第十話 荒井の恋人
トイレから出ると、ハルは荒井の元へと向かって、会計を荒井が済ませた。それから、二人は公園のベンチに座った。
「俺もね、ついこないだ、会社辞めちゃってね」
まだ実日子の父親のことを話していないのに、俺もね、という言葉を荒井が使ったことにハルは少しまごついた。
「なんで辞めたか話してやろうか」
「……お願いします」
荒井は煙草に火をつけ、煙を吐いた。
「上司がさ、課長なんだけど、好きな人だったんだよ。今も愛してる」
荒井はどことなく恍惚な表情を浮かべた。
「その上司も、俺のことを好きになってくれてね。付き合ってた。けど、こないだ事故で死んじゃってね」
荒井は上司の写真を見せた。すると……。
黒い艶やかな髪を垂らして、目の細い美人だった。そして、それは……。
(聡子さんにそっくりだ……)
「どうした? 気分悪いのか?」
「いえ……ですが、彼女が死んだからと言って、それだけでどうして辞めるんですか、会社」
「J大学の職員になろうと思ってね」
J大学。聡子の通っている大学だ。
「その大学に、上司とそっくりな女子大生がいるのを見つけてね。俺の母校でもあるのよ、J大。だから、まあ、脱サラって言えば聞こえはいいかな、なんてな」
荒井は手を顔に当てて乾いた笑い声をあげた。
「……協力しますよ。彼女、僕の知り合いなんです」
「ほ、本当か! 嬉しいよ。胸が高鳴ってきた!」
荒井は嬉しそうにした。
(もうこの際、僕も天使にでもなるしかない……!)
ハルの心臓を流れる悪魔の血が、屈辱で沸き立つ一方、ハルの中に、何かが芽生えようとしていた。




