Episode75 幻影のリゾーマタⅠ
「―――Schwerkraft!」
その言葉を何度聞き続けたことだろう。
アンファンの重力魔法の手にかかり、俺の手足は鉛と化していた。
本来であればこういう高等な魔法は詠唱に時間がかかるから、近接タイプの戦士にも詠唱中の隙をつくことが出来る。
だが、こいつの場合はその隙がない……。
一度、術中にかかれば、もはや抜け出すことが出来ない負の連鎖に捕らわれる。
こいつが魔法を発現させるまでの間は1秒もない。
その一瞬の隙をつく攻略法は、俺の時間制御スキルに頼るしかなかった。
だけどそれもこうして重力魔法によって封じられてしまった。
……そんな中でも俺は抗い続けた。
重たい鉛の拳を緩慢な動作でアンファンに打ち込む。
加速のつかない殴りは、何の威力もなかった。
言うまでもなく、ひらりひらりと簡単に躱されてしまう。
そしてその都度、アンファンに蹴り捨てられた。
俺は無様に地面に転がり、また立ち上がって、のそのそと足を引きずりながらアンファンに近づいていた。
心象抽出による剣の複製も駆使した。
床から剣を引き抜いて投擲する。
でも腕が重すぎてそれもうまくいかなかった。
剣を投げつけても、放物線を描いたトスにしかならなかった。
体が疲弊し、気力ばかりが削がれていった。
「キミはバカか……? いずれにしろ僕たちの勝ちは明白だ。仮にここで抗い続けても、その間にソルテールへギルド職員を派遣させればいいだけの話だ。その反抗心は無意味に終わる」
ソルテール―――平和な俺の故郷だ。ラインガルドの蛸の奇襲で一度は荒らされてしまった町だけど、もう復興したと聞いている。そこに平和に暮らすかつての仲間たちがいる。
アルフレッドに、リンジーも……もしかしたら迷惑かけるかもしれない。
「ロスト、あいつの言う通りだ。ここは一旦素直に従って、エンペドが復活してからリベンジを考えようぜ?」
肩に隠れるサラマンドも身勝手なことを囁いている。その作戦に賭けるのも一理ある。事前に作戦を練っていたのも、その手筈で間違いない。
だけど―――。
「でも、ここで抗うことを止めたら……こいつのやってきた事を、認めた事になる……。ボルカニック・ボルガの生成は………一発、ぶん殴ってからだッ!」
「……ふん、合理的じゃないな」
銀髪壮年の魔術師は、つまらなさそうに吐き捨てた。
「だが、人質が遠くのお仲間だけだと思うのは早計すぎるよ」
「……なん……だって?」
俺の反応を見て、満足そうに口元だけニヤつかせた。
「キミの大事な仲間は"ここ"にも来てるんだろう?」
その邪悪な笑みに、俺はすべてを察した。
「コリンとジョバンがここにいないのを疑問に思わなかったのか? 今頃、この城に侵入した彼らも掴まっている頃だ」
まさか……。
アンファンがここでハッタリをつく可能性は十分にある。
だけど、聖堂騎士団の2人がいない事は事実だ。野放しになっている奴ら二人と、ボルガを取り返しに裏口から侵入しているシアたち5人がばったり遭遇しない理由はない。
それに、アンファンがボルガの見張り番を付けると考えるのも妥当だ。
「キミはわかりやすい。もう少し表情を押さえる工夫を学んだ方がいいな」
「………ッ!」
「さぁどうする? キミがここで抗い続けるようなら、僕はキミの仲間の拷問も辞さない」
拷問……。
既に奴の術中にハマった俺も、拷問の最中といっても過言ではない。後ろにいるユースティンは相変わらず何考えているか分からないし、シアやアイリーン、タウラスやアルバさんが現われても助けてくれる保証もない。
―――変な正義感で冒険者たちをなめんじゃねぇぞ!
この城内に入る前に発破をかけたグノーメ様の台詞を思い出す。
仲間を信じろ。
仲間をなめるな。
俺は1人でなんでも背負い込み過ぎる悪い癖があることは自覚していた。
あの5人なら、力を合わせて聖堂騎士団2人を倒せる、かもしれない。
信じてないわけじゃない。
決して、なめているわけじゃないんだ。
仲間を助けるのは、周りの存在を見下しているからじゃない。
俺はただ、切り捨てられないんだ。
オルドリッジに捨てられて育った子ども時代。親子の血縁ですらこんな簡単に消えてしまうんだと思い知った俺は、"切り捨てる"という事に酷くトラウマを感じている。
友達や仲間の縁ですら、俺は切り捨てて考えられない。お節介、抱え込み、過保護……。そう呼ばれても仕方ないくらい、俺はすべての人に関わっていきたい。この繋がりを絶ちたくない。
だから、守り続ける。少しでも危険があるのなら、少しでも希望があるのなら、仲間の保険がかかる方を選択してしまう。
―――今も仲間に危険が及ぶ可能性が少しでもあるのなら。
「……わかった。ボルガの封印を……ここで解く………」
「よく言ってくれた。キミの行動原理がわかりやすくて助かった……ふふふ……」
その言われようは気に食わなかった。
だけど、やるしかない。
「Ende」
「……だはっ……はぁ……はぁ……!」
重力魔法から解放された。
汗が噴き出る。自身の体がこんなに軽かったのかと驚愕する。
床に這いつくばって、垂れてくる汗を拭った。
「―――ロス………ッ!」
一瞬、ユースティンが俺の名前を呼んだような気がした。
その声はなんだか切羽詰っているように聞こえた。
気のせいだろうか。
○
サラマンドが傍らに立つ。
それを背後から見守るのはアンファンとユースティンの2人。
まるで奴隷のような扱いだ。俺の封印解除は人身御供とでも言わんばかりに、遠巻きから見守っていた。
「いいか?」
幼女姿のサラマンドが俺を心配そうに見上げてきた。
俺はそれに黙って頷いた。
それを見届け、サラマンドは両腕を構えて炎を湧き立たせる。
「俺様は………俺様はロストをホンモノだと認めてやる……」
「……あぁ? なんだ急に……」
好戦的なレッドドラゴンにしては珍しく女々しいことを言ってやがる。
精霊の力を失って、以前の威勢はなくなったってことだろうか?
「どんな失敗が待ってても……お前のその選択は正しかったって事だよ」
それだけ告げると、サラマンドはその焔を俺の右腕めがけて最大出力で叩きつけてきた。俺はその火炎を右腕で受け取り、あのときバイラ火山でやってみせたように、ボルカニック・ボルガをイメージした。
アルフレッドの愛剣。
重厚な幅広の大剣は、仲間の命を背負った重たい剣だ。
火炎の渦が、とぐろを巻いて俺の右腕を駆け巡った。
―――あ、ちょっとアドバイスください。
―――俺は へ行く。それは間違った事じゃないよな?
―――運命に偶然はない。あなたの決断は、すべて正解になるの。
女神の言葉を思い出した。
あなたの決断は、すべて正解になるの。
……その言葉、信じていいんだろうな、ケア。
「お見事―――それが偽ボルカニック・ボルガか。なかなか禍々しい色を放つんだな」
背後のアンファンがその炎の揺らめきに感嘆の声をあげていた。
偽ボルカニック・ボルガは炎の剣だが、アルフレッドの持つ剣とは大きく2つ違う。
まず、こっちは金属の刀身がない。
柄から先は全部炎だ。
他ボルガ・シリーズの姿を見ると、これが本来の姿のような気もする。
そして二つ目は、揺らめく炎は赤くない。
黒い炎が立ち込め、そこに赤い線が揺らめいているから自然の炎じゃないのは見てすぐ分かる。
「では、複製のお手並み拝見だ。それで果たして解錠できるかな?」
いちいち癪に障る言い方をするヤツだ。
立場が上だからって馬鹿にしやがって……。
それが挑発を意味しているのはよく分かるが、かといって俺もそこまで自分の感情を制御できるほど出来た人間じゃない。
「今……、見せてやるよ………!!」
俺はその台座の前に立ち尽くした。見上げるは、擬人化したサラマンドの像。隣に立つ実物のサラマンドとは程遠い容姿だ。
そして、その目の前にある台座の差し込み口。
両手で複製した剣柄を握りしめる。揺らめく剣先を真下へと向け、意を決してそのスロットへと挿入する。心無しか、偽ボルカニック・ボルガの赤黒い輝きも台座に呼応するように点滅しているような気がした。
「はぁぁぁあ!!」
その偽造の鍵。
気合いを入れて、突き立てる―――――その刹那。
「ロストさんっ!」
親しい彼女の声が、その巨大な部屋に響き渡った。川のように澄みきった、綺麗な声だ。その子の青い髪も、まるで川のように綺麗な青だ。飛び込むように駆けつけたのは、シア・ランドールとシルフィード様の2人。
他の3人の姿がなかった。
「シア?!」
だが既に時遅し……。俺は既に台座へ偽ボルガを突き刺してしまっていた。しばらく沈黙が続いた。アンファンもユースティンも、突然の来客に唖然としている。
反応を見せなかった台座だが、しばらくして台座が赤黒く点滅し始めた。
「遅かったようですね」
シルフィード様の声も耳に届いた。
それにアンファンは至って冷静に疑問を口にした。
「お前たちは……コリンとジョバンの2人を向かわせたはずだが……?」
「彼らはこの城で死にました。聖堂騎士団とはいえ、この暴虐を赦すわけにはいきません」
「死んだ……?」
シルフィード様の周辺にはふわふわと、ボルガ・シリーズの4つの筒が浮かんでいた。
どうやらこちらの作戦は成功していたようである。
俺はまた……最後まで彼らを信用しなかったという事になるのだろうか?
「は……ははははは! 聖堂騎士団を打ち倒しただと? お前たちが……?」
アンファンは狂ったように笑っていた。
片手で顔を隠し、気でも触れたかのような表情だ。
「……くく、そうか。まぁいい」
高笑いの表情がすぐ消え失せた。………まぁいい。その口ぶりは、至って冷静だ。ただの仕事仲間として――否、手駒の道具としてしか見てなかったと言わんばかりに。故人を弔う気持ちは微塵もないらしい。
「だがこの通り……エンペドの時代はここに再び始まろうとしている。直にあのカリスマが復活を果たせば、魔術の発展と進化の時代が到来する。目的は達成したんだ」
ボルガの台座は赤黒く点滅し続けている。その反応は正常なのか異常なのかの判断はつかないが、少しすると、城内が振動を始めた。
また浮上でもするのだろうか。
「ふーむ、しかし他の台座では青白い光だったが……? マガイモノを喰わされて歪んだ魔力でも感染したのか?」
「ロスト、離れなさい!」
シルフィード様が俺に叫ぶ。
それを受けて、俺もトカゲに戻ったサラマンドを肩に乗せて駆け出した。シアの近くまで寄ると、他の3人の安否について気になり、まずそこを確認した。
「アイリーンたちは?!」
「大丈夫です。怪我がひどいので一度、街に戻しました」
そうか……よかった……。誰かに死なれてたりでもしたらやるせない。さっきの決断と言い、今と言い、過保護すぎると思われるかもしれないが、それでも身内が誰も死なずにすんで、それが何よりだったと思いたい。
シルフィード様は、俺が背後に回るのを見届けてからアンファンに向けて宣誓した。空中へと浮遊し、右腕を突きだして牽制の構えをしている。
「シュヴァルツシルトの大魔道士、この地に混乱を招いた戦犯として神の名の下に、貴方を粛清します!」
その言葉を聞いたところで、アンファンの涼しい態度は変わらなかった。
「戦犯……古い時代の考えだ。我々魔術ギルドは世界すべてに貢献したんだよ。この瞬間にな」
「いいえ、これは人類種に対する冒涜です」
「はっはっはっは………冒涜してこその繁栄だ。お前たち精霊は保守的すぎる。世界の可能性に蓋をする存在だ」
「リゾーマタ・ボルガやエンペドの復活は世界の発展になど何も寄与しません!」
アンファンは静かに左手を挙げた。
その挙動は、いつもの魔法を使うときの癖だ。
指を鳴らし、一言だけ名前を唱えるだけで魔術が襲い掛かる。
「ウィンドブラスト!」
「Übergang」
シルフィード様の風魔法とアンファンの鳴らした指は同時だった。突風がアンファンに襲い掛かるも、その風は彼を吹き飛ばすほどの威力は得られなかった。やはりシルフィード様は弱体化してしまっている。
そしてアンファンの背後から出現したのは、無数の魔力弾だった。
転移ポータルから現れる有象無象の基礎魔法。火炎弾が、電磁弾が、氷撃が、いくつも背後から飛び出してきた。
あれはアンファンが閉じ込めていたストックか。あの魔法は、魔法自体ですらストックし、その場で一斉射撃の手法として使えるのだ。
「きゃあ……!」
その無数の魔法を放たれて、シルフィード様もさすがに全て回避することはできなかった。2、3の魔力弾が直撃して地面へと落下する。
「雑魚すぎる! もはや賢者を名乗ることすら恥ずかしかろう! ――Übergang」
だがまだそのストックは続く。アンファンの攻撃が続いている中でも、徐々に城内の振動が激しくなり、ついには城自体が倒壊の危険性が出てきた。天井からは崩れた瓦礫が少しずつ降り注いできていた。
俺とシアはシルフィード様の元へと駆け寄った。
「ロスト、シア・ランドール……お逃げなさい。貴方たちなら、エンペドが復活しても……」
「シルフィード様、こうなったのは俺の責任でもある。ここで逃げるわけにはいかない」
「同じくです。私はもう逃げません」
俺はアンファンを睨みつけた。エンペドはさておき、あいつをこれ以上野放しにしておくのは危険以外の何物でもない。
しかしそのアンファンの前に、その背中が目に映った。
フードを目深に被った魔術師だ。
今までだんまりを決め込んでいたユースティン。
俺たちに背を向け、自身の父親と対峙していた。
「ユースティン! お前は――――!」
「――――Übergang!」
そう叫んだ彼の声は震えていた。
いや、その声は濡れているかのようだった。
ユースティンの背後に展開されるのは、父親と同じ無数の魔力弾の数々。
「ユウ、何をしている? お前の役目はそいつらを排除することだ―――」
「Elektriche Kugeln―――Triplikat!」
さらに自身の周囲に電撃魔法も展開させる。
その強大なエネルギーを纏った電撃は、反発を示唆しているようだった。
「ふん、反抗期か。良いだろう。後でお仕置きだ。―――いけ」
そしてその全弾が放たれた。
それに拮抗するように、ユースティンが展開した魔力弾が放たれた。
ユースティンは迎撃している。
俺たちを守ってくれている。
「ユウ、ふざけるなっ! 邪魔をするなっ!!」
「僕は……」
「父親の言いつけを守れと教えただろう! これは魔術の繁栄に必要なものだ! 魔術師として外れた事をしているのが分かっているのか?!」
アンファンは怒りまかせにユースティンに氷魔法をぶつけた。それはユースティンの顔をかすめて目深に被っていたローブが剥ぎ取られた。
……その光景はいつかの焼き増しだった。ブラックコープスの群れを対処した、"正義の大魔術師"が素顔を見せたときと同じ光景。
「僕には、父様に逆らうことは出来ない!!」
その刹那、城内にその叫びが木霊した。
「父様を傷つけることも出来ない!!」
ユースティンが珍しくその感情すべてを暴露している。
その声は悲痛なものだった。
「だから…………だから……!!」
ユースティンは、俺たちの方へとゆっくりと振り向いた。
その大きな濃紺の瞳は、涙でぐちゃぐちゃに濡れていた。
だらだらと垂れ流した涙は、既に頬に跡をたくさん作っていた。
……ユースティン、お前、ずっとフードの下で泣いていたのか?
「ロスト! シア! ………父様を、どうか止めてくれ」
それはユースティンが初めて俺たちに暴露した願いだった。
これまでツンツンと反発し続けたあのユースティンが、涙で顔をぐちゃぐちゃにさせてまで懇願した。
どうしていいか分からなかったんだろう。
家族を止めたくても止められない。大好きな父親だったに違いない。でも街の人も助けたい。ユースティンは自分の正義の中で葛藤し続けた。
でも最後の最後は、やっぱり父親を止めることに決めた。
それが、正義の大魔術師が出した答えだ。
「まかせとけ……!」
「もちろんです!」
俺たちもその正義を貫こう。
この暴君、全力で止めてやる。
俺たち3人の力で。