第23話:箱船が…沈みます(1)
『右から行こう』
小宇羅の館の一階和室。
スピーカーから聞こえる夕凪の声。それは誰とも無しに口にした独り言。
壁際にある大きなモニター画面の右上、小さな枠の中に夕凪の顔が映っている。
――夕凪お姉ちゃん、がんばって……。
ミカンは心の中で声援を送る。
いよいよ魔物との本当の戦いが始まった。
直接の戦闘の様子は、ここからではわからない。
戦場が離れているため、現場の状況がモニターに映っていないから。
唯一の情報はモニター下部に映るレーダー画面のみ。
いま、赤い点で表示されている魔物の群れに、夕凪を表す緑の点が接触した。
四十はあった赤い点、その内の十個ほどが短時間で消えていった。
『次は反対側から』
再び夕凪の独り言。
その落ち着いた声を聞いて、ミカンはほっと胸を撫で下ろす。
最初の接触では何事も無かったようだ。
――本当はアタシも……アタシたちも夕凪お姉ちゃんと一緒に戦いたかった。
昨日、聞かされた旅立ちの話。
夕凪が目標を達成したので、計画通りに、
いや、計画を前倒しにして新たな大地を探す旅を始める……と。
――小宇羅ちゃんは教えてくれた。
小宇羅ちゃんの作った、魔物と戦うための絡繰少女人形――
その身体に合う魂を見つけて、魔物と戦ってもらおうっていう話。
その魂の持ち主は普通の人間、たぶん魔物と戦うなんて夢にも思わないはず。
だから戦いに納得してもらって、身体に慣れてもらって――と、
魂が見つかってからでも、すごく時間がかかるって聞いていた。
それがたったの三日。
もう――という気持ち。
すごい――という気持ち。
でも、夕凪お姉ちゃんなら当然か――という気持ち。
それ以外に、いくつもの思いがミカンの心の中に湧き上がっていた。
新しい大地が見つかれば、目覚めた御主人様に会えるという期待。
その力になれなくて、ごめんなさいという想い。
今思えば、マルマル号の訓練に現れた魔物は、
ダンジョンで戦った魔物とは、比べ物にならないくらいの強さを持っていた。
ここ二日のダンジョン探索で良くわかった。
マルマル号がどれだけ優秀なのかが良くわかった。
それを使いこなせていないのが良くわかった。
夕凪お姉ちゃんは、同じことをたったの三日で終わらせた。
それがどれだけすごいことなのか、もうわかった。
戦っている夕凪お姉ちゃんを、
遠くから見ているだけしかできないのは、悔しいし悲しいけど仕方がない。
でも……と、ミカンはふと思いつく。
――そうだ! アタシたちはダンジョン探索でレベルアップしたんだ!
そうだ――まだ、その力を試していない。
自分でも、いろんな能力が上がったっていう感じがしている。
夕凪お姉ちゃんが来てからマルマル号の訓練がなかったけど、
今度、このレベルアップした能力を訓練で試してみよう。
もしかしたら……。
夕凪を示す緑の点の動きを見守りながら、
こたつの横でミカンはそんなことを考えていた。
その時――
誰も予想しえなかった事態が起こる。
◇ ◆ ◇
レーダー画面上の箱船の周りに、突如、大量の赤い点が現れる。
周囲を監視する画面にも、出現したばかりの大量の魔物の姿が映っていた。
突進魚と毒ヒトデの大群。
これは、完全に予想外の出来事。
そもそも、なぜ事前に発見できなかったのか。
魔物の探知は、万全とは言わないまでも、表層に姿を見せる前に可能なはず。
だが、いまその謎の原因を探っている時間はない。
最初に異変に気づいた小宇羅が夕凪に叫ぶ。
「夕凪殿! すぐに帰還を!」
『わかった!』
その頃、夕凪は残る十体ほどの魔物を一掃するために、
愛車のコテツ君から降りて、槍を手にして戦っていた。
攻撃力で言えば【破魔槍術】を使った槍のほうが、
コテツ君の車体両側面にある機関銃より遥かに高いからだ。
だが、その戦闘をすぐに中断し、残る魔物に目もくれずコテツ君に飛び乗る。
小宇羅の緊迫した雰囲気を察して、ためらうことなく指示に従う。
走り出した夕凪の目に映ったのは――
遥か遠くに見える無数の魔物に囲まれた亀の箱船。
視界の端に映る簡易レーダー画面もその様子を示している。
一目見ただけで、現れた魔物の数が尋常じゃないのがわかる。
夕凪は祈る。
――戻るまで、何とか持ちこたえて……。
そう願う一方で、冷静に状況の分析も進める。
現れた魔物はレーダ画面でざっと数えて数百の単位。
予想をはるかに超える数。
だが、全ての魔物を倒そうとしなければ、
周辺の魔物を蹴散らすだけと考えれば、おそらく撤退はそう難しくないはず。
自分の能力と魔物の能力を比較して、夕凪はそう判断していた。
それは間違ってはいなかった。
もうひとつ、予想外の出来事が起こらなければ。
◇ ◆ ◇
小宇羅の館。
こたつに座った小宇羅が苦しんでいる。
本体の亀の箱船に対して、
周りを取り囲んだ魔物からの一斉攻撃が始まっていた。
「小宇羅様……」
苦しむ主の姿を見て一花が声をかけるが、続く言葉が浮かばない。
何もできない自分の不甲斐なさに身を震わせる。
そこに追い打ちをかけるように、新たな事態が襲い掛かる。
モニター画面、無秩序に攻撃してくる大量の魔物の後方に、
巨大な何かが浮上してくる様子が映し出される。
「小宇羅様、お気をつけください!
新しく何か、巨大な存在が現れようとしています!」
苦しむ小宇羅が薄目を開けてモニターを見る。
浮上してきた何かは、すでにその身体の半分を万有之海の表層に現していた。
それは人の身長の十倍はあろうかという巨大な存在だった。
それは白い虎に似た姿をしていた。
その見覚えのある姿を見て――
一花は、魔物を事前に感知できなかった、その理由を理解した。
「奇場様……」
彼は小宇羅と同じ、百群郷で『神』と呼ばれていた存在。
名前は『奇場』――二足歩行に適した体付き、顔の形と体の模様は白虎。
造物主が姿を消したあと、魔に属する勢力に加担し、世界の崩壊を進めた元凶。
一花の立場でその事を非難はできないが、それでも数多くの……、
それこそ無数の悲劇を生み出した張本人に対して、良い感情など持てはしない。
普段は冷静な一花でも、モニターに映る白い虎を見る目が険しくなる。
それ以上に複雑な感情を持つであろう小宇羅。
苦痛に顔を歪めながら、古くからの知り合いに声をかける。
「奇場か……何をしにやってきた……?」
『何をしに……か? わかりきったことをきくなぁ、小宇羅よ』
モニターに映る白虎の口が人の言葉を話す。
『お前がその身体に、世界の生き残りを隠しているのは知っている。
俺は几帳面な性格だからな。キッチリと最後まで終わらせにきたのさ』
「世界を崩壊させたというのに……まだ足らないのか?」
『おいおい、小宇羅よ。
俺とお前のあいだで、そんな問答は今更何の意味もないだろうよ。
お前が人を庇うように、俺は人を、世界を破壊する。わかりきった話だ』
「……くっ」小宇羅が唇を噛みしめる。
一花は小宇羅の身を案じながら、
元『神』同士のやりとりを、ただ、見ているだけしかできなかった。
白い虎――奇場は、相手が黙ったことに気を良くしたのか、饒舌に話し出す。
『まぁ、正直、今日のところは様子見だけのつもりだったんだが、
何やら元気な人形がいるみたいだからなぁ。少々遊んでやろうか』
奇場が身体をずらすと、その後ろで戦っている夕凪の姿が映る。
『こいつがお前の騎士か。魔物と戦えるようだから魂を呼んだか。
そうすると……波根もそこに居るんだな。そいつは好都合だ』
言ったあと、背後の夕凪に視線を向ける。
『それにしても強いな、お前の騎士は。
こいつは、お前が作った身体だけの性能じゃないだろう。
放っておくと連れてきた魔物が全部倒されてしまいそうだ』
奇場が「ふむ」といった感じで首をひねる。
『ちょっとばかり、力を貸してみるか。
いや、それは制約に触れちまうな。まだ俺は消えるつもりはないからな。
ただ、もう少し頭を使えと言うくらいなら……大丈夫か?』
◇ ◆ ◇
夕凪は苦境に立たされていた。
当初、新たに出現した魔物と戦ってみた感触から――
この魔物は強くない、数で押されてもどうにかできる、そう考えていた。
実際、コテツ君に乗ったまま得意の槍を操って、
ほんの短い時間で、すでに五十体以上の魔物を光に還していたのだ。
この調子で、戦いの中で敵の隙を見つけて、
そこから一点突破を狙えば、すぐにでも箱船に戻れる――と強気に思えていた。
だが、ある時から魔物達の動きが変わった。
夕凪の姿を見つけると、今までは考えなしに突っ込んできた突進魚。
それが今では、こちらの出方を窺うようにその場にとどまる。
後方にいる毒ヒトデを護るように集結する。
これだけ大量の魔物相手に、
夕凪が戦いの主導権を持ち続けられた最大の理由、
それは魔物の行動と攻撃が単調だったから――である。
どれだけ敵が多くても、
同時に戦える数だけを相手にする――そう動き続ければいい。
今まではそれが可能なほどに、敵の動きが読み易く、誘導し易かったのだ。
もちろんそれは、夕凪の持つ並外れた技量という前提があっての話。
しかし今、魔物達は夕凪の前進を阻むことを優先し始めた。
じわじわとダメージを与える、そういった戦い方に切り替えていた。
それは、自分たちの有利な点――時間と物量――を理解した戦法。
こうなると、夕凪の思い通りに戦い続けるのは難しい。
それどころか、このままでは――
亀の箱船に戻れないまま、移動を制限され、体力が少しずつ削られ、
最終的に、逃げ場のない場所に追い込まれる可能性も出てきた。
そうなれば、どれだけ能力的に上回っていようと、
多勢に無勢という、その言葉の通りになってしまう。
なぜ、突然魔物の動きが変わったのか――考えられる原因はただひとつ。
あまりにも目立ちすぎて、気づかない訳がない。
――箱船の近くに現れた、あの巨大な白い虎。
一花から夕凪のもとに報告が入る。
あの巨体の持ち主は、元『神』だ……と。
小宇羅の古い知り合いであり、そして百群郷を滅ぼした元凶だと。
その情報に加えて、ひとつだけ朗報もあった。
小宇羅も縛られている『神』の制約のため、
あの巨大な白虎は、こちらに対して直接的な攻撃はできない……らしい。
確かに、あの巨体で神の力を振るわれたら絶望しかない。
だからといって――安心できる状況じゃない。
魔物の組織的な行動に、夕凪は見事に足止めをされている。
少しずつではあるが、ダメージと毒の効果が身体に蓄積し始めている。
早く箱船に戻らなければと気持ちは焦るが、
この状況で無理にコテツ君で突撃するのは相手の思うつぼ、
すぐに周りを囲まれ、身動きできなくなってしまうのは必至。
今は少しでも動き回って隙を見つけるしかない。
夕凪はコテツ君を操り、魔物に槍の一閃を加え、
相手の攻撃をかいくぐり、少しずつでも敵を減らし続ける。
その中で、自らが昨日子供たちに伝えた言葉を思い出していた。
戦いには流れがあるってこと。
ほんのちょっとしたことで相手が有利になったりする。
そんな時にはそういうこともあるって、ぱっと受け入れたほうがいい。
それよりも大事なものを、大事な機会を見逃さないようにしよう。
――今の私にぴったりだね。
でもこのままだと、亀の箱船のほうが心配だ。
自分を置き去りにしていいから、一旦下に潜って隠れてもらおう。
夕凪がそう考えたのは……少しだけ遅かった。
最悪の報告を一花から受け取る。
『小宇羅様が……意識を失いました……。箱船が……沈みます』
第23話、お読みいただき有り難うございます。
次回――「箱船が…沈みます(2)」
意識を失った小宇羅。沈んでしまった箱船。
このピンチに夕凪は、そして四姉妹はどう動くのか……です。
こちらの都合で申し訳ないのですが、来週の更新はお休みさせていただきます。
従いまして、次回更新は9月6日の予定になります。
よろしくお願いいたします。




