第八話 ハルの姿
ハルが連れ去られた翌日、忌引休暇を取った実日子だったが、教員に説明しなければならないとのことで、姉と同伴で学校に行った。彼女は恐怖で震えていた、いつも学校に行くときのように。
ところが、学校に着くと、坂口の女子グループがやってきて、
「古畑さん!」
と言って、彼女を取り囲んだ。実日子は動転していた。
「今までひどいことしてごめん、皆坂口さんのことが怖くて、あなたをいじめていたの」
すると潤子が、
「坂口の奴、退学になったの。何やらかしたか知らないけど、校則違反で。ほら、あの子、成績もよくなかったからさ」
しかし、実日子はどうにも喜べなかったが、
「そっか、ありがとう」
とだけ言い残し、手を振って姉に連れられ、職員室に向かった。
一方のハルは、臼田夫婦の虐待に耐え始めて3日が経とうとしていた。痣ができ、右後ろ脚を骨折して、熾烈な痛みに耐えながら、足をひきずりながら歩いた。
食事もろくに与えられることのなかった彼は、初めて、涙を零した。
魔力を失った悪魔は、悪魔としての魂を失い、死ねば消滅するという、魔界のルールがあった。ところが、ハルは死後の世界をある程度把握しているので、彼はいっそ早く死に、消えてしまえばいいのだと考えていた。
――あんなに、実日子の笑顔に、優しい気持ちを抱きさえしなければ。
(彼女を傷つけた罰なんだ、きっとこれは)
これがハルが涙を零した理由である。彼の涙は頬を伝い、何滴も何滴も垂れて行った。
(脱走しなくては、実日子の元に帰らなくては)
臼田氏が会社から帰ると、彼はさっそく、ハルをいじめようとした。妻は家事も何一つせず、麻薬のブローカーとアポイントメントを取って街に出かけていた。
「おう、クソ猫、ここにいたのか」
彼は倒れている黒猫の首根っこを掴んだ。そして体をはたいた。
だが、猫は微動だにしなかった。
「なんだこいつ、死んでいるのか? けっ」
臼田氏はハルを庭まで連れて行き、ほっぽり出した。死体が腐って部屋に匂いがつくと、警察に怪しがられるからである。彼は翌朝ハルを埋めるつもりだった。
ところが、これはハルの策略だった。彼は生きていたのである。
(しめた)
右後ろ脚が不自由なハルは、脚をひきずりながら、外の道路に出た。だが、実日子の家までは、途方もなく遠い。
(誰かに助けてもらわなくては。だが、人間は下劣だ。自分のことしか考えない。実日子を除いては。僕が人間の言葉を話せれば……)
ハルはその夜、道路の途中で力つきた。
翌朝になると、ハルは、誰かに体をゆすられ、目を覚ました。
「大丈夫ですか?」
目の前には、三〇代くらいの青年が、スーツを着て、ハルに話しかけていた。
「今救急車呼びましたんで」
「救急車?」
するとハルは、はっとなった。
「……なんで僕は人間の言葉が喋れているんだ?」
「なんでって、あなた人間じゃないですか」
青年はスマホを取り出し、真っ暗な画面を見せた。
するとそこには、耳の尖った、蒼い目をした、黒いスーツを着たハルの姿が、画面に反射して映っていたのであった。
青年の名前は荒井と言った。彼によると、ハルの倒れていたすぐ近くの家の臼田氏夫妻は、二人とも警察に掴まったとのこと。後に臼田夫妻は動物愛護法違反、それから余罪で、二人とも懲役刑に服すことになる。
そういったことを喫茶店で二人は話していたのだ。救急車は帰ってもらった。
「すみません」
「いいのいいの。お金、ある?」
「ないんです」
「浮浪者?」
「いえ……」
「あんたイケメンなのに、苦労してんだね」
荒井は笑った。そういう彼も、容姿はなかなかハンサムだ。
「探している人がいるんです」
「ほう。そうだろうとも思ったけど。協力するよ。誰だい?」
「……古畑実日子という、中学生の女の子です」
ハルは顔を紅潮させ、荒井は笑った。
「いいだろう、出来る限り尽力するよ」
「ありがとうございます」
と言いつつも、臼田夫妻のことで、ハルは荒井のことを信じてよいのか迷っていた。
しかし、他にあてがないので、荒井の力を借りることにした。