Prologue 転生
第40部分(第1幕第4場「◆ オルドリッジⅡ」)の続きに当る話です。
―約二十数年前のお話―
ガラ遺跡―――水の都ダリ・アモールの近くにある、かつて宗教的祭儀が行われていたとされる遺跡だ。俺ことイザイア・オルドリッジはその遺跡調査に手伝いに来ていた。
というか俺はイザイア・オルドリッジなんだよな?
さっきからデジャブ的に、ジャックとか、ロストとか、ジャックネス・アブティニティニストとか、いろんな名前で呼ばれている白昼夢を見る。
なんだよ、ティニティニストって……。
突如として湧き起るその白昼夢。
どこかの街の子どもたちを、誘拐の魔の手から救った気もするし。
冒険者たちを率いて悪の大魔術師の陰謀を打ち砕いた気もするし。
何故だか英雄的な活躍をしている自分がどこかに存在している気がする。この襲いかかる白昼夢は何なんだろう。もしかして何かの病気だろうか。
まずいな、魔法大学に戻ったら、その伝手で優秀な治癒師にでも見てもらおう。
いや、まぁ今はそれどころじゃない。
俺は今ピンチだ。
何がピンチかというと、たまたま同行した民族学研究チームの実地調査で、たまたま遺跡の隠しエリアを見つけてしまい、たまたまそこが遺跡の中枢に当る部分だったらしく………。
"――わたしは、根源から派生した魔の起源そのものです――"
こんな風にさっきから変な声が直接頭に語りかけてくるのであった。
魔の起源……というのは、つまりだ。俺だって魔法大学で勉学に勤しむ魔術師、そして魔法の名門オルドリッジ家の正統な後継者となるために、今修行を積んでいる。
だから分かる。
この語りかけてくる存在はまさに超次元的な存在―――つまり、神と云われる存在。
「ねぇ、イザイアくん……大丈夫なの?」
同期のリンダ・メイリーが不安そうな目線をこちらに向ける。彼女はいつも明るく前向きで、そして剥き出しの太ももがセクシーだ。不安そうにモジモジさせるその柔肌が素晴らしい。
やっぱり女子の太ももは素晴らしい。
って何を言っているんだ、俺は……こんなシチュエーションなんだ。
しっかりしろ! しっかり、その太ももを見納め……違う違う!
さっき白昼夢で見た英雄ジャックを見習えよ!
俺は頭を振って、再度その巨大な骸に目を向けた。
さっきから響き渡る声が、その骸骨から発せられているような気がする。
あんなもの目の当たりにしたらリンダが不安になるのも仕方ないだろう。魔法の実力は俺が一番上だし、今ここで俺におかしくなられたら、頼れる存在が失われるようで怖いに違いない。
そしてもう一人、ミーシャ・クライスウィフトの方にも一瞥くれる。
彼女も同様に、不安そうに震えていた。
西方の国の公爵令嬢だという彼女だが、魔法大学で魔術師として腕を磨き、実家に認められるためにこうして真面目に大学に通っている。
俺と共通点がたくさんある。
彼女もその日常が奪われる気がして怖いんだろう。
"――その力、エンペドの系譜を……辿る者だ……者です――"
「なんだって?」
「い、いま、私にも何か聞こえた」
「私も……!」
その声に他2人も反応し始めた。俺はその歪な魔力が強まっているのを感じていた。
このオーラは敵意でもなく、ましてや懇意でもなく、何か本能的な快楽が沸き起こったようなオーラだ。俺の魔力探知の能力は、その存在の冷静かつ情熱的な魔力に危険信号を感知していた。
確かに神聖だ……だが邪悪だ。
邪神の類だ。
"――よくぞ来ました。仕組んだ因果は正常作動した……しました――"
壊れたブリキ人形のように、単調な言葉を繰り返していた。
その都度、その存在の言葉遣いが徐々に流暢になっていくのを感じる。
俺はその底知れない恐怖心に我慢しきれず、威勢を張った。
威勢を張ってしまった。
「なんだ……何が目的だ?! 魔の起源って何だ! お前は神か!?」
"――神……かつて女神と呼ばれた。わたしはケア……ゥル――"
「イザイアくん、やめて……怖いよ」
隣のミーシャは、我慢できずに俺の腕へしがみついてくる。そこで俺は少しだけ冷静さを取り戻した。確かに挑発するのはよくない。俺たちはむしろ侵入者なんだ。この直接頭に語りかけてくる存在は侵入者である俺たちを排除しようとしている可能性だってある。
否、この存在はむしろ真逆だ。
俺たちを快く迎え入れている。
何故かそれは分かった。
ミーシャが俺にすり寄る様に反応したのか、女神と名乗る存在が続けて発した言葉は突拍子もない事だった。
"――男女の恋慕……ミーシャ・クライスウィフト、新来のお返しに願いを叶えましょう――"
「はぁ?」
さっきから脈絡がなさすぎる。
突然ミーシャの名前が出てきた。
こっちの言葉を理解しているのかすら怪しい。
リンダも頭に疑問符を浮かべていた。
「なんなの……お返しって何のお返し?」
「分からん。願いを叶える?」
あまりにも突拍子もない事を言いすぎるから、徐々にこちらの緊張も和らいできた。だがその女神の言葉は軽視するにはあまりにも神秘的で強大すぎた。
この時、俺たち3人にはその認識が薄く、警戒心が欠落していたと反省するべきだった。
"――貴方は時の制御、すなわち事象の地平線を求めるエンペド・リッジの子孫――"
「エンペド・リッジ?」
"――イザイア・オルドリッジ、貴方の願いは時間魔法の体現……ですか――"
突然名前を呼ばれてびっくりする。女神には名前さえお見通しだとでも?
だが、その預言は的を得ていた。
「そうだ。俺は時間魔法を研究中だ。ちなみにそのエンペドという奴は知らないし、リッジというのも親戚にいない」
毅然として答える。こういうおかしな存在には堂々としていた方がいい。そもそも怖気づいても仕方ないしな。
それに、相変わらず敵意を感じない。
女神から感じるのは喜びと親愛の感情だけだ。
"――では、リンダ・メイリー、貴方の願いは……好奇心の飽満、ですか――"
続けてリンダの名前も読み上げられた。
好奇心の飽満……向けられた言葉はとても抽象的だった。
リンダもすっかり警戒心はなくなっており、意味の分からない言葉の羅列に眉間に皺を寄せている。しかし、彼女はまるで夢語りの問答のように快活に打ち明けた。
同級生とやりとりするような軽いノリだ。リンダに限っては未知とのコミュニケーションにわくわくしている様子さえある。
「私の願いは特にないかな~。強いて言えば楽しいことがしたいかなっ」
その願いがすなわち、好奇心の飽満?
そんなリンダは目を輝かせているものの、この問答は危険な香りしか感じ得ない。
"――その願い、承諾します――"
少し間があった後、続けてその言葉が言い放たれた。
"――事象を捻じ伏せるその代償として、3人から過去・現在・未来をそれぞれ頂戴します――"
「え……?」
刹那の事だった。
赤黒い魔力がその骸から放出された。
赤い電撃が洞窟に駆け巡る。
あまりに突拍子な事に反応ができず、その魔力を俺たちは全身に浴びた。放射された魔力は粘着するように俺たちの身体を覆った。その激しい赤い稲妻によって視界が眩み、何が起こったのかは分からない。
痛みも苦しみもない。
ただ纏わりつかれたという感触だけが残っている。
「きゃ、ぁ……!」
その悲鳴とともにパシンと何かが弾けた音がした。音の発生源はリンダの方から。俺とミーシャは即座にリンダの方へと向き直る。
だがそこには既にリンダの姿がない。彼女の身体はそこになく、着ていたと思われる衣類だけ落ちていた。
「なんだ?! リンダはどこいった?」
と同時に、この仄暗い空洞に"赤ん坊"の声が鳴り響く。
「……は?!」
本来いるはずのない存在……赤子の出現。その産声のような声は俺たちの身に起きた不可思議の現象の象徴。本来祝福されるはずの産声は、不気味そのものだった。
その声の主を探すために周囲を見渡し、それはすぐに見つかった。赤ん坊はリンダが着ていた衣類の中で泣いていた。
まるで今そこで生まれたかのように。
「リンダが……!」
ミーシャがその赤ん坊に駆け寄る。衣類の中から産声を上げていたのはリンダと同じ栗色の毛をした赤ん坊だった。
「そ、それが……嘘だろ!?」
"――リンダ・メイリーからは過去を頂戴します。過去とはこれまでの人生……それらを一度消去し、二度目でその好奇心を満たす事でしょう――"
元凶は残酷にもそう預言した。
ふざけるな。
意味が分からないぞ。
好奇心を満たすためにもう一度人生をやり直せと?
そんなもので、願いを叶えたとでも?
「待て、何をしたんだ?! こんな形で願いを叶えるなんて聞いてないぞ! そもそも……俺たちは願いを実現させたいなんて……」
その不満をぶちまける。
だってこんなの冷静でいられるはずがない。
理不尽だ。
願いとはいえ、ありとあらゆる犠牲を払ってまで得たいものではない。それを曲解されてこんな形ですぐ叶えられても、それは押しつけでしかない。
ましてや願いを叶えるために、その本人の"時間"を奪う……?
ふざけた強制契約じゃないか。
俺が怒りを露わにして前に一歩踏み出た時の事だった。
―――……パシィン!
俺の頭の中に鞭で打たれたような衝撃が走った。
その鞭は俺の意識を絡め取ると、強引に《俺》を引きずり出した。
"――イザイア・オルドリッジ、貴方からは現在を頂戴します――"
俺の身体はその場で倒れた。だが、その身体はまるで他人のもののようだ。
《俺》はその自分自身の身体が倒れているのを、傍から眺めていた。
「イザイアくん……イザイアくん!!」
ミーシャがかつてリンダだった赤ん坊を抱えたまま、倒れた俺の身体に駆け寄った。そして起こそうと必死に揺り動かす。傍らに立つ俺の存在がまるで見えていないようだ。
"――なに………――"
声が出せない。
《俺》という意識だけが、その"意思"を発していた。
"――時間制御は高次元の魔術……虚数の血流がなければ体現しない。その体では不都合です――"
"――は……? どういうことだ――"
"――イザイア・オルドリッジの体を、すなわち、現在を恒久的に頂戴し続けます――"
現在とは、つまり時が流れ続ける中での現在。
俺は過去も未来も、続きうる限りの"現在"を、己が身体という形で失ったという事か。願いが大きいだけにその代償も大きい。
悲惨な末路。この邪悪な存在に体を奪われた。軽く願いを口にしただけで。
ちくしょう……。
《俺》はなんとか自分の身体に戻ろうと悪戦苦闘したが、その身体に戻ることはいよいよ出来なかった。つまりこれは俗にいう"死"を意味している。
俺は死んだ?
こんな苦痛も何もなく、ヒトはあっさり死ねるのか?
いや、しかし。
"――待て……じゃあ、俺の願いはいつ叶うんだ……――"
"――その魂に順応性が高い身体……同じ血脈を持つ子孫に転生させます――"
"――転生……――"
"――遠い未来ではありません。しかし現在とは貴方自身の現在。転生したら……貴方は別の存在になります。そして《無名》という運命を辿り続けるでしょう――"
転生とは聞きなれない。
しかも別の存在?
無名という運命?
それじゃあ、俺自身にとっては願いが叶わないのと一緒じゃないか。
「イザイアくん!!」
待てよ。
過去と現在は奪われた。
あと残るのは未来……ミーシャはどうなるんだ?
未来が奪われる……?
その彼女は、必死に俺の抜け殻を揺り動かしてはヒーリングをかけて泣きじゃくっていた。絶望している。友達のリンダも赤子になってしまった。俺も倒れてしまった。
まさかこの空間から出られなくなるのか。
未来がない、すなわちそれはミーシャも死ぬという事と同じ事なのでは。
"――彼女は未来を失いました。未来とは希望、成長、課題、運命……それら後天的な前進すべてです。彼女の可能性は閉ざされました――"
"――その代償を払ってミーシャが手に入れたのは何だ?――"
女神は答えなかった。
ただその後に起こる光景を見て、俺は納得した。
「あ、イザイアくん?」
意識を取り戻したのか、起き上がる元俺の身体。
「うーむ……あ……あー……いま、イザイアと?」
「う、うん……大丈夫なの?」
「ふむ、頗る調子がいいな。心配はいらん」
俺の体が勝手に使われていた。まるで操り人形のようだ。魂が抜けた俺の身体に別の存在が入り込んだようである。しかしミーシャは気づかず、俺に羨望と安堵の目を向けていた。
生きていて良かった、と。
頼もしい存在が戻ってきて嬉しい、と。
その眼差しがすべてを語っていた。
「大丈夫? 言葉遣いが少し変な気が……」
「どうやら頭の打ちどころが悪かった。だが、す・こ・ぶ・る調子がいい!」
豪快な喋り口。無気力系男子を気取っていた俺とは似ても似つかない性格だ。
"――おい、俺の身体はどうなってるんだ?!――"
"――エンペド・リッジが貴方の現在を奪います。同じ血脈を辿る膨大な魔力……その身体に憑依しました。貴方の現在はエンペド・リッジのものとなります――"
要約すると、魂が抜けた俺の身体にエンペド・リッジとかいう奴……俺と血の繋がった先祖の魂が入り込んだという事か。
なんだよ、それ。おかしいだろう。
誰とも知らない先祖に俺という人間が奪われた?
誰だよ、そのエンペドって。オルドリッジは名のある貴族だから先祖代々の家系図の記録がちゃんと残っているけど、そんな名前聞いたこともないぞ。
「む、よくよく見るとお前は美しい娘だな」
「え……えぇ?!」
「素晴らしい。アザレアでも稀に見るその容姿、まさに現代に咲き誇る花の御子だ」
しかも俺の身体で好き勝手に小っ恥ずかしい事を騒ぎやがって!
やめろ! 恥ずかしい!
しかもミーシャも満更でもない感じで頬を赤らめている!
「名前はなんという?」
「え、私の名前忘れちゃったの……?」
「うーむ、打ちどころが悪かった。その麗しい口からあらためて名前を聞きたい」
「え……えぇ……イザイアくん、なんか変だよ。でも嬉しいな……」
顔を真っ赤にさせて、あたふたと勢いある俺の問いに答える彼女―――それを第三者の目線で見るとよく分かる。
ミーシャの願いを察した。
男女の恋慕……恋の成就だ。
ミーシャは俺に恋していたんだ。
魂を抜き取られてから気づくとは、なんて間抜けな話じゃないか。
「で、でも今はそれどころじゃなくて……リンダが、リンダがこんな事に!」
「赤子……こんな汚いところでは"感染症"が―――」
「かんせんしょう? 聞き慣れない言葉だけど……そ、そうだね、とにかくここから脱出しないと」
「脱出ならまかされよう。私は天才魔術師だ」
「……なんかイザイアくん、変だけど頼もしい」
良い雰囲気のまま、その2人はこの仄暗い空洞からの脱出を試みた。
至って、明るく前向きに……。
《俺》という存在が変わり果ててしまったこともミーシャは気づいていない。
"――イザイア・オルドリッジ、あなたの願いは来世で叶います。時間制御は次元を超えた最強魔法。それ以外の魔力を失った《貴方》が最強の魔法使いとなるのです――"
"――だけど、それはもう俺じゃないんだろ――"
別の存在になると言っていた。
じゃあ結局、俺の人生はここで終了じゃないか。
何が願いを叶える、だ。
"――その魂、その魔力共々、イザイア・オルドリッジのものです――"
その言葉を最後に、俺の意思は徐々に霧散していくのを感じていた。まるで体が溶けていくように。
《俺》という魂が現世からいなくなるのを感じていた。
悔しい。
勝手な事を言いやがって。
この女神の事は許せない。
いくら願いが叶うからってこれは余りにも横暴すぎる。
横暴すぎて何か目的があるようにしか思えない。
何が狙いなんだ?
そのエンペドとかいう奴とも手を組んでいる?
それともエンペドも、ただ強制的に転生させられただけの存在?
背景が分からねえから、何も理解できようがない!
リンダだって赤ん坊になってアレからどうなるんだ?
ミーシャも相手は確かに俺の身体とはいえ、そいつは俺じゃない。
別の人間だ。
別の人間……くそ、俺は全てを奪われた。
これからオルドリッジの後継者となるべく頑張っていたのに、リンダと同じように新しい人生をやり直せ、と。しかもリンダは赤子からだが、俺の場合はどんな人間として生まれ変わるかも分からないんだ。子孫という話だけど、どの時代の、どの末裔なのかさえも分からない。
……憎い。悔しい。
しかし、その負の感情さえも徐々に掻き消えていた。
時間の流れとともに俺の意思は消え去っていく。
来世の俺には、この記憶や感情が残っているだろうか。
この悔しさを覚えているだろうか。
代償として手に入れる時間制御の魔法……。
その力は復讐に……この理不尽な神への反逆に使うんだ……。