第02話:転生したっていいじゃないか(1)
真っ暗闇の中、全ての感覚が閉ざされて意識だけが浮いている。
「どう? 聞こえるかな?」
そんな中、突然かけられた声に反応しようとするけれど――
自分の声の出し方がわからない。
「聞こえるみたいだねぇ……ちょっと待ってて。いろいろ段取りがあるんだよね」
また聞こえる。女性……幼さが残る女の子の声。
楽しそうに弾んでいる。
でも……私……どうしたんだろう? また倒れたのかな。
違う。
もう、ここ二週間は寝たきりで動けなかったんだ。
こうなるまでの記憶が曖昧……また知らない間に意識を失っていたのか。
そのままにならないで、目覚めることができたって神様に感謝しよう。
そのままの方が、よかったのかもしれないけれど。
「次は視覚を繋げるから……情報量が増えるけど慌てなくていいよ」
最初は暗闇の中にある小さな光の点だった。
それが次第に大きくなって、
初めて見る光景が目の前いっぱいに広がった。
何度か瞬きをする。
今いる部屋……病室っぽくない。誰かの書斎みたい。
視界に入る大きさだけで考えれば、何人もで使う部屋ではなさそう。
正面の大きな窓の下にある部屋の幅いっぱいの机も一人用。
左側一面は普通の本棚と、何かを収納している扉付きの棚。
右の壁際には何故か止まり木と、そこにとまっている赤い鳥。
こちらに顔を向けていて思わず目があってしまった。
この病院、広いから知らない部屋もたくさんある。
でも目の前に立っている人物、どう見ても医者にも看護師にも見えない。
着ているのが白衣じゃなくて、
なんだかかっちりした雰囲気のする黒と濃い青色の服装。
「ゆっくりでいい、落ち着いて状況を理解してもらいたいんだよね。
説明することはたくさんあるけど、少しずつ少しずつだから」
話をしているのは声で想像した通り、やっぱり少女、中学生くらい?
いたずらっ子が浮かべるようなニカッとした笑顔を浮かべている。
髪は短くて……じゃなくて後ろで縛っていた。
帽子をかぶっている。……デザインが『カメ』だ。
そのカメ、いま、まばたきをしたような……?
「最初に衝撃的なことを話すから……心を落ち着けてくれるかな」
笑っていた少女の顔が真剣な眼差しになって上目づかいでこっちを見る。
私の眼の高さの方がだいぶ上。
不思議なのは、今の私の体勢――寝かされているんじゃなくて立たされている。
これって新しい検査台だろうか。
それで……相変わらず声は出ないし、浮いているような感覚もそのまま。
なんだか自分に目と耳しかない、そんな感じ。
「その前に名前を聞いていなかったね。まずはわたしのほうから……。
わたしの名前は――小宇羅。苗字ってのはない。
気安く『小宇羅ちゃん』って呼んでいいよ」
自分よりも年下に見える少女なので『ちゃん』付けで呼ぶのに抵抗はない。
でも小宇羅ちゃんの話し方……軽いんだけど何故だか威厳がある。
で、今度は自分の番。
患者の取り違えを避けるため、病院ではよく名前を聞かれる。
相手をしているのが何故少女なのか疑問は残るけど、素直に従おうと思った。
だから自分の名前をフルネームで『立原夕凪』と伝えたいのだけれど……、
やっぱり声が出ない。
「たちはらゆうなぎ……夕凪殿だね。
焦らしても仕方がないんでさっさと説明を始めるよ。
夕凪殿は人生が一度終わりました。いまは転生――生まれ変わって、
夕凪殿のいた世界とは全く別の場所、簡単に言えば『異世界』にいます。
いい? わかったかな?」
えっ? なんで返事してないのに私の名前がわかったの?
…………。
……………………。
なんだってぇー!!!
◇ ◆ ◇
突然告げられた衝撃的な内容に夕凪の思考はグルグルとまわり始めた。
その一方で、小宇羅と名乗った少女は――、
自分の横にある何かの情報表示用モニターを見つめて呟く。
「少し興奮状態になったみたいだねぇ。まぁ当然か……」
夕凪は今の今までこの場所のことを、
自分が身を置いていた病院の何処かの一室なのだと思い込んでいた。
病が原因で気を失い、その治療のため特別な設備のある部屋にいるのだと。
そこで受けた奇想天外な状況説明。
いきなり異世界に転生したと云われ、誰が信じられるだろうか。
だが――
ある特殊な環境で生まれ育った彼女は、
こんな時でさえ、異常とも言えるほどの状況への適応力を発揮する。
初対面の少女から『人生が終わった』と告げられて、
自分が病院にいた理由と、直前までの自身の状態を思い出した。
結果――彼女はあっさりと納得する。
少女の言葉を疑っても仕方がないと結論づけて、
信じられないほど短時間で「そうなのかも」と自分の命の終わりを認める。
そして、普通ならあり得ないと一笑に付すような『転生して異世界にいる』も、
否定せずに「そんなことがあったらいいな」と、とりあえず受け入れる。
不可解な点で頭を悩ますよりも現状把握を優先したのだ。
だからこそ、すぐに気持ちを切り替え、
いろいろ尋ねたい――そう思ったのだが……夕凪はいま声が出ない。
「驚いたねぇ、もう感情が安定してきた。
すでにこの状況を受け入れてくれたってことか……すごいな、これは。
これも適合率九十三パーセントのお陰なんだろうかねぇ」
カメの帽子をかぶった少女――小宇羅はそう呟く。
見た目に不釣り合いな落ち着いた話し方。
しかし、どこか楽しそうな雰囲気が漂っている。
口では驚いたと言ってもニカッと笑っていて、その横顔に驚きは見えない。
そのままの表情で部屋の隅の止まり木にいる赤い鳥に顔を向ける。
室内飼いとしては少し大きめのその鳥は、
視線を向けられてもただ不思議そうに首をかしげるだけだった。
そのやり取りを夕凪が何となく見ていると――その向こう。
正面にある窓の外から、オレンジ色の髪をした幼い顔立ちの女の子が、
首から上だけを見せて部屋の中、こっちをジッと観察しているのが目に入る。
その顔には好奇心いっぱいの輝く瞳。
小宇羅もその姿を見つける。
「こらっ! ミカン、危ないから、そんなところで覗き見は止めな。
後でちゃんと紹介するから」
その口調はそれほどきついものではなかったが、
ミカンと呼ばれた少女は首をすくめて、そのまま横に移動して見えなくなる。
それは本当に束の間の遭遇。
だが奇しくも――
たったこれだけの出来事が、夕凪の心にあった警戒心を見事に消していた。
それはこれから出会う者たちにとって何にも増して幸運であった。
もちろん夕凪自身にとっても。
そんなこととはつゆ知らず……、
小宇羅は少女が窓から消えたのを確認して、
何事もなかったようにモニターに向き直り、先程の呟きの続きを口にする。
「まぁ、話が早くてありがたい……次は発声器官を繋げるよ」
小さな指がモニターの一部に触れた。
それと同時に――
夕凪の視界下方に「新しい装置が検出されました」と文字が表示され、
続けて「『発声器官』が使用できる状態になりました」と流れる。
何故視界に文字が表示されるのか――それはわからないが、
その疑問を脇に置いて、言葉の意味だけを理解した夕凪。
だから……さっそく心のままに話し始める。
「なによこれ! えっ!? どうなってんの?
なんか目の隅に文字が流れてんだけど。なに、ゲーム?
あなたっ、小宇羅ちゃん? ここどこ? 異世界? 私生まれ変わってんの?
なんだか身体の感覚がないんだけど、これって大丈夫?」
夕凪は言葉を止めない。
「あれっ、声聞こえてない?
さっき声が出せるようになったってメッセージが見えたのに?
壊れてんのかな? おーい、小宇羅ちゃん?
なんでそっちを向いてん「ぷちっ」……」
小宇羅が何やらモニター隅にあるスイッチ表示を押すと、
相変わらず口は動いているのだが……しゃべり続けている夕凪の声が止まる。
ちなみに「ぷちっ」という音は小宇羅が自分の口から出した声だ。
「夕凪殿……少し落ち着いてもらえないかな。
わたしの言いたいこと解る?
わかったら瞼を二回ゆっくりと閉じてもらえるかい?」
夕凪の方に顔を向けた小宇羅の表情は、
変わらずにニカッと笑顔だが、眉間にしわを寄せて頬をピクピクさせている。
その表情の意味と云われた言葉を吟味した結果……
夕凪は素直に従い、口を動かすのを止め、瞼を二回ゆっくりと上下に動かす。
「わかってもらえたみたいでうれしいよ。
じゃあ、声を戻す前にもうひとつ……、
驚かせるかもしれないことを先に話しておこう。
夕凪殿の身体は……人間の身体じゃなくて絡繰人形になりました!」
またまたニカッと笑って「証拠を見せるからね」と言いながら、
ガラガラと引き摺ってきたのは全身が映る鏡。
そこに映る夕凪の姿は……、
「その身体……『自律式絡繰少女人形』――わたしの自信作!」
機械的な身体のパーツと関節を持つ人形。
鏡に映るその姿は隣に立つ小宇羅よりも頭ひとつ大きい。
短めなツインテールの鮮やかな赤い髪。前世とは似ていない可愛い系の顔。
身体は赤と白の二色に塗り分けられて、関節部分は黒色。
首元と手首に飾りがある。
小宇羅は鏡を見せる前に「驚かせるかもしれない」と断りを入れていたが、
これで驚くなというのは無理がある。
本当に転生したのならば全く別人になっていてもおかしくはないし、
それならば許せるのだろうが(許せるだろうか?)それが……機械っぽい身体。
だがしかし、これに対する夕凪の反応は……。
――どっちかっていうとロボットじゃない?
全体的に醸し出されている質感から人形というよりもロボット、
もしくは……アンドロイドっていうんだっけ――そんな雰囲気。
最初から気になっていたけど視界の端に棒グラフみたいなのがあるし。
――でもまぁ、カッコいい感じ。
それに――と、夕凪の視線がある一部分に向かう。
そこは……胸部。
――えっと、んー。
「………………けっこうおっきい」
「喜んでもらえたみたいだね。うれしいよ。
それにしても驚きだねぇ……
生身の肉体じゃないことですら、すっかり受け入れている。
頑張っておっぱいを大きくした甲斐があったよ」
「いやいや、そこは関係ないし!」
いつの間にか、再び声が出るようになっていた。
視界にさっきと同じメッセージが流れていたのかもしれないけれど、
生前とは真逆の豊かな胸部を凝視していて見逃したのかもしれない。
そのせいで心の声が聞かれてしまった。
でも、まぁ、声が出るのならよかった。
久しぶりに思いっきり声を出せたので、さっきはちょっと興奮しすぎ。
自分らしくなかったと反省。今度は冷静に。
「小宇羅ちゃん……だよね。もう大丈夫だから、落ち着いているから……。
だから、とりあえず今の自由にならない身体……どうにかならない?」
「そうだね。数値は……安定しているようだねぇ。
じゃあ、全部繋げるよ。
いろいろ感覚が戻るけど、そのまま受け入れるように」
そう言ってモニターに指を這わす小宇羅。
夕凪の視界下方に、続々とメッセージが表示され流れていく。
「新しい装置が検出されました」
「『臭覚器官』が使用できる状態になりました」
「新しい装置が検出されました」
「『味覚器官』が使用できる状態になりました」
「新しい装置が検出されました」
「『平衡器官』が使用できる状態になりました」
「新しい装置が検出されました」
「『触覚器官』が使用できる状態になりました」
…………
「新しい装置が検出されました」
「『運動回路』に接続しました」
その表示と共に、夕凪にようやく意識と身体の一体感が戻ってきた。
しばらくは何やらメッセージが続けて現れていたが、
とりあえずは――と、自分の手を視界に入れて動かしてみる。
ニギニギ……。
球体関節を持つ手と指。動きは悪くない。
ていうか、前の身体より力強くなっている気がする。
もちろん病気の身体とではなく、全盛期の時と比べて。
続けて顔の表情を変えてみる。
眉をしかめたり、「いーっ」とか言ってみたり。
結果、感情を表すのにも全く問題がなかった。
そうやって夕凪が自分の身体を点検確認していると、
真面目な顔になった小宇羅が目を伏せて頭を下げる。
「最初に謝っておくよ。勝手に生き返らせて、そのうえ身体は絡繰人形。
いろいろと思うところはあるだろうけど、これしか手がなかったんだ。
本当に申し訳ないと思っている。
ただ、その身体にはわたしの技術の全てを込めてある。
生身ではないが性能には自信を持っている」
小宇羅はそこで頭を上げて、真剣な眼差しで夕凪を見る。
「それで……だ、重ねての勝手なお願いになるが――
今の事態を冷静に受け止めているのなら既に予想していると思う。
夕凪殿には――
その転生した新しい身体を使って、やってもらいたいことがあるんだ」
この異常な事態を夕凪はすっかり受け入れていた。
転生したっていいじゃないか。ロボットだっていいじゃないか。
一番新しい記憶の自分と比べれば、今の境遇は神に感謝すべきほどの幸運だ。
あれだけ鍛えた体が骨と皮だけになり、
全てを諦めていた自分に……まだ未来があるのなら。
――それに、おっぱいも大きくなってるし……って、それは関係ない!
心の中で自分の気持ちにツッコミを入れてから、
少しだけ目をつぶり、ゆっくりと瞼を開けて笑って見せる。
「うん……いいよ。事情を話して」
第02話、お読みいただき有り難うございます。
次回――転生したっていいじゃないか(2)です。
本日20:00ごろの更新を予定しています。
※6月11日 あとがき欄誤字修正