Episode71 孤独の海に浮かぶ月
目の前の銀髪の魔術師が、親の仇だったのだと、たった今知った。
弓弦を引くその手が、思わず震えてしまう。
狙いがいつものように上手く定まらない。
弓術のような繊細な武器は私のようなエルフの専売特許だというのに。
世界が真っ白になっている。
私の頭の中では、父と母の死という事実を再び巻き返していた。
決して、今までその事実を楽観していたわけではない。あまりにも突然いなくなってしまった2人の存在が、生や死という現実から、私を遠ざけてくれていただけだ。
手紙の存在も大きい。
いつかはふらっと帰ってきてくれるんじゃないかと、そう淡い期待があっただけ。
だけどその期待は裏切られた。
……許せない。
私はアザリーグラードで5年もの間、冒険者として生活してきた。それは思い返せば、良い出来事もあった。いろんな方と知り合えた。楽しい日々もあった。
でも、孤独だった。
「ユースティン!」
「ユウ、父親を助けろ」
人の親を無残にも葬っておいて、我が身であれば助けろという……。
その傲慢は許すことができない。
私は突発的にその弓弦を弾いた。
「……うぐっ!」
「父様……!」
「ユウ、見たか。彼らは錯乱しているようだ」
それは異常な親子のやりとり。この場で私が牙を向けることが、ユースティンさんの誤解を深めることになることは、頭で理解していた。
でも、頭でしか理解できなかった。
そんな私の取り乱した様子を見て、ロストさんも息を荒くして振り返る。
「シア、なんて事をするんだ!」
「私は……! 私の両親は……!」
もういないのだ。
あの2人の親子のように、助け合うことはできない。
お互いを支え合うことはできない。
それを奪った人間たちが、一番その温もりを享受している。
その事実はどうやっても許せようがない。
そこからは何があったのか詳しく思い出せない。私は我武者羅に弓を引き、そして気づいたときにはロストさんにその全てが刺さっていた。
「キミもついでだ。仲良く逝くのは悲願だっただろう―――Brandstifter」
死の象徴は、私をあくまで処分の対象として見ていた。その昆虫のような視線。私という1人のヒトの尊厳を踏みにじっても後悔することなどありはしないんだろう。それは私の両親にした事と同じなんだ。
しかしこの人間もまた、子の親だと言う。
酷い父親がいた。
目の前に迫る火球が最後の光景だった。
○
私に訪れたのは1つの現実であって、この湧き出る水も体の中から出ているだけの水分に過ぎなくて……。
―――シアちゃん、それは気のせいってやつよ。
そうだ。気のせいだ。
私に襲うこの感傷は気の病なんだ。
でもね、お母さん、私にはこの垂れ流す嗚咽を、止める勇気がないんだよ。これを止めてしまったら、いつかお父さんとお母さんの事も忘れてしまう気がして。
気のせい、気のせい、気のせい……。
また続けるしかない。
お父さんもお母さんもどこかで生きてる。
どこか遠い、遠い旅に出ているだけなんでしょう。
◆
ある日の晩、遠出が決まったと父が言った。母も旅が大好きだ。親子水入らずで、隣の大陸に眠る"ボルガ・シリーズ"というものを調査することになった。
私は当時、まだ10歳だった。
親に連れられ、よく分からない地で、いろんな人種、いろんな宗教に触れる機会が多かった。それもあってか、同世代の子たちより達観的で生意気な子どもに育っていた気がする。
リバーダ大陸へ渡るにはまず港町へと向かう必要がある。送迎用の馬車に乗り、遥々北から南へと南下していく。
両親ともに考古学者で、野外生活や放浪生活が中心の私たち家族には、そもそも家というものがない。それ故、流浪の民のように宿から宿へと移動する日々だった。
いつか私にも家が欲しい。落ち着ける場所があれば、そこでゆったり生活するような、そんな生活に憧れていた。
まだ早朝の事だ。
馬車はダイアーレンの森へと至る街道を、轍を踏んで進んでいった。私がその馬車の幌の隙間から外の風景を眺めると、長閑な風景が広がる町並みが視界に入った。
「お父さん、あそこはなんという町ですか?」
「この辺りは……確か、ソルテールだったかな。何もない綺麗な町だよ」
「そうですか」
家を買うならこういう長閑な町がいい。私もいつかこんな静かな町に住んでみたい。私が理想の将来像に思いを巡らせているときのことだった。
その砲声は突如として耳に劈いた。
「まだまだぁぁぁぁあ!」
男の人の叫び越えだった。その直後、大きな衝突音とともに粉塵が高々と舞い上がり、森の木々を揺らしていた。
「なにかしら……?」
母が不安そうにその叫び声の方角を見守った。それに対して、父は指して珍しくもなさそうに母の声に答えた。
「分からない。魔物でも出たのかな?」
「意外と物騒なのね」
「田舎だから、魔物や獣が突然現れることはあるさ」
「……そういえば、この国では子どもの誘拐が増えてるらしいわよ」
私が隣にいる事も気にせず、父と母は物騒な話をしていた。
「うむ、少し急ごうか」
だが父もその話を聞いて、馬車の従者に急ぐように伝えてくれた。私の身を案じてくれているんだ。普段は考古学の研究漬けの2人で、私の事なんかお構いなしだけど、心の底では私の事を想ってくれているんだと、こういうときに感じる。
――だけど、その時の私は外の光景に目が奪われていた。
果てしなく続く草原の先、森へと向かってゆっくりと歩くのは赤毛の戦士。大きな剣には炎が揺らいでいた。そして飛び出てきたのは黒衣の子ども。
光の帯を引いて、翔けるように飛び出してきた。
その2人は全力でぶつかりあっていた。目にも留まらぬスピードで、それぞれの剣を叩き合っている。遠目だから、どんな人物なのかはよく分からない。でも、ただの喧嘩という感じはしなかった。
それぞれの思いをぶつけ合うように、両者ともに、一進はあっても一退はない。
前にしか進まない戦いは、私を魅了させた。
朝から繰り広げる、その譲れない戦いにはどんな理由があったんだろう。
いろいろと考える。
私は護身用に父から弓を教えてもらっているが、それはあくまで護身用。
あれほど壮絶な戦いというのは初めて見た。
願わくば、その行く末を最後まで見守っていたかった。
だけど、馬車は足早にその町を通り過ぎていってしまった。
……いつかまたここに来てみたい。
長閑な町。
ぶつけ合う戦士の情熱。
私がまだ見たことのない世界はたくさんあるのだ。
「お母さん、あそこで戦ってるの、私と同じくらいの子です……多分」
「子ども? シアちゃん、それは気のせいってやつよ」
「………気のせいというやつ、ですか」
○
リバーダ大陸の迷宮都市アザリーグラード。
そこから南へと向かうドワーフ街道は、ルクール大森林へと続いている。その森には、今回父の知識欲を掻き立てた"神秘の力"の代表作が眠っているとされる。
森のドワーフが住んでいる村には何日間か滞在させてもらった。
私の両親は、そこで風の賢者様から当時の"アザレア大戦"についての話を聞きに村の大木へとよく足を運んでいた。
「お父さん、お母さん、私も連れていってください」
「シアちゃんはダメよ。賢者様はとても偉い人なんだから」
「……そうですか」
「しっかり留守番しているんだぞ」
私も賢者様に会ってみたかった。でも偉い人なら仕方がない。 母が言うには賢者様へ無礼を働いたら、せっかくの調査が台無しになってしまうと云う。そんな理由で、私はお留守番役に回されていた。その代わりにドワーフの村の開拓地までなら、散歩に出かけてもいいと許しをもらっていた。
日に日に、父と母は晩餐の時間によくその賢者様の話をした。
「シルフィード様、協力的で良かったわね」
「今度は実際にそのボルガを見せてくれるそうだぞ」
2人がその話に熱中する度、私は不安な気持ちでいっぱいになった。まるで両親がどこか遠くへいってしまうような、そんな孤独感に苛まれる。
「まぁ……。ボルガは禁忌だからって言ってなかったかしら?」
「僕たちの事をわかってくれたみたいだ。見学だけだったら見せてくれるらしい」
「すごいじゃない。現物を見られるならレポートアップも捗るわね」
「………」
父と母は夜通し、その日の調査事項を資料にまとめ、翌日には旅行用トランクにそれらをたくさん詰め込んで大木へと向かっていった。
そこには、私のお気に入りのドワーフの木彫り人形が入っていたというのに、その人形すら追い出された。私を置いて出て行くときには、代わりにその人形を持って行ってもらうことにしていた。
早く帰ってきて、私に返してくださいという意味を込めて。
しかし、今回はそれが追い出された。
それも仕方ないと、私は割り切っていた。
お父さんとお母さんの邪魔はしたくない。
でも今回の調査が終わったら、来る途中に見かけた"ソルテール"という町でゆっくり過ごしてみたい。それくらいの我儘は許してもらってもいいと考えていた。
晩餐が終わる頃合い、私はふと両親に尋ねる。
「お父さんもお母さんも、最後まで私と一緒にいてくれますか?」
「どうしたの急に」
「………最近、1人でいることが多いです、多分」
「たぶん?」
「いえ、かなり」
「シアちゃん、それは気のせいってやつよ」
○
ドワーフ村で過ごす4日目の昼のことだった。私はルクール森でキノコ狩りをしていた。ルクール大森林のキノコは毒キノコが少なく、食べられるキノコが多い。それをひたすら掻き集めて、その笠の大きさを比べるというのが私の暇つぶしになっていた。
キノコを集めている最中の事。
ドワーフの村とは反対の方、大森林の奥地から大きな地響きの音が鳴り響いた。森から鳥や動物たちの悲鳴が響き渡った。
「………?」
騒然とし始めた木々のざわめき。
こういう事があったときには、村へとすぐ帰るように言われている。けっこう遠くへ来てしまったから、そこからドワーフの村へと帰るのにかなり時間がかかってしまった。村へと急いで帰る最中、その音は何度も何度も勢いを増して湧き起った。
ドワーフの方たちも木々の上の家へと引きこもっていく最中だった。私が滞在中の借家に辿り着くと、そこには父からの置き手紙が1つ残されているだけだった。
―――――――――――――――
シアへ
お父さんとお母さんは森の奥へ行きます。
遅くならないように帰るから、良い子で留守番しているんだぞ。
弓の手入れを忘れないように。
ロア・ランドール
―――――――――――――――
殴り書いたような文字だった。私の父ロア・ランドールは達筆だったが、この文字はあまりに急いで書いていったように感じられた。
留守番を命じられている。
私はその言いつけの通り、父と母の帰りを待ち続けた。
たまに轟音が鳴り響く、ルクール大森林の悲鳴に怯えながら。
夜更けになっても父と母は帰ってこない。
どうしてだろうか。
何かあったんだろうか。
10歳の私にはどうしていいか判断できなかった。
…
思い返せば独りで過ごす初めての夜だったかもしれない。
どんなに忙しくても、父と母はいつも傍で寝てくれた。私は不安感と焦燥感の中で、夜通しガタガタと震えていた。残されたのはお父さんのロングボウ、10歳の誕生日に与えられたマナグラム。
これだけだった。あとは父と母の衣類だけ。
怖い……。
2人がいなくなってしまったのかもしれない事が、何よりも怖かった。
浅い眠り。
気づけば外が明るくなっていることに気づいた。
ついに朝になるまで両親は帰ってこなかった。
お父さんとお母さんはどこで寝泊りしたんだろう。今何をしているんだろう。そんな想像ばかりして、先の事なんて何も考えられなかった。
そんなとき―――。
「シア・ランドールはいますか?」
玄関先から声が響いた。
透き通っていて温かみのある声だった。
警戒しなかったわけじゃない。ドワーフの村人の声じゃないのは間違いない。彼らは独特の訛りがあって言葉が聞き取りにくい。
とすると、誰の声なのか……。
でも私は焦っていた。
父と母がいなくて、何も情報がない。
警戒どころじゃなく、私はその声の主を出迎えることにしたのである。
玄関を開け放ったその瞬間、外から強い風が室内へと吹き込む。その風圧に私は目を開けることができず、まるで催眠術にかけられたかのように意識を失った。
「シア・ランドール、あなたの両親は――――」
誰だろう。暗い世界で、優しい声だけが頭に響いてきた。
「いえ、あなたには特別に魔法の力を授けましょう」
魔法の力?
「ええ、生きていくのに必要な力です」
なぜ生きていくのに力が必要なんだろう。
なぜ私に急に与えられるんだろう。
「しばらく1人で生きていく力が必要になるでしょう」
その意味をしっかり理解できないまま、その声に私は従った。
私の周囲に穏やかな風が流れていくような感覚が伝わった。その風には温もりがあった。孤独の海にいた私の心を、その風が乾かしてくれるような、そんな感覚だ。
「目が覚めたら、あなたは独りです」
その声の主は私を導くように諭した。
一人で生きていくための魔法の呪文だ。
「あなたは最初から独りでした。でもこの森を抜けて、迷宮都市に行けば――――」
…
目が覚めると、私はドワーフの村の民家にいた。
辺りには誰もいない。ベッドの脇に立てかけられたロングボウ。それは父が残してくれたものだ。でもその父は"いつの間にか"いなかった。母も同じ。いつからか私は独りで過ごしていた。
いえ、これまで"独りで過ごせていた"。
ふと手に持つ紙きれの感触に気づく。
そこには手紙があった。読んでみると、とても最近に書かれたもののような気がした。
―――違う、これは最近書かれたばかりなんだ。
「………う……ぅ………」
最初から独りなはずなんてない。そんな風に思えるはずがない。
手紙を何度も見返して、私の両親は死んだのだと知った。
鏡を見る。
悲しいはずなのに、黄金色の目は凍りついていた。
そして海のように深い青色をした髪。
静かな海と満月を連想した。
それは私の孤独の象徴だった。
孤独の海に浮かぶ月。
今まで自分がどんな表情をしていたのか思い出せない。乾いた風のように、私の表情も乾いてしまったようだ。
―――それは気のせいってやつよ。
気のせいなんだ。
私は最初から独りだった。
迷宮都市にいこう。
○
その彼はとても不思議な人物だった。
私と同じ年でそれほど人生経験が多いはずがない。
はずがない、はずなのに、振る舞いや口調はとても頼もしかった。独りである境遇を、悲観する様子がなかったのだ。
ルクール海岸に漂着した時点で記憶を失ったというけれど、記憶を失えば、1人でも前向きに生きていけるのだろうか。
私もなってみたいと思った。その彼、ロストさんと名付けた彼と関わっていくうちに、私は気づけば表情を取り戻していた。笑顔、怒り、そして泣きたいときに泣くという事。
アーバン・フラタニティでロストさんが注目を浴びるようになってから、ある日、私は自分が孤独であることを思い出した。
酒場で彼が魔族の女性にナンパされていた時、それをすごく実感した。ロストさんにもロストさんの人生がある。同い年で、同じ境遇だったから、少し依存してしまっていたのかもしれない。
一緒に仲間探しや記憶探しをお手伝いすれば、私もそのうち彼の仲間の一人として認めてもらえると考えていたからだ。
その時は父からの手紙を何度も読み返した。
手紙を読んでいると、誰かと繋がった気になれる。この迷宮都市と呼ばれる巨大な街に生きていながらも、誰とも繋がっていない孤独。
それを紛らわすことができた。
…
バイラ火山の冒険で、ロストさんは記憶を取り戻した。
アイリーンさんともどういう関係だったのか思い出したようだ。その瞬間から、もう私が"ロストさん"に入る余地はないと思った。彼の周りにはいつも人がたくさんいて、そのまま自然とこの迷宮都市からも消えて、いなくなってしまうんだろうと思っていた。
しかし、ロストさんの様子は特に変わりはしなかった。
記憶喪失の例は世界中に多くあると、本で読んだことがある。そういう場合、記憶喪失前後の人格は必ずしも一致せず、大人しかった人物が急に暴力的になったり、極悪非道な人物が温厚な性格へと変わるケースが見られるそうだ。ロストさんは大きく変わったという事がない。
それは多分、彼の中に一本筋の通った信念があるからだ。
人を守るという事。苦しんでいる人たち、願いの叶えたい人たちのために頑張る事。
そういう信念だ。
きっと、彼の人望の秘訣はそういうところにあると思う。
だけど、その彼も、私の弓矢を真っ当に受けて死んでしまった……。
◆
ドワーフ村の家屋はルクール大森林の木材で出来ている。
酷い倦怠感だ。
目を開くと同時に映るのは、そういった木材を組み込んだ雑な天井。
これはいつかの焼き増しだ。
誰かを失い、そして目が覚めたときには独りになっている。
孤独の海は、常に私に付きまとっているんだ。
両親を失った翌日の朝のように、また私の孤独がリスタートする。
私はもう独りで生きていける。
いえ、独りで生きていく運命だった。
その運命に抗おうとして、その結果がまたこうなった―――。
大切な彼を失ってしまった……。
「シア、大丈夫か……?」
だが、そこには救世主がいた。
心配そうに私の顔を覗きこんでいる。
「ふんっ………あーあ、泥棒猫が生き返っちゃったわっ!」
甲高いお嬢様の声も耳に届く。
耳がこそばゆく、ひくひくと動いてしまう。
エルフの血のせいだ。
「あーあって……ヒーリング一番熱心にやってたの、アイリーンじゃん」
「……ち、違うわよっ! こ、これは………えーと、そう、実験台よ! わたしのヒーリングがどこまで通用するか試していただけ! 実験台には動物がちょうどいいわっ」
傲慢な貴族のお嬢様は苦し紛れに言い訳をしている、という事が私の目から見ても明らかだった。なんだかその様子を見ていて、心が朗らかになっていく。
「お嬢様のヒーリングも見事でしたが、あれだけ重度の熱傷で回復できたのはシアさんの生命力……あるいは何かの加護によるものかと」
後ろにはその執事の方もいた。
ロストさん、アイリーンさん、ダヴィさん。
3人とも私の看病をしてくれていたようだ。
―――私は独りじゃなかった。
1人で生きていく魔法は、とっくに解けていたようである。
「ありがとう……ございました……」
泣いた事なんて滅多にない。
しかも嬉し泣きなんて、初めてだ。
襲い掛かったのは現実の一つであって、この湧き出る水も体の中から出ているだけの水分に過ぎなくて……。
―――シアちゃん、それは気のせいってやつよ。
そうだ。気のせいだ。
私に襲うこの感傷は気の病なんだ。
でもね、お母さん、嬉しいときにも泣いたっていいでしょう?
…
私は丸々一週間、眠り続けていたようだ。
その間、アザリーグラードで起こった事実を聞かされたとき、驚きで声も出なかった。アザレア古城の復活と、迷宮都市の中心地の崩壊。
迷宮30層に眠っていたアザレア城が、地中から復活してしまったという。
城から這い出た黒の騎士団"ブラックコープス"や昆虫型の黒い魔物ジャイアントガーディアンが都市を襲い、大勢の人が命を落とした。
冒険者たちも一致団結してその侵攻を食い止め、なんとか事態は一時収集がついたものの、街の半分はアザレア城の一部に飲みこまれてしまったらしい。
「アンダインはどうしていやがんだよ」
「体調不良ですって」
「絶対に嘘だろっ! エンペドが戻ってくるって歓喜してんじゃねぇのかっ」
「あんな海産物にはやっぱり賢者としての誇りがねぇ……俺様は反対だったんだ」
賢者様3名が大木の下の台座で会議らしいことをやっていた。
土のグノーメ様、風のシルフィード様、火のサラマンド様。
ただ、その光景は託児所のオママゴトのようにしか映らない。賢者様としての威厳を感じない。
その理由は、御三方とも全員幼い姿になってしまっていたからだ。
グノーメ様はもともと見かけが幼かった。その理由はご本人様から伺った事がある。統治エリアであるニヒロ砂漠を離れて、精霊としての"英気"が養えないグノーメ様は、ヒトで言えば常に魔力切れの状態だ。そのせいで幼い姿でしか擬人化できないと聞いた。
でもグノーメ様の場合、精霊力がなくても、工廠さえあれば本来の能力が発揮できるから問題ないそうだ。
工廠というのはおそらくあの魔道具工房の事なんだろう。
そしてサラマンド様―――私のペットのサラちゃんも、ロストさんに敗れて精霊力を失い、赤いトカゲの姿になってしまった。
擬人化しても幼い姿にしかならない。
頭から飛び出た2本の小さい角は、我がペットながら可愛いらしい。
さらにシルフィード様も、あの魔術ギルドの人たちとの戦いで精霊力が枯渇し、幼くなっている。白いシルクのワンピースを着た神々しい女神のようなヒトだったのに、今では白いワンピースの可愛らしい緑色の髪した少女だ。そんな方たちが、あの街をどうするかを、あぁでもないこうでもないと議論している。
真面目なはずなのに、可愛すぎてうずうずしてしまう。
「せめて向こうの声明でも発表して頂ければ、こちらも動きやすいのですけどね」
「声明? 関係ねぇよ、ロストに正面から突撃させて城をぶっ壊そうぜ」
たまに突拍子もない提案があって真面目に話が進んでいるようにも見えなかった。
「あいつはあたしの大事な作品だ! 爆弾ミサイルみたいな言い方するんじゃねぇ!」
「お前の作品? はっ、あれは女神の眷属だろう」
「さすがにロストさん一人だけでは対城戦は難しいのではないですか? ―――あら?」
遠巻きからロストさんと私、そしてアイリーンさんが呆れ顔で見守っているのを、その御三方も気づいたようである。シルフィード様がふわりふわりとその軽そうな体を浮かせて近づいてきてくれた。
「シア・ランドール、もう調子は大丈夫なのですか?」
「はい、おかげさまで」
「それは良かったです。貴方に死なれたら―――そうですね。ご両親に顔向けできませんから」
シルフィード様は一度躊躇ったが、言いよどむ事なく、はっきりと私にそう告げた。
それはこれまで隠してきた事実をすべて打ち明けるように。
シルフィード様自身も意を決してのお言葉に感じた。
「私の両親は―――」
「はい。貴方に渡さなければいけないものがあります」
まるで私の言葉を遮るように、シルフィード様は言葉を重ねた。その眼差しは幼くなってしまった今ですら、しっかりとしていた。
…
シルフィード様の案内で、その森の奥地へと辿り着いた。私とロストさん、アイリーンさんやダヴィさんも着いてきた。あくまで複数で行動することで自衛を高めるためだ。
入り組んだ森林の中、大木が多くそびえ立つ空間に、ぽっかりと口を開いた空間があった。そこには小さな滝が降り注ぎ、こちらへ向かって小川が伸びていた。
その小川に囲まれた小さな中州に、その錆びれた台座は存在していた。
地面には萎びた無数の紙が散乱し、自然と文明が調和したような不思議な空間だった。
「ここはかつて、私がエアリアル・ボルガを納めていた祭壇です」
「ボルガの、祭壇ですか……?」
にしては酷い荒らされようだった。
「こんなところにボルガを? 盗人にすぐ取られちゃうんじゃないですか?」
ロストさんも私と同じ感想を覚えたようだ。
「ここが祭壇として機能していたのは数年前までの事です。危険なため、ボルガは私の住まう大木の台座に移しておりました―――といっても、今回はそれが裏目に出て、まんまと奪われてしまったわけですが……」
エアリアル・ボルガは奪われた。
確か、アンファン・シュヴァルツシルトの指示で、リズベスさんが確保しにいっていた。
「じゃあ、ここに連れてきたのは……?」
ロストさんの言葉を受けて、シルフィード様は私の方へと向き直る。
「シア・ランドールよ、この祭壇に散らばった無数の羊皮紙、これらに見覚えはありませんか?」
それは予期せぬ問いかけだった。
何故、祭壇の事じゃなくて、散らばった羊皮紙のことを聞いてくるのか。
その疑問の答えは、私の記憶の中にあった。
一歩踏み出し、その古ぼけた紙に目を向ける。自然が浸食しているせいか、あまりにボロボロだった。もう羊皮紙とも言えないほどに萎びている。だけれど、注意深く見てみると、そこにはたくさんの文字が書かれていた。
その文字には見覚えがある。
達筆な文字だった。
私が持つ手紙の文字と同じ字。
父がまとめていた資料である。
「これは……」
「そうです。貴方のお父様が書かれた、ボルガに関する論文です」
「なんで………」
1枚1枚、拾ってみる。
確かに見覚えがあるそのたくさんの文字列に、私は夢中に拾い集めた。
無意識に祭壇へと足が近づいた。
「数年前……あなたのお父様とお母様はここで必死にエアリアル・ボルガを守ってくれたのです。先日あなたが受けたような魔術ギルドの進攻が、ここでも起こったのです」
「お父さんと、お母さんが、ですか………」
祭壇の周辺に無残に散った紙。それに加えて確かに祭壇には争いの痕跡はあった。荒廃した祭壇は自然が浸食しただけにしてはあまりにも爪痕が深い。
ふと気づいた。
初めてシルフィード様とお会いしたあの日。不思議と私に向けられたお顔が、慈愛に満ち満ちているように感じられた。
シルフィード様は私の両親に恩義を感じていた、ということだろうか。
「………まだ、続けても大丈夫ですか?」
シルフィード様は私の顔を見て気遣う。
いつしか私はまた、目から大粒の涙を溢してしまっていた。
我ながら、魔法が解けた瞬間に涙もろくなったものだ。
「……はい………」
「では、貴方にお渡ししたいものがあります。あちらに―――」
そう言うとシルフィード様は、片手を祭壇の方へと向けて、気流を操作するように手の平をうねらせた。それとともに、祭壇の麓、立てかけられたように姿を現したのは、これまた見覚えのあるトランクケースだ。
「あっ………!」
思わず、声をあげる。
私はたまらずにそのトランクケースへと駆け寄った。
「お開けなさい。お父様とお母様からの預かりものです」
父と母はあの日、トランクいっぱいに書類を詰めて出かけていった。その書類はほぼすべて周囲へと投げ出され、今では散らばっている。
「お父様とお母様は、最後そのすべてを捨てました。これまでの研究調査した成果を全て投げてでも、それだけは守りたかったのでしょう」
トランクを慎重に開ける。シルフィード様の空圧制御で不可視化されていたとはいえ、すでに経年劣化で酷い状態だ。
最期に父と母が遺してくれたもの。
慎重に、慎重に……。
―――大きなトランクには不釣り合いの、一体の人形だった。
私が大切にしていた木彫りのドワーフ人形。
資料を入れるのに邪魔だから、と除けられたかと思っていた人形だ。
でもお父さんもお母さんも、持っていってくれていたのだ。
"帰る"と書き置きした、その約束を守るために。
その木彫りのドワーフの背中には、急いで彫ったような彫り傷が残っていた。慌てていたとはいえ、大切に彫り込んでくれたのを感じる文字。
"シアへ 愛しています。幸せに生きて"
「ぁ………あぁ………!」
孤独の海はもうどこにも無い。
私は、父にも、母にも、最初から最後まで愛されていた。
それさえあれば、もう独りなどとは口が裂けても言えるわけがなかった。
それから延々と泣き続けた。
もう一人で生きていく必要はないんだ。
いつまでも泣き続けてもいいんだ。
ロストさんが傍により、その胸を貸してくれた。
涙がその胸に溶け込む度に、私はこの人と一緒に生きていきたいと切に願った。
「お嬢様、その……よろしいのですか?」
「ふん……"1日くらいどうぞ"」
迷宮都市から大森林に向かう前に、あの子へ向けた私の言葉が、そっくりそのまま耳に届いた。
ありがとう、今日だけは私のロストさんだ。
○
祭壇からトランクも一緒にその人形を運び出した。
私たちはドワーフの村へと舞い戻る。
もう泣く時間はお終いだ。
敗北は噛みしめるだけ噛みしめたら、リベンジに向けて動き出す。
私も戦力にさせて欲しい。
「シア、もういけるのか?」
「はい」
私、シア・ランドールは弓の達人。
父に叩き込まれたこの技術と、シルフィード様から頂いた風の力。
戦えないはずがない。
髪を後ろで一つにまとめる。
気合いを入れるときはいつもポニーテールにするのが私流だ。
「街を取り戻します。そしてお父さんとお母さんが守ろうとした物も」
「そうだな。まだ終わったわけじゃない。街はめちゃくちゃになっても、まだ間に合うはずだ」
隣の彼も一段と頼もしかった。
出会った頃は同じ背丈だったはずなのに、気づけば見上げるほどに大きくなってしまった。逞しい体と精悍な顔つき。
誰がどう見ても戦士の姿だ。
この人の隣で強く生きていこう。
守られるだけが女じゃない。
同じ方角を向き、助け合って生きていきたい。
お父さん、お母さん、ありがとう。
私は幸せに生きていきます。




