Episode76 幻影のリゾーマタⅡ
振り注ぐ瓦礫の合間を縫って全力で駆ける。
重力魔法をさっきまで浴び過ぎたがために、想像以上に自分の体が軽く感じた。
「……Schwer………ちぃっ!」
「させるかよッ!」
ヤツの詠唱よりも早く到達する。
その度、アンファンは詠唱を切り替えた。
「Eröffnung」
ヤツは転移ポータルの中へと飛びこみ、俺の剣戟を回避した。
次に出現した先は少し離れたところだ。
「次弾、装填―――発射」
シアはいつのまに覚えたのか、空圧制御で自身の体を浮かし、滑るように移動していた。そして照準が定まるたびに、同スキルで加速をつけて魔弾を放つ。
疾風の魔弾は一直線の軌道を描いて、その魔術師に迫った。
「Eröffnung……!」
そしてその矢は、ポータルサイトの前に飲みこまれた。
開通先はシアの目の前。自身が放った魔弾が方向を真逆にして襲い掛かる。
「Eröffnung!」
だけどそれもユースティンがすぐに転移させて守った。矢はシアを素通りして背後の崩落した壁に突き刺さった。俺はその間にも走りながらアンファン目がけて剣を振るう。
「Brandstifter―――Triplikat! Eiswand!」
そこにアンファンは炎魔法と防護壁を同時に目の前に作り出す。
俺の攻撃はその壁に防がれ、お返しとばかりに炎魔法の三連撃が襲い掛かってきた。
時間制御……!
鼓動が高鳴る。加速する世界に、ゆっくりと迫りくる三つの炎。それを右腕のインシグニア・アームズから反魔力弾を放って全て打ち消した。
「えぇい、小賢しい……!」
アンファンも苛立ちが貯まりつつあった。しかし3人がかりで襲われているというのに、アンファンは息一つ切らさず魔力が枯渇していく様子もない。さすが魔術ギルド幹部だ。魔術の使い方からその魔力量までとんでもないものだった。
一撃でも……一撃でも俺かシアの攻撃が当たれば……。
おそらくアンファンは回避力と迎撃力はあっても、ボディの装甲は弱い。
だから一発でも当たれば致命傷を与えられるはずなんだ。
「散弾銃……三連!」
「Übergang!」
シアもユースティンも同じことを思ったのか、一度の弾丸の数を増やす作戦に出た。ユースティンの背後に展開される無数の魔力弾のストックは、色とりどりの粒が父親へと襲い掛かる。これはあくまで牽制用。
その後のシアの弓矢が本命だ。
「Schwerkraft!」
だがその弓矢の三連撃とも、重力魔法によって目標へ到達する前に墜落させられた。
キリがない。
俺もまだまだ体力の余力は残しているが、もたもたしているとエンペドが完全に復活してしまう可能性もある。今は城の地下から地響きが続くだけだが、これからどんな反応があるか分からない。
俺が三度のアンファンへの突撃のタイミングで、その一声が一同に投げられた。
「シア・ランドール! ユースティン! これを……!」
端の方で蹲っていたシルフィード様が、それぞれの方に向かって何かを投げつけた。
シアとユースティンはそれをキャッチした。
それぞれ渡されたのはボルガ・シリーズのようである。
ユースティンに渡されたのは青いガラスの筒――あいつ自身も使い慣れたアクアラム・ボルガだ。魔力を増幅させる氷の杖だ。
そしてシアに投げられたボルガは、今まで見たことがないがボルガ。
遠目に見て木製の筒のようだが……。
「エアリアル・ボルガが――あなたのご両親が、助けてくれます!」
その木材で出来た筒こそ、エアリアル・ボルガらしい。シアの両親が命をかけて守った神秘の力だ。それが今、彼女の手に収まって力を与えてくれている。
シアはそれをまじまじと眺めた後、腕を突きだして魔力を込めた。
すると木製の筒の両端から、歪曲した木の枝がにょきっと伸びた。
その先端と先端が、緑色の魔力で弦を張っている。
シアもその光景にびっくりしていた。
「…………弓矢?」
エアリアル・ボルガとは、どうやら弓の兵器だったらしい。
…
「Starkung―――von pat」
俺がぼーっとシアの様子を眺めている隙をつき、アンファンは右腕に強化魔法をかけた。
勢いを増した拳が俺めがけて襲い掛かってくる。
強化魔法は術者の魔力が強ければ強いほど、より強力に身体能力を伸ばす事が出来る。当たり前かもしれないが、アンファンの無尽蔵な魔力は、強化魔法においても奏功する。
ゆえに、その一撃は拳闘術を熟知していないアンファンでさえ、最強の一撃に成り得てしまうのだ。
「あぶねぇ……!」
俺はその高速のパンチを、バク転で回避して間合いを取った。
だが間合いを取りすぎると、接近するときに時間がかかり、重力魔法の餌食にかかるのは分かっていた。だから適度に距離を開ける。
「かかったな……! Schwerkraft」
そう、こんな風に。
やってしまった。また重力魔法の負の連鎖にハマってしまった……。いくら疲弊しているからって今回の戦いは雑すぎる。大事な局面だというのに。
もっとしっかりしろ、俺!
体が再び、錘を背負ったように重くなってしまった。
しかも今回はアンファンも手加減抜きのようだ。最初から一気に最大加重をかけてきた。その重さは物理的な体の重さ以上に、俺自身の気力も削いでくる。
「うーあー……」
「ロストくん、まずはキミからだ。爆撃機のキミがいなくなれば随分楽になる……!」
そして強化されたその拳が迫ってきた。
脚部、拳腕に黄金色の魔力が線を張って宿っていた。突進も速い。コリンも使っていた強化の魔法だが、強化のやり方が違うのか、視覚で捉えられる色彩もまた違っていた。
――――そこに砲撃の轟きが鳴り響く。
俺は気圧の変化を感じていた。きっとそれはアンファンも同じだったんだろう。今まで感じたこともない気流の流れ。すべてを飲みこむように、その剛笛の矢はアンファンの体を貫こうとしていた。
それはシアが放ったものだった。
鏑矢なんてものじゃない。その音は城内の地鳴りの音ですら掻き消した。
エアリアル・ボルガによる彗星の軌道。
「何度やっても同じ事だ――――Eröffnung!」
アンファンは自身に刺さりかけたその砲撃を、直前で転移させた。開通したポータルサイトは、その転移先をシアの目の前へと開き、反撃のトラップを仕掛けた。渾身を込めて放ったその大牙が、敵の攻撃手段として取り込まれ、文字通り一矢報いようとしていた。
ユースティンも左手を前に向けて、ポータル開通の詠唱をしようとしていたが、あまりにもその刃が速すぎて、そして近すぎた。
仲間の援護が間に合わず、シアの頭を、その矢は直撃しかけていた。
「大丈夫です!」
そこにシルフィード様が叫ぶ。エアリアル・ボルガを造りだした賢者の保証。それが後押ししてもなお、大牙はシアを襲うような気がしてならない。
しかし――――曲がる……!
シアの目前に現われたその巨大な空圧を纏った刃は、軌道を変えて、シアの脇を霞めた。緑色の粒子が矢羽根から尾を引いて、大きく逸れていく。
その通過を、シアは整然とした顔でやり過ごしていた。
「曲がった……?」
そして、その矢は大きく軌道を変え、再びアンファンに迫る。その真逆の方向転換は予想外の動きだった。アンファンもその曲がりくねる生きた矢を目の当たりにし、眉間に皺を寄せている。
「なにぃ……これが、エアリアル・ボルガの力……?」
それは、照準を合わせた相手を最後まで追尾する対回避の砲弾だった。裏切りを知らぬその刃は、すべてを裏切り続けたこの男を糾弾する断罪の矢となる。
「ちぃ……Eröffnung!!」
再度転移させても同じことだった。
何度遠ざけても、その矢は凄まじい音を立ててアンファンを追い続ける。
さらにシアは、その断罪の矢の追撃を構えていた。
そのボルガはシアの両親が守ってくれた秘密兵器。親子の慕情が込められた兵器は、アンファンの生み出す無情の魔法と相反していた。
「えぇい、ランドール。復讐の因果か……おのれ、Schwerkraft!」
その加重はかからない。多少の失速はあったものの、ボルガの力は重力魔法を凌駕し、未だ止まる事を知らない。
「く、くそ……!」
「散弾銃………三連っ!」
そこにシアは3射撃、追撃を加えた。彼女の中で復讐の烽火が灯されたのだろう。三連撃になってもそれぞれの威力が弱まることはなく、彗星を思わせる光の粒子は散開してアンファンを三方から囲い込む。
「Eröffnung……ッ!!」
それに対して、アンファンも必死でその矢を遠ざけた。
転移させてもさせても追撃するその矢を、アンファンは捌ききれなくなっている。計4本の矢がアンファンの周囲を巡る光景は、以前俺もアーバン・フラタニティで捌くのに苦労した追撃型の光魔法インテンス・レイを彷彿とさせた。
その曲がりくねった彗星の軌道は、まるで4頭を持つ大蛇が獲物を喰い合うようにも見える。
「父様……」
ユースティンもその父親の苦闘を見守っている。
「こんな物理攻撃など……Brandstifter!」
その父親は弓矢を燃やしにかかった。だが、それすら圧倒的な風圧を前に掻き消えた。その無力感は、カリスマ魔術師にとって最も敗北を感じる瞬間だったのだろう。
驚愕の顔のまま、その動きが、一瞬止まった――――。
「うっ―――!」
そうして、ついに一撃がその腹部を穿った。
その衝撃に動きが止まった壮年の魔術師に、一斉に残り3つの大蛇がその体を抉り喰う。
これまで余裕の表情を浮かべていたその涼しい顔も、苦痛のあまりに表情を歪ませた。
「ごふ……!」
どう見ても致命傷だった。4本のうち2本は背中からアンファンの胴体を食い破り、正面の2本は心の臓と、腹部を貫通していた。
その口から吐血した。
魔術師はその動きを止めた。城内の振動とともに身体はよろめき、蹈鞴を踏んで近くの台座に崩れるように身を預けた。
○
―――勝ったのか?
シアの放った復讐の刃が、この悪の化身の動きを止めた。それはシア・ランドールが収めた勝利だ。そんな彼女には勝ち誇ったような表情が一切見られない。
その流麗な滝のような一束の髪。それを後ろに流し、整然とその敗者を見据えていた。……達成感も清々しさも有りはしないんだろう。両親の復讐を果たせたとはいえ、それはある家族を引き離す報讐に他ならない。
戦いの連鎖は新たな怨念を生む可能性があることを、彼女自身も理解しているんだ。
「父様!!」
そしてその息子は、親の無惨な姿に思わず駆け寄った。
アンファンの動きは止めた。それはその息子の願いでもあった。だからユースティンはきっとシアを恨むことはしないはずだ。……俺たちはユースティンが父親へと寄り添うのを見送った。
もはやあの親子は、ただの親子だ。
カリスマ魔術師でも、正義の大魔術師でもなんでもない。その肩書きをすべて捨て去った一組の親子だ。それを、あの父親が受け入れるかどうかは別にして……。
「ユウ………ぐっ……!」
「父様……! 父様……!」
会話は成立していない。だが、さすがに見殺しにはしたくないのか、ユースティンは父親にヒーリングを懸命にかけていた。シアもそのヒーリングを止める様子はない。トドメを刺すほど残酷にはなれないようだ。
しかし、あの4本の断罪の矢は相当深くまで抉っているようだ。
魔法で治癒力を高めても、なかなか回復しない。まぁ、アンファンが復活してから、さらにその罪を償ってもらうというのも一つの手だ。
―――復活?
その親子のやりとりの最中、気づけば、城内の振動が収まっていることに気づいた。
「あれ? そういえばエンペドの復活は……?」
俺がその疑問を口にした瞬間だった。
城内に不協和音が鳴り響いた。地底を大きな爪で引っ掻くような音、そしてそれに合わせて揺れる地響きの音。地割れの音。……ありとあらゆる音が合わさって、アザレア古城は崩壊していった。
次の瞬間には、ボルカニック・ボルガの台座の間は、その中心部から地割れを引き起こして床を引き裂いた。赤黒く点滅していた台座は、より一層、禍々しい赤黒い輝きを強めてシュヴァルツシルト親子を包み込んだ。
「なんだ?!」
「……エンペドは蘇ってしまったようです」
背後のシルフィード様がそう告げる。
地割れしたと思っていた床が、積み木が崩壊するかのようにバラバラのブロックになって、地中深くへと吸い込まれていった。
広間の囲っていた壁も、同じようにブロック状の細かい粒子となって地中深くへ吸い込まれていく。見たこともない光景に、俺もシアも、そしてシュヴァルツシルト親子も困惑していた。
その振動はもはや二足で立っていられるほどの揺れではない。
俺もシアも、よろめいてお互いを支え合うように地面に手をついた。
「リゾーマタ・ボルガ……!」
城内の広間や通路が全て繋がり、フィールドは気づけば大広間の域を超えて巨大な瓦礫のステージと化していた。崩壊した城壁の隙間からは、一部、外の景色も丸見えになっていた。
長い戦いの末に、すっかり夜も更けてしまっているらしく、星空すらも視界に映った。
そしてその巨大ステージの中心に、大穴がぽっかりと空いている。
奈落の底と繋がっているかのような大穴だった。
その大穴の中心地から、強い光源が姿を現す。
浮上したのは、幾重にも重なる円月輪だった。重なり合った円月輪は、各々縦横無尽に回転し、球体を創り上げていた。
その回転する円月輪の中心の空洞―――そこには赤黒い魔力の混沌の渦が遠心している。
あれが、リゾーマタ・ボルガ?
あの赤黒い魔力の渦はどこかで見たことがあるような気が―――。
「魔術師エンペド!」
そしてその目の前には、一つの人型の幻影が、宙で揺らめいていた。
ぼろぼろの黒いマントが全身を覆い、黒い魔力が湯気のように立ち込めている。その動きに、人としての意志があるように見えない。まるで操り人形でも見るかのように、ふらふらと浮かんでいた。
目を凝らすが、その人型がどんな顔をしているのかを窺い知ることは出来なかった。
あれが、悪の権化と謳われている大魔術師エンペド……?
強力な暗黒のオーラを纏っているのは分かるが、しかし脅威を感じるような挙動は見せていない。
◆
敗北だったが、目的を果たしたという点では僕の勝利でもある。朦朧とする意識の中、虚空に浮かび上がるその黒い幻影を見納めた。
あれが……我々魔術師にとっての希望になる。
古代の大魔術師エンペドの復活……それは僕が切望した真理の探究の基点となっていた。
大学で重力魔法を究めた僕だったが、魔術ギルド上層部からの圧力には敵わず、新規の魔法開拓に限界を感じていた。
重力魔法は別の魔術師が開拓した魔法だ。
僕はただそれを追従する形で研究対象としていただけ。
そしてその重力を解明し、ワームホールの原理を応用することで成し得ると考えていた「転移魔法」ですら先を越されて別の魔術師に特許が取られた。エリートと呼ばれていたはずの僕は、誰かの発明を後追いするだけのしがない魔術師に成り果てていた。
しかし大学の親友イザイア・オルドリッジは、ある遺跡への調査に何かインスピレーションを得たのか、「時間魔法」という前代未聞の魔術を編み出した。大学では落ちこぼれのレッテルを貼られていた彼だったが、その功績が評価され、魔術の研究機関からの圧力を軽々と凌駕していった。
オルドリッジを親友兼ライバルだと思っていた僕にとって、その偉業は嫉妬の域を超えて、脱帽だった。しかも彼は人柄が変わったように、その功績をすべて捨て、魔法大学から去った。
そして貴族としての名声を優先したのだった。
僕は魔術ギルドの職員へと転身したが、それでも諦めがつかない。
このまま一介の魔術師として終わるのは、シュヴァルツシルト家の誇りにかけても許せるものではない。
そうして僕が目指したのが、そこに浮かぶ悪の象徴とされた魔術師エンペドの復活だ。もうこの年になると、自身の名声の事などどうでもいい。だが魔術師として、世界の魔法界に何か貢献したい。そのために考え付いたのは、古代のカリスマの復活。
僕は魔術のさらなる繁栄を信じていた。
「……ふ……ふふふ……これで僕は報われる……」
「父様?」
息子にもいろいろと面倒をかけてしまった。だが、もう少し大人になれば僕のやった事の意味も理解できるだろう。
僕はゆっくりと瞳を閉じて。眠りにつく一歩手前だった。
「………なにか変です。あれが、エンペド……? いえ、あれはなにか違います!」
その声が耳に届いたのは、世界が暗転する一歩手前だった。五大精霊となった風の賢者シルフィードは、実物のエンペドを見てきた人物だ。その彼女が言う言葉は、説得力があると同時に、僕を苛立たせた。
「違う……だと……?」
エンペドと同様に宙を漂うその妖精のような姿を睨んだ。
「これは魔術師エンペドの抜け殻、でしょうか?」
「抜け殻……?」
その衝撃の事実が告げられた直後、エンペドの幻影は、背後のリゾーマタ・ボルガの赤黒い魔力の渦から何かを吸収した。
バチバチと赤い紫電がその身体を刺激し、そこからエネルギーを得ているようだった。
「ボ、ボ、ボボボ……グォグォ……グォグォォォ……!」
エンペドは意味の分からない奇声を発している。それは僕が思い描いたカリスマ魔術師の姿からかけ離れていた。理性や知性の欠片もない。森や平原で見かける黒い魔力を纏ったただの魔物と変わらなかった。
そしてそれは、空中でリゾーマタ・ボルガの赤黒いエネルギーをチャージし終わると、全力で両手両足を広げて万歳し、禍々しいオーラを振りまいた。
その振り撒いた紫電が、僕とユウの下に牙となって振り注ぐ。
「危ないッ! 父様、ここから逃げよう」
僕は息子に肩を支えられて、ゆっくりとシルフィードやロストくんのいる場所へと担がれた。
しかし――――。
「グォォ! グォォオオ―――――!」
振り返ると、より一層力を強めたエンペドの抜け殻が肥大化していることに気づいた。そのゾンビのように腐敗した口元が、僕たち親子を捉えていた。空中からゆっくりと、僕たち親子の下へ近づいてきた。
「シュヴァルツシルトの2人……早く逃げなさい!」
シルフィードも先ほどまで粛清すると言っていたわりに、こんな僕を心配している。善人の世話焼き精神というのも大したものだ。
「シルフィード様、どういうことですか……? あれが大魔術師エンペド?」
「何故かは分かりませんが、あそこにいるのはエンペドではありません! 魂や魔力が抜けきったエンペドの亡骸……ただの骸です!」
「エンペドは既に死んでいたと?」
「いえ……そんなはずはないと思いますが………。しかし、あそこにいるのは、ただの器のようです」
ただの、器だと……。
僕はそんなものの為に、これまでありとあらゆる権力や部下を利用し、そしてこんな無様な体裁を晒していたのか。エンペドの亡骸―――その亡骸の中身はどこへ行ってしまったというのだろうか。
僕の目論みは間違えていたのだろうか。
「父様、しっかりしろっ!」
そんな駄目な父親を担いで、息子は必死に僕の腕を引っ張った。
母親に似て良い眼をしている。僕のような三白眼にならなくて、怖い人相にならなくて本当に良かったと思う。
その必死の救助に、この子を産んで逝ってしまった妻との日々を思い出した。思えば、ユースティンは僕にとって最後の希望だったのかもしれない。僕によく似た男の子を、妻は最期に遺して逝ってくれたのだ――――。
だが、その健気な童顔に、紫電の魔力弾が直撃した。
「痛っ―――あぁあ!」
エンペド・ザ・ファントムはすぐ真後ろに迫っていた。
ユースティンの頬に穴が空き、そこから止めどない血が垂れ流れていた。今の衝撃で気を失ってしまったようだ。
「グォ………オオオォォ……」
そのファントムは、両腕をユウの体に向けると、念動力のような力でユウの身体を手繰り寄せた。僕の腕から離れていく、息子の身体。
「ユースティンがッ! シルフィード様、エンペドは何を?!」
「魔石を求める魔物のように、優れた魔術師の魔力に飢えているのかもしれません……」
「えぇ、ユースティンが喰われるってことか?!」
優れた魔術師の魔力を……。そうか。僕はもはや死に体で、魔力もほとんど使い切ってしまった。だからエンペドは息子の方を選んで手繰り寄せた。あれは、亡骸が生身の魔力を捕食しようとしているという事か。
そんなことはさせてたまるか。
僕はもう終わりだが、ユウにはまだ、未来が。
「………くっ……」
残された力を振り絞って、火を造りだす。まったく不出来な火炎弾だ。それをエンペドの方に向けて放つが、威力が弱すぎて全く動ずる様子がない。
そうこうしている間にも、ユースティンはエンペドの亡骸へと捕らえられ、そして腐ったその身体と融合しようとしていた。
「……僕の息子を………返せ……!」
最後の気力を振り絞って、無様にも僕はそのエンペドの亡骸へと飛び込んだ。倒れ込むように圧し掛かった僕のタックルによって、エンペドの亡骸を奈落の底へと突き落とす。
しかし、それは僕も一緒にだ。
こんな物のために、僕は半生を賭けてきた。
ここで共倒れするのは、失敗を繰り返した僕の末路に相応しいかもしれない。
エンペドの亡骸とともに落ちていく浮遊感。その奈落の底への落下………見上げる夜空の星々が、より綺麗に感じられた。
「グァ………ァァァァ………オオオオオ………!!」
エンペド・ザ・ファントムが悲鳴を上げている?
傀儡の分際で、人並みの感情を持ち合わせているようにも感じられた。ねっとりとしたその黒衣の外套が、最後の悪あがきをしようと、僕の体に纏わりついて身体の内部を汚染していくのを感じた。
でもこれでお終いだ。
僕と一緒に地獄に堕ちろ。
そこでエンペドはまだ最後の悪あがきをする。崖の間際に振り落とされたユースティンの身体を、さっきの念動力で再び手繰り寄せ、ユースティンも一緒に奈落の底へと落とした。
「ヴォ……ヴォ……ヴォ……」
一定のリズムで呻くその声は、まるで笑っているかのようだった。そこまでして僕のユウを欲するか……この亡者が……。
ユースティンは、エンペドの念動力によって加速して迫ってきていた。
このまま僕と一緒にエンペドと融合してしまったら、ユウの未来が――――。
「くそ……Schwerkraft!」
僕は自分自身に重力魔法をかけることによって、エンペドの骸をより深層へと高速落下させる。これだけ重しを掛ければ、浮遊しようとしても早々浮き上がることは出来まい。
「ヴォゥゥゥウ……」
だがエンペドも負けじとユースティンを手繰りよせることを止めない。
ふと、このリバーダ大陸での息子との日々を、走馬灯のように思い出した。それは短い日々だったが、それでも僕ら家族にしては濃い数ヵ月間だったと思う。
―――この戦いに負けたら大人しく魔法大学に行って……
―――僕は………正義の大魔術師だ!
―――あとお前はチームワークを大事にしろ。
―――わかった!
―――父様! 街の人たちが……っ!
―――これから起こす奇跡にも、それ相応の代償が必要だったと考えればいい。
屋敷にいる頃よりもたくさん会話した。思い返せば、ユースティンからも近づいて来てくれたのを実感する。ユウは、この迷宮都市での生活で極力、僕と一緒にいてくれようとしていた。
これまでの親子の隙間を埋めるように……。
だが僕は自分の野心のために、この子の気持ちを利用してしまっていたんだ……。
僕の身体はすでにほとんどがエンペドの骸と融合してしまっている。下半身の感覚は既にない。あるのは視覚と、そして使い慣れた左腕と、息子を助けたいという想いだけだ。
最後の最後くらい、大魔道師と謳われた腕前を発揮してやろう。
「ユウ………」
その顔を見れるのも最後かと思うと、僕は過去の行い以上に、息子と接してこなかった自分自身を悔やんだ。亡き母親似の幼い顔立ち、そしてシュヴァルツシルト家特有の銀髪に濃紺の瞳。
ユースティン……お前のその魔力、そしてこれからの未来。
お前は、お前の未来を進め。
「だから………Eröffnung…!!」
残された力を振り絞って、指を弾く。
ありったけの魔力を込めて、目の前に転移ポータルを出現させた。息子の身体はそれに吸い込まれたかと思うと、はるか上空の地上に吐き出された。ポータルサイトは、その後すぐに掻き消えた。
未来への架け橋を"開通"させた。
残ったのは過去にしがみついてきた僕だ。
後は、この骸とともに落下していくだけ。
これで………安心だ……。
ユウ……間違っても、こんな魔術師になるんじゃないぞ………。