キス魔導士
私はこの日を待っていた。ここでなら自分の中に流れている大魔導士の血が、きっと目覚める筈なんだ。
何度となく見てきたそのパンフレットはもうボロボロで、字はかすれてしまっていた。
日本魔術技能学校。私が通う学校だ。座学はほとんど無く、実際に魔法を使う授業が大半を占める。そんな実技中心のこの学校の歴史は浅く、科学技術も取り入れた多角的な形態が売りだ。だから、期待値が相当高い。
今までの古臭いやり方が、私の才能の開花を邪魔していたんだ。そうに違いないと思う。ここを卒業した後に大魔導士として名を馳せる自分を想像してみる。
……もう、弾む胸を抑えられない。
「お嬢様、あと15分程で学校に到着します」
私の乗っている魔動車には、2人の護衛がいる。しかも、上から3番の位である赤の魔法使いたちだ。大抵のモンスターなら、その姿をみただけで怯み、逃げ出すだろう。
でも、お父さまは本当に心配性だ。こんな整備された道路で出現するモンスターなんて、たかが知れてる。まだ上手く魔法の扱えない私でも倒せるだろうに。
そして、また自然と私はパンフレットに目を移していた。革新的なデザインの校舎、綺麗で風変りな教室、見たことも無い最先端の設備。それらが目にうつっては、更に楽しそうなものが次々と目に飛び込んでくる。
こんなにも嬉しい目移りは聞いたことがない。どんなテーマパークよりも私を楽しませてくれる。
だけど、急に文字が読みづらくなった。それはかすれた文字の所為ではなく、辺りが暗くなったからだ。もしかして、雨でも降るのだろうか?でも、待ち望んだ入学式だから、天気予報はちゃんとチェックしてきたんだけどな。今日1日は快晴のはず。
耳に入ったのは、聞きなれない音だった。勿論、15歳の私は雨音なんて聞きなれてる。全く違うものだ。そう羽音だ。でも虫や鳥なんかじゃない。もっと大きな何かだ。
私は窓を開け、上を覗こうとした。しかし、隣に居た護衛に止められる。
「手遅れですね」
護衛の誰かがそう言ったと思ったら、一瞬のうちに、私は空がどちらで地面がどちらか分からなくなっていた。しかし、あまりの衝撃だったのか、対空時間が長く、徐々に状況が飲み込めていた。
どうやらこの車は道路から弾き飛ばされ何回転もしているようだ。そして、脇にあった森に突っ込んだ。幸いなことに、護衛の保護魔法は間に合い全員が無事のようだ。けれど一体何によって、弾き飛ばされたのだろう。
ここでお待ちください、そう言われた私はひっくり返った車内で大人しく待った。
窓からは何も見えない。
人間の仕業なのか、モンスターなのか。
護衛は勝ったのか、負けたのか。
私は死ぬのか、大丈夫なのか。
1秒、また1秒と、分からないことへの不安が膨らみ続け、肺を、心臓を圧迫する。苦しい。息が、……出来ない。
私は、このままここに居ていいのか。
ここから出て、走った方が良いんじゃないか。
いや、こんな精神状態で走れるのか。
色んな思いが頭を巡る。
私はとうとう、未知という恐怖に耐えきれなくなっていた。恐る恐る、車から出てしまっていた。
そして、見上げた先では、黄色く濁った目が2つ、私を捉えていた。反射的に目を逸らした。すると、その先には、赤の魔法使いが2人倒れていた。あの、赤の魔法使いが複数人いても倒せない。そんなモンスターは限られている。こいつはドラゴンだ。
こんなのって、ありなの?楽しみにしてきた、この日に限ってさあ!
私の中では恐怖よりも、大事な日を壊された怒りが大きくなっていた。けれど、対抗しうる術はない。何もないんだ。
「おい、お前」
絶望していた私の前に、そいつは現れた。まるでここには彼と私しか居ないかのように、悠然とドラゴンの後ろから歩いてくる男がいた。
何故そんなに自信ありげなのか分からない。彼から出るオーラは黒色で、私と同じ最低位の魔法使いだ。そして、彼はドラゴンに背を向け、いや、私の正面に立ち、こう言ったのだ。
「おい、お前。俺とキスしろ。そうすれば、助けてやる」
こいつは何なのだろう。黒の魔法使いなのに、この態度。挙句、キス?信じらんない。
って、普段ならグーパンだ、グーパン。けれど、こんな非常時にあっては、何かに助けを求めずにはいられなかった。
ぐいと彼の顔を引き寄せていた。
黒、白、黄、赤、青、紫。彼の纏うオーラの色が変化していく。最高位の魔法使いしか纏えない、紫のオーラ。私のお父さまである時空魔導士スタオラを含め、数人しかいないのに。
紫の魔法使いに敵などいない。落ちこぼれの私ですら、分かってしまう。この闘いは既に決していると。あのドラゴンでさえ、彼にとっては少し大きなトカゲでしかないんだろう。
けれど、ドラゴンは背を向けない。大きな口を更に広げ、その研ぎ澄まされた牙を見せつける。その剥き出しの敵意に、いや、格上の相手にも怯まない、その闘争心に、彼は全力でもって応えようとしている。
紫のキス魔導士は構える。彼は、一体どんな攻撃を放つのだろう。
先制攻撃
それは格下に許される行為であり、こうも実力の離れた闘いでは格下の者の唯一無二の勝機である。自らの持つ最高の攻撃を行うのは当たり前だ。
今までに狩ってきた獲物の血で染まったのか、どす黒い炎を、ドラゴンが魔導士にぶつけた。その炎は熱いのではない。温度を上昇させるという概念から外れた、ただあらゆるものを「溶かす」炎なのだ。
ゴッ
そう、音がした。もしや、あの魔導士は………
ドラゴンの炎によって発生した黒煙が、徐々に晴れていく。
平然と立っていたのは、紫……、いや黒の魔導士だった。
ドラゴンの口から尻尾にかけてに、大きな風穴が開いていた。この一発で、彼は力を全て放出し、オーラが黒に戻ったのだろうか。
「あ、ありがとう」
呆気にとられていた私は、そうやって感謝の言葉を伝えることだけで精一杯だった。そして、彼は一言も発しないまま、何処かに消えてしまっていた。
我に返った私は護衛の元に駆け寄った。息はあるようだ。良かった。
しばらくして、気分が落ち着いてきたころに、救急隊や警察が到着した。こんな場所で何故ドラゴンがとか、誰が倒したんだとか、騒いでたけれど、私は知らない男に助けられたとしか答えられなかった。
家の者に後は任せ、到着した代わりの車で、学校へと向かった。早めに家を出ていたおかげでまだ時間には余裕があった。
しかし、余裕はあるといっても数分やそこらだ。私は、入学生の集合場所である教室へと急いだ。もう、ほんとなら、色んなところを見て回りたっかったのに!
ここだ。何度も地図を見ていた私だ。迷うことなく教室に辿り着いた。そして、ドアを開けた。けれど、そこには壁があった。正確にいうと人の壁だ。出ようとした人だろう。そこで、顔を見上げた。
奴だ。あの、キス魔だ。