Episode81 憂惧の帰省
寝起きとともに窓辺から朝日が差し込んだ。
小狭い部屋だけど気に入っている。
まだリベルタのアジトだった当時、そのメンバーの少年ジャックが使っていた部屋だ。住んでいたのは合計でも半年くらいだろうか。短い期間だけど、初めて自分の部屋として与えられたところだ。
だから、とても落ち着く。
耳を澄ますと、階下からはフライパンで何かを焼く音が耳に届く。頭を起こして窓辺を覗くと、外では赤毛の男と赤毛の幼女が筋肉トレーニングや走り込みをしていた。
―――さっそく寝過ごしたようである。
俺とシアは図々しくもこの家に同居させてもらうことになった。
いずれは生活費も入れていかないと夫婦もかつての仲間とはいえ良い顔はしないだろう。そのうち働き口を見つけよう。
まぁ今日は仕方ない。疲れていたし、それに部屋の整理で昨晩寝たのも遅かった。迷宮都市アザリーグラードで買った本や魔道具はお気に入り以外は全部売っ払ってきたから、数こそ少なくなったが、それでも大事なものなので備え付けの小さな本棚に整理していたのだ。
「アザリーグラードの歴史と文化」が一番重い。
そして俺はベッドサイドテーブルのネックレスを手に取った。
これは手放すと不安になる。大・中・小の3つ重なった円月輪。それが回転する度に球体を造りだす。
力を失ったリゾーマタ・ボルガだ。
シルフィード様のお墨付きで持ち帰ったけど、本当に大丈夫なのかな?
しかもその魔力の源だったと思しき、女神ケア―――アイツのことも探さないといけない。アルフレッドとリンジーだったら知ってるかな。
俺が1階に降りると同時に、アルフレッドとリナリーとばったり遭遇した。トレーニングから戻ってきたばかりのところのようだ。親子そろって良い感じに汗をかいている。
「あっ! へんたいストーカーお兄ちゃん!」
「なに?! どこだ、そんな危険人物は!」
「ほらっ」
リナリーがその短い指先で寝ぼけ眼の俺を指差した。
もはや否定するのも面倒くさい。
「リナリー、こいつは変態ストーカーじゃねぇ……ジャックっていう俺の大事な仲間だ。ジャックかお兄ちゃんとでも呼んでやってくれ」
「でもあたしのパンツ見たもんっ」
それを聞いたアルフレッドは、俺とリナリーを見比べてから大きく溜息をついた。
「リナリー……男にはな、ロマンってもんがある。それがジャックの場合にはたまたまパンツだったってだけだ。そんな事で変態呼ばわりしちゃいけねぇ。ロマンチストとでも呼んでやってくれ」
「ろまんちすと? パンツを見ることがろまんなの?」
「ジャックの場合はな。というわけで今日からお前を"未知の装甲を追い求める者"と名付けようじゃねぇか」
「ぱんつぁー? パパ、それかっこいいっ!」
アルフレッド、まだ昨晩の酒が残ってるのかなぁ。
というか、娘のパンツ見られて何とも思わねぇのかよっ! しかもリナリーも格好いいとか言いながらも俺を見るときには眉間に皺寄せて警戒してるし。
まぁいい、こんなアホ親子の朝の会話は無視だ。
親子の親睦を深める一つの笑いものにされたと思って我慢しよう。
「そういえばフレッド、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「……リンジーのパンツだけはダメだ」
「聞いてねぇよ!」
もうパンツを引きずらないでくれ。
「ケアのことだよ。ケアがどこにいるか知ってる?」
女神ケアは楽園シアンズに捉えられた。それを奪還するために俺たちは戦った。俺は戦いの果てにある意味、敗北して海に投げ出されたわけだけど、それから戦況や女神奪還がどうなったのかは知らない。だからアルフレッドも気にしてくれていたはずだ。
女神がどこへ行ったのか。
だけど――――。
「ケア………?」
予想外の返事をされる。
「なんだよ、シアに続くまた別の女か? 隅に置けねぇなぁ」
「いや、ケアはケアだよ! 女神ケアっ! 少し一緒にここで暮らしてただろ」
「………」
アルフレッドは面食らったように目を点にして、そして両腕を組んで考え込み始めた。なんでそんな反応になるんだ。
「女神ケアって言ったらメルペック教会が崇拝してる、あの……?」
「そうだよ、その女神! どこにいるか知らないのか?」
「ははっ、そんなの俺が知るわけねぇだろ。てか"実在する"とも思ってねぇや」
「え……」
どういうことだ。
まったく覚えていない。
さすがにおかしくないか。
それから俺はケアの風貌について詳細にアルフレッドに伝えたが、「寝言は寝てるうちに言っとけよ」と馬鹿にされて終わった。さらには楽園シアンズ攻略戦の目的もケアの救出は無かったことになっており、俺たちが大勢の子どもたちを救出するためだけに潜入・突入したことになっていた。
………俺の記憶と食い違っている。
女神の力で雲隠れしたってことか?
俺は直感でそう考えた。
○
物事には勢いというものがたまに必要だ。
明日やろうは馬鹿野郎とも言う。
いつでも出来るし今度やろうなんて考えてたら、その今度がいつ来るかなんてわからない。そんなことは俺も重々承知していた。
だから今日できることは今日やってしまおう。
物事の運びがノっている時こそ、トントン拍子で進むってもんだ。
―――というわけで俺は、本当の"実家"に立ち寄る事にしたのである。
しかも1人で。
誰も同伴していない。
昨日の今日で速すぎるかもしれないだけど、今の俺ならいける。
そんな自信と確信があった。
その自信を失わないうちに行ってしまった方がいい。
徒歩でバーウィッチまで辿り着いた。
ソルテールから片道約半日だ。道中、リンジーに作ってもらったサンドウィッチを食べて気持ちもリラックス。心の準備も万端だ。
大丈夫、大丈夫。
例えば親父や兄貴に魔法で滅多打ちにされようとも俺の力で魔法なんて打ち消してやれるんだ。
怖いものなんて何もないぞ。
バーウィッチに着いたのは昼過ぎだ。
季節柄、昼とはいえ寒々しい。
確か、オルドリッジの屋敷は普段立ち寄らない東区にあったはず。
東区へは小川を挟んで対岸にある。
ストライド家の屋敷もこっちにあるから、アイリーンに会いに来たわけじゃないけど自然と体が身構えてしまう。ここは既にあの一家の領域だ。遭遇したら最後、誘拐されてそのままストライド家に幽閉されて俺の冒険譚も終わりを迎える可能性も在り得なくもない。
さすが貴族たちが屋敷を構える区域、人通りがかなり少ない。
歩いているとしても従者、召使い、メイド、執事くらいだ。
大御所が暢気に外を散歩しているわけがない。
俺はそのやんごとなき支配者の使用人が練り歩くストリートを警戒しながら歩き、角を曲がったり、直進したりして、記憶を頼りにそのオルドリッジの屋敷を発見した。
通行人からは奇異の目を向けられまくった。こんなところでキョロキョロしてる頬に入れ墨のある青年がいたら誰だって不審がるだろう。
だから仕方ない。衛兵さえ呼ばれなければそれでいい。
「…………」
間違いない。
他の貴族屋敷と比べても一際敷地が広い。この黒々とした門や外壁は、小さい頃何度も内側から見た光景だった。魔法の名門貴族と言われているが、実際に爵位で言えばこの町で一番高い身分らしい。その分、所有する土地も一番広大だった。
俺はその黒い門の前に立った。
あるいはこの門を壊してしまうというのはどうだろう。
侵入して滅茶苦茶に暴れて、オルドリッジ家に復讐さながら大打撃を与える。そして乱入して力を見せつけ「お前たちが捨てた子どももこんな立派に育ったぜヒャッハー」と叫んでそのまま爽快リベンジを……!
いや、くだらない。
そんな復讐心みたいなものがあるわけじゃない。
俺が知りたいのは答えだ。
なぜ捨てられなければならなかったのか。
イザイア・オルドリッジ―――アンタに父性ってものが微塵にでもあるのなら、10歳の我が子を捨てようと思えるものか。他の同世代の友人たちの父親を見てきた。だから今ならその異常性が窺い知れる。
……俺はその門のレバー式のドアノッカーに手をかけた。門も黒ければこのドアノッカーも黒光りしてやがる。レバー式だから引っ張って離せばバネで伸縮して音が響き渡る仕組みだ。
俺はそれを引っ張って離した。
――――ビィィィィンという不可解な音が響くドアノッカー。
思った以上に振動の音色が響き渡る。
うわ、マズいっ! 逃げろ!
なぜか咄嗟にそう思った俺は逃げ出そうとしてしまった。いけないことをしてしまっているような錯覚。ここにいたら死ぬぞという恐怖感。
いや、待て待て、ここで逃げたら本当にただの冷かしじゃないか。
なんとかその場で踏みとどまる。
相変わらずやることなすこと情緒不安定だが、人間ってのはそんなものだ。俺だってトラウマを抱えてる。勢いだけで立ち向かおうとしたこの愚直っぷりを評価してほしいところだ。
「どちらさまですかな?」
俺がトラウマと葛藤し、自問自答に打ち震えて情緒不安定な動きを繰り返していたその時。門の覗き口がピシャリと開け放たれ、誰かが目だけを覗かせていた。
おそらく執事か召使いの1人のようだ。
初老の男。見覚えはない。
「……悪戯ですかな?」
「いいえ」
「ふむふむ……ではもう一度。どちらさまですかな?」
ギョロリとした目がぐりぐりと動き、こちらを捕捉している。主に俺の右頬に焦点が集まっている。
「………サードジュニアだ」
「………」
ギョロリとした目が一瞬だけ、本当に一瞬だけ少し見開かれたかのような気がする。だがそれも一瞬のこと、執事は何事も聞かなかったかのように平然としている。
「誰ですかな?」
「イザイア・オルドリッジ・サードジュニア」
「………」
もう一度はっきり、そしてゆっくりと口を開いて捻りだした"合言葉"だった。喉の奥から何かが咽び出てきそうだった。
視界も眩む。
「ご主人様には2人の息子しかおりませぬ」
「……3人目がいただろう。それが俺だ」
視線と視線が弾け合う。
睨み合いでバトルがスタートしていた。
「いいえ、そんな者はおりませぬ」
「……ここにいる」
「お引き取りください」
「一度だけイザイアに会わせてくれ」
「以ての外です。お引き取りください」
それを告げる前に覗き窓がピシャリと閉じられた。
……寒々しい風が猛々しい音を奏でながら真横から吹き抜けた。
「………」
頑張った。
頑張ったと思う。
気づけば足がガクガクと震えていた。
そして喉は乾き切り、目元からは涙が数滴垂れていた。
トラウマってのはどれだけ時間が経っても、どれだけ自分自身が強くなっても、なかなか克服するのは難しいものらしい。
相手にされなくて良かったと思う自分がいる。
少し安心している自分がいる。
イザイアに会えなくて良かった、と。
心の底ではそう思ってるような気がした。
ダメだ。今回は惨敗だった。
帰ろう。
…
俺がオルドリッジの屋敷から踵を返して帰ろうという時。
頭上から、ある気配を感じ取った。一瞬だけ。
「誰だ……?」
俺は慌てて周囲を見回したものの、誰もいなかった。突然の襲撃に遭遇したわけでもない。そのわずかな気配の痕跡を辿る―――だがそれも無理だった。
まるで俺自身、勘違いしたと思うほどに僅かな気配だ。
誰かが空高くから監視しているような、そんな気配だった。しかも、俺に向けられたものじゃない。どうもこのオルドリッジの屋敷に対する監視の目。
この家、誰かに嗅ぎ回られているんじゃないだろうか。
商業の町でもっとも大きい権力を持つ貴族なんだ。暗殺者連中にその甘い汁が付け狙われていたとしても何ら不思議ではないだろう。
今更の事だろうし、オルドリッジ家も長年この町に鎮座している大貴族だ。それくらいの対策はしてあるだろう。
○
せっかくバーウィッチに来たのだから、気分転換に楽器屋に寄ることにした。
メドナさんとの良き日々の思い出に浸ろう。
別に最初からバーウィッチに来たのは楽器目当て。東区の方になんて行ってないし、実家になんて寄ってもいない。
そういうことにしよう。
今日のうちは忘れよう。
―――ガラン、ガラン。
楽器屋の店内に入ると、派手なベルの音が鳴り響いた。
俺がぎょっとして店内入口に振り返ると、他の客はそんな俺の慌てっぷりをクスクスと笑っていた。俺がこの店に慣れていないことがバレたらしい。
恥ずかしい。
今日は災難続きだ。
気を取り直して店内を見渡す。
2階建ての建物は小さく吹き抜けとなっており、2階の手すりからぶら下げるように、リュートやマンドリン、ヴィオラなどの弦楽器が吊るされていた。また、戸棚にはフルート、シャリュモー、ファイフなどの笛が立て掛けられている。床には展示されるように打楽器や鍵盤楽器が並べられている。
さすが都会の楽器店。
広い!
「………すごい」
俺は息を呑んでそのオシャレな雰囲気に酔いしれた。
演奏家、吟遊詩人とは総じてオシャレな存在だ。彼らは政治家、貴族、平民、商人、冒険者たち、戦士や騎士、どんな人間たちからも重宝されている。
皆、その奏でる音色に癒しを求めているのだ。ここの店内の雰囲気はそれに合わせるように、どこか図書館にも似た厳粛さと、祝祭にも似た快哉さを併せ持っている。
店主に聞いてみたところ、メドナさんが吹き熟していたファイフは2万ゴールドと値段こそ安いものの、笛の中では上級者向けらしい。また、鍵盤楽器というのは総じて高く、200万ゴールドくらいが相場らしい。200万ゴールドということはソリド通貨で2000万ソリドだ。
あの「退魔シールド」を越えた。
「ひぇー……高ぇー……」
「鍵盤は旋律が多いですからね。初心者なら手始めにリュートがオススメですよ。」
そう紹介されたリュートですら5万ゴールド。
音楽の道はお金がかかるものらしい。
「じゃあとりあえずそれを」
情けない。
いつか「店ごと買おう」とか言えるくらい金持ちになりたいものだ。
店主にリュートを梱包してもらっている間、いろんな楽器を眺めていた。
立ち並ぶ背の高い戸棚の数々はなんとなく本屋や図書館を連想させた。これだけ品揃えがいいってことは多分よく売れてるんだろうな。
吟遊詩人という職業は、そのスター性から町の人々の憧れの対象だったりする。楽団を作って演奏会イベントを開いたり、貴族や王家のパーティーにお呼ばれして雰囲気の盛り上げ役として莫大な収入も得られるらしい。
まぁ、俺に限っては吟遊詩人の楽団の第一印象が非常に悪いが……。
そんなことを考えながら楽器を手に取って眺めていると、その狭い通路の奥地―――闇に溶け込むように、とある3人組の姿が目に映った。
ちょうど影となっていて視界が悪い。
こういう店に訪れる客というのは単体客が多いから珍しい。
どこかの楽団の人間だろうか?
そう思って一瞥くれたとき、異様な組み合わせに目を凝らした。
1人は背の高いスラリとした姿勢の金髪の女性だった。さらりとした長いロングストレートの髪がその女性の妖艶さを引き立てる。
その隣にも女性が立っている。背丈は俺と同じくらいか。ショートカットのふんわりヘアに巻き角が乗っていた。ヘアアクセサリーなのか、そういう種族なのか。
そして一番異様だったのが、その2人の後ろにひっそりと立つ長身の男。黒い長髪と漆黒に包まれたタイトな軽鎧がただ者成らぬ雰囲気を醸し出していた。頭にはこんな薄暗い落ち着いた店なのに、サンバイザーのような兜を身に着けていて素顔を覆い隠している。腰に据えたロングソードの鞘が視認できた。あれは吟遊詩人でもなんでもない。漂う雰囲気からは暗殺者のそれが感じ取れた。
俺ですらこういう店に来るときは仕込みナイフ以外の武器は置いてくる。
武器なんてすぐ造りだせるから持ち歩く必要がないっていうのもあるけど、それにしても穏やかじゃない。というかマナーが悪い。
「………っ」
俺が気になってその3人組に少し近づくと、金髪の女性が俺に気づいたようである。戸棚の角を颯爽と3人揃って曲がってしまった。
逃げるように。
まさか盗みか?
益々怪しくなった俺はその3人組を追いかけるように、戸棚の角をすぐ曲がって追いかけた。悪党だったら逃すまい。こんな狭い店内だ。慌てて逃げればすぐバレるし、しかも走って逃げる様子もない。曲がればすぐ追いつくだろう――――。
「あれ?」
だが、そこには誰の姿もなかった。
深い影がそこにあるだけで、他に客がいたような痕跡が一切なかった。そして店の入り口のうるさいベルが鳴り響く様子もない。客が逃げたような慌ただしさはなかった。
まるで蒸発してしまったかのように。
3人組は姿をくらました。
専用ケースに梱包されたリュートを引き取りした後も、店内を隈なく探してみた。だけどそんな3人組の姿はなく、単体客しかいなかった。
外に出てみても人通りが多いからもう探すことは不可能だ。
気づけば少し日が傾いている。
そろそろソルテールに帰らないと夕飯に間に合わない。用意してもらっておいてそれは申し訳ないから、ひとまず今日のところは帰ることにしよう。
―――冷静に考えたら、その3人組に心当たりがある気がした。




