化魔法……か?
夕凪の身体情報を示す数値が大幅に上昇している。
だが、あの身体に仕掛けた【強化魔法発動支援プログラム】は起動していない。
プログラム使用の形跡がないにもかかわらず、それと同等の変化が起きていた。
絡繰の身体と、手に持つ槍と盾が淡く光を帯びて――
危機に陥ったのが嘘だったかのように、残った毒ヒトデを一瞬で消し去る。
理解を超える出来事に呆然とする小宇羅。
そこに夕凪の明るい声が届く。
「よーし、何とかなるね。【破魔術】も使えるみたいで安心だ。
小宇羅ちゃん、まだまだいけるよ。次の魔物を出して」
――【破魔術】……?。
聞き慣れない単語に小宇羅は戸惑う。
おそらく夕凪が見せた強化魔法のような現象を言っているのだろうが、
すでに予想を遥かに超える戦闘力を見せられて、
その上でこれでは、さすがにこのまま続ける訳にはいかない。
仮想現実空間に自分の分身を現出させる。
「夕凪殿……、その規格外な能力はどうやって身に付けたのかな?」
小宇羅も神と呼ばれた身。
起源世界から転移や召喚や転生してきた人物を何人も知っている。
チート能力者などと自称して、良くも悪くも活躍した者も知っている。
しかし、その力はいずれも同僚の神や他の力ある者から譲り受けた能力。
その意味では――
夕凪の絡繰の身体も同じなのだが、彼女が見せた力はそれとは別物。
起源世界の人間が最初から何らかの能力を持っている場合も少なくはないが、
だとしても破格としか言いようがない。
魔法の存在した百群郷でさえ、肉体と武器の強化魔法を会得できるのは、
ほんの一握りの才能ある者たちだけだったのだ。
だが夕凪は当然のように口にする。顔に笑みを浮かべたまま。
「あぁ、言い忘れていたね。
魔界の門を守護する役目の者はみんな、いまの【破魔術】が使えるんだ。
でないと、魔物相手に戦えない」
◇ ◆ ◇
日本には魔物に対抗する技術が古くから伝えられ、
その技術を受け継ぐ素質を持つ者は、生まれ落ちてすぐに選別され集められる。
技の名前は『破魔術』
魔法という言葉が作られる以前より存在し、
唯一魔物に対抗できる手段として、
いくつかの分派を作りながら脈々と伝えられてきた超常的な技。
己の身体と特別に製造された武器を『破魔術』で強化して魔物を滅する。
ここにひとりの赤ん坊がいた。
生まれてすぐに素質を見いだされ、特別な機関で育てられ、
五歳の誕生日に、破魔術の一派『破魔槍術』を受け継ぐ立原家の養女となる。
そこで『夕凪』と名乗るように云われた。
伝授された破魔槍術の基本技を四年で完璧に使いこなし、
歴史上でも類を見ない天性の才能を持った少女として、
最も凶暴な魔物が出現する『第七魔界の門』に配属されたのが、僅か九歳の時。
先にそこを護っていたのが、
日本一の破魔刀術使い、当時十八歳の女性――雨ノ宮さぎり――だった。
夕凪はさぎりに教授を受けながら、
現れる魔物を退治し、破魔術の研鑽に励む日々を送る。
そして三年後――破魔術の奥義を会得。当時十二歳。
それまでの最年少記録――雨ノ宮さぎり十六歳――を軽く塗り替え、
さぎり本人に「この地は夕凪がいれば他に人はいらない」と言わしめた。
しかし、夕凪十六歳の時。非情な運命が彼女に訪れる。
今後も数十年に渡り、
魔界の門を護り続けるはずだった彼女を……不治の病が襲う。
その後、病は治ることなく――
十七歳の誕生日を迎える数日前、その短い生涯を終えたのだった。
これが……立原夕凪の前世。
◇ ◆ ◇
小宇羅は黙って話を聞いていた。
夕凪が見せた能力【破魔術】とは――
小宇羅の知る肉体と武器の強化魔法と同等の術だということは間違いない。
彼女が見せた戦闘力と強化魔法、
それらを如何にして身に付けたのか――その経緯を知った。
絡繰少女人形の身体との適合率から、
夕凪が年若い少女であったというのも予想の範囲内だった。
彼女の生涯は――
神として数えきれない程の人の生き様を見てきた小宇羅にとって、
数多くある早逝した人物の物語――そのひとつでしかない。
けれども――
夕凪が見せる笑顔にはそれだけの重みがあり、
全てを潔く受け入れる性格にはこういう背景があるのだ――と、
彼女が聞かせてくれた前世の物語から、小宇羅はこの時に理解したのだった。
第06話、お読みいただき有り難うございます。
次回「一花さんのご飯はおいしい」です。
次回更新は6月21日を予定しています。